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EXTERNALIZER  作者: 流川真一
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Chapter 5 The City of the Company

 ティルトローター機がゆっくりと高度を下げていく。シャフトが回転する甲高い音がだんだんと静かになり、着陸する。

 アルマは瞑っていた目を開けた。

 外を見ると、茜色の夕日に色付いた超高層ビルディングが見えた。禊丘市よりもずっと建物が密集している。都心に行くにつれて建物の高さが上がっているのが分かった。ほぼ正円を描いた街は、それ自体がオブジェのように奇妙な統一感を持って鎮座している。


「クナシリ技術特区……ね。来るのは初めてだな」

「この地域、【エトナ】の実権は、たった一つの企業が握ってる。実質、その企業の街」


 アルマの呟きに、隣に座っていたノアが答える。アルマは微かに笑みを浮かべ、


「超高度AIを隠しておくにはうってつけの場所ってことか」

「やっぱり、この仕事は嫌い?」

「……なんでそう思う?」

「何だか、嫌そうに見える。ここに向かってる間、ずっと」

「別にそういうわけじゃない。ただ、こういう体であちこち回るようになると、これまでの自分って何だったのかなって。二十年ちょいの生身の時間がさ、ずっと昔の、他人の話を聞いているような気分になるんだ」


 アルマは言って苦笑した。


「馬鹿みたい話はよそうぜ。降りよう」


 アルマは体を締め付けていたベルトを外し、タラップに向かった。



     ◇◇◇



 クナシリ技術特区は、高度AI時代を迎えた五十年前ほどから急激に成長した都市群だった。

 国家主権絡みの問題から輸出入の規制が緩く、様々な軍事企業や情報企業が参入し、ある種の無法地帯と化していた。その性質上、国家の力よりも企業の力の方が及びやすいためだ。

 アルマたちが降り立ったクナシリ北部の街【エトナ】は、グラシアール社という軍事企業が突出して力を握っていた。地域の管理から警備機構に至るまで、ほぼ一社で担っているという。事実上、エトナという街は、グラシアール社の街であると言えた。


「……物騒な街だ」


 通りを歩くアルマは、率直な感想を呟く。

 建物が高すぎるせいで、昼間から薄暗い。道幅は広いが、それに倍する交通量があるせいで閉塞感があった。街並み自体は清潔だが、そこかしこに配置された戦闘ドローンや、道行く陰気な人々のせいで、無機質な圧迫感が存在した。

 しばらく歩いていると、不意にノアが足を止めた。


「どうした?」


 声を掛け、改めて通りを見る。そこはファッション系の店舗が集中している一角だった。そういったことに疎いアルマでも名前を知っている有名なブランド店から、マイナーな店舗までが、華やかさを競うように立ち並んでいた。モデルのhIEがその店舗の服やアクセサリーを身に着け、店内や近場を自然な様子で歩いているのが見えた。専用のクラウドを導入されたhIEのモデルは、人間以上に魅力的な人間を演出している。

 その一角だけは警備ドローンの物々しさも薄れ、人々の活気が感じられた。店舗を利用しているのは女性が多かった。

 ノアが見つめているのは、一件の雑貨屋だった。他の店舗に比べれば規模は小さいが、清潔感があって華やかな店舗だった。ノアはその店のhIEモデルをじっと見つめていた。鮮やかな赤の髪留めが、ビルの隙間から差し込んだ夕焼けの光を浴びて澄んだ輝きを纏っているのが見えた。


「私、赤が好きだったなって」


 ノアがぽつりと答えた。

 アルマも思い出した。生前の沐凪蒔絵は純色に近い赤色の小物を好んでいた。彼女が研究室で使っているマグカップだけが、棚の中で赤く自己主張していたのが記憶にあった。それを両手で持ってインスタントコーヒーを飲むかつての先輩の姿が、一瞬だけ目蓋の裏に浮かんだ。

