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EXTERNALIZER  作者: 流川真一
2/12

Chapter 1 The Phantom of the Past

「hIEの受け取り?」


 アルマは怪訝な顔で訊き返した。

 男性にしては細身の体に灰色の短髪。やや険のある瞳が訝しげに細められている。酷暑と言うべき暑さなのに長袖の制服を着込み、それでいて汗一つかいていない。


「そうだ」


 アルマの前でデスクに着いている空森菫からもりすみれが言った。

 女性にしては高い身長に切れ長の瞳。褪せた茶髪をポニーテールにして背中に流している。今はデスク上の紙状端末を指でスクロールしていた。


「といっても面倒なことは何もない。お前の個人認証タグで受け取れるようにしてあるから、店に行って、タグを見せて、出てきたhIEを連れて帰ってくればいいだけだ」

「普通にトラックか何かで運べばいいんじゃないですか」

「今回のは高級機だ。AASC5クラスの軍事品だぞ。輸送するなら当然護衛が付く。無駄に目立って仕方ない」

「まあ、ただの調査組織ってことになってるIAIAが物騒なもの抱えるのは、あまり感心しない人が多そうですけど」


 アルマは短く息を吐いた。

 IAIA(The International Artificial Intelligence Agency)は超高度AIを監視するための国際機関だ。人間の知性を超えた超高度AIが正常に管理され運用されているかどうかを監視している。


「それより軍事品って、何でそんなものがウチの課に配属されるんですか。しかもAASC5って、最高級シュプリームモデルですよね。どこからそんな予算が……」

「注文したのは私じゃない。アストライアだ」

「アストライアが……?」


 超高度AIであるアストライアが発案元であると聞き、アルマは表情を怪訝なものへと変える。今回の件の【意図】が掴みきれず、腑に落ちない。


「戦力が不十分だってことですか?」

「そういう面もあるだろう。日本事務局は良くも悪くも保守的だ。超高度AIの査察絡みともなれば、戦力を増強するに越したことはない」

「そりゃ、それ自体は願ったり叶ったりですけど。でも発案元が元なだけに、なんか裏がありそうで怖いんですが」

「超高度AIが慈善事業をするとでも? アストライアでもそれは変わらん。むしろ社会に部分的に干渉することを許されている分、他の超高度AIよりもタチが悪い」


 基本的に超高度AIは人間社会から隔離されている。人間以上の思考能力と演算能力を持つ超高度AIが流出すれば、人間社会に歪が生まれることは明らかだからだ。

 そんな中で、唯一、アストライアだけが、【人間社会を高度AIから守る】という名目で外界に干渉することを部分的に許されている。この点も、IAIAが国際的に優位に立てている要因の一つでもあった。

