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堕落した太陽

 どうやって戻ってきたのか、記憶が定かではない。

 しかし、朱里はちゃんと帰ってきていた。自分がいるにふさわしい監獄へ。

 あてがわれた部屋のソファーの上に、肩を貸していたネフィリムが座らせる。


「アカリ、大丈夫ですか」


 ネフィリムが気遣うが、答えない。答える余裕はない。気力も存在しなかった。

 他人からの憶測ではなく、明確な事実として朱里は家族を喪った。拒絶されたのだ。はっきりと。

 社長に言われた時よりも、通告を受けた時よりも、喪失を実感できる。二度と戻らないと意識できる。


「……アカリ」


 ネフィリムは同情的な視線を朱里へと向ける。膝をついて、顔を差し出した。


「アカリ。此度の件は私の不手際です。どうかあなたの気が済むまで殴ってください。もし私を殺すことで気が休まるというのなら、どうか私のことを――」

「ッ!」


 朱里は右手でネフィリムの首を掴んで、ベッドへと放り投げた。ネフィリムは悲鳴を上げることなく寝具の上を跳ね、壁に寄り掛かった。朱里は勢いよくネフィリムへと殴りかかり、ネフィリム――の顔横に向けて拳を突いた。


「私があなたを殺してしまう前に出て行って」

「しかし」

「いいから! 早く!」

「わかりました」


 ネフィリムは素直に従い、朱里を不安そうに見つめながら出て行った。自分の身を案じたものではなく、朱里を心配しての一瞥だ。


「く……くそっ! くそ!」


 危うく、ネフィリムを殺しそうになった。朱里は気を静めるために壁を殴り出す。

 PHCの規約では、社内での殺人はご法度になっている。しかし、ネフィリムはカウントされない。

 もし朱里がネフィリムを殺しても、罪に問われることはなかった。ストレス発散の結果ネフィリムが死んでも、それはただの事故だ。狩人の解消方法が間違っていたのではなく、ネフィリムの耐久性の問題だ。

 だが、殺してもいい状況下だからといって、無闇やたらに殺していいというわけではない。例え精神的苦痛に苛まれても、踏み越えてはならない一線がある。

 むしろ、自由に振る舞えるからこそ、当人の器の大きさが問われている。朱里が人を捨てて本物の怪物と成り果てるか、人の身に怪物を宿した少女でいるか。今、朱里は自分の根幹を定める分岐点に立っていた。


「ネフィリムは悪くない……! 八つ当たりだ!」


 抉れた壁に、今度は頭を打ち付けた。どうせ八つ当たりをするなら、他人ではなく自分にしよう――そうすれば、朱里はまだ人でいられる。

 特殊な才能を持った異常な人間として、存在していられる。



 ※※※



 オペレーター業務である任務の発注と、適正狩人の派遣設定を行っていた彩月は、突然掛かってきた通信に眉を顰めた。

 業務に関係のない通話は非推奨行動だ。しかし、発信相手が誰なのか気になって、彩月は通話に応じることにした。


「誰ですか? 業務の最中……」

『やあ彩月。僕だよ』

「っ!? 社長!! 失礼しました!!」


 通話相手が社長であることを知り、彩月は椅子を倒す勢いで立ち上がる。すみませんすみません。ご丁寧に二回も頭を下げて、社長に全力で謝罪する。心なしか顔は青ざめて、声は震えていた。


『君が謝ることではないさ。いつもの回線じゃなくプライベートチャンネルを使ってるからね』

「い、いえ! オペレーターたるもの、すぐさま対応するべきでした!」


 オペレーションルーム全体に響き渡る声で、彩月は自分の非を認めた。必要以上に応対するのは社長だけだ。朱里や小城が彩月に戦術支援を要請しても、彼女はマニュアル通りにしか対応しない。


『ふうん。まあいいよ。君にお願いしたいことがあるんだ』

「な、何でしょうか……」


 社長のお願いが何なのかを想像して、彩月は震え上がった。よもや、自分に奉仕活動でもさせるのではあるまいか――怯える彩月に、社長は告げる。


『小城輝夜と高宮朱里の二名を、G-64地点へ派遣して欲しい』

「……え、そんなことでいいのですか?」


 拍子抜けして、思わず聞き返す。無言の返事に、彩月はひっと悲鳴を上げて、早速作業へと取り掛かった。


「やりますやります! やってます! 任務発注が完了いたしました! いつでも出撃させられます!!」

『よろしい。君は食虫草って知ってるかい?』


 突然始まった世間話に、彩月は苦りきった顔となった。お腹が痛い。早急に話を打ち切りたい。

 しかし、社長の機嫌を損ねたら最後、どうなってしまうのかを彩月は知っている。狩人ではなくオペレーターに配属されたこと自体、奇跡と言っていいものなのだ。ここで下手を打ってしまったら、彩月は海の底へ沈むはめになりかねない。

