Chapter 4 Sensory Tuning
回収された多脚戦車は、アメリカ本土のアストライアの下に輸送されることとなった。日本事務局の技術者では内部構造が分からなかったためだ。この多脚戦車が人類未到産物である可能性がさらに高まったと言えた。
事件があった翌日、アルマとノアは訓練室に呼び出されていた。
実戦データを元にした訓練は日常的に行われている。電脳を実装しているとは言っても、アルマの義体を動かすのはアルマの意思だ。訓練が必要なのは生身の人間と変わらない。
だが、今回はノアも一緒に呼び出されていた。ノアはhIEである以上、戦闘行動の改善は行動規範であるAASCを改善することでしか実現しない。その事実を知っているからこそ、こうして一緒に訓練室に呼び出されている理由が分からない。
(……何だかな)
アルマは横目でちらりとノアの横顔を伺う。
その整った顔立ちは、寒気がするほどに沐凪蒔絵と見分けがつかない。そんな彼女と自分が並んでいるという状況が、間違っていると確信する一方で、どこか安らぎに似た安堵感を感じているのもまた事実なのだ。こればかりは、アストライアに仕掛けられたアナログハックと分かっていてもどうしようもないことだった。視覚からもたらされる情報は、脳で処理する理性的な思考よりも遥かに高速にアルマを支配する。
「どうかした?」
「……別に」
視線を察知したノアが、アルマに向けて小首を傾げる。アルマは仏頂面で誤魔化して、エレベーターホールへと足早に向かっていく。
アルマはエレベーターに乗り込むと、操作盤に個人認証タグを押し付ける。IAIA日本事務局の構成員であることが認証され、地下フロアへの立ち入りが許可される。
緩やかな下降の後、エレベーターから降りる。すぐに鈍い銃声が聞こえてきた。帯銃を許可されているIAIAエージェントが射撃訓練をしている音だった。
二人は射撃訓練室を素通りし、VR訓練室の一つに入る。菫から指定された場所で、アルマも市街地戦を想定した訓練をするために何度か利用したことがあった。
だがアルマは部屋に入るなり、足を止めて目を見開いた。
「……なんだこりゃ」
以前はコンソールが等間隔で並べられた殺風景な部屋だったのだが、今はそのコンソール類が大胆にもすべて撤去され、縦長のテニスコートのような内装になっていた。それぞれコートの端には十センチほどの高さの台座があり、操作用のパネルが設置されていた。コートの側面には球状のセンサー機器が張り巡らされ、まるで部屋自体が一つの観測機器になったかのようだった。
「ああ、来たね」
ひょろりと背の高い男――天音修一が手を挙げて二人を出迎えた。黒縁の眼鏡に白衣。男性にしては髪が長めで、外見に無頓着な学者といった風貌だった。アルマの義体の調整を行っている技師で、今回アルマたちを呼び出した張本人でもあった。
アルマは変わり果てたVR訓練室を見渡しながら、
「……修一さん、何かスポーツジムみたいですよ。俺に何させる気ですか」
「そっちのお嬢さんと協力して行うゲームみたいなものさ。体を動かすっていう意味ではジムみたいなものかな」
修一はしばらくごそごそと準備をしていたが、やがてアルマとノアに向き直り、白塗りのケースを差し出した。
「じゃあ取り敢えず、これを着けて」
修一がケースを開く。中に納まっていたのは、デバイス【ElectroMagnetic Accelerator】の頸部だ。
「……何させる気ですか?」
「いいからいいから」
再度の問いかけにも、修一は人の良さそうな笑みを浮かべるばかりで答えてくれない。アルマは溜息を吐き、言われたとおりにデバイスを首に装着した。その隣でノアも同じようにする。
何となく落ち着かない気分になる。頸部のデバイスは思考伝達のためのコアユニットだ。今は起動していないためノアの思考は伝わってこないが、先日のこともあり、平静ではいられない。
そんなアルマを知ってか知らずか、修一はニコニコと説明を始める。
