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EXTERNALIZER  作者: 流川真一
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Chapter 6 Pornography

 その日の夜、アルマとノアはグラシアール本社に隣接した高層ビルの屋上に立っていた。

 二人は昼間とは違い、既にデバイスを装着していた。黒と濃灰色のボディスーツに純白の軽金属装甲を着けた二人の姿は、人間よりも兵器といった方がしっくりくる外見だ。唯一、ノアが髪に付けたままの真紅の髪留めだけが、人間の少女らしさを残していた。

 アルマは仮想視界でシズキから転送されてきた各種情報を見ていた。


「確認した。思ったよりも広いな。地下フロアも十階まであるのか」

『目的のサーバールームは地下五階』


 シズキが答えた。


『フロアが全部スタンドアローンで動いているからこっちから干渉はできなさそう。表のとは別に枝を付けてくれればもしかしたら……』

「あまり無理するなよ。吸い出すだけなら俺たちで十分だ」

『でも、じっとしてるのって落ち着かないんだよ。菫さんの言うことじゃないけど、本当に給料泥棒みたいで』

「シズキは十分仕事をしてるさ。調査だけじゃなくて、俺たちの潜入のサポートまでするんだ。これ以上は望めない」

『アルマ君。本当に無理はしないでね。分かってるとは思うけど、向こうは武器を作ってるところなんだから』

「分かってるよ。あの物々しい連中の顔を見たら嫌でもな」


 アルマは苦笑した。


「大丈夫。こっちにはアストライアのデバイスがある。通常兵器なら複数相手でも問題ない」

『それに、ノアもいるしね。アルマ君はあまりいい気分じゃないかもしれないけど……』

「いつまでも引きずってなんてられないさ。仕事は仕事で割り切ることにした」

『……本当に? この間、ずいぶん、その、元気がなかったっていうか……』

「そりゃいきなりだったからな。けど、もう平気だ。気持ちの整理はついてる」

『……アルマ君がそう言うなら私は何も言わないよ。でも、自分に嘘をつくのって、結局は自分に跳ね返ってくるから……』

「シズキは本当に俺の姉貴みたいだな。て言うか母親か?」

『む、そんなに歳、離れてないでしょう。お姉さんならともかくお母さんは少し行き過ぎだと思う』

「そういう返し方も、何だか母親っぽいんだけどな。……とにかく、そういうわけで、後は任せておいてくれ。いつも通りのバックアップをしてくれればいい」

『うん。道中は任せて。いつも通り視覚と音声で誘導するから』


 アルマの視界には、今もグラシアール本社ビルの各種情報が表示されていた。全てシズキから衛星経由で送られてくる情報だった。複数の情報を一度に処理できるのは、シズキが副脳を増設した一種の電脳使用者だからだ。


