Chapter 3 The Battlefield without Human
「まだ怒ってるの」
ノアがぽつりと聞いた。
アルマは無言だった。ノアの問いにも一言も言葉を返さない。ノアの存在そのものを意識から消し去ろうとしているかのようだった。エレベーターの中には、息が詰まる沈黙が満ちていた。
二人はデバイスを取りに行くために、エレベーターで地下フロアへと向かっていた。
アルマはデバイスを装着するため、服を脱いで特殊素材のボディスーツに着替えていた。黒地に灰色のラインが描かれ、要所を鈍色の軽金属で保護していた。軍用のhIEが身に着けるスーツと同じものだった。
アルマたちが用いるデバイス【ElectroMagnetic Accelerator】は人類未到産物だ。それ故に、通常の武装に比べて過剰なまでの封印が施されていた。アストライアが要請し、IAIAの上層部が許可したときにのみ、デバイスが格納されている地下区画に降りることができた。
人類未到産物とは【現在の人間には仕組みが理解できない道具】の総称だ。身近なものではhIEを動かしているAASCや、電気自動車を動かすための無線給電システムなどがそれに当たる。いわゆる【超高性能の道具】であり、それが武装ともなれば、一種の超能力じみた性能を発揮するものが殆どだ。
二人を乗せたエレベーターが停止し、扉が静かに開いた。
普段は封鎖されている、特殊武装を格納した倉庫が目の前に現れた。壁も床も硬質な純白。左右に二十メートルほどの大きさがあり、天井は見上げんばかりに高く、全体が淡く発光していた。等間隔で並べられた格納棚は、横から見ると蜂の巣のように六角形の断面が並んでいる。一つ一つが特殊武装を収めた格納箱であり、普段は取り出すことさえ許可されていない。
アルマは視界をAR対応のものに切り替えた。ケースの表面に、赤文字で何が入っているのかが表示される。慣れた足取りで奥の方へと進み、一つの格納箱の前で足を止めた。幅一メートルほどの六角形の断面が、アルマを出迎えるように鎮座している。
側面の端末に手首の個人認証タグを押し付けた。ブルーのライトが一瞬だけ灯り、格納箱のロックが解除された。手前にせり出してきた格納箱が自動的に開き、収納されていたデバイスが姿を現した。
人類未到産物【ElectroMagnetic Accelerator】は四つのパーツで構成されていた。頸部、腰部、脚部、それと近接戦闘用の高周波ブレードだ。
流線型のパーツが組み合わさった流麗なフォルム。脚部は脛を全て隠すほどのロングブーツ型で、頸部は顎下から首後ろの延髄を覆う独特の形状をしていた。ブレードは細く、鋭角なシルエットの鞘に納められている。そのどれもが濡れたような光沢を持つ純白の強化軽金属で構成されていて、格納庫の照明を受けて澄んだ光を纏っていた。
アルマは無言でデバイスに手を伸ばし、手早く装着していく。アルマの身に着けていたボディスーツはデバイスを使うことを前提にデザインされたものであるため、デバイスを全て付けても外見に纏まりがあった。
同じようにしてデバイスを装着したノアが、じっとアルマを見上げていた。
「……何だ」
沈黙に耐えかねてアルマが訊いた。
「まだ怒ってるの」
先ほどと同じ問いに、アルマは疲れたように首を振った。
「別に」
「私といるのが嫌?」
「ああ、嫌だね」
アルマは短く言って踵を返した。アストライアは事件の早急な解決を要求した。早く現場に向かわなければならない。
当然ながら、ノアもアルマの後ろにぴったりと付いてきた。
再びエレベーターを使い、上層の車庫区画に向かった。
車庫区画は最低限の証明で照らされた薄暗い空間だった。整然と並んだ装甲車を流し見ながら、AR情報に従って進んでいく。赤色の光で輪郭を強調された黒塗りの防弾車両に乗り込んだ。