 それが消え、目の前の光景が戻ってくる。足を止めてhIEモデルを見つめるノアは、生前の沐凪蒔絵が財布と小物を天秤にかけて悩んでいるように見えて可笑しかった。


「……少し待ってろ」


 アルマはそう言うと、早足で店の中に入って行った。

 ものの数分で戻ってくると、店のプリントがされた小さな紙袋をノアに手渡す。


「これくらいならいいだろ。どうせ俺には給料の使い道なんてないんだし」


 ノアは差し出された紙袋をきょとんとした顔で受け取り、開けた。中には透明なラッピングがされた髪留めが二本のセットで入っていた。

 ノアはそれをじっと見つめ、次にアルマを見た。アルマは仏頂面で目を逸らす。


「いや、そういうのも、たまにはいいかなって思っただけだ。別に深い意味は――」

「ううん。ありがとう。大事にする」


 そのとき浮かべたノアの表情は、アルマの見たことのない種類の沐凪蒔絵の笑顔だった。


「……寄り道してる時間なんてなかったよな。行こう」


 その笑顔を直視できず、アルマは不自然に素早く前を向き、以前よりも少し早足で歩き始めた。その後ろに、両手で紙袋を抱えたノアが続いた。



     ◇◇◇



 チェックインを済ませて上がってきたシングルルームの部屋から、街の風景を一望する。茜色の輝きを帯びた高層ビル郡が、視界の先で幻想的に揺らめいている。

 アルマは景色から目を離し、部屋に向き直る。


「変わった街だ。けど、超高度AIがあるっていうなら、ある意味じゃお似合いの街かも知れないな。人と技術が溶け合った街だってことは確かだ」

「華やかだけど、少し物騒な感じ」

「まともな人間もいたけど、そうでない人間も大勢いたな。流石に俺の同類ではないだろうけど……」

「外見だけじゃオーバーマンかどうかは分からない」


 ベッドの端に腰掛けたノアは、買ってきた髪留めの包装を解いた。中から取り出した赤い髪留めを、ごく自然に自分の髪に付ける。


「どう?」


 聞かれ、アルマは彼女を見た。

 目の横に掛かっていた髪が上げられ、ずいぶんと印象が変わっていた。IAIAの無骨な制服に、あどけない表情が乗っているアンバランスさが目を惹いた。

 アルマは何を言ったものかと迷った挙句、


「似合ってる……と思うぞ。俺は」


 面白くもない無難な返事をする。だが、それでもノアは蕾が開くような微笑みを浮かべた。アルマはそれに目を奪われる。

 そこで、ふと重大な事実に気が付いて呟いた。


「……まずったなあ」

「何が?」


 ノアの問いには答えず、アルマは部屋を見渡す。

 IAIA経由で予約したこのホテルはシングルルームである。当然、ベッドは一つしかない。


「何でもない。こっちの話だ」

「思いついたことがあるなら言ってもらわないと困る。確認が必要なこと?」

「仕事の話じゃないからいいんだよ。大事な話でもなければ深刻な話でもない」

「それが何なのか訊いてる」

「……寝る場所が、一か所しかないよなって。だから俺はソファーで寝なきゃ駄目かって思っただけだ」


 その言葉に、ノアはきょとんとしてから、少し間を置いて言った。


「私は横になる必要なんてない。待機状態になればいいだけ」


 アルマはぽかんとした。言われてみれば当然の話だった。


「そりゃ、そうだよな。俺は一体何を……」


 そもそも、シングルルームになった理由も、hIEは基本的に個人の所有物扱いで、人間としてカウントされていないからである。

 身のやり場のない気持ちに襲われた。一体自分が何を考えていたのか、思い返したくもなかった。

 ふと、ノアが微かに表情を緩めた。


「きっと、hIEである私に感情移入し過ぎるのは良くないんだと思うけど、最初の頃よりも今の方がいいかもしれない。少なくともアストライアの目的は達成されてる」

「そういう言い方をされると微妙な気分になるな。まるで感情までコントロールされてるみたいで気味が悪い」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 ノアは思わせぶりな言い回しをしてベッドに倒れ込んだ。横髪を留めていた二本の髪留めが一瞬だけ輝いた。