 明け透けな菫の物言いに、アルマは面白がるように苦笑する。


「言いたい放題ですね。一応直属の上司ってことになりませんか。アストライア」

「ふん、【アストライアの手足】よりも、上司部下の関係のほうがまだしもマシか」


 菫が鼻を鳴らしたところで、背後の扉がスライドする音がした。振り返ると、水峰静稀みなみねしずきが部屋に入ってくるところだった。

 二世紀ほど流行を遡ったような丸いメガネに穏やかな表情。両手を体の前で組んで穏やかな微笑を浮かべる姿は、優しい姉か母親のようだ。


「お呼びですか。菫さん」

「ああ、呼んだ。こいつと一緒にhIEの受け取りに向かってくれ。一人で行かせるのは不安なのでな」

「ちょい、勝手に段取り組んどきながら言いたい放題……」

「でも分かる気がする。アルマ君、どこか世間知らずな感じがするから」

「あんたも同意しなくていい。タグ見せるだけなら間違いようがないでしょうが」

「それでも最低限の手続きはある。また面倒な案件を引っ張ってきそうで不安なんだよ。私は」

「ならあんたが自分で受け取りに行けばいいじゃないですか。部下を面倒事に放り投げるの止めて下さいよ」

「部下を使わずして何が上司だ。どの道査察まではまだ日数がある。仕事がないのだから給料分働け」

「俺はあんた個人じゃなくてIAIAに所属してると思ってたんですけどね……」


 アルマが仏頂面で溜息を吐く。それから踵を返して扉に向かった。


「どこへ行く。場所も知らずに」


 菫が呆れたように言った。

 アルマは羞恥から噛み付くように言う。


「なら! とっとと転送して下さいよ! いっつもそうやって、あんたら俺を弄って楽しいか?!」

「っ、くく……」


 菫は肩を震わせて笑っている。


「本当に飽きさせないなお前は。それで天然だというのだから恐れ入る」

「アルマ君、あんたらって、私も含まれてるの?」

「ああもう、とにかく位置データを転送してくれ!」

「そう喚くな。ほら」


 菫が紙状端末を二度指で叩くと、アルマの視界に新規メッセージの着信を示すダイアログがポップアップした。

 アルマが仏頂面で目線を微かに動かすと、メッセージが展開されて禊丘みそぎおか市のマップと目的地の座標、該当hIEの各種情報が現れた。座標の横に表示された企業名を見て、アルマは複雑そうに呻いた。


ALCAアルカって、ガチガチの軍事企業じゃないですか」

「だから軍事品と言っているだろう。それに、さっきお前が言っていた通り、シュプリームの戦闘モデルだ。こいつがお前のデバイスの相方になる」

「なんだって?」


 アルマが目を剥いた。


「相方? デバイスの……?」

「お前のデバイスは二人一組で扱うものなのだろう? 専門外だから詳しくは知らないが」

「いや、それは知ってますけど、でも相方がhIEだなんて初耳ですよ」

「私に言うな。聞いたのだってつい先日……五日前くらいか」

「かなり間が空いてるじゃないですか! て言うか、それだけ時間が経ってて当事者の俺が知らないってのはどういうことなんですか」

「知ったところでどうこうできるものでもあるまい。サプライズだ」

「それはあんたの趣味でしょうが。間違いなく」

「アストライアの指示かも知れないだろう。お前に伝えるなと口止めされたのかもしれない」

「そうなんですか?」

「まあ嘘だが」


 しれっという菫にアルマががっくりと脱力する。

 その隣で、シズキが躊躇いがちに聞いた。


「デバイスの相方ってことは、これから先、危険な作戦が増えるって予想しているんですか。アストライアは」

「分からん。だが戦力が増えるのはいいことだろう」

「それはそうですけど。でも……」

「こいつを戦わせるのに反対か? まるで本当の姉のようだな」

「そりゃシズキにしつれ――」


 アルマが言いかけたが、


「そうです。私なんかがお姉さんの代わりになれるなんて思いませんけど、でもアルマ君を戦わせるのには反対です。何度も言ってますけど」

「……そうだったな」


 菫は少し虚を突かれたように目を見開いて、次いで意地悪そうな笑みを滲ませる。


「だが戦う時は戦わなければならない。なら安全を高める努力はするべきだろう? 戦力の増強……今回の軍用hIEの導入はまさにそれに当たる」

「でもっ……」

「判断をしたのは私ではなくアストライアだ。それが危険な状況を予測したからなのか、単純に業務に必要だったからなのかは知らないが、何にせよもう決定事項だ。ならプラスの部分を考えるべきじゃないか?」


 静稀はまだ何か言いたそうに口を開けたが、やがて諦めたように小さく溜息を吐いた。


「……そうですね。プラスの部分を考えるようにします」


 シズキは振り返った。


「アルマ君。行こう?」

「あ、ああ……」


 アルマの頭の中ではまだシズキの姉発言が繰り返されていた。こうしてシズキをまじまじと見たのは初めてかもしれなかった。


「どうしたの? そんなにじっと見てきて」

「っ、なんでも、ない! 行くぞ!」


 アルマは慌てて顔を逸らして部屋を出て行った。

 シズキは不思議そうに首を傾げて続く。その後ろでは菫が肩を大きく震わせて笑いを噛み殺していた。



     ◇◇◇



 禊丘市は北陸に位置する新興都市だ。人口はおよそ八十万。関東圏と日本北部を結ぶ橋渡し的な位置づけの都市である。少子高齢化の一途を辿る日本では人口が多い方で、それに伴ってhIEの姿を見ることも多い。また、IAIAの日本事務局の一つが置かれている都市でもあった。