アルマは操作盤に指を当てた。エンジンが起動。アルマは自動操縦の目的地を、西地区の手前に指定した。通常であれば事件発生に伴う交通規制の影響を受けるはずだが、IAIAが所有しているこの車はそういった制限を受けない。目的地は滞りなく受理され、緩やかに車が発進する。
車庫区画の奥に口を開けていたトンネルに入り込み、オレンジ色の照明を切って加速する。外に出る瞬間、強い日の光が差し込んできて、義体の眼球が一瞬で明順応を終わらせる。二人を乗せた車は、街を環状に走っている高架道路を直進した。
その間、二人は全くの無言だった。
『あのー、アルマ君。モニターしてるこっちの息が詰まりそうなんだけど……』
走り出してから数分後、シズキの声が頭の中に聞こえた。
アルマは無視して、別のことを訊いた。
「現状はどうなってるんだ。街頭カメラも見てるんだろ」
『あ、うん……』
シズキは何か言いたそうな間を置いたが、結局何も言わずに答えた。
『今のところは互角かな。民間の素人集団が、公安警察と互角ってだけでも異常なんだけど』
「司令官がいるんじゃないのか。いくら装備が優秀でも、素人集団ならすぐに制圧できるだろ」
『そうなんだけど、何ていうか、変なんだよね』
「何がだ」
『司令官がいるなら尚更、普通は無人機を前衛に配置するでしょう。ドローンとか、今回だったら多脚戦車を前に出すはず。別に拠点防衛してるわけじゃないから』
「だろうな。じゃないと、無人機を使う意味がない。人間を負傷させないために無人機を使ってるんだから」
『けど、今回の人たち……【ゲブリュル】は、むしろ人間の方を前衛に配置しているみたいなの。人間を盾にするみたいに』
「……それで何のメリットがあるんだ? 負傷のリスクが高まるだけだろ」
『メリットっていうか、ううん、メリットって言っていいか分からないんだけど』
シズキは考えながら言った。
『警察は【ゲブリュル】の人たちを殺さないで捕まえたいみたいなの。だから、下手に攻撃できなくて苦戦してるみたい。後方からは無人機の援護射撃もあるし、回り込まれないように上手に配置されてるみたいで、戦況は膠着状態になってる』
「それを計算して、人間を前列に配置してる?」
『それしか利点がない……と思うんだけど。でも司令官がいてそういう命令を出してるんだとしたら、随分無謀だと思わない? 警察の方針なんて向こうは知らないはずだし、普通は攻撃されない後方に下がると思うの。これじゃまるで、人間と機械が逆になったみたい』
「逆、か……」
フロントガラス越しに、ビルの隙間から吹き上がる黒煙が見えてきた。日常の中に紛れ込んだ破壊の痕跡に、アルマは微かに目を細める。
あと一キロとしないうちに禊丘市西地区に入る。交通規制が敷かれている影響で、車の往来が極端に減っていた。西地区へと向かう車両はアルマたちの乗った車だけだった。
ふと、隣に座るノアが、
「司令官が人間じゃないんじゃないかな」
「……何だって?」
唐突だったということもあり、アルマは素で訊き返した。
ノアは続ける。
「司令官がAIだったら、人間を前列に出して、機械を後列に下げるんじゃないかな。その方が勝率が高いと判断したなら」
「冗談じゃない。AIに人間が使われて盾にされてるっていうのか」
「超高度AIの誘導も同じようなこと。アストライアの部分的な社会干渉だって、人が傷つかないだけで、やってることは同じ。何も特別なことじゃない」
「まるで社会が超高度AIに支配されてるみたいな言い方だな」
「そうでないとは誰にも言い切れない。超高度AIの性能は、思考能力と演算能力という点で見れば、人間を遥かに超えている」
「それが分かってるから、人間は超高度AIを厳重に封印してる。人間社会に影響を与えないように。それすらすり抜けてるって言うのかよ」
「厳重に封鎖されている現在であっても、人類未到産物が現代社会に影響を与えて誘導しているのは、少なくとも事実」
「誘導……」
アルマは繰り返して、首を振る。