「仲が良いよね。アルマとシズキ」


 不意にノアが言う。アルマは慌てて、


「そんなことないだろ。普通の同僚だ」

『そうだよ。普通だよっ』

「息ぴったり。阿吽の呼吸」

「だ、大体だな、円滑にコミュニケーションを取れるのは大切だろ。業務的に。俺たちの仕事は連携が命だ。そうだろ」

『アルマ君の言う通りだよ。情報官として、現場の人と仲が良いのは大事だから。情報官として』

「悩み相談もバッチリ。アフターケアも万全」

「な、何でそういう話になる。今の流れのどこにその要素があった」

「さっきの通信。シズキが言ってた。君は年上に弱いタイプ?」

『え、え?』

「か、関係ない! そこら辺の事情とは一切関係ない!」

「教えてくれてもいいのに。シズキが姉一号なら、私は二号になれるかな」

「知らん! てか何の話だよ!」


 アルマは言ってから脱力する。二年前の延長で沐凪蒔絵に弄られているような気分になる。被害者も一人から二人に増えている辺りに時間の流れを感じなくもない。


「そろそろ行く? 準備は出来てるよ」

「……ああ。そうする」


 一瞬で話題を切り替えるのは沐凪蒔絵の癖だ。アルマは生前の蒔絵を思い出しながら頷く。


『私、姉一号――』

「その話はもういいだろっ!? 繰り返さんでいい!」


 アルマは反射的に叫んでから、我に返って深呼吸して心を落ち着けた。

 屋上の縁に近付き、距離を測った。目の前にはグラシアール本社ビルがそびえ立っていた。距離は五十メートル程。デバイスを用いればあって無いような距離だ。


「……ああ、もう何か入る前から疲れてるけど、行くか」

「ここからは通信だから、いくら叫んでも平気。思考音声なら疲れることもない」

「だから、誰のせいだと思って――」


 言ってる傍からアルマは叫びそうになり、ぐっと息を詰まらせてから溜息を吐いた。

 デバイスを起動させる。腰部パーツが軽やかな駆動音を上げ、澄んだブルーのラインが一瞬だけ走った。


『シズキ。準備は』

『ダミーアレイスタンバイ完了。いつでもいいよ』


 シズキは即座に応じた。先程までの気楽な雰囲気はなくなり、バックアップを行う情報官としての態度だった。


「よし――」


 アルマは頷いて、助走のために縁から数メートル距離を取った。ノアもその隣に続いた。

 二人は義体の出力を最大にして走り出し、縁を蹴って夜の闇へと飛び出した。

 地上数百メートルの高さに、二人の影が矢のように走る。

 アルマとノアは電磁力を正面に放ち、ビルの壁に体を引き寄せた。

 インストールされている行動制御ソフトのおかげで、ビルの壁に脚を付くときの音は皆無だった。青白い電光が足の裏から細く漏れる。

 アルマはノアの着地を確認して、そのままビルの壁を垂直に駆け上がった。

 数秒で屋上に到達。屋上はヘリポートになっていて、かなりの面積があった。

 アルマはヘリポートを走りながら、視界に投影されている情報に目を走らせた。屋上に警備はいないが、すぐ下の階層には警備用のドローンが常に巡回していた。普通に下りたのではまず間違いなく発見されてしまう。デバイスがあるとはいえ余計な戦闘は避けたかった。


『シズキ。エレベーターのセキュリティに介入できるか。扉をこじ開けても警報が鳴らないようにしたい』

『待ってて。それくらいなら――うん。大丈夫。アルマ君たちが移動するまでの間、こっちで押さえておく。エレベーター本体は最下層に固定しておくから、障害物なしで一気に降りられるよ』


