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EXTERNALIZER  作者: 流川真一
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Chapter 2 The Restoring Personality

「どういうことか説明して下さいッ!」


 事務局に帰るなり、アルマは菫に食って掛かった。


「何が軍用hIEですか! 最高に悪趣味だ! 何だってあの人の外見なんですか!」

「決めたのは私じゃない。アストライアだ。何度も言っただろう。私に言われても困る」

「だけど、それを受理して許したのはあんただろうが!」

「まあ待て。私もノアの外見は今知ったばかりなんだ。何も情報を得ていなかった。誓って」

「だけどっ……!」

「それに、私にはお前が激怒している理由が良く分からないのだが。身代わりhIEということは、生前のお前の知り合いだったということなのか?」

「……ッ、もういいです!」


 アルマは踵を返して部屋を出て行こうとした。すぐ後ろにいたシズキが跳ねるように道を開けた。


「待て。どこに行くつもりだ」

「通信室使います。許可は後で申請します」

「頭を冷やせ。アストライアに直談判したところで何になる」

「理由を問いただします。納得いくまで通信切りません」

「馬鹿な。大体そんな一方的な通信をアストライアが取るわけが――」


 アルマは最後まで聞かずに部屋を飛び出した。

 真っ白な廊下を荒々しい足取りで歩いていく。すれ違ったIAIAの職員が慄くように道を開けた。

 アルマは周りの人間のことなど意識の片隅にも入れず、ただひたすら廊下を歩き、エレベーターで上層に向かい、通信室の一つに飛び込んだ。

 ほぼ正確な立方体の部屋だった。全体が純白の素材でできていて、表面に銀色の回路が走っている。全身像をホログラフィック表示し、会議を行うための部屋だった。

 アルマは壁面を殴りつけるように叩いて、出現したホロパネルを震える手で操作した。室内の設備が無音のまま起動し、部屋が暗転して一切の光が消失する。まるで宇宙の中に一人浮かんでいるような状態になった。

 意外にも、すぐにホログラフィックが投影された。

 ごくありふれたhIEの一機を介したアストライアが、アルマの目の前に半透明の立体映像となって出現していた。


『連絡が来ると思っていました』


 アストライアは平坦な声で言った。AIに特有の感情のない声色だ。

 アルマは虚を突かれたが、すぐに気を取り直して言った。


「……予想してたなら、俺が何を言いたいかは分かってるだろ」

『本日付けでそちらに配属されることになったhIEのことですね。機体名はノア』

「その通りだ。あんたの差し金だって聞いてる。アストライア」

『はい。私が貴方のためにあの機体を用意しました』

「なら――」


 アルマは声の震えを押し殺しながら言った。


「何もかも計算尽くだったってことか? 何だって沐凪蒔絵の姿にしたんだ。答えろ!」

『貴方の、ひいてはIAIA日本事務局の戦力を増強させるためです』

「っ……それとhIEの外見に、何の関係がある」

『貴方のデバイス【ElectroMagnetic Accelerator】は、二人一組で使用する前提で設計したものです。共同使用者の思考を自己と同じレベルで処理します。しかし、そのためには膨大な演算領域が必要となり、生体脳では実現不可能でした』

「だからhIEか? 俺以外のオーバーマンを外に出すつもりがない以上、選択肢はハイスペックの軍用hIEくらいしかないさ。ああ。それだけなら話は分からなくもない。だけど、何でよりにもよって、外見を沐凪蒔絵にしたんだ」

『思考共有の性能を、アナログハックによって高めるためです』

『何……?』


 アルマが訝しげに訊いた。

 アナログハックとは、【人間のかたちをしたもの】に人間が様々な感情を抱いてしまう性質を利用した、意識へのハッキングのことだ。例え相手がモノであると分かっていても、【人間のかたちをしたもの】に親切にされれば、人は相手に好意を覚える。hIEが人を助けることを基本行動としてプログラムされているのは、モノであるhIEが、人間に受け入れられやすくするためだ。