 アルマは数秒目を奪われた。メイクされたベッドに沈み込む体があまりにも無防備だったからだ。


「明日まではのんびりできるよ。あと半日もないけど」


 アルマはノアを直視できず、体を机の方に向けた。ノアが待機状態になるにしろ、少し頭を冷やさなければならないのに違いはない。



     ◇◇◇



 翌日、アルマとノアは予定通りグラシアールの本社を訪れていた。

 天を穿つような壮麗な超高層ビルのエントランスは、外観に違わぬ洗練されていた。チェスボードのような光沢のある床に、等間隔で純白の支柱が並んでいる。その合間を、空間投影された社内情報がゆっくりと行きかっていた。社員と思しき人々も怜悧さと野心を感じさせる風貌で、一筋縄ではいかない雰囲気を全身に纏っている。

 アルマとノアは正面からフロントへと向かう。その最中、アルマはポケットに忍ばせていた虫型のロボットを離す。

 光学迷彩を施されたそれは羽を振動させながらエントランスの天井へと向かい、無数に設置されている監視カメラの一つに取り付いて動きを止めた。程なくして機体が形を失い、監視カメラの内側に吸い込まれるようにして消える。無数のマイクロマシンに変形し、内部で超小型の端末を形成するという、潜入作戦用の変形端末だった。アストライアが基礎フレームを設計した人類未到産物である。

 歩きながら、アルマは日本事務局で待機しているシズキへと通信を飛ばす。


『枝の設置、完了した。確認できるか』

『問題なさそう。通常のセキュリティなら干渉できそう。使わないで終わるのが一番いいんだけど』


 シズキは自分に言い聞かせるように言う。

 万が一グラシアール側がIAIAの査察を受け入れなかった場合、強制捜査に踏み切ることになる。監視機構への潜入は、そうなった場合の準備の一つだ。

 アルマはシズキの人の好さに肩を竦めつつ、フロントへと向かった。一礼するhIEに身分証明用のホロを提示する。


「IAIAだ。事前に連絡が来てると思うけど、高度AIの不正所持容疑の件で査察に来た。国際条約絡みだ。拒否権はないと上に伝えてくれ」

「少々お待ちください」


 hIEが目を閉じた。上のフロアの人間と連絡を取っているのだろう。

 アストライアが件の多脚戦車に高度AIの干渉を見て取ってから、IAIAはすぐにグラシアール社に警告を送った。しかしグラシアール社はそれを拒否し、査察を受け入れないと宣言した。だからこそアルマとノアがここに来ることになったわけだが、そういう過去がある以上、今回の介入に、グラシアールがすぐに首を縦に振るとは思っていなかった。

 しかし程なくして、応接用のhIEはエレベーターホールを手で示した。


「最上階へいらしてくださいとのことです。社長が応対します」

「社長? 雹洞潤一ひょうどうじゅんいちが直々にか?」


 雹洞潤一というのが、大企業グラシアールの社長の名前だった。


「法務の者では手に余る、との判断だそうです。エレベーター内の認証端末に個人認証タグを当てていただければ、直通で最上階へと向かいます」


 アルマは訝しげな顔をしたが、やがて諦めたように歩き始めた。向こうが何を考えているにしろ、話し合いの場を設けてくるのならば応じるべきだ。

 アルマとノアは言われた通りにエレベーターに向かった。パネルに個人認証タグを当てて最上階を指定する。扉が閉まり、緩やかな加速度が足に掛かった。


『これで素直に査察を受け入れてくれるなら、面倒がなくていいんだけどな。枝を付けたりデバイスを持ってきたりする必要もなかったことになる』


 アルマが暗号通信で言った。エレベーター内の盗聴を警戒していた。

 ノアがそれに答える。


『ここにきて態度を一変させるのは不自然。額面通りに話し合いに応じてくれるとは考えにくい』

『分かってる。今更IAIAの圧力に耐えられなくなった、なんて平和な連中でもないだろうからな。もしそうなら楽で助かるんだが』

『ただ、正式に話し合いの場所を設けてくれたことで、いきなり攻撃される心配は少なくなった。公的に記録される場所であるというのは、今の私たちにとっては都合がいい』

『ああ。枝はともかく、デバイスを使うのは流石に気が引ける。こいつは威力が大きすぎるからな』


 アルマはケースに収められたデバイスを見下ろしながら言った。最悪の場合は企業そのものを敵に回して交戦せざるを得ない。査察を申し入れたその日に戦闘になるとは流石に思えないが、相手が相手なだけに警戒は解けない。

