3. 渦のような酩酊のなかで
六時のアラームで目が覚めた。
パソコンの画面が薄暗く光っている。
アラームは、はじめから携帯に内蔵されている着信メロディで、『未来惑星ザルドス』のワンシーンを連想させるような、掴みどころのないメロディである。
夜の十時前には寝ていたらしく、そのおかげで今朝はすんなり布団からでることができた。昨日と寸分たがわぬ冬の朝だったが、今朝は小さな変化がおとずれていた。
関東ツーリストから、入金を確認したメールが届いたのだ。三日以内に『eチケットお客様控え』と『旅行日程表』が届くそうだ。つまり、このさきぼくに病気や事故、あるいは小悪魔的な心変わりがないかぎり、イランへ旅行することは確定したことになる。
ぼくは、はじめて秘密をもった。とても小さな秘密である。胸の底から優越感みたいな快感が、ぐいぐいとせりあがってくるのを感じた。群衆のなかのひとりだったぼくが、なにか特別な存在に変われたような気がしたのだ。
ぼくは顔をあげ、視線を窓へむけた。
引違い窓は結露でおおわれ、冬の冷たい外気が目に見えるようだった。
朝食を急いですませると、ニットの手袋をはめて外へでた。
陽はすでに高くのぼっている。
この辺りは滅多に雪が降ることはなく、せいぜい積っても十センチが関の山である。開発も年々順調に進み、それに比例するようにタクシーの往来が急激に増え、夜でも人工の光に街全体が包まれるようになった。この街は、どこまでも反自然的な場所である。
この街で冬という季節を感じるためには、ショッピングモールで冬着をまとったマネキンを見にいくか、街路の曲り角でクリスマスソングを耳にするか、はたまた旅行代理店の広告チラシをわざわざ目にする必要がある。
ぼくは、この無機質な寒さが人工的につくられたものではないかと、馬鹿みたいに勘ぐってしまうことがある。時間帯と天候に合わせて、リモコンで外の温度を自由に調整することができる。そんなふうに季節が変化しているのではないか、とひとり虚しく想像するのだった。
商店街を通り、長い行列ができている『よしだらーめん』を尻目に、スーパー『マルジュウ』に入った。
日用品や雑貨類には目もくれず、お菓子売り場に直行する。オレンジ色の買い物かごにチョコレート、ビスケット類を放りこみ、ペットボトルの紅茶も合わせて購入し、自動ドアをぬけた。
今日の予定は、『地球の歩き方~イラン~』を参考に、約一週間の日程を決めることだった。
帰り道、煙草をくわえながら歩いていると、駅の前でネットカフェの宣伝をしている男性をみかけた。『初回無料』『快適空間』『ソフトドリンク飲み放題』の文字がプリントされた半被を着て、大声で同じフレーズを繰りかえしている。みたところ、歳はぼくの四つ五つ上のようで、黒いネックウォーマーのせいで、表情まではわからない。
就職活動をしていた大学三年生のころ、フリーターや派遣社員などの非正規雇用は負け組であり、絶対に選択してはいけないと、就職を支援してくれた講師に教えられてきた。半被を着た男性もおそらくは、あの講師が言うところの、人生の負け組に入るのかもしれない。
たしかにその通りだと思う。しかし、社会通念として広く国民に共有されているライフコースが無謬であり、だれにとっても幸福であるとは限らない。きっと彼には、小さな物語があるのだろう。ぼくや、あの講師にだって想像できない物語を胸の奥に秘めているにちがいない。
家に帰ると、リビングの方から男性の甲高い笑い声が聞こえてきた。茶色の座椅子に座りながら、母は美味しそうに揚げ物をほお張るグルメリポーターたちを観ている。なにか食べる、ときかれたが、いらないと首をふって答えた。
部屋にもどり、買ってきたお菓子と紅茶をテーブルに並べて、ガイドブックのインデックスに目をとおした。思えば、イランについてぼくが知っている知識はわずかなものだった。
首都はテヘラン、イスラム教、服装に制限がある、世界有数の石油の産出地でもある、ということぐらいか。加えていえば、新聞やニュースなどの報道を通してのイメージは、国内情勢が非常に不安定という穏やかではないものが多かった。
紅茶をカップに注ぎ、ビスケットを二枚口にいれる。バターとナッツの風味が口いっぱいにひろがり、規則的に噛む音とページをめくる音が部屋全体にこもった。
イランは日本の四倍以上の面積を持つため、一週間程度ではたぶん満足に見てまわれないだろう。そこで、ガイドブックにのっていた、イラン旅行が初めてという人にピッタリのゴールデンコース『モデル・ルート8日間』をそのまま旅行計画に取り入れることにした。
四都市を順番にまわり、主な見どころはすべて網羅されているらしい。一日、移動時間も含めて、一都市をまわるのが体力的にもベストらしい。もしも時間が余れば、気に入った町に連泊すればいいみたいだ。
ゴールデンコース。まさに完全無欠のプランである。
気まぐれでイラン旅行を計画したぼくだったが、ガイドブックの写真で見るかぎり食事も悪くなさそうだし、なんといってもブルータイルが眩しいイスラーム寺院とやらに興味をもった。それに物価にしても、先進国に比べれば格段に安いだろうし、高額なチケット代で冷えた財布にも優しいわけだ。