 いや、それよりももっと残酷な目に。


「し、知りません……! 無知ですみません! バカでごめんなさい!」

『いや、構わないよ。相手が知っていたら、会話はすぐ終わってしまうからね』


 ああ知っておけば良かったな、と彩月は自分の判断を後悔した。


『食虫草はね、部屋に置いておくだけで、ぶんぶん飛び回る厄介な害虫を食べてくれるんだ。見た目は少しあれだけど、便利なものには変わりない。もし君がハエに悩まされているのなら、購入することをオススメするよ』


 社長の話に相槌を打っていると、一つ疑問が湧き起こった。ぼそり、と彩月は呟いてみる。


「そ、それって……二人の内、どちらかが害虫ってことですか?」

『…………』

「ひ、ひぃ! すみません! 今すぐ二人に連絡を取ります!」


 彩月が大声で叫び謝ると、通話がぶつりと切断された。彩月はへたりと床に座り込む。ああ、応じ方を間違った。社長の機嫌を損なってしまった。もう二度と陽の目を見ることはないかもしれない。


 

 ※※※



『ファイル0245――PHCとの会談記録……再生開始』


 自動音声の案内で、動画が再生される。隠しカメラで横アングルから撮影された映像のため、正面から会談の様子を閲覧することはできない。

 しかし、会話と応じる人物さえ記録できていれば、それで十分だった。誰が誰とどんな内容を話したか。重要なのはそれだけだ。


『やぁ。あなたが直々に交渉の席に立つとは、流石の僕も予想できなかったよ』

『それほど重要な案件だと認識している』


 テーブルを挟んで行われる男と男の会談。年老いた男の傍らには秘書官が立ち、もうひとりの男……PHC社長の隣には誰もいない。

 年齢を重ねた男が緊張しているのに対し、社長は余裕の笑みを浮かべていた。どんなことがあっても自分の立場は揺らがない――いや、例え揺らいだとしてもそれはそれで面白い。何が起きても、この男はきっと笑っているのだろう。


『で、何の話だったかな』

『もう勧告はしたはずだ。貴社が秘匿する技術。我々に提供してもらおう』

『いやあ、それは難しいな』


 社長はテーブルに置かれたカップへと手を伸ばし、口に含んだ。

 おいしいねこのお茶。名前は何て言うんだい? 相手を小馬鹿にした風に訊く。


『金は払う。この問題は核問題と同等……いや、それ以上の案件だ。我が国だけではない。世界の存亡が懸かっているのだぞ』

『だから、派遣してるじゃないか。ハンターをさ。日本だけじゃない。アメリカ、ロシア、中国……世界中にさ』

『後何回雇えばいい。後何回、お前に金を払えばいい? ……協力しようと提案しているだけだ。ただ単に、技術提供してくれればいい。その分の金は払うし、ハンターの雇用も継続する。貴社は十分儲けられるだろう』

