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EXTERNALIZER  作者: 流川真一
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Chapter 7 The Living in the Present

 身を引いたのは反射だった。

 潤一が踏み込んできた。全身義体であるアルマでさえも反応できないほどの凄まじい速さだ。腰溜めにされた拳が打ち出され、アルマの腹部を掠めていった。

 アルマは反撃しようとブレードに力を込めた。

 その瞬間、アルマと潤一の間、一メートルほどの空間が【破裂】した。


「ッッ!?」


 アルマはまともな体制も取れずに吹き飛ばされた。空気そのものが爆弾となったかのようだった。壁に叩き付けられる前に辛うじて体勢を立て直したが、全身をハンマーで殴り付けられたような痺れが残っていた。

 アルマは磁力で壁に着地。潤一の様子を窺う。

 潤一はゆるりと手を開いて、誘うようにアルマに手を向けた。


「どうかね。空気に殴りつけられた感触は」

「空気――?」


 アルマが質問を返す前に、アルマの目の前の空間が不吉に揺れた。

 アルマは咄嗟に身を躱した。すぐ隣で鈍い轟音。透明な鉄球が衝突したかのようだ。

 ノアが潤一の後ろから攻撃を仕掛けた。ブレードを一切の容赦なく潤一の首に放つ。

 しかし潤一はさして慌てた様子もなく、ゆったりとした動作でノアの方を振り返った。

 再び空気が破裂した。

 ノアは透明な拳に殴りつけられたかのように体を折り、独楽のように回転しながら吹き飛んだ。ノアはすぐさま磁力を用いて体勢を立て直し、電光を散らしながら着地した。顔を上げ、油断なく潤一を見つめている。


「気圧の操作――空気を武器にする戦闘デバイス」


 ノアが呟いた。


「その通り。流石に明晰だな。アストライアが作ったhIE」


 潤一が満足そうに言った。


「私のイメージ通りに空気を圧縮、拡散させ、それを用いて相手を攻撃する。銃のように弾切れを起こすこともなければ、剣のように取り落とすこともない。戦闘を継続することを前提とするなら、常に身の回りにあるものを武器とするのが合理的だ」

「貴方が作ったわけじゃない。自分の考えみたいに言うのは違うと思う」

「製造の自動化だよ。道具を使い、豊かさを得るのも人間の力の一つだ。私はミストが作った武器を使い、君たちと戦うということを選んだ。自分自身の意志の下で選択するのは人間だけの特権だ」


 アルマはその声を聞きながら、これからどう動くべきかと考えていた。不意にノアから通信が入った。


『当分は防御に集中した方がいいと思う。相手のデバイスの性能が良く分からない。それに、後ろで待機してるhIEも注意しないといけない。あれが本当に超高度AIの端末かどうかは分からないけれど』

『あ、ああ……』


 アルマは曖昧な返事をした。普通の通信ですら、ノアと話すことに強い抵抗があった。


『さっきの攻撃でどこか痛めた?』

『いや、問題ない――』

『連携の支障になりそうなら、私がフォローする。デバイスを起動して』


 ノアがそう言うと同時に、アルマの頸部のデバイスが起動した旨が仮想視界に表示される。


『待て、止めてくれっ!』


 アルマは叫び、反射的に頸部のデバイスを停止させた。ノアが裏切られたような表情でアルマを見つめたが、混乱した思考ではそれさえ意識できない。


「話し合いは終わったかね? それともこのまま私に攻撃されているだけかな? アストライアが作った戦闘ユニットが、この程度の攻撃で怯んでいるなどとは思いたくないのだがね」