ビスケットの包紙を捨てて、チョコレートの箱をミシン目にそって開けた。中身は四等分に小分けされ、手を汚さずに食べられるよう工夫されている。
ガチャリ。
シリンダーに鍵のはいる音が聞こえ、レバーハンドルを引く音が聞こえた。ふと時計に目をやると、短針が六と七に挟まれ小刻みに揺れている。父は公務員であり、毎日ほとんど定時に帰ってくる。家では毎日と言っていいほど酒を飲むのだが、外では滅多にやらないらしい。
ガイドブックを閉じて布団に寝転んだ。獣みたいなかっこうで伸びをしてみる。やぐらの土台部分が完成したように、抽象的だったぼくのイラン旅行計画は、しだいに現実味を帯びてきた。
自分の将来なんてものは、少し時間をかけて考えれば何となくそれっぽい輪郭がみえてきて、もう少し時間をかけて想像すれば、はっきりとした姿をともなって、見通すことができるものだと思っていた。しかし、本当のところは未来なんて誰にもわからない。数年、いや数ヶ月前のぼくが、まさかイランに行くことになるなんて夢にも思わなかっただろう。不思議なものである。ぼくは、寝返りをうちながら、遥か遠くの異国に思いを馳せた。
eチケットが自宅に届いてからは、文字通り弓矢のように時間が流れた。
この数日のあいだ、ぼくは体力と知力の全てをイランという夢に費やした。パソコンと携帯の検索履歴は、当然のようにイランというキーワードが上位を独占し、お気に入りにMSN天気予報を登録し、テヘランの気温を頻繁にチェックするという有り様だった。
困難といえば、東京のイラン大使館で、ビザを取得する手続きが予想以上に難航したことだ。係員にわたされた書類の質問事項を理解することができず、英語が読めない自分の頭に心から失望し、すぐ近くにいた明らかに歳下と思われる二人組の女性に大丈夫ですか、これはですね、と丁寧に説明してもらい、ありがとうございました、と礼を言っている自分に二度目の失望を覚えたあの苦い記憶は困難というよりも、小さな悲劇と形容できるような一日だった。
今にして思えば、旅行会社に代行申請してもらえば済む問題だったのだが、ビザを取得するという煩雑さがわかったことに加えて、次の旅行はビザなしで入国できる国を選ぶべきだという経験と知識を得た点においては、とても有意義であったと思う。
それなりに気が向いた日には、同窓の仲間と食事をしたり、都内まで電車で出かけて飲みに行ったりもしたが、イラン旅行については何も言わなかった。べつに隠す必要はなかったのだけれど、言うほどのことでもない。それに、人に言ってしまうと、ぼくにかかった魔法のようなものが、解けて無くなってしまいそうな気がしたからだ。
明日のこの時間、ぼくは日本から消える。
そんなふうに考えてみると、とてもいい気分になるのだった。
旅行に必要な荷物は、自作のチェックシートを使ってすでに何回も確認してある。ここ数日間、体調管理を徹底していたため、気分的には今すぐにでも出発したいほど高揚していた。
ある意味、最大の難問である、両親への報告も昨晩のうちに済ませておいたし、自宅付近のローソンでeチケットを一枚コピーして、出発日と帰国日にアンダーラインを引いた自宅用の日程表も用意しておいた。
一週間くらいイランに旅行するから、という息子の理解不能な発言に、怒り心頭に発する母だったが、最終的には落ち着きをとりもどし、旅費は足りるの、お土産よろしくね、といってぼくを安心させてくれた。父は特になにも言わなかったが、本当はイラン旅行なんて望んでいなかったように思う。
ぼくは、前夜祭のつもりで、スーパー『マルジュウ』にワインを買いにいくことにした。
酒類のコーナーには、三十代前半と思しき夫婦が白ワインにするか、それとも赤ワインにするのか、迷っている様子だった。ぼくはといえば、十分くらいうろうろして『カルロ・ロッシ・カリフォルニア』と書かれた、飲んだことのない赤ワインをかごにいれ、惣菜売り場をぬけてレジに並んだ。ギャル風のバイト店員は、疲れた表情でぼくの顔に一瞥を投げかけ、店のロゴが印刷された袋にワインを入れた。この赤ワインに込めた特別な想いに、レジ係の女性は気がついたのだろうか。
薄暗い六畳半の部屋にもどると、黒いキャリーケースをどけて暖房を三十一度に設定した。
ピピッ。すぐに返事が返ってくる。
黒いキャリーケースは必要以上に餌を与えられた鴨のように、息苦しそうな様子だった。
ワインをオープナーであけて、ボトルを呷って一気に流しこんだ。『ブラックチェリーの香り』とラベルに書かれていたが、ほろ苦い葡萄の味が口に広がる。あまり好みの味とはいえないが、このさい酔える飲みものであれば、なんでもよかった。
明日の朝、ぼくは日本を発つ。日本から消える。
口にだしてつぶやいてみると、思わず頬がゆるんだ。
たかだか一週間程度の旅行なのに思い残すことはないか、会っておくべき人はいないか、なにか忘れていることはないだろうか、と渦のような酩酊のなかで深く考えこんでしまうのだった。
イランへ行けば、きっと何かあるだろう。ここにはない、なにかが。心のなかにあるズレのような感覚の正体を、ぼくは一刻も早く確かめる必要があった。