『君たちの自衛隊や世界の軍隊に我が社の技術が導入されれば、きっと僕たちを雇わなくなるだろう? それは我が社にとって十分な損失なんだよ』


 なぜだ! と老いた男は声を荒げる。これがただの軍事提携だというのなら、男もここまで狼狽しなかっただろう。

 だが、国を脅かす魔獣は強力で、自衛隊もただのやられ役となっているほどの難敵だ。核の登場以来の人類存亡の危機に、男は焦りを募らせていた。


『なぜ? そんなのは決まっているよ。この世は金が全てだろう?』


 社長は当然の如く言う。しかし、社長が金に困っているとは到底思えなかった。もはや、この男にとって金稼ぎとは趣味の範疇に入っている。

 金はいくらあってもいい。社長はお茶を飲みながら笑う。


『人が何人死んだって、金さえあればそれでいいのさ』

『本末転倒だろう! 金は使うために』

『いや、金は僕にとってコレクショングッズだよ。欲しいから集める。使うためじゃない』

『金の亡者め』

『ああ……最高の褒め言葉さ。しかし亡者って言い方はよろしくない――僕はこの通り、ぴんぴんしているからね』


 交渉は決裂したようだ。社長の対面に座る男は立ち上がり、秘書官にやれ、と合図を出す。

 秘書官はスーツの内側から拳銃を取り出した。銃口を突きつけられた社長はしかし、おいしそうにお茶を啜っている。


『国際連合を代表して告げる。お前の人権は保障されない。PHCも国際法に則って解体する』

『日本はいつからこんな横暴な国に成り果てたんだ。酷いな、全く』

『日本ではない。これは世界の意志だ。私は日本の防衛大臣としてではなく、国際連合の一員としてこの場に立っている。お前を倒すため、世界は一つになったということだ』


 超法規的、例外的措置だった。通常なら有り得ないことも、異常事態なら起こり得る。

 社長の前に立つ男は、日本政府の交渉代理人として現れたわけではなく、国連から要請を受けた日本政府の交渉人としてこの場に立っていた。

 つまり、今この男の意見は世界の意志……PHCに対する拒絶の表れだった。


『めちゃくちゃだね。いつから日本は世界の代表になったんだい?』

『たまたま我が国の近くにお前がいたから。それだけだ。アメリカの近くにお前がいればアメリカの代理人が交渉したし、ロシアならロシアの代表が交渉したはずだ。……感謝している。お前のおかげで世界は一つにまとまったぞ』


 大臣の語調が強くなる。僕に言わせれば、と社長は口を開いて、


『未だに地図に線を引いて、自分の領地を定める君たちがバカらしくてしょうがない。世界は最初から一つだったさ。人間がまだ人でなかった頃からね』

『御託はいい。手早く済ませよう』


 大臣が秘書に目配せし、社長を始末させようとした。だが、急に懐の携帯端末が鳴り響き、不審に思いながらも電話に出る。

 社長はにこにこしながら、その様子を見守っていた。すると、大臣が驚きの眼を社長に向ける。


『おや? 僕に何か用かな?』

『……っ。日本にビーストが出現した……各県にある自衛隊の基地に……。それだけではなく、国連の主要国を筆頭に、様々な国に同時発生したと……』

『ほう? では――』


 社長は腕を組んで大臣を見つめる。極上の笑顔で。


『――ビジネスの話をしましょうか』

『ふざけるな! 殺せ!』

『わかりました』


 怒り狂った大臣は、秘書に命令を下す。秘書官は命令されるまま撃ち抜いた。

 日本の防衛大臣を。国際連合の代理交渉人を。


『ぐッ……なぜ……』

『彼は既に買収済みだよ。言っただろう? この世は金が全てだと』


 社長は立ち上がり、死にかける大臣を見下ろして、


『安心してくれ。君のクローンを作成してあげよう。もちろん、日本にハンターは派遣するよ。金の鳥に死なれちゃ困る。それと――そこのカメラ。このカメラは何のために用意したんだい? いざという時のため? ああ、こんなもので物証をあげようとしたのなら、実に嘆かわしいことだ』


 社長は隠しカメラの前に移動し、ひらひらと手を振った。


『どうだい? 僕を逮捕してみせるかい? どうぞやってみてくれ。犯罪捜査には前々から興味があったんだ』


 秘書官から渡された拳銃を、社長がカメラに向けて撃つ。銃声とともに、カメラの映像は途切れた。




「……暇つぶしには不適格か」


 映像データを見終えた小城が愚痴をこぼした。

 生憎、PHCにはDVDレンタル店が存在しない。映画を見たい時に見れないというのも、PHCに抱く不満の一つだ。

 もちろん、小城に渦巻く不満はそれだけではない。数えれば山となって積み上がる。だが、ぐちぐちこぼしていても何も始まらない。


「……」


 動くべき時がきた。小城は常日頃から思案していた計画を実行に移そうと画策していた。


「問題点は、動いたところで上手く行くかは不明ってところだな」


 言いながら、手元の資料に目を落とす。テーブルの上にあるファイルには、高宮朱里のプロフィール。

 まだ完全とは言い難い計画を開始した理由の一つだ。


「これ以上待ってても、何の進展もなさそうだしな」


 言い訳めいて独り言。そもそも今まで無事だったことが奇跡だ。

 あの男になら、既に見抜かれていてもおかしくない。自分がどういう人間なのかを敵は理解し、あえて泳がせているのは明白だ。

 もしくは、どうでもいいのかもしれない。面白いアトラクションの一つとして、疑わしい自分を放し飼いにしている。良い様に操られているようでしゃくだったが、それももう終わりだ。そろそろ、世界をあるべき姿へと戻すべき時だろう。