「今日から僕は君たちのトレーナー役も兼任する。君たちが戦場で能力を十全に発揮できるように、必要な助言をしていきたい」
「スポーツジム風の部屋に連れてきて、組み手でもさせるんですか」
「そんなことしたらここが壊れちゃうよ」
修一は人の良い笑みを苦笑の形にする。
「僕が君たちに指導するのは、デバイスの主機能の一つ、思考共有についてだ。その一点さえ何とかできれば、君たちは恐らく、IAIAでも屈指の能力を持つエージェントとして活躍できる」
「はあ……」
やる気のなさそうなアルマの声にも、修一は気分を害した様子もなく続ける。
「そもそも、便宜的に思考共有、って言ってるけど、本当はもっと根源的なんだ。正確に言うと、思考を共有してるんじゃなくて、思考のベースとなる感覚を共有している。動機を共有している、と言った方が分かりやすいかな?」
「動機……」
「何かをしたい、変えたい、動かしたい、まあ何でもいいんだけど、そういう行動に対するモチベーションを共有する。だから言葉を介するよりもずっと早く、相手の補助が可能になる。根源的っていうのはそういうことで、思考の一番最初、原初の思考を共有する……だからより正確に言うと【動機共有】とか【原初思考共有】って表現するといいのかな。まあ、頭の中で認識するときには、人間の習慣から言葉に変換して捉えちゃうけど、デバイスの原理としてはそういうこと」
修一はそこまで説明して、質問を待つように一拍置いた。まるで学校の教師のようだった。アルマたちから質問がないことを確認して、修一はケースを差し出した。
「それで、訓練にはこれを使う」
ケースの中には細い銃身を持つ銀の銃が入っていた。表面にはIAIAのエンブレムが刻まれている。手に取ると、予想よりも重量があることに驚いた。細身のわりに、実銃とほとんど変わらない重さだ。ノアも銃を取り、興味深そうに銃身を見つめている。
「これを持って、お互いに向き合うように立ってもらう。ほら、コートの端に少し出っ張った台座があるだろう?」
修一はコートの両端にある台座を指さしながら言った。
「そこに君たちが立つ。で、僕が装置を起動させる。すると君たちどちらか片方の視界に、ランダムで赤い光点が表示される。このコートのどこかにね」
修一はコート全体を見渡しながら言った。
「それを撃つ。そして、光点が表示されていない方の人も、同じ場所を同じタイミングで撃つ。少しゲームみたいだろう?」
「表示されてないのに、撃つ……?」
「そう。思考共有で相手がどこに撃つかを特定して、自分も同じ場所を撃つ。肝心なのは、君たちどちらか片方にしか光点が表示されないということなんだ。表示時間はコンマ二秒。照準する時間も合わせれば、音声で伝えあっている時間はない。見えたと同時に体を動かし始め、撃たないといけない」
修一はアルマとノアを順に見て確認するように言った。
「要するに、君たち二人の思考を、一つにする必要があるってこと。照準からトリガーのタイミングまで、お互いの思考を同調させて、動きを完全にシンクロさせる。お互いを映す鏡のようにね。それができれば、実戦でも君たち二人は完全な一つのユニットとして活動できるというわけ」
修一は改めて二人を見て、ぱんと手を叩いた。
「そういうわけで、一回やってみよう。時間は一分間。秒間二か所のペースで、二人の視界に光点をランダム表示させる。どちらに何回表示されるかはランダムだから、そのつもりでね。二人の着弾位置とトリガーのタイミングは僕が全部記録して、終わったらラグがどれくらいあるか集計する。……でもまあ、そんなにひどい結果にはならないと思うよ。今までのデータから言っても、君は優秀だから」
秀一は最後の一言を安心させるように付け加えて、アルマを奥の台座に誘導した。
アルマは台座に上り、二十メートルほどの距離を開けてノアと向き合った。
「それじゃ、デバイスを起動させて」