「いい天気だねえ。散歩するだけでも事務局を出た意味があったかも」

「ただの散歩ならもっと爽やかな気分だろうな。仕事中って景色も灰色に見える」

「人生損してるよ。生きてるうちの大部分は働いてる時間なんだから」

「齢二十そこそこの人間が言う言葉とは思えないな。勘弁してくれ」


 アルマは天を仰いだ。ビルの隙間からは澄み切った青空が覗いている。快晴だ。


「あと一ヶ月もしたらホットプレートみたいになるな、ここ」

「かもねえ。一時は地球が寒冷化するって説もあったんだけど、嘘だったね」

「寒くなったほうが方がマシだったんじゃないか。寒ければ服を着ればいいけど、逆は難しい」

「それはそうかも」


 シズキはクスクスと笑う。

 二人は他愛無い話をしながら都心部の区画を二つほど移動して、目的の座標に到着した。

 硬質な白色を基調とした、高層ビルが立ち並ぶ一角だった。磨かれた壁面が陽光を散らしているせいで、辺りには複雑な陰影が落ちていた。行きかう人々もスーツをかっちりと着込んでいて、hIEも専用のクラウドを導入された秘書用途のものが多い。

 そんな通りにおいて、軍事企業ARCAのビルは、特に威容を誇っていた。

 独特の流線型のデザインをしていて、壁面は純白の細い支柱と鏡のような光沢を持つガラスで構成されていた。正門の横には深みのある銀文字で社名が書かれていて、その手前に警備用の大型ドローンが三機停まっていた。


「部外者が入っていいのか。なんか来る者全員拒みますって雰囲気全開なんだが」

「扱ってるものがものだから、物々しいのは仕方ないんじゃない?」


 シズキはそう言って正門の方へと歩いていく。物怖じしない態度にアルマの方が慌てた。


「お、おい、いいのかよ」


 アルマが言うまでもなく、案の定、警備用のドローンが軽い駆動音を立ててシズキの行く手を塞いだ。合成音声での案内の後に、ドローンの頭部がスライドして個人認証タグをスキャンするための端末が現れる。


「アルマ君。そっちの方で登録されてるんでしょ?」

「少しは躊躇しろっての。面倒事になったらどうするんだよ」

「お互いに面倒事にしないために、ドローンが常駐してるんじゃないの? 本当に駄目だったら事前に警告くらいしてくれるよ」

「そういう紳士的な警備ばかりならいいけどな。っとに……」


 アルマはドローンに近付いて、手首に着けていた個人認証タグを端末に押し当てた。軽い電子音が鳴り、ドローンが道を開けた。


「一応あんな人でも上司なんだから、話は通しておいてくれてるって。肝心なところは外さない人だから」

「そうあることを祈ってるぜ。自分で来ればいいものを……」


 アルマはぼやきながら正門をくぐる。シズキが小走りでその後ろに続いた。

 敷地に入るなり、複数の監視カメラが自分たちの姿を追っているのをアルマは感じた。勘ではなく、警備機構から放射される僅かな電磁波を感知した結果だった。民間人としてではあるが注視されている現状に、アルマの内心に焦りに似た気持ちが湧き上がる。


「大体、上司が率先して俺を外に出してどうする」

「別に問題ないんじゃない?」

「いや、俺って一応、特例で身分を保証されてるわけで。それを無視して使い走りに出すってのはどうなんだよ。自分で言ってて悲しくなるけど」

「社会にとって危険度の高いAI? 社会を攻撃する予定でもあるの?」

「いや、そんなつもりはないけど。でも条約で規制されてるだろ。オーバーマンは」


 アルマは自分の手を見下ろしながら、ゆっくりと握ったり開いたりした。

 注意して見れば、全身義体特有の関節の固さが分かってしまう。顔立ちも肌も、不自然なほどにきめ細かく整っている。hIEが人間の挙動を完全に再現したら今のアルマのようになるだろう。

 悶々とするアルマに対して、シズキは気楽な調子で、


「その条約の特例を作ったのがアストライアなんだから、アルマ君が心配することはないんじゃないかな。アルマ君の存在が、結果的に社会の安定に貢献すると判断したから、こうして解放されているわけだし」

「それこそ、裏がありそうで怖いんだよな。デリー会議の条約だって、アストライアが即座に警告したから成立したようなもんだろ? 野放しになってるAIが危険だって提唱してるのは、アストライア自身じゃないか」