「被害妄想だ。社会を誘導するっていうのは、人間の心理を誘導するってことだろ。たかが道具にそこまでの力はない」
「本当にそう思っている?」
ぞっとするほど沐凪蒔絵にそっくりの仕草で、ノアは小首をかしげた。
「例えば、hIEの登場によって社会は激変した。人間は労働をhIEに代理させ、hIEが存在する社会に適応するために、心理そのものを変化させてきた。その変化が、たった五十年そこそこで起こってきた。五十年前の人間と今の人間を同じ場所で生活させたら、多分そこには、言葉が通じないくらいの断絶がある」
ノアは続ける。
「人間の社会が常に人間によって運営されている、なんて幻想。人間の心理が不変なものみたいにアルマは言ったけど、それは違うとわたしは思う。人間の心理は脆く変わりやすいものだと思う。少なくとも超高度AIにとっては、人間の心理は、解析不能なモジュールじゃない」
「冗談じゃない。俺たちがそんな単純な存在であってたまるか」
アルマははっきりと否定した。ほとんど自分に言い聞かせるようだった。
「例え道具で社会の誘導が可能だったとして、それを見過ごすようなIAIAじゃない。何のためにアストライアが外界に接触することを許されてるんだ」
「そのアストライアこそが、最も社会に対して影響を与えている超高度AIの一機。hIEを統括しているヒギンズもそう。外界に対して間接的に影響力を持っている超高度AIは存在している。それが社会に対する誘導でないと言い切ることの方が、楽観的だと私は思う」
「先輩なら――」
言いかけてアルマは口をつぐんだ。緩みかけていた表情が一瞬で凍りついた。猛烈な後悔と嫌悪感に襲われた。
(俺は今、何を言おうとした?)
考えることさえ恐ろしかった。アルマは頑なに視線を前方に固定した。そこから西地区に到着するまでの数分間、再び車内には重苦しい沈黙が満ちた。
◇◇◇
街は静けさに包まれていた。警察の誘導が終わっており、西地区入口付近には車も人影もなかった。
アルマとノアを乗せた車は、警察が組んだバリケードの手前で止まった。何台もの装甲車が横並びになり、道を塞いでいた。二人が車から降りると。周囲の視線が一斉に集中した。
アルマはそれらを無視し、ポケットから身分証明用のホログラフスティックを取り出して展開、提示した。
「IAIA日本事務局禊丘支部四課所属、桜庭在真だ。連絡は来てるだろ」
警官の瞳がホロの上を滑った。網膜の上に貼り付けられたARデバイスが、ホロ上に表示されたコードを読み取って照合したのだ。
照合を終えた警官は頷き、
「ええ、本件の鎮圧に協力して下さるとか」
そこで警官はアルマとノアの全身に目を走らせた。明らかに全身義体である二人の格好は、完全武装をしている警察の目から見ても奇異に映るらしい。
「IAIAが民間の事件に介入するとは珍しいですね」
「上の意向でね。通ってもいいか」
「はい――」
警官が頷いたところで、通りの向こうから派手な爆発音が聞こえた。
警官たちが顔を見合わせた。
「この通り、かなり戦闘が激化しておりますので、気を付けてください。警察の方からも、直に応援が駆けつけると思います」
「分かった。なるべく被害が大きくなる前に片付けたいところだな」
「ええ……」
警官は曖昧な表情で頷いた。IAIAの職員とはいえ、アルマたちは警察に横槍を入れてきた部外者だ。良く思われないのは予想されていたことである。
道を開けた警官の横を通り抜ける。無数の目がアルマたちを追った。そんな中、警官の一人がノアに声を掛けた。
「お気をつけて」
彼としては女性であるノアを気遣ったつもりなのだろう。技術の発達により女性の戦闘員は以前よりも珍しくなくなったが、旧態然とした男性の価値観までもが淘汰されたわけではない。
それが分かっていたからこそ、アルマは哀れむような口調で、
「そんなこと言う必要なんてないぜ。hIEだから」