 エレベーターが停止して扉が開く。

 足触りのいい赤い絨毯が敷かれた華やかなフロアだ。窓のない廊下が真っ直ぐに伸びていて、突き当りに扉があった。直線距離は二十メートルほどか。

 アルマとノアは余計な動きを見せずに真っ直ぐに扉に向かう。途中、左右からこちらを見られている感覚があった。壁に埋め込まれた各種のセキュリティ機構が、アルマたちの身分や所持品などを瞬時に読み取ったのだ。デバイスを所持していることで止められてもおかしくはなかったが、幸いにも何事もなく扉の前に到着した。


「入りなさい」


 扉の向こうから声がした。学者然とした、それでいて温度のない兵器を連想させる冷たい声だった。

 扉を開くと、ゆったりとした縦長の社長室が現れる。赤い絨毯に木製の机。応接用の黒革のソファーにガラステーブルが置かれ、正面の壁は一面がガラス張りになっていて街が一望できた。


「ほう、その機体が……」


 声が響く。正面の机に座る壮年の男――雹洞潤一が、入ってきたアルマとノアを興味深げに見つめていた。 

 白髪の混じり始めた髪に黒縁の眼鏡を掛け、こちらを観察するようにじっと視線を向けてきている。身に着けているものは派手ではないが、どれも細やかな意匠や深みのある色合いをしていた。机の上で手を組んで訪問者を見つめる姿は、人の上に立つ人間に特有の威圧感を纏っている。

 だが、それでも不躾に見られていい気分にはならない。アルマは僅かに表情を鋭くしながら、


「……何か?」

「いや、すまない。他社の軍用hIEを見ると、どうしても自社の商品と比べてしまってね。職業病のようなものだ」


 潤一は緩く苦笑しながら言った。


「わざわざご足労願ってすまなかったね。とはいえ、話はなるべく手短に済ませたい。私もそれなりに忙しい身でね」

「まるでそっちが俺たちを呼んだような口ぶりですね。何にせよ、こっちの要請をちゃんと受けて下されば、話はすぐに終わりますよ」


 アルマはそう言いながら、目だけで部屋を見渡した。

 潤一の隣には青銀色の髪の女性型hIEが静かに立っている。そのhIEも、アルマたちを観察するかのようにじっと視線を向けてきていた。

 そして、アルマたちの右側、応接用のソファーには、昏い気配を顔に貼りつけた男が座っていた。

 屈強な男だった。たった今戦場の最前線から帰還したばかりのような硬質な気配があった。人間というよりも銃や刃物といったものに似ている。男は僅かに視線を俯かせ、部屋に入ってきたアルマとノアには見向きもしなかった。


「彼は私の護衛だ。ボディガードの同席は構わないだろう?」


 潤一がアルマの視線に気が付いて言った。


「……ええ」


 アルマは警戒心を強めながら頷いた。

 潤一の言葉が全て本当だとは思えなかったが、こちらも武器を持ち込んでいる以上、お互いに譲歩するべきラインだ。少なくとも、これから話す内容を聞かれて困るのはIAIAではなくグラシアールの方だ。仮に部外者であったとしてもさほど問題はない。


「さて……お互いに言いたいこともあるだろうが、余分な装飾は省き、単刀直入に行こうじゃないか」


 アルマは頷き、必要な緊張感を保ちながら口を開いた。


「貴社は超高度AI、或いはそれに近い能力を持つ高度AIの不正所持が疑われています。国際条約に基づき、IAIAは貴社とその関連施設の捜査を要求します」

「拒否する。自社の財産は保護されている。IAIAと言えどもこちらの同意なしに踏み込んでくるのは法に反するよ」

「だからこそ、こうして穏便に話し合いをしようとしています。貴方が拒否すれば、事はIAIAのみならず諸外国との問題になります」

「我々は情勢の混乱を金に換える組織だ。必要としている人間に武器を売ることでね。情勢が混乱するのはこちらとしては願ったり叶ったりなのだよ」

「それで国を敵に回すとしてもですか。貴方が支社を置いている国の全てが敵に回りますよ」

「国が敵に回っても味方になってくれる組織はある。我々と同じく、情勢の混乱をビジネスにしている人間たちがね。そうした人間たちが君たちIAIAや国際情勢と対立する。君たちの側も我々の商品を必要とする。結果として我々は潤い、組織間の抗争は我々以外の組織に委託される」