「だとしたら尚更、自分が危険でないことを証明することを考えた方が有意義じゃないかな。どんな理由か知らないけど、活動を許されているんだから。それこそ、プラスの面を考えるっていうやつだよ。アルマ君は少し心配性すぎるよ」

「そう、なのかな」

「それに……」


 シズキの表情が僅かに曇る。


「アストライアだって手放しで君を解放しているわけじゃない、でしょ?」

「……ああ」


 アルマは渋い顔で頷く。

 アルマの行動は常にアストライアにモニターされており、自由な行動は許されない。逸脱した行動を取れば、一瞬で電脳を焼かれて機能を停止させられる。首の内側に仕込まれた、電磁パルス生成機構のスイッチを握っているのは、他ならないアストライアなのだ。

 アストライアの決定如何で、アルマは一秒と経たずに命を奪われる立場にある。行動にも様々な制限が掛けられており、例えば電波暗室から外部ネットワークに接続すると、自動起動した機構によって問答無用で脳を焼かれる。

 桜庭在真というオーバーマンは、今や一種のアストライアの端末だった。


「ほら、怖い顔になってる」


 黙り込んだアルマの頬を、シズキが指先で突いた。アルマはびくりと身を引いた。


「い、いきなり何すんだよ」

「もっと気楽に行こうよ。気にしすぎても意味ないし。それに、普通にしてたら誰も気が付かないよ。気が付かないってことは、その程度の違いなんだよ。人間とオーバーマン、つまり、オリジナルの記憶と、複製された記憶なんていうのはさ」


 シズキはあくまで気楽に言って、玄関に向かって歩いていく。


「……っとに。簡単に言ってくれるよな」


 その後ろ姿に救われるような気持ちになりながら、アルマは小走りで後を追う。

 ARCAのエントランスは広かった。チェスボードのような白と灰色のタイル張りで、等間隔で磨かれた円柱が配置されていた。柱の表面にはホログラフィックで各種情報が表示され、ゆっくりと流れている。その中を高級そうなビジネススーツを着た職員が規則正しい足取りで行きかっていた。

 二人がエントランスを横切ってカウンターに向かうと、来客応対用のhIEが優雅に一礼して出迎えてきた。


「桜庭在真様と水峰静稀様ですね。ご用件は、class Noah humanoid Interface Elements Type-001の受け取りで宜しいですね」

「えっと……」


 アルマは慌てて副脳のストレージから該当情報を引っ張り出して視界に投影した。先程の座標データと一緒に、受け取る機体名が転送されていた。


「ええ。間違いないです」

「係の者をお呼びしますので、少々お待ち下さい」


 接客hIEが再び一礼した。シズキは少し責めるように言った。


「アルマ君。あまりそういう、そっちに頼り切るのは感心しないなあ」

「う……、何のことでしょうか?」

「ちゃんと覚えてねってこと。普通に覚えられるんだから」

「……はい。次からそうします」


 アルマは素直に頷いた。先ほどの話もあり、機械に頼りきりになることをシズキは心配してくれているのかもしれない。


(まるで本物の姉……じゃなくて!)