 小城は棚の引き出しを開けて、中から十数個あるドッグタグの内一つを取り出した。黙して、戦死した仲間の名前を感慨深く見下ろす。

 彼らは死ななくて済んだかもしれない人間だった。もし対抗できる武器さえあれば、銃弾が魔獣に効きさえすれば、ここにある名前の内何名かは今も酒を呑み、女をナンパしていただろう。

 だが今や、彼らはそういった男の遊びに興じることすら叶わない。誇りを胸に、自国民を守り通すことすら不可能だ。

 敵討ち、などという大それたものではないが、怒りが沸いていないこともない。弾丸をぶち込むには、あれほどふさわしい的もいないだろう。

 意を決した小城が立ち上がったその時――閲覧していた映像ログと同じように、彼の携帯端末が鳴った。

 嫌な予感がしながら、小城は電話に出る。相手はオペレーターの彩月だった。


『に、にに、任務です! ハンタータカミヤアカリと共に出撃してください! 同行者申請は認められません! それではッ!』


 一方的に通達し、一方的に電話は切られた。小城は苦りきった顔となる。

 行動に移すのが、少し遅かったかもしれない。



 ※※※



 強制的に任務へ連行させられた朱里だが、丁度ストレスを発散したかった彼女にとって、任務の発注はありがたかった。理由は不明だが、ネフィリムも同行していない。これもありがたい。今、ネフィリムと会うのは気まずい。

 気に掛かるのは、小城が深刻そうな面持ちでライフルソードを手入れしていることだ。何か話しかけようとも思ったが止め、朱里も同じように銃器の手入れを始めた。


「なぁ、ビーストと戦うのは怖いか?」

「……なんです?」


 唐突な質問に、朱里は眉を顰める。質問の意図がわからない。

 それでも、朱里は素直に思ったことを口にした。


「怖かった、です。今は怖さよりも愉しさの方が勝ってます」

「そうか。君は強いな。俺は今でもビーストとの戦闘が怖ろしくてたまらない」


 小城は謙遜している。朱里はそう思う。小城の戦闘方法は恐怖を感じる人間の戦い方ではない。

 怖じず、躊躇わず、一気に敵の懐へ踏み込んで、斬る。ヴィネ曰く、魔獣の素材を用いて作った刀身なら、魔弾を使用するよりも効率よくダメージを与えられるという。

 その分、リスクも高いんですけどね。ハイリスク、ハイリターンって奴です。彼女は笑いながら言っていた。


「でも、小城さんの戦い方は恐怖とは無縁に思えます。怖いなら、遠くから狙撃でもしていればいい」

「怖いからこそ、な。恐怖を抱くから、さっさと殺したいんだ。化け物と長時間いっしょにいると、気が狂いそうになっちまう。だから一番効率のいい戦い方を選んだ。早く殺せば、早く帰れる。死にたくないなら強くなればいい」

「本当ですか?」

「嘘ついてどうするんだ」


 疑心の瞳を向けた朱里に、小城は苦笑する。


「PHCの社員たち……ハンターたちは信用できない奴も多い。わかっているとは思うが、彼らは最初からあんな状態じゃなかった。凶暴な奴なんて一握り、日本支社は他国よりも恵まれていた」

「わかってますよ。本当の人間のこと、私は覚えてます」


 忘れるわけがない。本当の人間。朱里を拒絶した弟のことを。

 例え裏切られたとしても、弟を責めるつもりはさらさらなかった。むしろ仕方ないと考える。まだ朱里には、思考の猶予が残されている。

 だが、もし彼らと同じように……自分を殺そうとした常場のように精神を完全に摩耗してしまったら、今のような正常な判断ができるとは到底思えない。自分自身との戦いを朱里は強いられている。


「辛いか?」

「辛くなんてないです」


 嘘だった。PHCに来てからというもの、辛い出来事の連続だ。

 小城は朱里の強がりを見抜いていたようで、そうかと相槌を打ち、


「楽しい日々が永遠でないように、辛い日々もまた無限ではない」

「なんです?」

「俺の信条みたいなものだ。今日が辛いから、明日も辛いとは限らない。辛くないとも言い切れないが、だからと言って諦めるのはもったいないだろう? せっかく生まれてきたんだから、存分に人生を謳歌しようじゃないか」


