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血塗れた帰宅

 狩場からは無事に帰還できた。しかし、肉体的には問題なくとも、精神的消耗が著しかった。

 散らかったままの部屋へと戻った朱里は、右眼やネフィリムが推奨してきたメンタルケアを蹴って、ベッドの上で蹲っていた。

 枕を抱いて、目を見開いたまま、ぶつぶつ独り言を呟いている。


「……すればいい……どうすればいい……どうすればいい」


 帰ってきてからずっと、朱里は方法を考えていた。どうすれば家に帰れるのか。どうすれば家族に会えるのか。

 正規の方法では難しい。しかし、下手に動けば家族に被害が及ぶ。


「誰も頼りにならない。私が、何とかしないと」


 朱里は悩む。たったひとりで、苦悩していた。



 ※※※



 メンタルケアのやり方は人によって違う。カウンセリングを受ける者もいれば、薬を服用する者もいる。

 小城の場合は後者だ。もっとも、薬の意味合いが少し違うが。


「……」


 小城は展望室で海を眺めながら酒を飲んでいる。事実上幽閉されている狩人たちの数少ない憩いの場だ。

 しかし、月光煌めく夜間では、あまり人はいない。いや、昼間だとしても訪れる者は少数だった。

 誰もかれも引きこもっているのだ。人間不信となってしまっている。もしくは、外の美しさがどうあっても届かないことを痛感して、目を閉じている。希望を思い出さなければ、絶望の中でも息をしていられるからだ。


「明日も任務のはずだが」

「だから少ししか飲まないのさ」


 夜風に吹かれる小城に話しかけてきた人物。チャーチに目を向けて小城は応える。

 チャーチは小城の隣に立ち、同じように海を眺め始めた。小城も視線を戻し、もう一度酒を仰ぐ。


「朱里はすごいな」


 脈絡もなく小城は言う。胸の内から出た本心だった。

 チャーチは首肯せず、ほろ酔い状態の小城の話を聞いていく。


「よくもまぁ気丈でいられるもんだ。普通、気がおかしくなって、死んでるよ。生き残っても動けなくなっている」

「すごいだけでは生き残れない」

「わかってるさ。だが、アイツほどの強さがみんなにあれば、状況は一変してたかもしれない」

「仮定の話は無意味だ。喪ったものは二度と戻らん」


 チャーチはつれない。ネフィリムだったら素直に同意する話も、チャーチは否定しかかってくる。

 だが、だからこそ話し相手には丁度良い。ただ肯定されるだけは辛い。言葉を投げて、相手の反応を聞きたいのだ。


「朱里を怪物に思うか……」


 小城はチャーチの考えが気になって、訊いてみた。チャーチは考える素振りもみせずに即答する。


「だろうな。あれほどの戦闘力を秘めた人間は、怪物と表現されるにふさわしい」

「そうか……」


 予想できた答え。チャーチと小城は意見が違う。

 しかし、とチャーチはまだ言葉を続けた。意外だった小城が、思わず彼の顔を見つめる。


「少女であることに変わりはない」

「そうだな。ありがとう、付き合ってくれて」

「礼を言われる筋合いはない」


 チャーチはつれないことを言い残して、どこかへと行ってしまった。任務の発注か魔獣の出現地点の割り出しか各国の政府との交渉か……社長が認めるほどの有能な人間であることは間違いない。

 だからこそ、小城は疑問を隠せなかった。なぜ奴ほどの男が、あんな男に従っているのだろうか。



 ※※※



 かくれんぼは、お金が掛からず楽しめるお手軽な遊びの一つだ。見つける役と隠れる役がいるだけで、子どもが夢中になるほどの遊戯ができる。

 高宮姉弟も、よくかくれんぼをした。時には、たったふたりですることもあった。朱里は章久を見つめるのがうまく、弟はよく愚痴をこぼしていた。また、朱里は隠れる側も得意だ。姉を見つけることができなくて、章久はいつも不満げだった。かといって手を抜くと怒るのだから、朱里は苦心させられた。