 シズキが数秒と掛からずに言った。


『よし。シャフトを伝って一気に下まで降りる。馬鹿正直な方法で移動する必要はないからな』

『後方の警戒は任せて。アルマは前だけ見て走って』


 ノアの声を受けて、アルマは口元に笑みを滲ませながらヘリポートの横のホールへと入る。

 エレベーターが四機設置されていた。天井には監視カメラが幾つか設置されていたが、シズキがダミーの情報を流すことで一時的に無効化していた。

 アルマは手前の扉に近付いて、デバイスを起動させた。

 出力を調整された電磁力が生成され、エレベーターの扉を強引にこじ開ける。底の見えない縦穴が姿を現した。

 アルマはノアの方をちらりと見て、縦穴に飛び込んだ。ノアもその後に続いた。

 二人のデバイスが起動し、支柱に電磁力を向けることで速度と体勢をコントロールした。二人はほぼ一定の速度で、百数十階の高さを垂直に降りていった。


『シズキ。地下十階の様子は分かるか。エレベーターホール前にドローンがいるかどうかだけでも分かると助かる』

『監視カメラの映像を見てるけど、そのまま降りても大丈夫そうだよ。ドローンが配置されているのはサーバールーム前だけ』

『部屋に入る前に一回接敵しないと駄目そうだな。分かった。取り敢えずフロアに入る』


 アルマは少しずつ速度を落とし、地下十階の扉の前で止まった。手を差し出すと青白い光が走り、扉がゆっくりと開いていった。

 アルマは地下十階へと降り立った。

 フロアの照明は切られていて、遠くの方に灯されている非常灯の光だけが、朧気に闇の中に浮かんでいた。

 ノアもアルマの隣に音もなく着地し、じっとフロアの奥を見つめた。


『ドローンは巡回してないのかも。音がしない』

『直接地下に乗り込んでくることは想定されてないだろうからな。普段は部屋の前だけ警備してれば十分だ』


 アルマは視界に投影されているフロアマップに目を走らせた。監視カメラから得た情報が同期されていた。職員やドローンの位置がマップ上に表示されていて、どこにどれくらいの敵がいるのかが一目瞭然だった。

 意外にもこのフロアには人間が一人もおらず、警備もサーバールーム前のドローンが二機だけという簡素なものだった。

 アルマは手薄な警備に逆に違和感を覚えた。


『深夜だから不思議じゃない、って言えばそうなんだけどな……。シズキ。何か気になるところはあるか?』

『ううん、何も。ここから見える範囲には、だけど』


 シズキが慎重に言った。


『……そうか。まあ、じっとしてても仕方ないしな』


 アルマは歩き出した。シズキのおかげで監視カメラを警戒する必要がなく、警戒していた警備ドローンもこのフロアには存在していない。数分でサーバールームの手前の廊下に辿り着いた。

 天上に設置されたカメラの映像からは、扉の左右に彫像のように立っている柱状のドローンの姿が見えた。以前に市街地で戦ったものよりは一回り小柄だが、表面に走っているスリットや、グラシアール社のロゴから、剣呑な雰囲気が感じられた。


『俺が最初に手前の奴を止める。ノアは奥の奴を頼む』

『分かった』


 ノアがぴったりとアルマの後ろに付く。沈黙の中、アルマとノアは廊下に体を躍らせた。

 ドローンが機敏に反応した。彫像のようだった機体に赤いモノアイが灯り、アルマの方にくるりと回転して正面を向けた。機体に走っているスリットが開こうとした。

 アルマとノアは、ドローンが攻撃する前に接近した。

 デバイスを起動。指向性を持たせた電磁力を機体の内部に放った。小型のEMPの要領で内部機構を一瞬で焼き切る。

 ドローンは鈍い動きをしてから沈黙する。本来ならドローンから社内の警備機構に警報が行くはずだったが、そのラインにはシズキが割り込んでダミー情報を流していたため、増援が来ることはない。

 アルマは背中のバックパックから純白のスティック状のデバイスを取り出し、扉の横の操作盤にケーブルを繋ぐ。アストライアが作成したロックバスターで、セキュリティの構成のみを取り出してアストライアの演算領域の一部に送信し、解除プログラムを瞬時に構成して転送するという代物だった。十秒と経たないうちにセキュリティが解除される。

 サーバールームに入ると、屹立するタワー型のサーバーが幾つもあった。部屋はそれなりの広さがあるのだが、押し込められているサーバー群の数が膨大なため、部屋面積の殆どを使い尽くしていた。

 アルマは手近なサーバーの一つに近付き、先程とは種類の違う板状の端末をサーバーとコードで繋いだ。これも先ほどと同じく、必要な情報のみをアストライアの一部へ転送し、セキュリティを強引に破るというデバイスだ。