 小城の慰めは眩しい。絶望に喘ぐ者にとっては理想的な言葉だが、朱里はそう簡単に脱出が可能だと楽観視はしていない。

 正確にはできなくなった。先日、見事に打ちのめされたからだ。


「簡単じゃないですよ。ここは怪物専用の監獄です。四六時中見張られて、ビーストが発生したら狩りをさせられる。狩りが終われば部屋で休み、また狩猟させられる」

「その通り。くそったれな現実だ。しかし、だから諦めるのか? 希望を投げ捨てるのか? 嫌だろう、ここで死ぬのは。それにな、あの男の思い通りにさせられるのは癪だ」


 小城の言う通りではある。社長のオモチャとして散々弄ばれた後に殺されるなど、到底受け入れられないことだ。

 しかし、だからと言って方法はない。結局夢想でしかないのだ。あの男に一矢報いるなど。


「諦めなければ希望は見えてくる。気が付かないだけで、希望はすぐそこにある」


 小城は首に提げていた鉄製のプレートを朱里に差し出した。ドッグタグ。死んでも遺体の確認ができるよう軍隊などで使われている認識票だ。


「持っておけ。お守りだ」

「お守り……」


 朱里は促されるまま首に掛けた。効果があるかはわからないし、むしろ死者を想起させる不吉な品物だったが、久しぶりに人らしいやり取りをした気がして幾ばくかの安らぎを取り戻した。

 左手でプレートに触れながら、朱里はちらりと小城へ視線を送る。小城はまた思案に耽っていた。

 小城が一体何者かという疑問が脳裏をかすめたが、朱里は訊かず、それよりも強く頭にもたげた想いを馳せる。


(まるで、遺言みたい)


 常場は生前こう言っていた。

 ――小城は頑張っちゃいるが、アイツだってその内、死ぬ。




 降下した朱里と常場は、いつもとは違う狩場の雰囲気に気圧された。

 小城すら初めて訪れたらしいそこは、大地がぽっかりと抉れ、地盤が沈下している場所だ。

 高速道路が途中で途切れ、何かしらの大規模爆発があったことを予感させる。右眼によれば、実際に空爆によって大型魔獣を撃退した跡地らしかった。


「で、ここに出たビーストって何です?」

「さあな。俺も知らない。……彩月、情報をくれ」


 小城が焦った様子でイヤーモニターに耳を当て、彩月の返答を待っている。朱里も同じように左手を耳に当てたが聞こえ来たのはノイズだけだった。

 通信不能。右眼はそう解説。陥没した皿の中では、電波が届かないようだ。


「くそっ。有り得んだろ……さっきまで繋がってたんだぞ」


 小城のぼやき。朱里も似た違和感を感じていた。いつもと状況が違い過ぎる。まともなブリーフィングは受けられず、ドローンが観測したはずの敵情報もない。いくら魔獣狩りに特化した狩人と言えども、事前情報は必要だ。


「朱里、スナイパーライフルは持ってきてるな」

「はい。そこにおいてます」


 朱里は後ろの補給エリアに顔を向ける。狩場には、弾丸の補給を受けられる簡易補給所が備わってる時がある。普段の弾薬補充はオペレーターに要請する戦術支援という形だが、ここでは直接自分で弾薬を補給できた。


「動きづらいと思うが、フル装備で頼む。どんなタイプの敵が出てくるかわからない」


 小城はアサルトライフルを背中に背負い、腰には剣を提げている。言われた通り朱里も背中にスナイパーライフルを掛けて、スリングを調整しショットガンを左脇へと移した。動きづらいが、身体能力をサポートするコンバットスーツのおかげで大した重みは感じない。


「何が出てくるかわからない状況で、ハンターがたったふたりってこと、あるんですか」

「あるには、ある。例外中の例外だな」


 小城はそう説明したが、朱里は納得しかねた。反論しようとして気付く。小城も納得していないということに。

 彼の横顔には疑念が張り付いていた。朱里にではなく、PHCに向けられている。


「急いで片を付けよう。嫌な予感がする」

「はい……っ!?」


 小城に頷いた朱里は、彼の背後、太陽を覆うように出現した影に息を呑んだ。

 小城も不審に思って振り返る。そして、朱里と同じように目を見開いた。


「何だ……あれは!」

「まさか――天使!?」


 二人の視線の先には、黒く染まった翼の生えた天使が、剣を携えて空中に浮かんでいた。



 ※※※



「さて、面白い仕掛けを施そうじゃないか」


 同時刻、PHC日本支社の社長室にて、社長がパネルを操作した。


「上手くいけば、とても面白いことが起きる」


 上機嫌にコマンドを送る。狩場で驚愕しているであろう朱里に向けて。


「君なら生き残れると思っているよ。まぁ、死んだところでどうでもいいけどね」

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