「金が儲かればそれでいいと? 全てを他人事で済ますつもりですか」

「金は手段だ。目的ではないよ。しかし、それによって使える金……つまり手段が増えるのは結構なことではあるがね」


 その人の命を完全に無視した口ぶりに、アルマは僅かに寒気を覚えながら聞き返す。


「貴方は一体何を望んでいるんだ」

「私の望みか。それは、今も昔も一つしかないよ」


 潤一はその時だけは夢見る少年のような表情を浮かべて言った。


「美しい武器を作ることだ。私は世界の安定よりも、美しい武器を作ることを考えて今日まで生きてきた。企業を作り、金と武器の流れを作った。その過程で高度AIが介入したかなど、些細な問題なのだよ」

「貴方たちには些細な問題でも、国際的には大きな問題です。その発言は、自分たちが高度AIを保有しているという宣言と取っても構いませんか」

「さて、どうかな。記憶にないと言ったら引き下がってもらえるのかな?」

「宣言した上で、我々の捜査を拒絶すると?」


 潤一は口元に歪んだ笑みを滲ませた。


「言っただろう。我々としては事態が混乱するのは好ましいのだよ。捜査を受ける理由がない」

「……分かりました」


 アルマは言って、踵を返した。


「近い内に、またお目に掛かると思います」

「そうかね。次は熱い紅茶でも用意して待っているよ」


 アルマは顔をしかめて踵を返した。ノアがその後ろに続いた。

 アルマは部屋を出る時、横目でテーブルの方を見た。名の知らぬ男は未だに俯いたまま微動だにしていなかった。まるで無造作に放られた大型の銃のようだった。

 アルマは表情を険しくして部屋を出た。



     ◇◇◇



『なるほど。やはり捜査は拒否か。街一つを支配しているだけあって傲慢そのものだな』


 菫は呆れたように言った。

 アルマはホテルに帰ってきてから、菫に状況を報告していた。


『アポを取った段階ではこちらを拒んでいなかったのにも拘らず、結局査察そのものは拒否するとは。本気で国際社会を丸ごと敵に回すとは恐れ入る』

「むしろそれを望んでいるような感じでしたね。雹洞潤一は」

『そうだろうさ。まともな神経の人間に軍事企業の社長なんぞ勤まらん。自社の製品が世界各地で人を殺しているという事実に無関心でいられる人格の持ち主しかあの場所にはいられないのさ』

「美しい武器を作るのが目的だって言ってましたよ。世界の安定よりも、美しい武器を作ることの方が重要だと」

『雹洞潤一らしい言葉ではあるな。私は直接会ったことはないが、そちら方面では相当な奇人だと有名だ』

「これから俺たちはどうするんですか。日本事務局に帰還?」

『分かり切ったことを訊くな。何のために枝を付けたと思ってる』


 アルマは予想通りの返答に小さく溜息を吐いた。


「まあ、デバイスを持たせられた時点で予想はしてましたけどね。なるべくなら穏便なまま終わってほしかった」

『戦闘そのものが目的ではない。向こうに発覚しなければそれが一番だ。目的はグラシアール社内サーバーに記録されている諸情報の回収。高度AI、あるいは超高度AIの存在が確認できればそれでいい。場所が分かれば最高だな』


 アルマは言うだけなら簡単だと溜息を吐いた。とは言え、危険な現場に潜り込んでこその戦闘ユニットである。


「シズキはどれくらいで解析し終わるって言ってますか。やるなら早いほうがいいでしょう」

『はっきりとは聞いていないが、進行具合から見て今晩中には纏まるだろうな。潜入する時間としてもぴったりだ』

「早く帰れるのは嬉しいですけど、向こうが何も対策してないとは思えないんですよね。この前の多脚戦車じゃないですけど、ゲテモノが出てこない保証はないでしょう」

『仮にそうだったとしても、今なら問題ない。ノアがいるからな。デバイスの機能を十全に発揮できれば対処可能だと、私ではなくアストライアが言っているんだ。何の問題もない』