『意外とあっさり終わったな。障害もあって無いようなもんだったし』

『まだ終わってないんだから、油断しちゃ駄目だよ。何が起こるか分からないんだから』

『データの吸出しをするのは実際のところアストライアだ。超高度AIが人間のセキュリティに引っかかるわけがない』

『それは、そうだけど……』


 シズキはまだ何か言いたそうだったが、正面から否定することはなかった。

 アストライアの演算能力と思考速度は、人間の常識を遥かに超えている。解放されている演算領域は部分的だとはいえ、人間が同じ仕事をするよりもずっと確実だ。

 数秒でデータの吸出しが完了する。連動してアルマの視界に表示されていた情報が、シズキにデータの転送が完了したことを示していた。


『データ、転送されてきたよ。一通り確認するまで待っ――』


 言いかけたシズキの言葉が不自然に途切れる。


『……おい、どうした? シズキ?』


 アルマは宙を見ながらシズキに通信を飛ばした。しかし答えはない。仮想視界に目を向ければ、先程までつながっていたシズキとの回線がオフラインになっていた。


『何だ?』

「――っ」


 瞬間、ノアがアルマを押し倒した。

 アルマが何か言う前に、扉越しに凄まじい銃声が連続して鳴り響いた。


「な――」


 ノアに押し倒されたアルマの目の前で、無数の銃弾がサーバーに突き刺さった。

 特殊素材の扉さえあっさりと貫通する大威力の弾丸への疑念が一つ、それを撃ったのが誰なのかという疑問が一つ――。まさか自社の財産を警備ドローンが破壊するわけもない。

 というアルマの常識的な思考は、なだれ込んでくるドローンの群れを見た瞬間消し飛ばされた。


「警備ドローン? 何で――」

『疑問は後』


 ノアの注意とほぼ同時に、弾丸が降り注いだ。

 アルマは我に返りデバイスを起動。自分とノアの周りに磁力場を展開して弾丸を逸らす。


『何が何だか分かんないけど、一旦出るぞ! 閉所戦闘は物量相手じゃ不利だ!』

『了解。先に行く』


 ノアは先んじてドローンの群れの中に飛び込み、磁力場を生成してドローンを排除する。アルマはそれに続いて外に出た。

 だが、外に配置されていた大量のドローンに絶句する。まるで施設全体から警備ドローンをかき集めて敷き詰めたかのような光景だ。

 考えている時間はなかった。

 アルマとノアは同時に天井へと跳躍。同時にマズルフラッシュの洪水が巻き起こった。二人の残像を舐めるように銃弾が踊り狂い、クレーターのような弾痕が天井や壁に次々と刻まれていった。二人は磁力で天井に足を着け、エレベーターホールへと疾走する。


『侵入がバレてたってことか? なら何で今まで放置されてたんだ!』

『あの部屋そのものがデコイだったのかも。そう考えると、爆破されなかっただけ幸運』

『くそ、逃げ場なんてエレベーターと階段くらいしかないぞ!』


 二人は真っ直ぐにエレベーターの方へと向かった。

 だが、途中で走る速度を緩めざるを得なくなる。


『おい、何でこんな場所に――』


 アルマの視界の先、エレベーターホールへと続く三十メートル程の廊下の先に、しっかりと地面に設置された一門の砲台の姿があった。

 それは先日回収した、多脚戦車が大型電磁銃の携帯を取った時の姿に似ていた。良く見れば、砲門の下には折り畳まれた多脚があった。流石に市街地で使われていたものよりは機体のサイズが小さいが、戦車であることに違いはない。

 悪い冗談としか思えない光景に絶句したのは一瞬。

 アルマは反射的に背中の鞘からブレードを抜いていた。

 同時に、ノアが正面に腕を突き出した――指向性を帯びた磁力場が、何層もの障壁となって二人の前に展開された。

 砲門が閃光を撒き散らした。

 プラズマの尾を引きながら、音速の数倍の速度で大口径の弾丸が飛来した。

 アルマは電脳の演算領域を全て弾道の計算に回した。レールガンの弾丸は、ノアが展開した磁力場に阻まれて少しだけ速度を落とす。それでも常人ではただの光の筋としか認識できない速度だ。

 加速した時間。加速した知覚の中で、義体が認識に対して酷くゆっくりと動いた。

 全出力の磁力を纏わせた刀身を、飛来する弾丸の軌道上に正確に合わせていく。


「ッらアッ!!」


 一閃。

 弾丸とブレードが激突し、青白いプラズマが周囲にまき散らされた。弾丸は軌道を数度逸らして廊下の壁に突き刺さった。壁が溶け、奥の支柱をいくつもなぎ倒してようやく止まった。