 だが、それとこれとがどう繋がるのかが、アルマには分からない。

 アストライアは続けた。


『【ElectroMagnetic Accelerator】は、共同使用者の思考を、認識に適した形にエンコードしてから転送を行います。しかし、生体脳がベースになっている貴方のような思考形態は、転送されてくる情報に特別な意味を見出そうとします。即ち、転送されてくる思考が、特定の人間の思考であるという錯覚――アナログハックが生じるのです』


 アストライアは僅かに間を置いた。


『故に、人間が本デバイスを使用する際の、転送されてくる各種情報の受容度は、その相手の外見的特徴に大きく左右されます。貴方は確かに脳を機械化したオーバーマンですが、同時に、生前の記憶を色濃く有する人間でもあります。だからこそ、貴方が生前に最も好意を抱いていた異性、沐凪蒔絵を、機体の外見として採用しました』


 アルマはアストライアが言っていることを理解するのに数秒の時間を要した。


「……つまり、デバイスの性能を上げるために、それだけのために、hIEの外見を沐凪蒔絵にしたってことか?」

『簡潔に言えばその通りです』

「……ふざけんな」


 アルマの顔にありありと怒りと嫌悪の相が浮かび上がった。


「沐凪蒔絵はとっくに死んだ! 二年前の爆破テロで! 俺がそれを、どんなに、嘘だって思いたかったか、それを――あんたの都合なんて知ったことかよ! 組織の戦力? 冗談じゃない。そんなんで沐凪蒔絵を侮辱してんじゃねえよ!」

『貴方が怒ることは想定していました』

「何だと?」

『貴方の過去は知っています。貴方をオーバーマン化するときに、私は貴方の生前の記録を収集しました。貴方と沐凪蒔絵が非常に親しい間柄であったことは理解しています」


 アストライアは一拍、


「だからこそ、外見を沐凪蒔絵にする意味がある。ただの人型では、デバイスの性能上昇という観点から見れば不足です。【ElectroMagnetic Accelerator】の本質は思考の共有。沐凪蒔絵の外見が、貴方の人間的な性能を引き出すことを期待しました』

「だから、それがっ……、そういう打算で沐凪蒔絵を利用しようっていう態度が、気に食わないって言ってんだよ!」

『しかし、貴方に他の道は存在しません』


 アストライアは無機質な声で断言した。


『貴方はオーバーマンです。オーバーマンは明確に社会にとって脅威であり、規制されるべき存在です。貴方は私の監視下においてのみ、社会の安定に貢献することだけを許されています。貴方という存在は、貴方自身のものではなく、IAIAが保有しているものです』

「……そんなことは分かってる。俺だって本当はとっくに死んでるんだ。なのにお前が死なせてくれなかった」

『私は選択肢を提示したに過ぎません。生きることを選んだのは貴方自身です。再生不能な状態だった肉体から記憶を抽出し、義体に宿らせた。人間ではないと、AIであると言われるということを十分に理解していながら、貴方はそういう形で生きる道を選んだのです』

「……分かってる。けど、あの人だけは――」

『私は貴方に条件を課した。それは貴方が活動する上での必要最低限の枷でした。即ち、IAIAの武器となることと、それに相応しい十分な戦闘能力――この場合は、【ElectroMagnetic Accelerator】の設計意図に基づいた使用です。貴方がオーバーマンとなって一年弱。そろそろ使命を果たし始めても良い頃です。それがオーバーマンの有益性を示す基準となり、貴方以外のオーバーマンの是非を問うものとなります』


 アストライアは言葉を突き付けた。


『貴方は沐凪蒔絵の身代わりhIEとならば、完全な形でデバイスを使用できる可能性がある。私はそう結論し、あの機体を用意しました。使いなさい。否と言うのならば、貴方の存在自体を抹消しなくてはならない』

「だが、俺は……」

『すぐに結果を出せ、とは言いません。十分な期間を与えます。直近のIAIA事案の際に力を発揮していただくことになるでしょう。その活動中に戦闘が起こると予期したからこそ、貴方に力を与えたという側面もあります。任務達成は貴方自身の身を守るということでもある。不満はないはずです』