アルマは言われた通りにデバイスを起動させた。同時にノアの思考――修一の言うところの【動機】が流れ込んできた。
アルマは体が強張るのを感じた。
修一がコンソールを手際よく操作して、左右の観測機を起動した。
「準備はいい? じゃあ――スタート!」
アルマの視界に、最初の光点が表示された。
◇◇◇
「……もう一度やってみようか」
修一が少し強張った表情で言った。
アルマはやや青ざめた顔で頷いた。
プログラムが開始され、光点が表示される。
最初の一つはアルマの方だった。
光点を認識。照準。銃撃。一連の動作は電脳にインストールされている行動制御プログラムがやってくれるため、外すことはない。
アルマの思考を完全にトレースしたノアが、全く同じ動作でトリガーを引いた。二十メートルほどの距離を開けて、鏡に映した自分を見ているかのようだった。
直後、アルマの頭の中にノアの思考が伝わってきた。ノアが何を見て、どのように動くのか、自分のことのようにはっきりと理解できる。
しかし問題なのは、それが【ノアから伝わってきている】という感覚がすることだった。アルマにとっては、【沐凪蒔絵の思考が伝わってくる】というふうに理解されてしまう。
アストライアが仕掛けたアナログハックが、今はアルマを苛んでいた。
「っ――」
アルマの体が一瞬だけ強張る。行動制御ソフトとは別の領域――アルマの過去の記憶がフラッシュバックし、目の前の光景が一瞬だけ歪んだ。
アルマはノアから一拍遅れてトリガーを引いた。その僅かな遅れが、次の動作の遅れとなる。いかに全身義体と言えども、肉体を無視して行動できるわけではない。照準し、トリガーを引く、というプロセスからは逃れられないのだ。
それに加えて、今回はノアの思考を読み取って自分の行動に反映させなければならない。
思考のノイズがノイズを呼び、体が満足に動かせない。連続してフラッシュバックする光景と、連続して現れる赤い光点が、頭の中で絡まってしまっているような心地がした。
一分間のプログラムが終了し、アルマは自分の情けなさに眩暈がした。これまでで最悪の結果だという実感があった。
「少し休憩しよう」
修一がそう言って立ち上がった。結果を言わないところに、修一の気遣いが感じられた。
「……少し頭冷やしてきます」
「アルマ君――」
修一が何か言いかけたが、アルマは振り返らずに部屋を出た。ノアのことは見向きもしなかった。今見たら自分が何を言ってしまうか分からなかった。
アルマは自分がどこに行きたいのかも分からぬまま、一旦訓練フロアを出てエレベーターホールへと向かった。日頃時間を潰している休憩フロアに向かっているのだと、アルマは自分自身の行動を遅れて理解するという奇妙な体験をした。
「くそ、この頭は――」
アルマは苛立たしげに頭を叩いた。そのまま手の平に顔をうずめるように黙り込む。エレベーターが到着し、乗り込んだ後も、アルマは顔を塞いだままだった。
頭の中を満たしているのは、たった一年と少しの間の記憶だ。その中心にはいつも沐凪蒔絵がいて、何も知らない桜庭在真がいた。アルマにとって最も幸福だった時間が、ノアの思考に引きずられて表に出てきてしまっていた。
「くそ――」
毒づくアルマの前で扉が開く。周りを見もせずに、普段使っている休憩フロアの一番奥に向かった。観葉植物の影になって人が寄り付かない一角がある。自室以外で落ち着ける場所となると、ここくらいしか思いつかなかった。
置かれた椅子に沈み込むように腰掛けて、少し冷静になる。
「……勝手に部屋を出てきたのは、まずかったか」
もう少ししたら連絡してすぐに戻ろうと決める。しかし今は駄目だった。少なくとも、普通に近い状態に自分を戻すまでは、誰かと会って話ができるとは思えない。
だというのに、こちらに近付いてくる足音があった。アルマは意識して無視したが、どうやらこの一番奥のソファーに用があるらしく、足音はどんどん近づいてくる。こんなことは初めてだった。
(誰だ――?)