 潤一が声を発した。ぐるりとアルマの方に振り返り、緩く拳を構えた。


「っ、くそ――」


 アルマは反射的にブレードを構える。

 潤一が口元を僅かに歪ませ、アルマの方へと踏み込んだ。信じがたい速度。腰溜めにされた拳が突き出される。

 アルマは回避。しかし真横で爆風。無色の鈍器に殴られ、アルマが吹き飛ぶ。


「っの!」


 アルマは空中で一回転。電光を散らしながら着地し、磁力で制動。アルマの体が床の一点でぴたりと止まり、急加速して潤一の方へと向かう。

 アルマは潤一のデバイスに干渉を試みた。しかし手応えがない。特殊な素材でできているらしく、内部機構に干渉するどころか、移動の起点にさえできなかった。

 アルマは地面や建物の骨格に干渉。立体的な高速移動をしながら、潤一へと連続して攻撃を仕掛けていく。

 だが潤一には掠りもしない。逆に隙を突かれて吹き飛ばされる。不可視の攻撃は予備動作も攻撃方法も察知できない。

 三度ほどそうした遣り取りを続けた後、潤一が訝しげに言った。


「本当にその程度なのか? 出し惜しみは止めた方がいい。君にとっても、私のためにもならない」

「うる、せえッ!」


 傍から見れば自棄になったかのようだった。

 アルマはひたすらにブレードを用いた近接攻撃を仕掛けるが、その全てがいなされ、逆に利用された。

 アルマは頑なに思考共有を行おうとしなかった。頸部のパーツは副脳を通して機能を停止させていた。


(人形遊び――?)


 アルマの振るったブレードが回避され、腹部に拳を喰らう。接触した瞬間に空気が弾けた。鈍器で何度も殴られたような衝撃に、アルマの意識が一瞬だけ途切れる。


(自分を慰める、だって――?)


 空中で意識を取り戻し、強引に姿勢を捩じって磁力を生成、体を潤一の方へと射出する。

 しかし潤一は全く動じた風もなく、軽く躱し、すれ違い様にアルマの背中を蹴りつけた。圧縮された空気が巨大な衝撃となって全身を打ち抜く。


「がッ――」


 アルマはただの物体となって吹き飛んだ。何度かバウンドして、ノアの足元に転がった。

 ノアが心配そうに見下ろしてきていた。

 ノアは動きを止めていた。ノアの基本的な行動基準は【アルマの役に立つこと】である。ノアの協力をアルマが拒否した瞬間、ノアは適切な振る舞いがどれなのか判別できなくなり、行動できなくなっていた。

 だがアルマの前には、見下ろしてくるノア、見下ろしてくる沐凪蒔絵が、傷ついた自分を案じているように見えた。そう見えている自分自身に気が付いて、自分を殴り飛ばしたくなった。

 時間が巻き戻ったかのようだった。アルマの目の前に、割り切ったはずの疑問が再び形を取り戻して立ち塞がっていた。しかも、以前よりも深刻な問題を孕んで。

 自分はいつから、ノアを人間のように扱っていた――?

 普通に会話するようになったのはいつからだったか。そこに嫌悪感が混ざらなくなってきたのは? 同僚と話すような気楽さでコミュニケーションを取り、普通に協力していた。だが、ノアはhIEだ。道具なのだ。決して人間ではないし、ましてや二年前に死に別れた初恋の先輩でもない。

 その境界線が溶け合い、人間とhIE、記憶と現実、本物と偽物、それらの基準が分からなくなり、混乱した。

 アルマはいつの間にか、アストライアが仕掛けたアナログハックに飲まれていた。

 目で見た直感と理性での判断が食い違い、どうすればいいのか分からなくなっていた。

 ――自分自身を慰めて何が悪い?


「違うッ……!」


 アルマはひび割れた声で呻いた。多大な衝撃を受けたことで、義体の制御が覚束なくなっていた。痛覚はとっくに遮断され、全身が真綿になったかのようだった。


「拍子抜けだ。正直に言って、失望した」


 潤一が言った。プレゼントが期待外れだった子供のような声だった。


「超高度AIが設計した戦闘ユニットと聞いて、一体どれだけの性能を見せてくれるのかと思ったら、とんだ玩具だ。これならば、まだ自立型の戦車の方がまともに仕事をするだろう。話が違うぞ。ミスト」