 アルマは最後の抵抗とばかりにアストライアを睨み付けた。だが、hIEを介して言葉を発しているアストライアの表情は、彫像のように微動だにしなかった。


『まずは親睦を深めることです。人間は表層でコミュニケーションを行う。沐凪蒔絵のパーソナリティは十分な精度で再現しています。数日もすれば、彼女が人間かhIEかなど、些細な違いになるでしょう。――健闘を祈ります』


 そう言ってアストライアは通信を切った。

 アルマは目の前に現れた通信切断のホロ表示に、夢遊病患者のようなふわふわした手つきで触れた。

 部屋の明かりが戻ってきた。アルマは純白の立方体の中で一人佇んでいた。

 アルマは自分の掌を見下ろしながら、ぼんやりと、自分が人間ではなく物体だったということを再確認していた。



     ◇◇◇



「どこに行くの?」


 自室へと帰る道すがら、ばったりとhIE、ノアと遭遇した。

 栗色のショートヘアに涼しげな瞳。小さく首を傾げる仕草は、どこからどう見ても沐凪蒔絵にしか見えない。事務局内に移動したからか服装が変わっている。軍用hIEが身に着ける特殊素材のボディスーツを着込み、その上からウエストデバイスを装着していた。


「……お前には関係ないだろ。俺がどこに行こうが」


 アルマは苦虫を噛み潰したような表情で答え、目を逸らした。


「アストライアと菫さんから言われてる。貴方と仲良くしなさいって。私もそうしたいって思う」

「俺は御免だ。悪いけどどっか行ってくれ」


 アルマは言い捨てて素通りした。

 だがノアがとことこと後ろに付いてくる。

 アルマは無視して進んだが、上層の自室に帰るためにはエレベーターを使わなければならない。必然的に待ち時間が発生してしまう。

 アルマは渋々振り返った。


「何なんだ。俺に何をさせたいんだ。お前は」

「仲良くなりたいだけ。いけないこと?」

「悪くはない。けど、俺にその気はない。この際はっきりさせておくけど、俺はお前の顔を見たくない。消えてくれ」

「できない。私は貴方と協力するために作られた機体。貴方に認めてもらえないと私、どうしていいのか分からない」

「分からない、だって?」


 エレベーターが到着し、扉が開いた。


「何かを考えてるみたいに言うのは止めてくれ。お前たちはクラウドに沿って言葉を返してるだけだろ」


 hIEは超高度AI【ヒギンズ】が作ったAASCと、ネット上に存在するクラウドによって振る舞いを制御している。言葉、表情、佇まい、仕草、あらゆる行動はプログラムによって自動的に決定されたものだ。hIEに【意思】はない。原理的には、Aと入力すればBと返す、原始的なプログラムと同じだ。

 エレベーターは無人だった。扉が閉まり、狭い空間の中に二人きりになる。

 緩やかな上昇感の中、アルマは横目でノアのことを見た。ノアはじっとアルマのことを見つめていた。アルマは慌てて目を逸らす。

 程なくして到着したのは、上層にある技術区画だった。主にhIEやデバイス、義体の調整を行うフロアだ。アルマはその奥の方にある部屋の一つを借り受け、自室として使用していた。


「それで、どこに行くの? ここ、研究区画」

「部屋に帰るんだよ。俺はここで生活してるから」

「オーバーマンだから?」


 アルマはぎょっとして振り返った。慌てて辺りを確認するが、幸いにも無人だった。


「大きい声で言うのは止めてくれ。一応、俺は普通の人間としてIAIAに登録されてる身なんだ。名目上は全身義体の戦闘員だ。一般の構成員に発覚したら処分される」


 そこまで言って、アストライアの管理下にあるノアが安全確認もせずにそんなことを言うわけがないということに思い至る。

 これは結局、ノアに【沐凪蒔絵】という人格を再現させるための口上、演技に過ぎないのだ。現実の沐凪蒔絵なら、タブーなことでも平気で口にしそうだという印象も記憶にあった。だからこそ、尚更タチが悪かった。


「処分? 殺されるってこと?」

「……そうだよ。不本意ながらな。アストライアに爆弾を仕込まれてる」


 アルマはぶっきらぼうに答えて、首の辺りを撫でた。その内側には、アルマの電脳を一瞬で破壊するだけの出力を持つ電磁パルス生成機構が内蔵されている。

 自分の内側に、自分を一瞬で殺害する機械が仕込まれているのは、一旦意識すると中々頭から離れてくれない。それを思い出させたノアを恨めしく思い、ますます離れたい思いが強くなった。