 アルマは攻撃に向けていた磁力を移動へと回した。足の裏に強力な反発力を生成。数十メートルの距離を一息で詰め、、砲身から本体までを断ち切る。アルマとノアはそのままの勢いでホールの奥に転がり込み、迫り出していた柱の影に体を隠した。

 同時、戦車本体が凄まじい爆発を起こして炎と衝撃波を撒き散らした。アルマとノアは身を寄せ合い、柱の陰でそれを耐える。


『じ、冗談じゃないぞ。室内に戦車って正気かよ! 建物ごと捨てるつもりか!?』

『地下フロアごと埋めるつもりかも。爆破したほうが早いとは思うけれど』

『遊んでるってことかよ。俺たちが逃げ惑ってるのを見て笑ってるわけだ!』


 疑問は山ほどあった――どうして自分たちの動きが筒抜けになっていたのか。泳がせていたのは何故か。すぐに殺さないのは何故か――。だがそれらの疑問を解消するのは、少なくとも無事にこの場から出てからの話だ。

 アルマとノアはすぐに立ち上がり、エレベーターの扉をこじ開けて縦穴を上って行った。重力の抵抗を受ける分、下りてきた時よりも速度が出ない。


『早く――』


 焦燥を滲ませるアルマの頭上で、金属同士が擦れるような音がした。

 上を見れば、上階に停止していたのだろうエレベーターがすさまじい速度で落下してくるところだった。しかも、その底には明滅する小さな赤いランプが何十個も見えた。瞬時に拡大した義眼が剣呑な英文字を捉える。大量のプラスチック爆薬だ。


『ノア、退避ッ!』


 アルマはすぐ隣にあったエレベーターの扉を再びこじ開け、フロアに転がり込んだ。ノアも辛うじて転がり込む。

 その直後、少し上の階層で大量の爆薬が一斉に爆発した。大量の爆炎が縦穴を通して上下に伸び、こじ開けられた扉を通してエレベーターホールが一瞬だけ火の海になった。


「くそッ――」

『アルマ、後ろ!』


 ノアの声に振り返ると、先程と同じ形式のドローンが廊下の奥から大挙して乗り込んでくるのが目に入った。シャフトに戻ろうにも熱溶融した入り口は大きく崩れて入ることができない。

 アルマは一旦エレベーターから逃げることを諦め、ドローンとは別の方向に走り出した。

 ホールからは左右に廊下が伸びていて、幸いにも片方には敵の姿がなかった。一旦体勢を整え、非常階段を使うか、或いは縦穴をこじ開けるか――どちらにしても時間が必要だった。

 アルマは走り出し、仮想視界でマップを確認。この先に多少は開けたスペースがあった。広大な区画は武器製造ラインか。何にせよ、戦うのならばスペースがあった方が都合がいい。

 ノアはアルマの判断に従って続いた。義体の出力を全開にした二人は、数十秒で目的のスペースに着いた。

 しかしそこは、武器製造区画などではなかった。

 一つの武道場のような空間だ。ほぼ正方形で、かなりの面積がある。床や壁を構成している素材も廊下のものとは完全に別物だった。

 その時、アルマたちの背後で隔壁が次々と閉まった。アルマは慌てて引き返そうとするが、その時には既に最後の隔壁が閉まっていた。表面は滑らかで凹凸がない。ブレードで斬りつけるが、表面には浅い傷しか付かなかった。


「嘘だろ――?」


 切断能力に関しては現代技術の限界に近い【ElectroMagnetic Accelerator】の斬撃を弾き返すとは、俄かに信じがたい硬度だ。

 不意に、シェルターの方を向いていたアルマとノアの背後から、コツ、コツ、と足音が近付いてきた。

 アルマとノアは振り返った。


「やあ。思ったよりも早い再会だったね。茶菓子を用意していなくてすまない」


 グラシアール社長、雹洞潤一が、ゆったりとした足取りで近づいてくるところだった。

 潤一は先日会ったときと同じ仕立ての良いスーツを着て、鮮やかなブルーのネクタイをしていた。渋みのある壮年の顔はどこか面白がるように歪められ、アルマとノアのことを少し離れた場所から見ていた。