「そんなこと言われても、僕もびっくりしてるんだ。君に喜んでもらえると思ったんだけど。巷のアストライアの性能評価も、人間側のバイアスが掛かっているのかな」


 ミストが遠くの方で肩を竦めていた。

 潤一は小さく溜息を吐き、地面に倒れるアルマの方を振り返った。


「人間を戦闘単位とする一番の問題は、個人のメンタリティに戦闘能力が左右されることだ。それはオーバーマンである君も同じだ。それを克服できていない人間を、アストライアが武器としたことに、私は正直困惑している」


 潤一はゆっくりとアルマに近付きながら両手を開いた。


「それとも、先程の一言がそれほどまでにショックだったのかな。hIEに昔の彼女を投影しているというのが――」

「違うッ!!」


 アルマは激情に任せて立ち上がろうとした。だが起き上がりざまに空気に弾き飛ばされ、壁に激突してずるずると座り込んだ。

 ノアがその姿を、少し離れたところからじっと見つめていた。


「やれやれ……。これなら援護も必要なかったかな」


 潤一が呆れたように言った。

 その時、一人の男が扉を開けて入ってきた。

 先日に社長室にいた、機械のような男だった。がっしりとした体に黒いロングコートを羽織り、微かに癖のある黒い長髪の奥から、無機質な暗い瞳がアルマたちの方を見据えていた。一歩一歩に異様なプレッシャーがあり、人間というよりは、剥き出しの刃、撃ち出された銃弾、兵器の類を連想させた。

 ミストが男に親しげな微笑みを向けた。

 しかし男はピクリとも表情を動かさず、重々しい靴音と共にアルマたちの方へと近づいてきた。


「やあ、ザイドリッツ。せっかく来てもらって悪いのだが、君の出番はなさそうだ」


 潤一が愛想よく言った。

 ザイドリッツと呼ばれた男は返事をせず、ただ冷徹な瞳で壁にもたれているアルマを一瞥した。


「俺の同類と聞いていたが。そこの小僧がそうか?」

「残念ながら。もう少し面白い戦いになると思ったのだがね。IAIAが保有する戦力の質を見るという意味もあったが、この程度ならば、大した対策も必要ないだろう」


 潤一が言った。挑発するというよりは、事実を淡々と述べていると言った口調だった。


「計画は予定通り進行している。洋上プラントへの移設も滞りなく済むだろう。我々の国ができるまであと少しだ」

「国、だと?」


 アルマが呻くように訊いた。

 だが潤一もザイドリッツも、アルマのことを完全に無視していた。


「そこのhIEは処分しなくていいのか? デバイスを付けているが」

「ああ……。無抵抗の人形を壊すのは正直気が進まないけれど。仕方がない。やろうか」


 潤一は本心から嫌そうに言って、棒立ちのままのノアに向き直った。ザイドリッツはそれを冷めた目で見ていた。

 アルマの頭の中に未来の光景がよぎった。

 棒立ちのままのノアが、潤一の打撃の下に文字通り破壊され、残骸となって地面に転がっていた。


(違う――)


 目を見開く。まだノアは立っている。

 アルマの中で火が付いた。


「ぐッ、の、やらせる、かよ――」


 義体を軋ませながら立ち上がる。砕けた装甲の欠片が地面に散った。

 潤一は少し興味を引かれたようにアルマを見た。


「っおおおおおおおおおおおッッ!!」


 アルマは叫びながらブレードを逆手に持って走った。普段の半分ほどの速度しか出なかったがそんなことは問題ではなかった。

 ノアが破壊されるという未来を想像したとき、得体の知れない感情がアルマを走らせた。それがアナログハックで誘導された【沐凪蒔絵を失いたくないという気持ち】のせいなのか、それ以外の何かなのかは分からなかった。

 ただ、ノアがこの場で破壊されることだけは、殺されることだけは、我慢ができなかった。混沌とした心の中で、唯一それだけは自信を持って断言できた。

 しかし、アルマが振るったブレードは潤一にあっさりと躱され、子供をあやすように手加減された一撃をもらって吹き飛ばされた。

 アルマは即座に体勢を立て直し、ただひたすらに潤一に向かって走った。それだけしか考えられなかった。そうすることで、確かな答えを持たない自分を奮い立たせているかのようだった。