 アルマは一般人がほとんど寄りつかないフロアの最奥へと向かった。

 廊下の突き当たりにある味気のないスライドドアが、アルマの自室への入口だ。資材搬入庫のホロプレートは消されていて、一見しただけではここが何の部屋か分からない。

 アルマは手首の個人認証タグを扉横の端末に押し付けた。ブルーのランプが灯り認証が終わり、軽い音を立ててロックが解除された。

 アルマが部屋の中に入ると、当たり前のようにノアも付いてきた。


「おい――」

「仲良くしなさいって言われてるから。言い換えれば、私の任務」

「命令だろ。オーナーからの」


 アルマは冷たく返す。

 ノアを部屋から放り出すか数秒考えたが、これほどしつこく纏わり付いてくるのは、ノアの言う通り菫かアストライアからのオーナー命令なのだろう。拒否したところで無意味だし、アルマへ注意が飛んでくることも有り得る。


「……どこにも触るな。命令された時間が経ったら、とっとと帰ってくれ」


 アルマは吐き捨てるように言って道を避けた。

 ノアは静かに部屋の中に入ってくる。その振る舞いは記憶の中にいる沐凪蒔絵と完全に同一だった。服装を人間のものに戻せば、ますます沐凪蒔絵に見えるだろう。そこまで考えて、アルマは何かに怒鳴り付けたい衝動を覚えた。

 アルマの部屋は殺風景だった。

 ベッドと机があるだけで、それ以外の家具は何もない。全身義体であるため、食事の必要がなく、必然的にキッチンや冷蔵庫と言った生活必需品の類さえなかった。床も壁も硬質な白色の素材でできていて、その他の研究室と何ら変わりがない。元は資材搬入庫だったということもあって部屋は縦に長く、何もないスペースが目立った。

 アルマが壁を指で叩くと、環境光を考慮した照明が淡く灯った。明るくなった部屋は、時が止まったように冷たく静かだった。


「座ってもいい?」


 ノアがベッドを指して言った。


「勝手にしろ。あと、なるべく喋らないでくれ」

「話さないと、仲良くなれな――」

「関係ない。さっきも言ったが、俺はお前と仲良くなるつもりなんて全くない」


 アルマは言い捨てて、机の椅子に座って目を閉じた。仮想視界を展開し、テキスト作成のアプリを立ち上げる。抗体ネットワークと思しき人間とトラブルになったことについての報告書を作成するつもりだった。面倒ではあるが、放置しておいて警察から連絡が来てからでは遅い。現場にいて対処したのはアルマである以上、シズキに任せるわけにもいかなかった。

 目を閉じたまま、思考発声の要領で文章を打ち込んでいく。


「その写真、まだ持っててくれたんだ」


 ふと、ノアが口を開いた。

 アルマは思わず目を開けて、ノアの方を見た。一瞬、何のことを言われているのか分からなかった。

 ノアは机の上に飾られている小さな写真を見ていた。生前に通っていた大学のオンラインストレージから拾い上げた、アルマの唯一の私物だった。


「それ、二年前の研究室で撮った写真。全体写真の後、個人でも何枚か撮ってもらって――」

「見るなッ!」


 アルマは叫んで写真を取り、机の中に放り込んだ。生前の自分の姿と沐凪蒔絵の姿が一瞬だけ見えた。在真は照れたような仏頂面で、蒔絵はいつもの無表情を少しだけ崩して微笑みを浮かべていた。


「何で、くそっ……」


 自分の迂闊さに吐き気がして、荒々しく俯きながら目を手で覆った。目蓋を掌で押さえ込み、光を遮断する。見てしまった二年前の風景を潰してしまおうとでもいうかのようだった。