「……何もかもお見通しだったってわけか」


 アルマは歯噛みして、潤一に向き直った。


「だが今になって本人が姿を現すっていうのはどういうことだ?」

「なに、私も君たちに少しばかり興味があってね。彼女に無理を言って機会を作ってもらったんだ」

「彼女――?」


 アルマは訝しげな表情になったが、ふと潤一の背後に一人の女性が立っていることに気が付いた。先日、潤一のデスクの隣に立っていた秘書hIEだ。

 そのhIEは、アルマと目が合うと淡く微笑んだ。いっそ超然と言ってもいい隔絶感を感じさせる微笑みだった。

 アルマは思わず息を呑んだ。


「そいつは――」

「折角だから紹介しておこうか。君たちも、彼女を探してここまで来たわけだからね」


 潤一は大仰な身振りで彼女を手で示した。


「我が社の運営をこの一年近く手伝ってくれた超高度AI、ミストだ」


 アルマはしばらくの間言葉を失って、やっと声を絞り出した。


「……それはアストライアが勝手に着けたコードネームだ。実在を確認した人間は一人もいない」


 ミストとは、アストライアが【完全犯罪を行う、世に野放しになっている超高度AI】に付けたコードネームだ。IAIA内部でしか用いられていないはずの呼称を、潤一はごく当たり前のように用いた。それ自体がIAIAの情報統制を潜り抜けるだけの何らかの手段を持っているという証明でもあった。

 少女型のhIEは、アルマたちの方を見ながら、


「やっぱり、存在は気取られちゃうんだよね」


 ボーイッシュな人懐こい声色が、閉鎖された空間の中に響く。


「これでも一応、見つからないように頑張ってたんだけど。でも僕が動くと、事件が派手になりすぎちゃうから。でも、人間だけじゃこんなことできないって、それって人間側の君は怒って良いところなんじゃないかな。人間だって完全犯罪くらいできるって」


 アルマは言葉を返せなかった。hIEの――ミストの言葉使いがあまりにも滑らかだったせいだ。年下の少女に声を掛けられているようにしか感じられず、それがむしろ恐怖感を呼び起こした。


「……お前は、超高度AIなのか?」

「どうかなあ。単純な計算とか、そういうのなら人間よりも速くできる自信はあるけれどね。それが超高度AIの条件っていうなら、そうかもしれない。何しろ、僕はそういう観点で評価してもらったことがないから、自分がどれくらいの性能なのか良く分かっていないんだ」

「評価してもらったことがない……?」


 アルマは腑に落ちずに呟く。

 超高度AIも道具であることに違いはない。意図されて製造され、性能を評価されて始めて超高度AIとして認識される。だが、それはどこかに必ず痕跡を残す。アストライアはそうした痕跡を絶対に見逃さない。

 だが現実として、ミストなる超高度AIは今日この時までIAIAの監視の網に掛かっていない。その矛盾が、ミストが存在しない超高度AIとみなされている理由の一つでもあったのだ。

 ミストは自然な苦笑を浮かべる。


「まあ、僕のことはいいじゃない。僕は今回はただのお客だから。潤一君と君たちが、どんなふうになるのか見たかっただけだよ」

「そろそろ話を本筋に戻してもいいだろうか」


 そう言った潤一は訳知り顔で頷き、


「もちろん、彼女との会話に夢中になってしまう気持ちは分かるつもりだが」

「話、ね。今更話し合いで平和に解決しようっていうのか?」


 アルマはブレードを構え、デバイスを起動した。ノアも同じようにデバイスを起動して臨戦態勢を取る。

 潤一は嘆くように溜息。


「野蛮なことだ。脳まで戦闘機械になったわけではないだろうに。オーバーマン」

「っ――!?」

「別に大したことではないだろう。法で規制されているというだけだ。外部記録された記憶が人間のものであるのか、という点については、誰かと一度くらいなら議論してみたい気もするが」