「計算と実戦は違いますよ。アストライア自身が動くわけじゃない」

『そう言うな。そもそも、今回の作戦は戦闘ではなく調査だ。戦うのが嫌なら精々見つからないようにするんだな』

「……了解です。では、夜まで報告を待ちます」

『デバイスを確認しておけよ。潜入任務とはいっても、向こうと交戦する可能性は十分にあるのだからな』


 菫は通信を切った。

 アルマは一つ息を吐いて天井を仰ぐ。

 IAIAは初めから、グラシアール社が素直に捜査に応じるとは考えていなかった。だからこそ戦闘ユニットであるアルマとノアが派遣され、その上にセキュリティに侵入できるよう枝さえ仕込んでおいたのだ。しかし、そんなところまでアストライアの予想通りに事が運ばなくてもいいとアルマは思った。


「まさかこんなに早くテストされることになるとはな。全部計算通りだったとしたらやってられないぜ……」

「何が? 菫さんのこと?」


 ベッドの端に腰掛けたノアが訊く。IAIAの制服を着た姿はどう見ても人間にしか見えなかった。

 アルマは意識して視線を逸らしながら答えた。


「いや、アストライアだ。俺の性能をテストする、とか何とかいう話を、つい一週間くらいにされたばっかりでさ。直近の査察の際に実力を図るってな」

「超高度AIならその程度の予測は可能。情報が与えられていればだけど」

「何もない状況だったはずだから、多分言ってみただけ、だったんだろうな。ただの予定発表みたいな感じだったんだろ」

「まだ戦うって決まったわけじゃない。菫さんも言ってたけど、穏便に終わるのが一番」

「分かってるよ。こっちから戦いを仕掛けたりはしないさ。御免被る」


 アルマは本心から言った。

 戦いたくないというのは本当だった。この体になって以来戦うことが仕事になってしまったが、アルマ自身としては戦闘行為に何らかのやりがいを感じたことなど一度もない。


「けど、最初から計画されてたってことは、アストライアは最初から私を作るつもりだったのかな。アルマの武器として計画してたのかな」


 ノアが自問するように呟く。


「分からん。けど、可能性はあるだろうな。どの時点で俺の過去に目を付けたのかは知らないけど」

「だとしたら、けっこう、運命的」

「運命……? 何がだ?」

「たまたま同じ研究室に入って、たまたま同じ場所で死んだ。なのにこうして、人格だけが独り歩きして交流してる。関係が続いてる。それって凄く、縁があると思う」

「……まあ、考え方によってはそうかもしれないな。俺も、もう一度あの人に会えるとは思ってなかったし――」


 アルマは首を振った。


「いや、違うんだけどさ」

「うん。私はhIE。人型の道具」


 ノアが後を継いだ。でも、この二週間くらいの記憶はちゃんとある。ここに。主機メモリーに記録されている。アルマと出会った時の記憶。一緒に戦った時の記憶。四課のメンバー。日本事務局の間取り。訓練したときの記憶。全部、頭の中に記録されてる。クラウドまで辿れば、沐凪蒔絵だったころの記憶さえ」


 ノアは自分の頭に触れながら言った。


「ねえ、私には分からないけれど、造り出された記憶と、人間の生身の記憶とでは、何が違うのかな。作られた人格と、生身の人格とでは、何が違うのかな」

「……hIEの主機メモリーに記録されているのが、人間の記憶と同じだって言いたいのか? 流石にそれは飛躍しすぎだろ」

「なら、人間の記憶って、何なんだろう。どう定義されるんだろう。私の記憶がプログラムと同じなら、アルマの記憶は? オーバーマンの記憶はデータの集合だよね。hIEの主機メモリーの記録と何が違うのかな。もし違わなくて、アルマの記憶も人間と同じってことになったら、それは、hIEも人間だってことになってしまわないのかな」

「……俺も、時々考える。俺と人間を隔てているものは何なのかって。そもそも、そんなものは存在するのかって」


 アルマはそこまで言って首を振った。思考を打ち切らないと、どこかとんでもないところに飛躍してしまいそうで怖かった。

 今のノアは、この状況で沐凪蒔絵が言うだろう言葉を発したに過ぎない。その内容自体に意味はないのだ。


「デバイスの状態を確認する。技術班の方で調整済みだとは思うけどな」

「分かった」


 ノアは素直に応じて、ケースを開けた。

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