警官が息を呑む気配があった。そんな彼に、ノアが親しみを込めて笑みを浮かべる。
「心配してくれてありがとう」
警官は無言だった。アルマが一瞬だけ振り返ると、ノアの口調と仕草に困惑の表情を浮かべる警官の姿があった。
アルマとノアは並んでバリケードを抜け、今まさに戦闘が繰り広げられている市街地に向けて進んでいった。立ち並ぶビル郡に反響して、銃声や爆音、無機質な駆動音が響いてくる。微かに火薬の香りがする無人の街並みの中で、アルマは視界に表示された戦況を参照しながら、菫に向けて通信を飛ばす。
「菫さん。ドローンは壊してもいいんですよね」
『ああ。それは回収対象ではないからな。せいぜい派手に斬ってやれ』
言質を取ったアルマは小さく頷いた。
それから、正面を向いたまま、隣のノアに渋々ながら声を掛ける。
「お前、身体機能はどれくらいなんだ」
「アルマの義体と同じ。私はAASC5で運用されるけれど、その目的はアルマとの協調行動。齟齬が生じないように、外見上の規格を除けば、完全に同一の機体といっていい」
「ありがたい話だ」
アルマは苦々しげに言った。
「取り敢えず、前衛は警察に任せる。俺らは後衛を強襲して交戦、そのまま多脚戦車を確保して、警察が介入してくる前にIAIAの連中に運んでもらう」
「ドローンはどうするの?」
「邪魔になるものだけ破壊する。全機を相手にしていたらキリがない。半数くらいは前衛寄りだから、一気に深くまで入れば精々十機ってところだろう。それくらいなら片手間で処理できる」
反響していた戦闘音が近づいてくる。通りの向こうに警察官たちの背中が見えた。全員が特殊作戦に赴くような物々しい装備を着込んでいる。絶え間ない銃声と爆音のせいで、この一角だけが内戦の最中にあるかのようだった。
アルマは戦場から百メートルほどの距離で足を止め、上を見た。
この辺りは西地区の中心付近で、高層ビルが立ち並んでいる一角でもあった。アルマはそびえ立つビルを見上げながら言った。
「上から後列を強襲する。シズキからの情報では航空機や対空砲の類はないから、上空は連中の死角だ」
「分かった」
ノアは確認するようにアルマを見た。
「デバイスを起動するよ」
「……ああ」
アルマは硬い表情で頷いた。自分も仮想視界を展開して操作し、デバイスを起動させた。
デバイス表層に、青色の動力光が一瞬だけ走る。電脳にインストールされていた行動制御ソフトが起動し、磁力場の操作機能を解放した。五感が戦闘用に調整されて鋭敏になり、空気中の塵さえもが鮮やかなディティールを持って認識される。
同時に、頸部に装着したデバイスが、ノアの思考――ノアを制御するAASCの情報を取り込み、アルマの思考の一部として処理を開始した。処理されたノアの情報は無味乾燥とした電子データそのものだった。思考ではなくAASCのプロセスを取り込んでいるのだから、当然と言えば当然だった。
アルマは小さく安堵の息を吐く。
もしこの取り込んだ思考まで沐凪蒔絵のパーソナリティを反映した何かだったら――例えば生の声であったり、過去の記憶であったり――平静を保てていたかどうかは疑問だった。
ノアが不思議そうにアルマを見ている。
(そっか、俺の考えも――)
アルマは自分の考えもノアに伝わってしまっていることに思い至った。デバイスが処理するのは行動の意図だけであるはずだが、プライベートな思考が駄々漏れになっていないという保証もどこにもない。例え相手がhIEだろうと、そこまで自分を明け透けにするつもりはない。
「行くぞ」
アルマは雑念を振り払うように短く言って、無造作に跳躍した。
一息で五メートルほどの高さにまで身を躍らせ、ビルの壁面に足を着ける。その瞬間、腰部のデバイスで生成された指向性の電磁力が薄青い光となって放出され、アルマを完全に壁面に固定する。アルマはそのままビルの壁面を地面のように駆け上がり、僅か数秒で高度数百メートルの屋上に到達した。