 だから今も、本気で茂みの中に隠れている。五分ほど経ったらわざと服の一部を露出させ、“頭隠して尻隠さず”を意図的に演出するつもりだった。


「姉ちゃん、どこ?」


 章久が近づいてくる。朱里は息を潜めてやり過ごす。

 弟の背姿をくすりと笑って見送った。しばらく経てば戻ってくるはずだ。朱里はあえて右肩を茂みから出そうとして、


「えっ?」


 と声を上げる。いつの間にか、朱里は獲物を捕らえるゲージの中に閉じ込められていた。


「なにこれ……! 章久! 助けて!」


 助けを求めて弟を呼ぶ。だが、弟は戻って来ない。朱里の手が届かない遠い場所へ行ってしまった。

 朱里は脱出しようと奮闘。しかし、鋼鉄製のゲージはびくともしない。しばらくすると誰かがやってきて、罠にかかった哀れな獲物に声を掛けた。


「――君、もうタイムリミットを迎えたよ。日本には帰れないってさ。家族には二度と逢えないよ」



「……」


 不思議と目覚めは自然だった。恐怖に慄いたり、跳び上がったりすることもない。

 朱里が思うよりもずっと素早く、心は順応していた。


(理不尽に対する耐性が高いのかも)


 己の意外な一面を知る時は、切羽詰まった時だという。PHCに拉致されて、朱里は否が応でも見つける羽目になった。見たくなかった自分、知りたくなかった私を。ヴィネの言葉を思い出す。まずは自分の欲望を知るべきだ、と。

 ――自身の欲望に目を背ける人間は、幸せな人生を歩めない。

 認めたくはないが、朱里はかなり充実していた。もし家族に自由に面会できると言われたら、ここから逃げ出そうとするだろうか。否、それはない。朱里は狩りが愉しい。狩りがこれほど快感を与える仕事だとは思いもしなかった。


「それでも、諦めきれない」


 朱里は口に出して、自分の想いを確かめる。このまま家族と離ればなれになんて絶対に嫌だ。朱里の心は最初から決まっていた。とすれば、一体どうすればいい。

 堂々巡りとはまさにこのことだった。敵を狩る方法は簡単に思いつくのに、家族の元へ帰る方法は思いつかない。悲観に暮れた朱里だが、響いた魔獣の出現を知らせる放送を耳ざとく聞いてハッとする。