「これ以上無様を晒すな。小僧」


 そんなアルマに、冷え切った声が投げられた。

 次の瞬間、アルマの目の前に突如として漆黒の壁が出現していた。


「ッ?!」


 アルマは急制動を掛けようとしたが間に合わず、凄まじい速度で壁に激突した。かと思うと真下から同じ素材の漆黒の柱が飛び出し、アルマの顎を強かに打ち抜いた。


「が、ッ」


 空中に浮いたアルマの体を、前後左右から漆黒の杭が乱打した。

 その杭は空中であろうが地上であろうがお構いなしにアルマへと強烈な打撃を浴びせかけた。まるで空間を破って出てきているかのようだった。

 アルマはまともな回避さえできずに空中で壊れた人形のように跳ね飛ばされ続けた。数十発に渡る打撃を受け、物言わぬ鉄屑となって地面に落下した。鉄材が地面に転がった時のようなグシャリという音がした。アルマは義体の制御を完全に失っていた。

 アルマは切れ切れの思考の中で、辛うじて視線を上に向けた。

 ザイドリッツが両手をゆるりと開いていた。その内側から、複数の直方体が組み合わさったかのような不可思議な物体が現れていた。手の平の中心から空中にかけて、大小様々な直方体が複雑に折り重なり合い、多面体を形成していた。それらは一しきり変形を終えると、最後にはザイドリッツの掌の中で数センチ四方の漆黒の立方体となって停止した。


「【Variable Voidwall】……硬化ナノマシン群による形状変化と同時多角攻撃、磁力反発による位置の制御。見事なものだね。ミストの作ったデバイスの性能は」


 潤一は呟いた。

 ザイドリッツはスクラップのように転がっているアルマにゆっくりと近づき、冷え切った目で見下ろした。


「お前は滑稽だ。桜庭在真。確たる自我も目的も持たぬまま、ただ自分の記憶だけを守るために戦うなど笑い話にもならん。お前は誰かを守りたいのではなく、お前自身の中にある幻想を守りたいに過ぎん」


 硬質な声の中には、冷え切った諦念があった。言葉に抑揚はなく、低く重々しかったが、込められた失望が濃すぎた。


「俺もお前も、外部化された記憶を持つ人造物だ。過去の情景も自らの意志も、目的意識も道徳観念も、あらゆる思考は電子的に再現されたものだ。そんなお前が、何かを守るために戦うなどあり得ないし、ましてや過去の女を守ろうと息巻くなど、単なる錯覚に過ぎん」

「待て、俺も、だと?」


 アルマが掠れた声で訊いた。


「超高度AIの捜索から逃れられるのは超高度AIだけだ。俺もお前と同じ、人間以外の知性体に使われる道具の一つだ」


 ザイドリッツはそう言って、今度こそアルマから完全に視線を切った。


「酷いものだ。一方的な戦いほど空しいものはない」


 潤一はそう言って肩を竦めた。そこで意外そうに目を見開いた。

 ノアがゆっくりと歩いていた。

 ノアは潤一とザイドリッツをしっかりと見据えながら歩き、床に倒れているアルマを庇うように前に立った。


「ほう……」


 潤一が興味深げに目を細めた。


「お、まえ……」


 アルマは辛うじて声を発した。


「少し休んでて」


 ノアは確かに言った。


「これ以上、君を傷つけさせない」


 そう言ってノアはブレードを抜いた。天井の照明を受けて、刀身が星のように煌めいた。

 原理的には、協力対象であるアルマが生命の危機に瀕したため、適切な振る舞いの選択肢が【アルマの保護】のみになったという、ただそれだけの話だ。

 しかし、そこに沐凪蒔絵のパーソナリティが乗ることによって、アルマの目には、沐凪蒔絵が自分を庇っているようにしか見えなかった。


(だから、そうじゃないだろ)


 アルマは霞む意識で自分を戒めた。

 こうして床に転がっているのも、そこの割り切りがしっかりできていなかったからだ。他人に指摘されて簡単に揺らいでしまうほど、なっていなかったからだ。

 ノアは道具。ノアは武器。その性格はクラウドで再現された偽物――。

 そう思おうとするのに。

 目の前で凛と立つ彼女の後ろ姿に、これほどまでに心を動かされるのは何故なのか。


「少しは後味の良い終わり方ができるかな?」


 潤一が構えた。その背後で、ザイドリッツが無感情な目をノアに向けていた。入口近くのミストは、ただ場を俯瞰しているだけで何も言ってこない。しかし味方であるということはありえない。