アルマは煩わしそうに顔を上げた。すると、びくっと体を跳ねさせて観葉植物の影に隠れる人影があった。
「……シズキ?」
「あ、うん、その、偶然だなあ、なんて……」
シズキが観念したように姿を現した。明らかに挙動不審だ。大きな丸眼鏡の向こう側で、決まりが悪いように目を泳がせていた。
「その、覗くとか、そういうつもりじゃなかったんだけど。ただ、さっき見たとき、凄く深刻な顔してたから……」
アルマがきょとんとしていると、シズキは苦笑して、
「エレベーターから出たとき。私目の前にいたのに、アルマ君気付かないで行っちゃうんだもん」
シズキは迷うように視線を揺らしていたが、やがて決意したようにアルマに近付く。
「話を聞くくらいならできるよ」
「相変わらず妙に面倒見がいいよな。けど、これは個人的な問題だから。放っておいてくれ」
「ここで無視して帰ったりできる性格なら、今ごろ私、この場にいないよ。知りたがり、首突っ込みたがりな性格が災いした結果だもん」
やさぐれたアルマの言い方にも、シズキは怯まずに距離を詰めてくる。
その親身な態度に、思わず口が緩んだ。
「俺は……俺自身が情けなくて仕方ないよ。あの人はもうとっくに死んでるのに、こうしてずるずるずるずる……女々しいったらない」
「電脳は生体脳に比べて情報の関連強度が強いから、ある程度は仕方がないんじゃないのかな」
アルマは少し笑った。「そっち方面で慰めてくれるとは思わなかった」
「でも本当のことだよ」
「だとしても、この体たらくはないぜ。本当に嫌になる」
油断すると今でも、沐凪蒔絵の姿と、沐凪蒔絵を掻き消した爆炎がまざまざと蘇る。
アルマの中ではその二つは強く結びついている。沐凪蒔絵との穏やかな日常を思い出すとき、その日常を粉々にした爆炎をも思い出す。
人間の場合なら強いトラウマといったところだが、データ化された記憶である【桜庭在真】にとって、それはもっと根強い問題だ。データとして保存されている以上、トラウマの記憶は色あせることなく、常に明瞭な形でアルマの頭の中に存在している。
シズキはそんなアルマを見つめて、ぽつりと、
「アルマ君は、今ここに生きているよ」
アルマが顔を上げると、決意したような顔でこちらを見るシズキと目が合った。
「アルマ君は何度も、自分はもう死んだ人間だって言ってたよね。記録された記憶……オーバーマンだから。自分という存在は、もういないんだって」
「……実際、そうだろ」
「違うよ。少なくとも、私は今のアルマ君しか知らないもん。アルマ君が死んでしまっているなら、私の中にいる、このアルマ君は誰なの? ここにいる君は、一体誰なの? 記録されているかオリジナルかなんて、違いがないって前にも言った。あれ、その場を誤魔化すつもりで言ったんじゃないよ。私の中では、アルマ君はここで生きてる」
シズキは息を吸って、吐いた。こちらを見据えてくる瞳の中には、アルマの知らない種類の強さがあった。
「だから、今を生きて。アルマ君。昔、何があったのか、正確には私は知らないけど、それでも、生きているんだから。二年前で終わってしまったわけじゃない。それなら、今ここにいる自分で、彼女の思い出に向き合えばいいと、私は思うよ。それはもう終わってしまったことで、今ここにいる自分は、思い出を抱えて、今を生きるしかないんだから」
その言葉は、アルマの胸の中に染みた。何かが変わったわけではない。ただ、ここにいる自分が、自分なのだという感触が、今このときだけは確かに存在していた。
言い終えたシズキは、みるみるうちに赤面して顔を逸らした。
「って、私、なんか、上からだったよね――」
「……いや」
アルマは俯いたまま立ち上がり、シズキのほうを見据えた。不安そうな彼女を、これ以上心配させないように、声を張る。