「そうだ……どうして思いつかなかったんだろう」


 朱里は右眼を用いて、PHCが構築するデータベースの検索を開始した。検索項目は狩場。右眼は命じられた通りに、朱里の求めるデータを表示する。


「違う、これも違う。……あった」


 ある程度割り出しができていたため、意外とあっさり目的の情報を入手できた。

 B-3地点。朱里が魔獣に右手と右眼を奪われた隔離地域。

 そして、高宮家が住むマンションの近くでもある場所。


「ここに行けば――家族に会える」


 呟いて、朱里は笑みを浮かべた。会って実際にどうするかということには考えが回らない。

 一体どのような展開が予想されるのか、朱里は思案しなかった。思案する余裕がなかった。

 家族に会えれば、全てが解決する。何の根拠もなく、追いつめられた朱里はそう信じていた。

 何かを信じないと壊れてしまいそうだった。いや、既に壊れていたのかもしれない。かつての自分がどういう人間だったのか、朱里はもう忘れてしまった。



 幸運だったのは、朱里の精神が摩耗しきる前に魔獣がB-3地点に発生したことだ。

 魔獣の発生をこれほど喜んだことはない。朱里は笑顔で任務を申請した。

 同行者にはネフィリムのみを指定して、小城は要請しなかった。小城がいると、脱出計画の邪魔をされる気がしたからだ。

 小城と比べて、ネフィリムは御しやすい。ネフィリムは朱里の言うことは何でも聞く。もし、自害しろと命じれば、本当に自殺してしまいそうな少女だった。

 これほど利用しやすい人間は他にいないだろうと朱里は考えて、


「……っ」


 自分の思考に嫌気がさす。怪物と言われた少女は、まだ完全に人の心を喪ってはいなかった。


「でも、仕方ない。家族のためだもの」


 そう自分に言い聞かせて、輸送機へと乗り込んだ。


「――私とあなたが初めて出会った場所ですね、アカリ」


 座席に座ったネフィリムは、微笑みかけてくる。自分がいい様に利用されることも知らずに。

 朱里は罪悪感をどうにか追いやって、笑い返した。


「あなたに救われたところね。私はあなたを天使だと思っていた」

「私は天使などではありません。ただの人間ですよ」


 ネフィリムはライフルの点検を始めた。作業台の上に並べられた自身の得物の数々を一瞥した朱里はカットスロウトを取り出して、対人拳銃を念入りに確認し始めた。

 ネフィリムが不思議そうな視線を送る。朱里は言い訳のように声を出して、


「何があるかわからないから、これも持ち歩くようにしているの。あなたを信頼していないわけじゃないよ」

「私には構わずに。もし私に不服があるようでしたら、背中から撃ってくれても構いませんよ。私はそのために生きているのですから」

「人殺しはご法度なんじゃ」

「……? 何を言ってるんです? アカリは。おかしいですね」


 ネフィリムは疑問符を浮かべた後、可笑しそうに笑った。

 戦慄した朱里は、信じられないものを見る目つきをネフィリムに注ぐ。

 やはりこの少女はおかしい。どこか調子が狂ってできている。

 先程の発言とは異なり、自分を人間としてカウントしていない。朱里は思わず口を衝いて出そうになった疑問を、何とかして呑み込んだ。

 ちょうどいいタイミングで、機内アナウンスが流れ始める。朱里は頭を振りかぶって気持ちを切り替えた。


「では行きましょう、アカリ。今回のビーストはキメラです。難敵ですから、ご注意を」

「わかった……」


 ネフィリムが先に地上へと飛び降りる。

 彼女が降下したのを認めてから、朱里も降下開始した。風が唸る音を聞きながら、朱里は呑み込んだ疑問を思い返す。

 ――もしかして、あなたは人じゃないの?



 朱里が着地したB-3地点……封鎖された商店街には、様々な因縁が渦巻いていた。

 まず、この場所自体。朱里が右手と右眼、幸せな生活を喪った場所だ。

 朱里は意識して周囲を見回した。ネフィリムと魔獣以外、第三者の存在は検知できない。

 つまり今は、朱里を殺そうとした赤い悪魔はいない。念のため握り絞める対人拳銃には、万が一あの少女が襲いかかってきた時、自衛するという意味合いもあった。だが、どうやら杞憂だったようだ。

 次に朱里は、もう一つの因縁、魔獣へと目を向けた。右眼が敵の種類を判別。

 

 ――キメラ。複数の動物のパーツで構成される複合ビーストです。個体によってパーツの種類は異なりますが、今回確認されたキメラは頭部がライオン、胴体がヤギ、尾がヘビのオーソドックスな個体です。口から放つ炎と、各々のパーツから繰り出される特徴を生かした攻撃を行ってきます。ハンターは自身の技能と敵の特徴を分析し、的確な戦術を用いて――。


 右眼の解説を切り、朱里はキメラを肉眼で観察する。キメラは今、道端に放置されていた肉か何かを一心不乱に喰らっていた。だが、下手に仕掛けるのはまずい。ライオンが肉を頬張る間は、ヤギとヘビが周辺を警戒している。

 朱里はネフィリムと共に物陰から隙を窺い続けた。敵前だというのに、余計な考えが脳裏に浮かんでくる。

 キメラは常場の娘である雅を殺した魔獣だ。同一個体というわけではないだろうが、因縁を感じずにはいられない。常場はキメラのせいで希望を喪い、希望を喪いかけた自分はキメラが現れたおかげで家族の元に帰還できる。皮肉な想いが朱里を巡った。もし常場が生きていたら、今の自分に何と言うだろうか。

 不思議と朱里には想像できた。だから答える。余計なお世話だと。


「……戯れは終い」


 自分へ発破をかけて、朱里はネフィリムにハンドサインで狙撃を指示する。

 ネフィリムは姿を晒し、きょろきょろ辺りを見回しているヤギの頭へ弾を撃ち込んだ。

 ヤギの悲鳴。ライオンの咆哮。朱里はショットガンを片手に駆け出している。


「一気に仕留める」


 ライオンが炎を吐いて迎撃。ぐねぐねと自在に動く尻尾が、朱里を噛み殺さんと伸びてくる。

 しかし、朱里は止まることなく走って避けて、左手でスタングレネードをバックパックから取り出した。

 映画でよくあるピンを歯で抜く演出、カッコいいでしょう? ヴィネは上機嫌でそれが可能であることを説明していた。カッコいいことは積極的に取り入れていくスタイルだと。

 狩場で駆ける狩人にとって、それがかっこいいかはどうでもいい。しかし、右手が塞がっている今、ヴィネのカッコつけが役に立った。朱里はグレネードのピンを歯で引き抜き、キメラへ向けて投擲。左眼だけを瞑って動く。