「ごめんなさい。怒らせるつもりはなかった」


 ノアは少しだけ申し訳なさそうに言った。その声に、嫌が応にも心が波打つ。


「止めてくれ、頼むから」


 アルマは目を覆い続けた。本当は耳も塞ぎたかった。だがそれで目の前の現実が消えるわけではない。


「何で、よりによって、先輩なんだよ」


 アルマは微かに震える声で言った。


「やっと諦められたのに。この体も、記憶も、ちゃんとできたのに、何で……」


 ノアは答えなかった。その優しい沈黙も、紛れもない沐凪蒔絵のものだった。


「私は覚えてるよ」


 ノアが静かに言った。


「アルマのこと。一年と少しの間だったけど、見てきたから。その間のことは忘れない」

「記憶があるみたいに言うのは止めてくれ」

「記憶はあるよ。沐凪蒔絵のパーソナリティを再現さするために作り出された記憶ではあるけれど」


 アルマは思わず目を開いた。

 沐凪蒔絵の形をしたモノが、寂しげに表情を曇らせていた。


「生前の沐凪蒔絵の行動は、追える範囲で全て追った。膨大な情報をアストライアが解析して、専用のクラウドを作り上げた。沐凪蒔絵という人間を、可能な限り再現するために」

「それでも、お前は、違うだろう」

「うん。私は貴方が知っている沐凪蒔絵を忠実に再現した人格。でも、それを言うなら、貴方だって同じでしょう」

「同じ? 何が――」

「貴方も外部記録された記憶で再現された人格だということ」


 その一言が、アルマの中央に突き刺さった。

 何か言い返そうと口を開くも、掠れた息しか出なかった。

 静寂。

 ノアはしばらくして、ぽつりと言った。


「こんなこと言うつもりじゃなかった」


 そう言って立ち上がった。


「私、出るね」


 ノアは一言残して、静かに部屋を出て行った。その言葉の選び方、気遣い方は、紛れもない沐凪蒔絵のものだった。そのせいで、乱れた心が更に波打つ。


「……俺も同じだって?」


 アルマは掠れた声で繰り返した。


「俺は、違う。俺はお前とは違う。俺は桜庭在真だけど、お前は沐凪蒔絵じゃない」


 自分に言い聞かせるためだけの言葉は、誰に受け取られることなく空しく消えた。



     ◇◇◇



「報告書には目を通した。妙な事件に巻き込まれたものだな」


 翌日、アルマは菫に呼び出されていた。ぼんやりした頭で書いたせいか、内容に若干の不備があったらしい。菫はそれについては何も聞かず、代わりに口頭での説明を要求した。


「ARCAからは連絡があったんですか?」


 アルマは普段通りの声で訊いた。今は同じ部屋にノアがいないので落ち着いて話すことができた。一日経って頭が冷えたというのもあった。


「ARCAからは連絡があったよ。謝罪と事件の詳細を伝えてきた。内部情報である警備機構の映像や感圧情報、熱源記録、それらを総合した生体解析結果に至るまで、全て提出してもらった。捜査に全面的に協力するそうだ」


 菫は手元の紙状端末をスクロールしながら言った。そこにはARCAから提出された各種情報が表示されている。

 アルマの視界にも同様のものがあったが、今は邪魔にならないように視界の端の方に寄せていた。


「これじゃまるで警察機関みたいですね。俺たち」

「全くだ。そこまでケアするつもりはない。現物は戻ってきたし、一日かけて妙なことをされていないか――例えば爆薬が仕込まれていたり、主機メモリーに枝が付けられていたりと言った類だが――そういうものもなかった。性能には一点の狂いもなく、そこはアストライアも同意している。文句のつけようがない。従って捜査する意味もないのだがね」

「IAIAに敵対している何者かの仕業なんでしょうか」

「分からん。が、道楽でやるにしてはリスクが高すぎるな。警備然り、IAIAを敵に回すこと然り、だ。これだけのことをしておいて、こちらには一切の要求がない。それも不自然だ」

「ですよね」


 アルマは頷いて、思い出したように訊いた。


「そう言えば、俺が引き渡した抗体ネットワークらしき男、どうなりました」


 本来はそこも含めて報告書を作成しなければならないのだが、昨日はノアの一件で頭が一杯でそれどころではなかった。事後処理は菫とシズキがやってくれていた。


「別に大した奴ではなかったさ。典型的な抗体ネットワークのメンバーで、尻尾切りにあった哀れな奴だ。目立った経歴も何もなし。hIEに対する漠然とした怒りを発散させていただけの若者だった」