 浮かんできた考えにアルマは頭を振る。その様子をシズキが怪訝な顔で見ていた。

 そのまま数分待って、対応の遅さに違和感を覚え始めた頃、奥のエレベーターホールから慌てたように走ってくる中年の職員の姿が見えた。


「す、すみません、遅くなって……」


 息を切らしながら頭を下げる職員に、アルマとシズキは顔を見合わせた。中年の職員は叱責を恐れるかのように体を縮こまらせ、視線を周りに忙しく泳がせている。

 あからさまなトラブルの気配に、アルマが僅かに表情を険しくしながら聞く。


「何かあったんですか?」

「いえ、それが……その、貴方が本物の桜庭在真様なんですよね?」

「は?」

「い、いえ、確認というか、その……」

「……確かに俺は桜庭在真ですけど。本物ってどういうことです?」

「ええと、本物っていうのは、偽者と比べてってことで、つ、つまりですね……」


 職員の男は明らかに狼狽していた。


「先程、桜庭在真様が納品するhIEを受け取りに来たばかりでして」

「……その、言ってることが良く分からないんですけど。俺は初めてここに来たんですが」

「け、結論から言いますと、納品するhIEは既に桜庭在真様に引き渡したはずなんです。三十分ほど前の話です」

「……はあ?」


 アルマは職員が言っていることがすぐには理解できず、


「三十分前っていったら俺はまだ事務局にいたぞ? それって菫さん……上司から引き取りの連絡があったとか、そういう話じゃなくて?」

「え、ええ……直接の引渡しということでしたので、そのまま……」


 職員はぶるりと身を震わせ、


「で、ですが、物が物ですから、こちらとしても照合はかなり厳重に行いました。個人認証タグも、IAIAへの認証も管理コードも、事前発行した量子暗号キーも全て持っていました!」

「いや、それでミスってんなら意味ないだろ……」

「う……その、認識も正常に行われたので疑いもせず……秘密裏に受け渡しをしたいということだったので、その……」


 アルマとシズキは目を見合わせる。アイコンタクトの結果、シズキが職員に尋ねる。


「どんな人だったんですか? 外見とか、特徴的な何かとかありました?」

「特に目立つ外見ではなかったです。普通の青年というか、……あまりにも特徴がなさ過ぎて、ともすれば道行くhIEに見えなくもないというか、そんな感じの人でした」

「逆に胡散臭すぎだな。ったく、やっぱり面倒事じゃないかよ菫さん……」

「軍事品とはいっても、機体固有コードの追跡は可能ですよね」

「え、ええ、それは可能ですが……」


 職員の顔にちらりと警戒の色が浮かんだ。二度騙されるわけにはいかないと気を張っているのが丸分かりだった。

 シズキは理知的な口調で、


「各種情報をIAIAの方に回してくだされば結構です。今度こそ貴方たちが信頼できる方法で。私たちはIAIA日本事務局から直接情報を受け取ります。これなら、間接的に私たちの身分証明にもなりますよね」

「そ、それは願ってもないことですが、私の責任は……」

「私も一職員なので保証できませんが、恐らく、例外的な電子攻撃として不問になると思います。貴方がいま言ったことが全て真実だとしたなら、ですけれど」


 職員はかくかくと頷いて、


「も、もちろん嘘なんてついていません。協力感謝します。ただ、その、この件があまり大きくなりすぎると、既に大きいのですが、その、私の生活も……私は多少立場が上とはいえ、単なる営業なので……」

「分かっています。私たちがいたずらに貴方の名誉を貶めるようなことはしません。もちろん、IAIA日本事務局がどういう判断を下すのかは、私たちにはどうすることもできないですけれど」


 職員の顔がギロチンを前にした囚人のように青ざめた。最悪の状況に陥った後の人生をまざまざと想像したのだろうか、動作不良を起こしたhIEのように固い動きで何度も礼をした。


「で、では、私はIAIAの方に連絡させて頂きます……あと私どもの方で、動かせる範囲でチームを組んで捜索に向かわせますので。はい。見つかり次第連絡します……」

「よろしくお願いします」


 シズキが言うと、職員は踵を返して駆けていった。アルマとシズキは顔を見合わせた。


「それで?」


 アルマが訊いた。


「探しに行こう。そういう話だし」

「そういう話だったな。うぁー……、受け取りミスって、そんなのアリかよ。下手に隠そうとするからこういうことになるんだよ。最初から堂々としてれば何も問題なかったのに」

「でも、個人認証もIAIA認証もパスするなんてどうやったんだろう。すぐには思いつかないけど」

「物騒なこと考えるのは止めとけよ。それこそ社会に対する攻撃じゃないのか」

「む、そういうこと言う? アルマ君だって――」


 シズキが言いかけたところで、シズキのポケットで端末が振動した。同時に、アルマの視界にも新規メッセージが着信する。開くと、禊丘市の地図データが展開され、その上に赤色のポイント表示された。IAIA日本事務局から送られてきた、当該hIEの現在位置である。