 瞬間、発光。キメラが呻き、光量軽減モードとなっていた右眼が素早く順応する。


「――ッ!」


 朱里はキメラの懐へ飛び込んで、さっさとトドメを刺そうとした。しかし、キメラががむしゃらに暴れ回って手が付けられない。まず第一関門は尻尾のヘビだ。ヘビに鞭打たれれば大ダメージは避けられない。

 ゆえに、朱里は散弾をヘビの尻尾へ発射した。だが、千切れない。うねうね動くので、なかなか致命傷を与えられないのだ。


「しゃらくさい!」


 朱里はショットガンを背中に掛けて、右手でヘビを掴み取った。キシャア、と声を上げてヘビが襲ってくる。朱里はあえて右手を噛み付かせ、ヘビを右手に絡ませた。


(今……ッ!)


 左手でナイフを抜き取って、ヘビの頭へと突き立てる。血が迸り、朱里の顔面が血に塗れた。

 これでヘビは始末した。だが、最後の敵、ライオンが残っている。朱里はヘビの拘束から逃れようとしたが、ヘビはかなりきつく朱里の腕に巻き付いていたので、そう簡単に剥がれない。ナイフで切り刻んだが、腕が解放されるよりも先に、ライオンが攻勢に出た。

 後ろ向きになったライオンは、死体となったヘビごと朱里を焼き殺そうとしてくる。焼死する危険のある切羽詰まった状況だが、朱里は動揺も狼狽もしなかった。


「ネフィリム」


 ただ一言、自分を救う天使の名前を告げる。ネフィリムは精確に、朱里を焼かんとしたライオンへと弾丸を撃ち放った。

 断末魔を上げて、ライオンが崩れ落ちる。朱里はナイフでヘビを切り落とし、ネフィリムへと向き直った。


「ありがとう、ネフィリム。助かったわ」

「礼には及びませんよ、アカリ。人を救うことが私の使命ですので」


 ネフィリムは笑っている。純粋で無垢で、真っ新な笑顔。

 この純情さこそ、脱出の鍵だった。前座は終わり、本当の戦いへとシフトする。


「ねえ、ついでにひとつお願いを聞いてくれない」


 朱里はナイフを仕舞い、血濡れたまま、ネフィリムに頼み込む。ネフィリムは反論もなく快諾。

 朱里は今までみせたことのないゾッとする笑顔で、ネフィリムに命令した。


「敵がいないか辺りを見てくる。だから、あなたはここにいて頂戴」

「……ですが、周辺にこれ以上ビーストは確認されていません。……サツキにもう一度確かめて――」


 と端末を操作しようとしたネフィリムの手を掴んで止める。彩月に迷惑はかけられないよ、と思ってもないことを口にして、


「あなたは、待機。連絡もなし。私の捜索も禁止」

「ですが――」

「ネフィリム」


 朱里はもう一度願う――命じる。


「待機。何もしないで」

「……はい」


 ネフィリムは抗うことなく従った。朱里はにこりと笑顔を振りまいて走り去る。

 やはり謎だ。朱里の中を疑問が駆ける。自分が怪物だとしたら、ネフィリムは一体何なのだろう。天使? いや、そんなことはあるまい。

 朱里は関心をネフィリムから逸らした。今気にするべきことは他にある。狩場の境界線には狩人と魔獣の監視や狩場内の防音、外部からの視界を変化させる特殊装置を積んだドローンが飛行している。まずはあれをどうにかしなければ。