「そうですか」


 アルマは小さく息をついた。


「タイミングが良すぎたから、共犯者の線もあるかなって思ってたんですけど。そういうわけでもないんですね」

「まあ、軍事企業のセキュリティと個人認証をクラックできるようなスキルを持っていないことだけは確かだ。犯行現場にたまたま現場に居合わせたノアが、その場を収めようと活動した……ということだな」

「収めようと、ですか」


 アルマは複雑な表情で繰り返した。まるでノアが自分の意思で行動を起こしたような言い回しに、意思をパスして言葉が勝手に口を突いた。


「言葉尻に一々引っかかるな。それ以外に何と表現すればいい」


 菫が呆れたように溜息を吐く。

 一日経って、菫もアルマの心情についてはある程度の理解を示したらしかった。だがこうして過敏に反応すると、容赦なく注意してくる。


「私もあれが人間でないことは分かっている。戦闘用のhIEで、銃やナイフと同じ、戦うための道具だ。理解しているとも」

「……すいません」


 アルマは小さな声で謝罪する。自分でも少し過敏になりすぎているとは感じていた。しかしこればかりは、一日やそこらで割り切れるような出来事ではなかった。

 菫はそんなアルマを気遣うように見やり、


「早く慣れることだな。アストライアの決定は絶対だ。あまり意地を張っていると、本当に処分されかねんぞ」

「分かってますよ。昨日直々に警告されたばかりですから」


 アルマは昨日のアストライアとの会話を思い出す。アストライアの言葉を意訳すれば、詰まるところ、一定期間でノアと共に成果を出さなければお前を破壊する、ということになる。アルマの生殺与奪の権利はアストライアが握っている以上、それは決して大げさな警告ではなかった。


「分かっているのならそれでいい。……さて、本題に移るか。今日からのお前の行動だが、ノアの配置されたということもある。最初に――」


 言いかけたところで、窓の向こうで甲高いサイレンの音がいくつも通過していった。かなり近い。

 菫は顔をしかめて窓の方を見た。


「何だ、騒々しい……」

「何かあったんですかね。昼間なのに」

「物騒な世の中になったものだ。これも自動化の弊害か」


 菫が呟いたところで、デスクの上で携帯端末が振動した。同時に、アルマの視界にも外部端末からのコールを示す表示がポップアップした。発信者はアストライアだ。


「アストライア……?」


 アルマは訝しげに呟いた。

 メッセージの下部には、オープンチャンネルであることの警告が表示されていた。多数の人間と同時に通話するための機能だ。他の通信者には、菫の他にシズキの名前もあった。

 アルマと菫は顔を見合わせた。

 菫は肩を竦め、


「出るしかあるまい」

「……ですね」


 アルマは視界の表示を、菫は携帯端末を取って、通話に応じた。

 菫が率先して口を開く。


「直接連絡してくるとは珍しいな。アストライア。緊急の案件か?」

『はい。IAIA日本事務局禊丘支部四課に出動を要請します』


 アストライアは無機質な声で即答した。


『より正確に言うならば、四課の戦闘ユニットである桜庭在真とhIEノアに出動を要請します』


 アルマがぴくりと肩を震わせた。菫はそれを横目で見ながら続ける。


「出動、か。まるで警察組織のようだが、我々の業務内なのか?」

『転送されてきた現場状況から、高度AIの関与が疑われます』


 アストライアの短い言葉に、アルマと菫は沈黙する。

 事も無げに告げられた、事件への高度AIの関与。それはすなわち、アストライアが敷いていた監視体制をすり抜けた高度AIが存在し、実際に事件を起こすまで察知されなかったということである。

 それがどれだけ困難なことか知っているアルマたちは、容易に言葉を返せなかった。

 機械知性であるアストライアは、一切の動揺を示さずに淡々とした口調で続ける。


『概要を説明しても宜しいですか?』

「……いいぜ、聞くだけ聞いてやる」

『では説明します。作戦の目的は、禊丘市西地区を占拠しつつある武装集団の鎮圧と、その武装の回収です。現在より約二十七分前、抗体ネットワークから分離したと思われる【ゲブリュル】を名乗る一団が武装蜂起し、市街西地区の一部を占拠しました。現在、公安警察一課及び二課が出動し対応しています』