「その通りだと思う。今を生きるしかない、か。そりゃ、そうだ。俺はまだここにいる」
「アルマ君……」
「きっと、あの人もまだ――」
アルマは首を振った。顔を上げて、情けない自分を振り払うように背筋を伸ばす。
「……俺、もう戻るよ。勝手に飛び出して来たし。これ以上迷惑かけたくないしな」
「アルマ君!」
歩きかけたとき、背中から声が掛かった。アルマが肩越しに振り返ると、微笑を浮かべたシズキがいた。
「頑張ってね」
その姉のような表情を、アルマは直視できずに足早にそこを去った。
◇◇◇
「もう一回お願いします」
戻ってくるなりそう言って頭を下げたアルマに、かえって修一の方がまごついた。
「ああ、いや、電脳の影響を軽く見ていた僕の方こそ、謝らなくちゃならない。僕は義体の専門家なのにね。君のトラウマを刺激するような真似をして悪かった」
修一もまた、アルマの不調の原因に思い当たっていたらしい。アルマはそれを否定するように首を振って、奥の台座へと向かう。
アルマはノアの横を通り過ぎる時に声を掛けた。
「悪かったな。手間取らせて」
「私の方こそ、無遠慮だった」
即座にそう返してくるのは、やはり沐凪蒔絵らしい。
アルマは認めざるを得なかった。沐凪蒔絵の振る舞いは、確かにシステム的に完全に再現されている。
しかし、沐凪蒔絵は既に死んでいる。それは事実だ。
ここにいるのはノアという名前のhIEであり、沐凪蒔絵ではない。だが、言ってしまえばそれだけのことだ。そこに拘りを持って、無用な緊張を感じているのはアルマ自身だ。
沐凪蒔絵は死んだと言いながら、実のところ、アルマ自身がその死を一番認めたくなかったのだ。
まだ割り切れたわけではない。それでも、ノアというhIEに、もっと真摯に向き合うべきなのではないかと思った。これから先、アルマがこの体で生きて行こうとするならば、いつかはぶつかる壁だった。即ち、再現された記憶が、本物であるか否かということについて考えることだ。
アルマは台座に上り、銃を構えた。視界をAR対応のものに変えると、空中にプログラムのロゴが浮かんでいるのが見えた。
「始めて下さい」
アルマは言った。
秀一がコートの向こう側でやや緊張した面持ちで頷いた。
アルマの下に、手際よくキーボードを操作する音が届いた。
アルマは無用な力を抜き、意識を前へと向ける。自分がいままでどれだけ緊張していたのかが分かった。頸部のデバイスからノアの思考が伝わってきたときも冷静でいられた。それはただの情報だ。数字の羅列や、プログラムのコードと変わらない。
アルマは先程まで、そこに沐凪蒔絵の声を見出し、沐凪蒔絵という人格を見出していた。それはアルマの自己防衛であり、保身であり、願望だった。
その事実を受け入れた瞬間、頭の中にずっと掛かっていた霧が晴れるような心地がした。
――上。
アルマの思考にノアの思考が重なった。
アルマはノアと全く同じタイミングで虚空を照準していた。アルマの視界には何も映っていない。しかし、ノアの視界を通して、そこに的があることを知っていた。
引き金を引く。
自分と相手の感覚が混じり合い、引き金を引く指の感触が、頭の中で反響した。
それは遠いところにもう一人の自分がいて、自分と同じ行動を取っているような感覚だった。
今度はアルマの目に的が映る。
ノアがアルマの視界を受け取り、照準し、引き金を引いた。
別なところにいる自分自身が、寸分違わぬ動作で同じことをするのが感覚された。
世界が変わっていくようだった。桜庭在真という一人の人間から、より大きな、別の人間の思考と溶け合うような心地がした。