 ※※※



 朱里はいつも通り、階段を昇り、部屋がある階へと辿りついた。

 足が自然と流れるように動く。しかし、顔には緊張と血が張り付いている。

 ドローンは拳銃を使って無力化した。とはいえ効力は一時的だ。朱里の消息はすぐに知れるだろう。

 急がなければならない。朱里は左手を強く握りしめる。

 家族と合流さえすれば、何とかするつもりだった。家族を守れるなら血に汚れることすら厭わない。

 例えPHCから追手が来ても、撃退してみせる。幸いにして朱里は怪物だ。どんな方法で敵が殺しに来ようとも、潜り抜ける自信はあった。

 使える物は何でも使う。日本政府を脅したっていい。協力的ならば言うことないが、社長の話を聞く限り、無理そうだった。


「……」


 我が家へと辿りついた朱里は、慎重にドアを開く。

 右眼が一瞬で内部をスキャン。弟はまだ学校のようだ。キッチンに何者かがひとりだけ。

 拳銃を携えて、進んで行く。母親かとも思ったが、聞き慣れた――聞き慣れ過ぎた鼻歌で、朱里は身構える。

 リビングへと通ずるドアを開けようとして――足元に転がっていたボールを蹴っ飛ばしてしまった。

 物音が鳴り、声が響く。


「章久帰ってきたの?」


 他ならぬ朱里の声が聞こえる。


「もう、帰って来たなら早く――」


 と無警戒にドアへと近づいてきた朱里てきへ、朱里は拳銃を突きつけた。


「動くな」

「……ッ!」


 偽者の行動は、思ったよりも素早かった。朱里へと手に持っていた料理本を投げつけて、銃口をずらす。

 銃弾が天井に穴を開ける。偽物はキッチンの中へと逃走し、ぎらりとした刃物を取り出した。包丁だ。


「まさか、本当のワタシに出会えるなんてね!」


 朱里に似つかわしくないセリフを偽物は吐く。朱里も負けじと、


「偽者風情が、私の真似事をしているなんて」


 朱里は拳銃を向けたまま、もうひとりの自分と睨みあった。容姿、性格、記憶。朱里の全てを引き継いだクローン人間。このような精巧な偽者は、もしかすると世界中に蔓延っているのかもしれない。

 普通気付くようなことでも、あまりに堂々と偽装されると周りの人間は気付かない。違和感を感じても、ちょっと変だなと思うだけで終了する。そんなことを気にするのはキチガイだけだ。誰だって訊かないだろう――あなたは本当に本物のあなたですか? なんて馬鹿げた質問は。


「規約違反よ、ハンターアカリ。自分のいるべき場所へ帰りなさい」

「ここが私の帰る場所よ」


 朱里は語気を強めて言い返す。射殺するべきか否か――朱里の一瞬の逡巡を、もうひとりの朱里は好機とみなした。朱里が躊躇したところへ、タックルを喰らわす。倒れる本物と偽者。朱里同士の格闘戦。

 揉み合いとなった朱里たちは、己が武装を相手に叩きつけた。本物は銃床で偽者を殴り、偽物はナイフを義手へ振るう。

 本物は無傷、偽物は頭がぱっくり割れて、血が流れ出した。


「うくッ!」

「このッ!」


 朱里は拳銃を放り投げて、偽物の上に馬乗りとなった。義手を使って、首を絞める。偽物は抵抗するが、義手のパワーに人の腕は敵わない。皮肉なことに、狩人としての経験が役に立っていた。以前の朱里なら、こうも簡単に人の首は絞められないだろう。


「バカッ……よせ、私が死んだら……あきひさ、悲しむ」

「偽者が死んだところで弟は悲しまない!」


 朱里は殺すか迷っていた。コイツから後で情報を引き出した方がいいかもしれない。それが理性が提案した第一案。しかし、心は殺せと囁いていた。こんな奴は必要ない。自分の家族は、自分の手で守れる……。


