堕天使の肖像
あれは、いつだったのだろう。
夢か現かは定かではないけれど、僕は、たしかに、彼の姿を見た。
正しくは『肖像画』を見たのだけれど、その姿が、頭から離れるときはない。
壁に掛けられていた大きな絵。そこに描かれていたのは、漆黒の両翼を背に負う、うねる銀の長髪の、雪のように白い肌と、焔色の双眼を持つ男だった。
絵にすら興味のなかった僕が、初めて、描かれているものに惹かれた。理由はとても単純で、僕が、シスターやブラザーたちにさんざん見せられてきた『天使様』は、どれも皆同じように金髪で、二から三対の純白の羽を背負っていたからだ。
二、三十分くらいだろうか、僕がその絵に見惚れていると、後ろで、老爺の、愉快そうな声がした。
「それは、堕天使じゃな」
堕天使? 振り返ってそう言うと、皺の深く刻まれた顔の、腰の曲がった小柄な老爺は、ホッホッホッ、と、愉快そうに笑い、そうじゃ、と言った。初めて聞いた。そう言えば、そうか、そうかと言い、その絵の天使について語り始めた。
それはのぉ、昔々、世界に神様が何人もいた頃の話じゃ。珍しくクライスト様が作られた、優秀な天使様がおったそうな。彼はもともとケルブだったのじゃが、とても優秀で、武術でも学業でも弁論でも、彼の右に出る者はいなかった。クライスト様は、そんな天使様を、普通では有り得ないのじゃが、セラフに昇華させたのじゃ。
しかし、じゃ。その天使様は、クライスト様が、他の神を陥れ、既存世界を作り変えることに耐えきれず、直訴してしもうた。完全カースト制の天界で、神に刃向かうのは、許されざる大罪じゃった。その為に、その天使様は、地の底に落とされ、その怨みにより、復讐の念に燃える、堕天使となってしもうたそうな。
それも初めて聞いたよ。そう言うと、そうじゃろ、そうじゃろと、老爺はまた笑った。
別れ際、老爺は、僕に言った。
「ああ、そうじゃ。堕天使の名なんじゃが――」
「ハーヴェイ、ご飯なくなるわよ!」
一階から、シスターの怒鳴り声が聞こえた。
「ハーイ、シスター」
聞こえるように返事をし、部屋を後にする。
僕は今、孤児院で暮らしている。僕が銀髪持ちだから、髪が生え始めた頃に捨てられたらしい。周りのみんなは金髪だから、僕のことを、変だ何だと言うけれど、一人髪色の濃い同い年の子と一緒に、ある程度は楽しく生きている。
ただ一つ言えるのは、僕が、ここにいてはいけないような気がする、ということか。
最後に、ここに、彼について、もう少しだけ記しておこうと思う。
彼は、うねる銀の長髪の、雪のように白い肌に焔色の双眼を持つ、白のシャツに黒のコートとズボンを身に着け、闇色の剣を携えた、漆黒の両翼一対を背に負う、『ルシフェル』という名を持つ堕天使だった。