 アルマはげんなりと肩を落とし、


「仕方ない、動くか。じっとしてても始まらないしな」

「給料分は働けそうで良かったね? それを見越しての判断だったのかも。菫さん」

「そりゃ慧眼だけど、これは残業の部類じゃないのか」


 アルマは天を仰いだ。



     ◇◇◇



 アルマとシズキはARCA本社を出て早足で歩き始めた。目的地は禊丘市西部に存在するhIEの反応だ。

 アルマは自分の視界に表示された地図を確認しながら歩く。hIEの位置を示す光点は先程まではゆっくりと移動していたが、今は一点で静止している。西地区にある広場だ。昼間でも大勢の人々が行きかう場所である。


「なんでこんなところに留まってるんだ? しかもこんな往来のど真ん中に……」

「そもそも、hIEを盗むなら、絶縁体の袋とかで機体を包むとかはするよね。そうしないとこうやって居場所がばれちゃうから。hIEの位置が追跡可能だっていうのは一般常識だし。むしろ人気の多いところに放置してるみたいに感じる。だとしたら、こっちを誘い出す罠……なんて考え過ぎかな」

「勘弁してくれよ。ただhIEを受け取るだけでそこまで面倒事に巻き込まれるのなんて御免だぞ。ほんの数十分の外出のつもりだったのに」


 藺弦は溜息を吐き、


「何にせよ、とっとと回収してとっとと帰る。ここで反応が途絶えたらもっと面倒なことになる」


 二人は急ぎ足で都心を横切り、西地区へと入った。自動操縦オートクルーズの電気自動車が行きかう大通りを真っ直ぐ歩き、地図上にポイントされている広場へと辿り着く。

 白い石畳に整然と並べられた街路樹。並べられたベンチには木漏れ日が落ち、大きな噴水から噴き出す水飛沫が陽光を浴びて輝いている。その周りには流線型のオブジェが置かれ、降り注ぐ陽光を浴びて燐光を纏っていた。

 絵に描いたような人々の憩いの場――であるはずだったが、今は様子が違っていた。

 公園の中央付近には人だかりができ、不穏なざわめきと、時折怒声のような声が響いてくる。遠く離れたここからでは、中央で何が起こっているのかは見通せない。

 アルマは視界の地図とポイントを確認した。拡大しても、hIEの反応はこの人だかりの向こうだ。


「シズキ、先に行く」

「う、うん……」


 濃密な荒事の気配に、アルマは先んじて人混みの中へと入っていく。周りの人がアルマを迷惑そうに見たが、目の前の光景への好奇心の方が勝っているのか何も言わない。

 アルマは程なくして、人の壁を抜けて広場の中央に出た。

 ランドマークにもなっている巨大な噴水をバックに、一人の男が二人の女性と向き合っている。男と相対している女性は、地面に倒れている人を庇うようにして男を見上げていた。ここからでは後ろ姿しか見えない。良く見れば地面に倒れている人はhIEだ。

 男の手には所々が凹んだ金属バットが握られていて、目は爛々と充血して見開かれていた。何をしようとしていたかはすぐに分かった。


「抗体ネットワーク……」


 アルマが呟く。

 抗体ネットワークと呼ばれる集団は、組織立ってhIEを破壊する。急速に数が増えつつある【モノ】に、人間の領域が侵略されていると嫌悪感や危機感を覚えているからだ。そして、組織立って行動するからには、下手を打った人間は切り捨てられて放置される。群衆の中で孤立している男がどういう顛末でああいう状況に陥ったのか、アルマはすぐに理解した。

 男は唾を撒き散らしながら、


「お前らhIEが人間から仕事を奪ってるんだ! 人間の形をした道具が存在するだけで俺たちに悪影響があるんだ! 感謝の言葉も思いやりの言葉もなくなって、だんだん俺たちの社会が機械に乗っ取られていくんだ! なのに、お前はhIEの味方をするのかよォ!?」


 男の怒りは、倒れているhIEではなく、対峙する女性に向けられていた。

 異常に興奮している男を前に、しかし女性は冷静な声で、


「感謝の言葉も、思いやりの言葉も、無くなっていくのは道具のせいじゃない」


 女性の声は海辺の凪いだ風のように静かだった。ここからでは背中しか伺えないが、栗色のショートヘアが風に揺れているのが見えた。顔は男のほうに向けられ、ぴたりと据えられたまま動かない。