 ノアは三対一の状況に怯まず先手を打った。


 アルマは疾走する彼女の後ろ姿を見ながら考える。

 翻るブレードの鋭さを、敵を見つめる双眸を、振る舞いを、見つめながら考える。

 ノアは、記憶はあると言った。これまでの記憶が、クラウドとして再現されていると。そして、主機メモリーには、日々の記憶が蓄積されていると。

 それはある意味では自分と同じだ。

 オーバーマンであるアルマは、過去の記憶は全て外部装置に記録している。そして、日々の記憶は電脳によって記録される。生身の脳で記憶している事柄は一つもない。

 ある意味では、全てが再現された記憶であり、感情であり、人間性だ。

 同じだ。

 なら、自分は人間なのか?

 オーバーマンは、記録された記憶は、人間なのか?


 ノアがブレードを振るう。

 潤一が迎撃する。

 ノアは空中で体を反転、左右に軌道を変え、側方から潤一に斬りかかる。潤一のカウンターを読み、寸でのところで体を翻し、一瞬の溜めの後に斬撃を放つ。

 ノアが体を翻すたびに、髪に着けられた真紅の髪留めが煌めいた。


 それを見た瞬間、アルマの中で一つ、歯車が噛み合ったような感覚があった。


 潤一がノアの攻撃を先読みして空気の弾を放った。それに合わせて、ザイドリッツが漆黒の匣を展開し、ノアへと向けて突き出した。

 ノアはそれらの攻撃をぎりぎりのところで回避し続けている。


 記録された記憶でも、再現された人格でも、本物でも偽物でも、どちらでもいいのだ。

 あの髪留めが、アルマとノアの一つの形だった。桜庭在真と沐凪蒔絵としてではなく、IAIAのオーバーマンであるアルマと、hIEであるノアとして、最初に形にした思い出だ。

 アルマの意志は、ここにあり。

 それを受け取ったノアがいる。

 例えお互いが単なる道具で、人間でなくとも、何の問題があろうか。それが自然のものであるか、人工のものであるかなど、どうでもいいのだ。

 今ここに、確かに、積み重なった思い出があるのだから。

 今ここにある思い出を基に、繋がり合うことができるのだから。

 人間も、オーバーマンも、hIEも、ない。

 それに気が付いた時、アルマの中で、過去の情景が昇華された。生前の桜庭在真と沐凪蒔絵が、幸せな情景の中で消えていった。


 ノアは防御に徹するが、二人の攻撃を次第に回避できなくなってきていた。肩を匣が掠め、破裂した空気が叩いた。


「っ――」


 ノアが宙に浮いた。そこにザイドリッツが無数の匣を突き出した。

 ノアが動きを止めた。

 ――引くぞ。

 交信は一瞬。

 刹那の間に、アルマは磁力の腕をノアの下へと伸ばしていた。

 ノアは見えない手に引き寄せられた。突き出された匣がノアを掠めるようにして空を切った。

 ノアはそのまま、正面からアルマの胸へと飛び込んだ。


「……もういいの?」


 ノアがアルマのひび割れた胸に額を押し当てながら訊いた。


「やっと分かった」


 アルマは掠れた声で答えた。


「ここにいるのは、俺とお前なんだってことが。二年前のあの日に、俺たちは生きてるわけじゃない。今ここにいるのは、俺たちなんだって、やっと分かった」


 ノアが体を離した。一秒にも満たない時間、二人は至近距離で目を見合わせた。お互いの瞳の中に、現在のお互いが映り込んでいた。


「もう、迷わない」


 アルマは前を向いた。立ち塞がる強大な敵を見据えて、握っていたブレードの切っ先を僅かに持ち上げた。


「一緒に行こう」


 アルマが言った。

 ノアは頷いた。

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