アルマはちらりと振り返った。同じようにしてノアもビルを上ってくるのが見えた。危なげのない様子に僅かに安堵し、我に返ってやり場のない苛立ちを覚える。
「何を気にしてるんだか――」
自嘲するように呟き、正面のビルへと跳躍する。瞬間の無重力が全身を包む。アルマは空中で磁力場を伸ばし、ビル屋上の金属柱に干渉して体を引っ張らせて姿勢を制御。四車線の通りを飛ぶように移動し、隣のビルの屋上へと危なげなく着地。一切減速することなく次のビルへと跳躍する。動作を行うたびに、青白い電光が舗装の上で跳ねた。
今やアルマとノアは街の空に吹く一陣の風だった。初夏の陽光を遮って、地面に一瞬だけシルエットが落ちる。戦場の上空に入っても、二人は一切速度を緩めない。断続的な戦闘音の中、吹き上がる黒煙の中を突っ切って更に前へと進む。銃声と爆音が真下から響く中、二人の影は高速で移動し続ける。
アルマは仮想視界に表示されているマップで相手の位置を確認した。移動前に目的としていた地点。数機の戦闘ドローンが集中した、逆に言えばそれ以外に障害のないある種の空白地帯だ。
『下りるぞ』
『分かった』
即座に応じてくるノアに、アルマは奇妙な気分になる。遅滞のない意思の伝達は、まるでノアとずっと昔から一緒に戦ってきたかのようだ。
(何を馬鹿な)
アルマは自分の思考を打ち消し、ビルの屋上から身を躍らせた。一人で行動するときと同じリズムだったが、ノアは一切遅れることなく付いてくる。
言葉のない完全な連携に感じたのは、苛立ちか、あるいは高揚か、無重力の最中にあるアルマには分からない。
緩やかに真下に加速していく中、逆手でブレードを引き抜き、体ごと引き絞る。
眼下には三機のドローン。全長二メートル程度の円柱型。火力支援の最中。絶え間ないマズルフラッシュが街並みを舐めていた。
それを見下ろし、位置と距離、大気と重力、軌道と時間を、加速した感覚の中で貪欲に取り込んだ。
外界の情報が電子的に把握され、世界が現実よりもなお鮮やかに電脳を満たし。
同時、空間を歪ませるほどの大磁力を左右のビルに解き放つ。眩い青色の電光と共に雷鳴のような轟音が空間を割き、アルマの全身が爆発的に加速。瞬間に溶ける世界の中で、右手のブレードが空間そのものを断ち切るかのように翻った。
「――――ッ!!」
アルマが雷霆のように落ち、一呼吸でドローンを断ち切った。
二メートル強の全長を持つ戦闘ドローンの装甲に、一本の亀裂が刻まれた。一拍送れて爆炎。間隙を許さず、アルマは吹き上がる炎を突き抜けて更に加速。周囲数メートルにわたり磁力場を形成し、零から百へと爆発的に加速するアルマは戦闘ドローンの感知系にさえ反応を許さない。二機目のドローンが破壊される。
そこでようやく三機目のドローンが反応した。アルマに向けて円柱状の装甲の表面からせり出した機銃を向ける。
だがそれを反対側に降り立ったノアが阻んだ。小柄な体が着地するのと同時に巨大な青色の稲妻が迸り、次の瞬間にはドローンが中ほどから断ち切られてスパークを散らしていた。機体の上半分が騒々しい音を立てて地面に転がる。
アルマは仮想視界に表示されたマップで敵の位置を確認。周辺のドローンがアルマたちの攻撃を感知して配置を変更しつつあった。その奥に控えている多脚戦車も、砲身の向きを変更してこちらの挙動を伺っている様子が確認できる。
時間を掛ければ掛けるほど、敵に強固な布陣を築かれてしまう。それを察したアルマは、ノアに向けて短い通信を入れる。
『配置が完了する前に一気に詰める』
返事を待たずにアルマは磁力を解放。ビルや道路の骨格。周囲に存在する金属製の建造物に磁力を振り撒き、自分の体を一つの物体として制御、加速させる。
速度に霞む視界の中、前方にドローンの一団が見えてきた。アルマはデバイスの出力を強めて更に加速。暴風と電光が嵐のように振り撒かれ、アルマの姿を霞のように揺らめかせる。