無論、ノアの思考とは即ちAASCのことだ。プログラムであり、人間の思考ではない。そこに特別な意味を見出すのは人間の特性だ。アストライアはそこを突いて、アルマとノアの同調を高めるためにアナログハックを仕掛けたのだ。
アストライアが沐凪蒔絵のパーソナリティを宿したhIEを用意した意味が、ようやく理解できた気がした。
この一体感を得るために、沐凪蒔絵のかたちが必要だったのだ。
目が増え、聞こえるものが増え、感じるものが増えた。離れた場所に立っているノアが、自分の内側にいるような感覚がした。
アルマとノアは秒間二個のペースで生成され続ける的を撃ち続けた。さながらコートの中央に鏡があり、そこに互いを映しているような完全な同調だった。
ある種の恍惚感に似た感覚の中で、一分間のプログラムが走り終わった。
アルマの視界が通常のものに戻り、同時にデバイスが停止する。思考が自分一人だけのものに戻り、やや窮屈であるような奇妙な感じがした。
修一がディスプレイを見ながらはしゃいでいるのに送れて気が付いた。アルマのほうを見て、にっこりと笑う。研究者の性がそうさせるのか、今日の中で一番機嫌が良さそうだった。
視線をずらすと、ノアと目が合った。ノアは小首を傾げて、微笑んだ。その瞬間、過去の沐凪蒔絵の声が一瞬だけ脳裏を掠めて消えていった。
過去の情景は一瞬で消え、今目の前にいるのはhIEのノアだけだった。
アルマはコートを横切って歩み寄った。
ノアはじっとその場で待っていた。
「正直、まだ割り切れてなんかいない」
アルマは声を掛けた。それはある意味では壁に話しかけるような行為だったが、今の自分には必要なことだと素直に思えた。
ノアもまた、アルマの意思を汲むように微笑を浮かべる。
「無理に割り切らなくてもいい。私は、私でいる限り、ずっと貴方の隣にいる。私は貴方のために作られた武器だから」
「……そうだったな」
アルマは苦笑した。ここ数日で初めての、素直な笑みだった。
「なら、しばらくは、よろしく頼む」
「うん」
ノアは頷いた。
アルマは心が安らぐのを感じていた。二年前と同じ微笑み――それが今は存在しないものだと分かっているから、自分が現在に生きていることを実感できた。
アルマとノアはしばらくの間そうして視線を絡ませていた。ごほん、と修一のわざとらしい咳払いで我に返る。
修一はなぜかそっぽを向きながら、
「とにかく、初日にしては大成功だよ。立派な結果だし、アストライアも文句は言わないと思う。この訓練メニューはこれからも定期的に行うけど、今日はこの辺りで止めておこう」
アルマは頷き、修一の妙な態度に首をかしげた。ともあれ、訓練が完了したというのだからこれ以上ここにいる理由もない。片付けはありますか、と訊こうとした。
その時、アルマの下に通信が入った。仮想視界に表示された名前は【空森菫】だ。
アルマは嫌な予感を覚えながら応じた。
「変わった時間に連絡してきますね。どうしたんですか」
『楽しい話をしようと思ってな。訓練中だったか?』
「いえ、丁度終わりましたけど」
『そうか。それは丁度いい。訓練は実戦で生かしてこそだからな』
「また仕事ですか。今週は立て続けですね」
アルマが疲れたように言うと、菫はくつくつと笑った。不吉な笑い方だった。
「気持ち悪いですよ。菫さん」
『なに、仕事というのは重なるものだと感心していたところだ。……アストライアが件の多脚戦車の解析を終えた。結果、アストライアは未確認の超高度AIが存在する可能性が高いと判断した。容疑が掛かった企業に査察を申し出るも異様に難航。……というわけで、四課の戦闘ユニット二機は、超高度AIの有無を独力で確認すべし、だとさ』
アルマは数秒閉口した。
訓練を終えた直後の通信にしてはあんまりな内容だった。