「私たちの中から何かが失われていくのを道具のせいにしたら、その時こそ、道具に本当に支配されることになる」

「なっ……」

「その人から何かが失われていくとしたら、その人自身の心が弱いから。それ以外に原因なんてない。貴方は、目に付いた都合の良いものに、都合よく責任を押し付けてるだけ」

「この、言わせておけばッ……!」


 青筋を浮かび上がらせた男が非人間的な表情でバットを振り上げた。女性は頑としてその場を動かない。背後に倒れるhIEを庇ったまま、一歩もそこから動かなかった。

 バットが振り下ろされる。

 軋んだ金属音。


「……女相手に全力でバットっていうのは、人間としてどうなんだよ」


 振り下ろされたバットを受け止めたアルマが怒りを滲ませる。

 金属製のバットは衝撃で斜めに折れ曲がっていた。しかし一方で、受け止めた側のアルマの掌は鋼鉄の彫像のように微動だにしていなかった。生身ではありえない耐久力だ。ぎり、と力が籠ると、バットの表面に指の跡が五つ刻まれた。

 慄いた男がバットから手を離した。

 アルマはペンでも回すようにバットを持ち替えて、肩に担いだ。唯一の武器を失った男は、アルマの視線に耐えかねたように腰を抜かした。


「ひッ、ひィ……」

「ここで俺に殴り掛かって来れないなら、さっきの指摘はもっともだって話だ。頭冷やして人生やり直せ馬鹿」


 アルマが言ったところで、人混みを掻き分けてシズキが飛び出してきた。

 シズキは折れ曲がったバットを肩に担いでいるアルマと、腰を抜かしている男を交互に見て、頭痛を堪えるように目を覆った。


「あ、アルマ君、すっごい目立ってるんだけど……」

「不可抗力だ。警察に連絡してくれ」

「もう……」


 シズキは何か言いたそうに口を開きかけたが、結局なにも言わずに端末を取り出して警察に連絡した。

 女性に守られていたhIEがシズキの方へと向かい、事件の詳細を話しているのが聞こえてきた。hIEの目は高性能のカメラでもあるため、事情を把握するときにはhIEを通した方が話がスムーズに回りやすいのだ。

 アルマは男がこれ以上何かしないように見張っていたが、男は抵抗の意志をすっかり失ってしまったようで、虚ろな目で座り込んでいるだけだった。アルマは溜息を吐いた。


「まあ、最後まで責任持って見張らなきゃ駄目なんだろうな。この場合……。ていうか」


 アルマはここに来た目的を思い出す。盗まれたhIEの確保をするために、アルマとシズキはここにやってきたのだ。

 アルマは慌てて視界に投影されている地図に目を向けた。驚いたことに、hIEを示すポイントはまだ広場の中央にいた。アルマがいる座標とほぼ重なっている。


「え……?」


 その事実が意味するところがすぐには分からず、固まっていると、後ろから涼やかな声が掛けられた。


「ありがとう。助けてくれて」


 先ほどhIEを庇っていた女性だ。見上げた道徳観念だが、今はあまり相手をしたい気分ではない。アルマは生返事をし、


「ああ、あんたも災難だったな――」


 女性のほうに振り返った瞬間、アルマの思考が一瞬で漂白された。

 その、姿。

 小柄な体。栗色のショートヘア。涼やかな一重目蓋に澄んだ瞳。どこか浮世離れした雰囲気。骨格も肌の色も気配も、身長も髪の長さも、着ている服さえも、何もかもがアルマの記憶に一致する。


「……蒔絵、先輩……?」


 言いかけて、気付く。挙動こそ限りなく人間に近いが、肌や瞳の色に極僅かな違和感を覚える。ごく近くで見なければ分からない人工物の特徴――アルマと同じ、吸湿性の皮膚素材に生体素材の眼球だ。


「いや、hIE、なのか?」


 半信半疑で訊いたアルマに、沐凪蒔絵に酷似したhIEは微笑んで立ち上がった。


「私は貴方を知ってる。桜庭在真」


 何度も近くで見た細やかな手を胸に添えて、hIEが言った。


「私はノア。class Noah humanoid Interface Elements Type-001。今日付けで君の同僚となり、パートナーになる機体。……迎えに来てくれてありがとう。アルマ」


 耳をくすぐる声音に、現実と記憶が溶け合って消えていく心地がした。

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