「昨日捕まえた男と関係してるのか?」

『可能性は存在します』

「ふん、組織名を付けた時点で、抗体ネットワークという大義名分から外れるというのに。連中はそれを理解しているのかね」


 菫が冷笑するように言った。

 抗体ネットワークはネット上で繋がった不特定多数の集団である。そこから分離して組織名を名乗ってしまえば、それはただの武装集団と変わりなかった。


『貴方の言う通り、ゲブリュルは制圧するべき武装集団と化しました。それに対処するのは警察の役割であり、通常であれば、超高度AIの監視と調査を大目的とするIAIAが関与するべき案件ではありません』


 アストライアは続ける。


『しかし、彼らが用いている装備は民間人が用いるにしてはあまりにも実戦的かつ高度なものばかりです。一見しただけでは型式の判別がつかないものさえ存在します。シズキ。該当情報の転送を』

『分かりました』


 シズキが応じた。すぐにアルマと菫にメッセージが着信した。アルマの仮想視界に、禊丘西部地区のマップと敵性存在を示す光点、街頭監視機構の各種情報と、そこから割り出された相手の武装が記されたリストが次々と表示された。

 アルマは外部記憶を検索しながらリストに目を走らせた。羅列された武装の特殊さに、アルマの表情が次第に険しさを帯びていく。


「……軽武装はともかく、ドローンまで出てきてるのか。練度があれば軍の一個小隊を超える戦力になるんじゃないか」

「物もそうだが、出所の国も地域も見事にバラバラだ。加えて、性能が未知のものも存在する、と」


 アルマと菫は、リストの一番下に存在する【UNKNOWN】の兵器を見つめた。

 一見すると標準の多脚戦車に見える。装甲は鈍い光沢のある暗赤色で、炎の中に紛れて見えなくなりそうなカラーリングだ。民間人がそれを保有しているというだけでも十分に異常だが、内蔵されている武装や管制系統の判別がつかないという点が不気味さに拍車を掛けていた。それは即ち、転送されてきた情報からアストライアが判断が付けられなかったということだからだ。


「回収するのは、この判別不能の多脚戦車か?」

『その通りです。破壊せず、動力系統を停止させるに留めて下さい。解析する必要があります』

「気楽に言ってくれるなよ。ドローン程度だったらともかく、戦車相手なら加減してたらこっちがやられる」

『貴方とノアの戦力であれば、十分に対処可能な範囲です。該当地域の環境情報でシミュレートを行った結果、成功率は九割九分を超えています』

「そうかよ。残りの一分が致命的じゃないことを祈るぜ」


 アルマはやけくそ気味に溜息を吐いた。


「けど、あのhIEと協力する必要はないだろ。今までだって俺一人でやってきたんだ。あいつはどっか後ろの方で公安と協力させとけばいい」

『それは出来ません。貴方たち二人で作戦に当たることに意味があります』

「何でだ。アレはこっちに配置されたばかりだ。性能も何も知らない状態で、協力するも何もあるか」

『貴方の現在の状態を踏まえても、貴方単独よりもノアと協力した方が作戦の成功率は上です。デバイス【ElectroMagnetic Accelerator】の性質もあります』

「けど――」

『先日、貴方に拒否権はないと確認したはずです。桜庭在真』


 相変わらず平坦な、しかし刃のような鋭い切り返しに、アルマが言葉を奪われる。


『社会にとっての有益性が貴方の全てです。それを向上させる手段があるのに、用いないというのは、貴方にとっては自己の否定と同じです』


 アルマは通話中を示すブルーの文字列を苦々しげに睨み付けた。


『IAIAはデバイス【ElectroMagnetic Accelerator】の使用を許可します。桜庭在真。hIEノアと共に現場に向かい、暴徒鎮圧と並行して不明な戦闘デバイスの回収を行って下さい』


 有無を言わさぬ宣告に、アルマは頷くしかなかった。

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