 潤一は面白そうに小首を傾げた。


「それにしても、君たちは随分とお似合いのカップルだ。データ化された人間と、かつて人間だった記憶を保有している人形。どちらも人間でないものが人間である振りをしている。よく破綻しないものだと感心するよ」


 潤一の舐めるような視線に、アルマは咄嗟にノアを庇うように前に出た。

 それを見て、潤一の笑みが深まる。


「まるで君は彼女が人間であるように振る舞うんだな」

「――、」


 アルマの呼吸が止まった。

 潤一の口端が吊り上がる。


「それとも、人形であることを理解した上でそう接しているのかな。随分と金のかかった人形遊びだ」

「違う!」


 アルマは反射的に声を張り上げた。

 潤一は言葉を止めない。


「まるで長年連れ添った夫婦のように息が合っている。現に、今君は私の言葉から彼女を守ろうと前に出たじゃないか。言葉と行動が一致していないよ」

「違う、俺は――」


 言いかけるも、続く言葉が出てこなかった。

 そう――。いつから自分は、ノアのことを人間のように扱うようになった?

 最初は嫌悪感と拒絶感があったはずだった。それが、僅か数週間のうちに――。


「アルマ……」


 隣のノアが口を開いた。


「違う」


 アルマは怯えるように体を竦ませた。


「お前は沐凪蒔絵なんかじゃない」

「それは最初に話した。分かってるでしょう――」

「そう無理をするものではない。人形遊びでもいいじゃないか。それで本人が救われるのならば意味がある。不幸な別れだったのだろう? 突然の爆破テロ――何度目のデートだったのかは知らないが、彼女と君は幸せになれるはずだった。少しくらい自分を慰めて何が悪い?」

「お前は、何で知ってるんだ。俺たちの――」


 アルマは言葉を噛み殺した。


「俺のことを」

「後ろの彼女は、自分では良く分からないと言っているがね、間違いなく超高度AIクラスの演算能力と思考能力を持つ知性体だ。君たちの過去を調べるくらい造作もないのだよ」

「……っ」


 アルマは二年前のことを思い出しそうになって、慌てて頭を振った。言葉の代わりにブレードを構え直した。今考えるべきことは、ここから脱出すること。そのための障害は排除する。それだけだと自分に言い聞かせる。


「とにかく――あんたが何をしにここに来たかは知らないが、邪魔するなら斬って捨てる! 最後通告だ。そこを退けっ!」

「全く、最近の若者は血気盛んでいけない。……しかし、今回ばかりは、私の目的の半分はそれなのだから、良しとしようか」


 潤一はそう言って、手首に巻いていた端末を操作した。

 潤一のスーツが一瞬で消え、暴力的なシルエットの外骨格が現れた。ホロを使ってスーツの映像を上書きしていたのだ。

 外骨格は漆黒の装甲が折り重なって構成されていた。腕や足、胴体に、スピーカーのような円形のパーツが幾つも付けられていて、その周囲で淡い緑色のラインが明滅を繰り返していた。


「アストライアが作成したという戦闘デバイス。その性能に私は実に興味がある。是非、ミストが作成したデバイス――【Multiple Aerobeat】とお手合わせ願いたい」


 潤一がそう言って、ゆるりと手を体の前で構えた。

 壮年とは思えない威圧感に、アルマは我知らず体を緊張させる。


「それも人類未到産物か」

「次世代の個人兵装としてミストに設計させた。量産するにはまだ改良が必要だがね。だが、今は世界に一つしかないというのが好都合だ。条件としては、これで君たちのデバイスと同じだろう? さあ――」


 潤一が踵を沈めた。


「美しい武器を、暴力を、私に見せてくれ」


 次の瞬間、潤一はアルマの目の前にいた。

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