大気を歪ませながらドローンに接近したアルマは、敵に一切の反応を許さず中程から断ち切る。速度を緩めずに次のドローンへと踏み込み、閃光のようにブレードを翻す。甲高い金属音が連続した。半径数メートルに存在していたドローンが間断なく切断され、鉄屑となって路面へと崩れていく。
ノアもまた、アルマの高速戦闘に危なげなく付いていく。アルマの死角となるドローンを的確に攻撃対象に選び、先んじて無力化することでアルマへの攻撃を防ぐ。アルマの行動能力、反応速度、視界と思考、それらを知覚して初めて可能な完璧な補助だった。
だが逆はそうではなかった。アルマはデバイスから伝達されるノアの行動選択を完全に無視していた。ノアがどこに行こうと関係なく、一人で活動してきた時と同じように、自らにとって危険な位置にいるドローンを優先して破壊していく。それは合理的ではあったが協力ではなく、アストライアが提唱した【二人で一組のユニット】という理想像からはかけ離れた姿だった。
「シッ――」
鋭い呼気と共に、アルマは最後の一機を切り伏せた。周囲には無残な残骸と化したドローンがスパークを散らしながら転がっている。手の届く範囲に外敵がいない状況に、アルマの緊張感が一瞬だけ緩む。
通常の兵器が相手であれば問題のない隙。
そんなアルマの油断を笑うように、二百メートルほど離れた位置で、多脚戦車の装甲部分が高速で変形した。主砲の表層が組み変わり、真紅の装甲が前方へと長大に伸びる。砲身に細く走ったスリットが、血のような真紅の光を放ち、砲身内部で膨大なエネルギーを凝縮させる。
「っ――!?」
吹き上がった高エネルギー反応にアルマが勢いよく振り返る。だがその時には全てが遅かった。
長大な暗赤色の砲門が大口径の砲弾を瞬時に雷速まで加速させる。振り向いたアルマの瞳には、ただ光の筋のみが映り――。
その瞬間、アルマは唐突に真横に向けて引っ張られた。
「ッ!?」
体感時間が元に戻る。
アルマの真横を閃光が駆け抜ける。肌を焼く雷光の熱を感じながら、アルマはノアに抱き留められていた。
アルマは呆然と目を見開き、慌てて体を離す。デバイスに干渉された感触があった。ノアは磁力の手を伸ばして、アルマを引き寄せて攻撃から守ったのだ。
「お前――」
アルマが言葉を失っていると、ノアは鋭さを増した瞳でアルマを睨みつける。
『ぼんやりしないで。相手の情報が分からないっていうこと、忘れたわけじゃないでしょう。敵の知覚範囲が通常兵器と同じではないということくらい、予想できたはず』
通信越しの、確かな苛立ち……心配のような感情を浴びて、アルマの心がわけもなくざわめいた。それがアナログハックであるということを意識する間もなく、ノアがアルマを庇うように前に出る。
『二方向に分かれる。アルマは側面。義体の性能を考えれば、弾道を予測して回避することは十分可能』
「……俺は」
言いかけた言葉を、ノアの強い視線が遮った。
『私は沐凪蒔絵の外見を与えられた、貴方の道具。それをどう使うかは、貴方自身が決めて』
ノアはそう言って跳躍した。ビルの壁面に足を着けて磁力を開放、一息で高高度に身を躍らせる。
後方の多脚戦車が、上昇したノアの姿を貪欲に追った。
アルマは覚悟を決めた。
(考えるのは後だ)
アルマは磁力場を展開した。ノアとは反対のビルに磁力干渉。壁面に青白い電光を散らしながら、地面と平行に走る。
前方で多脚戦車が砲撃準備に入る。アルマの電脳が先ほどの砲撃を解析して、射撃までの猶予時間と予測弾道を解析。視界に一本の赤いラインが表示される。
電脳が弾き出した砲撃の瞬間。一秒後の未来に合わせるように、アルマは磁力を解放し、自分の体を真上にスライドさせた。
閃光が奔った。
真下を純白の極光が通過し、溢れ出た電熱が肌を焼いた。大気中のプラズマが空間を揺らがせながら散っていく。
攻撃を回避したアルマは、全ての磁力を前方移動へと振り向ける。可視化された磁力が雷光となって迸り、アルマは更に加速した。