「く……ッ」


 朱里の脳が選択した命令信号を、義手が感知しパワーがあがる。偽者の顔が赤くなり、うっ血していくのが見て取れる。


「このまま――」

「おねえ、ちゃん?」


 第三者の声が廊下から放たれた。朱里は咄嗟に手を離して立ち上がる。偽者がぐったりと倒れた。


「あ、章久……」


 朱里は眼を見開いて、ランドセルを背負った弟の顔を見つめた。やっと逢えた。朱里の中で歓喜が湧き起こる。

 喜びを噛み締めるようにゆっくりと弟へと歩み寄った朱里だが、妙な違和感に気付いた。


「あき、ひさ?」


 章久は朱里が歩くごとに一歩ずつ引いている。まるで姉を拒絶するかのように。

 まさか、そんなことは有り得ない。朱里は接触を試みるが、弟には触れられない。ランドセルが廊下に落ちる。

 とうとう、弟がドアに背をついた。朱里は衝撃を受けて、弟へと右手を伸ばす。


「章久? お姉ちゃんだよ?」


 甘く優しい声で……いつもの調子で語りかける。だが、弟からはいつもの元気の良い返答が見られない。

 化け物を見るような視線を、朱里へと注いでいる。


「……じゃない……」

「え?」

「お前なんかお姉ちゃんじゃない!」


 朱里はショックで固まった。その横を弟が素通りしていく。息も絶え絶えの様子の偽物を介抱し、キッときつい視線で睨み返した。


「お姉ちゃんを傷付けた悪いヤツ――」

「違う! そいつは偽者! 本物は私で!」


 必死に朱里は訴えた。しかし、偽者みたいな本物と、本物みたいな偽者。弟が自分の姉だと選び取ったのは――後者だった。


「消えろ! どっか行け! この……怪物!!」

「……あ……」


 それは誰から言われた言葉よりも強く深く、朱里の心を抉った。

 朱里は呆然とした表情で立ち尽くす。もう届かない、触れないものを見つめて。

 お姉ちゃん、お姉ちゃん――! 自分を案じるはずの言葉が、自分の形をした偽者に投げられる。


「あきひさ」


 朱里はもう一度、弟の名前を呼んだ。しかし、弟は応えなかった。

 それもそうだ。朱里は自嘲する。人と怪物なら、人間を信じるだろう。弟は至極当然な判断で、姉と思われる方を選んだのだ。例え真実は違くとも。


「…………」


 絶句したまま、ふらりと渇望してやまなかった我が家を離れ出す。ここにいてもしょうがない。朱里は家族に拒絶された。

 では、どこに向かうべきか? 行き先はすぐに思い当たった。

 自分は怪物なのだ。なら、怪物らしく、檻の中に戻るべきだろう。一度は逃げ出した、監獄へ。

 涙は流れない。代わりに、偽物の返り血が涙のように流れ落ちる。

 血の涙を流しながら、最期に我が家を振り返る。見送りはない。

 ただいまを言うことも、おかえりを聞くこともないまま、朱里は狩場へと戻って行った。



 ※※※



 チャーチが社長室に赴くのは、問題が発生した時か、社長に呼び出された時だ。通常はほとんど訪れない。二週間という期間を経ても、部屋主の趣味が問われる成金仕様に変化は見られなかった。


「君が来たってことは、何か問題が起きたんだね」

「高宮朱里が狩場に展開するドローンを破壊し、狩場から逃走」

「なに?」

「――を謀ったものの、思い返し、狩場へと帰還しました」


 報告を聞いた社長は笑みを作り、


「賢い犬じゃないか。首輪が外れても、きちんと飼い主のところへ帰ってくる」

「しかし、規約違反です。何らかの処罰を講じますか?」


 厳しい口調でチャーチは問う。今回はたまたま目撃者がいなかったものの、もし誰かに見られていたら適切な処置を取らねばならなかったところだ。

 お咎めなしでは済まされない。

 しかし、社長は特に罰するつもりはないようだ。まぁ、帰ってきたんだし。そう微笑んで、


「彼女は僕も目を掛けているし、放っておいてもいいんじゃないか」

「特別措置ですか? 平等ではありませんね」

「我が社は実力主義だからね。実力のある者は優遇され、無能な者は不遇される」

「しかし、何かしら措置を講じないと、他のハンターに示しがつきません」


 チャーチは社長相手でも臆することなく意見を述べられる。社長はチャーチに苛立つどころか、すっかり気を良くして彼を持ち上げた。


「いいね。君みたいにはっきりと僕に意見を述べる人間は、とても貴重だよ。みんな腰抜けばかりでね」


 社長はふうむ、と顎に手を当てて考え始めた。ここではチャーチも口を挟まない。後は社長の采配に任せるのみだ。

 しばらくして、考えがまとまったらしい社長が口を開いた。いいアイデアを思い付いたと言わんばかりの顔だ。


「そろそろ飛び回るハエを処分したいと思っていたんだ」


 社長はコンソールパネルを操作して、朱里を画面に表示させた。


「彼女に手伝ってもらおう。それでこの件は、チャラだ」

「了解しました」


 チャーチは会釈し、社長室を後にする。椅子に座る社長は、これからのことを思い描き、心底愉しそうな笑みで朱里に目を落とした。


「予想以上の怪物だ……。果たして、いつまで持つかな?」

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