その視界の先に、無防備に空中に身を晒すノアの姿を見た。
――引いて。
瞬間、思考の空白に滑り込む情報があった。それは言葉ではなく行動に対する動機だった。
アルマは反射的にノアの体に干渉していた。
ノアがいる場所は、デバイスが干渉できるギリギリの距離だった。まるで全て計算尽くであるかのような位置取り。二人の間で全てが了解済みだったかのような一体感の中、アルマが放った磁力場がノアの素体に触れる。
ノアの体が空中で制動を掛けられ、一瞬だけ静止する。直後、ノアを掠めるようにして、純白の光線が通過していく。完全なタイミングで放たれたはずの多脚戦車の砲撃が空を割き、背後のビルの一つを溶融させて風穴を開けた。
――奥の機体を回収する。加減して。
アルマは了解の意思を返す。【ElectroMagnetic Accelerator】の意思伝達は言語よりも遥かに高速だ。アルマとノアの間に、相互了解のタイムラグは存在しない。
アルマは手前の多脚戦車を飛び越え、そのまま高速で奥へと向かう。着地と同時に磁力を開放。地面を滑るように二機目の多脚戦車へと向かう。
直線状にアルマと多脚戦車が並んでいた。それ故に、二機目の多脚戦車は、友軍への被弾を回避するために電磁砲を放てない。
僅か一秒足らずの間隙。その合間を縫って、アルマは多脚戦車への距離を詰め、砲門にブレードを走らせる。鋭利な断面を晒した砲門の欠片が、アルマの周辺に散って反射光を瞬かせた。アルマは勢いを殺さぬまま、戦車下部へと磁力干渉。垂直から円運動へと全身のベクトルを操作し、機体を支えていた脚部を一息で断ち切る。
多脚戦車はバランスを崩して横に倒れた。放射状に罅割れる路面に沈みながら、コックピット上部の複眼がアルマの姿を貪欲に追う。アルマは多脚戦車が行動を起こす前に、明滅する視覚部分にブレードを突き入れ、半月状に振り上げた。
戦車の装甲から血のように大量のスパークが散る。内部の動力系を断ち切られた機体は、やがて力尽きるようにして路面に沈んだ。
「この程度なら許してくれるだろ」
アルマは呟いてブレードを引く。
視線を上げると、こちらはバターのように二分された多脚戦車が目に入った。目の前で膨大な内部燃料を引火させながら爆発する。ドローンに倍する爆炎の中、空中に逃れていたノアが僅かな電光を散らして着地した。
二人は示し合わせたわけでもなく顔を見合わせる。
「事務局に連絡を」
「分かってる」
アルマは言葉を介した意思の交換をもどかしく感じた。そんな自分に気が付いて、その考えを振り払うように頭を振った。
◇◇◇
品良く設えられたデスクに腰掛けた男が、大げさな身振りで紙状端末を机に置いた。
「計画に支障は出ないという話ではなかったかな」
その声に答えたのは、隣に立つ年端も行かない少女だった。
「君が望まないことは起こらない、としか言ってないよ。君も計画の前に、IAIAの戦力を知りたいと言っていたじゃないか」
「戦力を知るのと、実際に事を構えるのは話が別だよ。その口ぶりからして、彼らを扇動したのは君なんじゃないか? どうも部下からの報告書を呼んでいると、不自然な動きが散見されるのだけれどね。例えば、IAIAに配属予定だった軍事規格のhIEが一時行方不明になったり、だとか」
「さあ……」
少女は微笑んだ。
あからさまに誤魔化された男は、しかし気分を害した様子もなくゆったりと声を投げる。
「計画の前に一仕事してもらうことになるかもしれないね。ザイドリッツ」
「問題ない。それが俺の唯一の有益性だ」
応接用に置かれたソファーに腰掛けた屈強な男が、低く抑制の聞いた声で答える。
「しかも今回は、君の同類だそうだ」
「同類? オーバーマンということか?」
「そう。流石に君も、多少は興味をそそられるかな?」
「俺はただ、与えられた仕事をこなすだけだ。道具として」
男はそれきり口を開かなかった。