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24. アシックスの紺色ジャージ

 全力でプレーすることを誓います。

 中腰で歩きながら、コートの中央に目を向けた。柿色のポロシャツを着た選手が、ナチス式敬礼と見まがうばかりの宣誓をしている。ぼくは水色のベンチに腰をおろし、リュックからメタルフレームの眼鏡をとりだした。

 色とりどりのユニホームを着た選手たちが、身動きひとつせず一定の間隔をあけて整列している。手作りと思しき横断幕には、どこかの大学チームを応援する内容のものが目立っていた。場内は人であふれウォーリーを探せか、と小声でつっこみをいれたくなるほどの光景であった。

 髪を染めている選手は、おおかた大学生だろう。まあとりあえず、これで捜索の範囲は絞られる。それと、ロングヘアの選手も除外しておこう。不要な条件を排除したうえで、ぼくは指でなぞるように、ひとりひとりの容姿をチェックした。背の低い、低い、低い、低い、低い、低い、低い、低い、低い。いた、斎藤茜。立ち上がるのをこらえて姿勢を正すと、隣にいた男性がぐるりと首をまわし二、三秒ぼくの横顔を見つめた。 

 彼女は赤色のポロシャツにスカートを合わせ、黒色のスパッツを穿いている。遠方から見ているだけで思わず頬がゆるむほどの体貌なのだが、この位置からだとよく見えない。同じチームメートなのだろうか、あの、ふくよかな選手のせいで彼女の顔は雲に隠れる満月のありさま。ぼくは、時間と体裁を忘れ夢中で彼女の姿を追いかけた。


 冷たく乾いた風が選手のユニホームをゆらしながらコートを通りぬけた。

 結局のところ、試合がはじまったのは強風がおさまる午後二時を過ぎたころだった。空いた時間に来た道をもどりながら煙草を吸って、ローソンで昼食をすませておいた。競技場にもどる途中、煙草を咥えながら接触の方法を考えてみたのだが、妙案が浮かぶことはなかった。

 実のところ、彼女はたびたび観客席にもどっていた。言うまでもなく、接触には失敗している。失敗といっても、彼女を目で追っていただけで、なにも行動はしていない。ラクロス部員やご両親をかき分けて、彼女の名前を叫ぶ勇気がなかったのだ。

 しかしまあ、距離にして約三十メートルのところに斎藤一派のベンチがあることは分かった。それだけでも十分な収穫と言えるだろう。ぼくは、リュックからホットココアを取りだし、苗色のコートに視線をもどした。現在、三対六。メガホンを叩く凄まじい音や自作の応援歌が混ざりあい、気をぬくとばたっと倒れてしまいそうな勢いである。

 五という番号を背負い、健気にクロスを握りしめている彼女を見ていると、心がはりつめる感じがして、とても不安な気持ちになる。というのも、彼女にボールがわたると、まるで猛獣のように敵選手たちが群がってくるからだ。とりわけあの三番。なにか恨みでもあるのかな、クロスをぶんぶん回しながら彼女を猛追している。こんなハードな部活、ぼくなら二ヵ月で辞める自信がある。と思ったのと同時に、なぜ彼女がラクロス部を選択したのか理由が知りたくなった。

 三対七。悲鳴のような歓声があがった。彼女は苦しそうに、肩を上げ下げして呼吸している。スポーツ全般に疎いぼくが見ても、コート内には勝敗を自覚しているような雰囲気が漂っていた。正直、ぼくには試合の勝ち負けよりも彼女の身の安全の方がよっぽど大切に思えるのだった。


 ぴぃぃぃぃッ。

 おぼろな陽光が向かいに見えるマンションを照らし、洗濯物が半分だけ蜜柑色に染まったころ、審判員のホイッスルが鳴り響き試合が終了した。ぼくは、空のホットココアを両手で持ちながら退場する選手の列を眺めた。じりじりと緊張がよじのぼってくる。最悪だ、具体的な作戦もないまま、ついにこの瞬間をむかえてしまった。おそらく、チャンスは一度だけ。あそこのベンチに座られてしまったら手が出せない。

 それとなく、ベンチを盗み見る。ざっと四、五十人はいるだろうか。濃紺のダブルブレザーを懐かしんでいる場合ではない。彼女のチームは、どこからくるのだろう。左側の階段か、あるいは右側の階段か。いや、それよりも、座ったまま声をかけるべきか、立ちあがって声をかけるべきか、それとも彼女の近くへ寄るべきか。

 そのとき、赤色のポロシャツが視界にはいった。胸のなかに生温かい煙が立ちこめ、思わずこぶしを固くにぎった。彼女は前からかぞえて四番目。厳粛な雰囲気を漂わせながら、四段下の通路をチーム全員で歩いている。 

「茜」

「・・・」

「あかねえ」

「・・・」

「あかね~」

ああ、そんなに多くの眼でぼくを睨まないでくれ。

ただでさえ心臓が止まりそうなのに。

 先に行ってて。たぶん、そう言ったように思う。止まっていた行列がそろそろと動き出した。流し目にぼくを見るチームメイトと、軽やかに階段をのぼる彼女を交互に見ながら

「おつかれ」

と、声をかけた。

「おつかれ」

彼女が返事する。

「試合、かっこよかったよ」

「ありがとう」

「トオル君、ちゃんと来てくれたんだあ」

「もちろん、約束したからね」

「それより・・・」

「ん?」

「血が出てるよ・・・ 唇」

「ああ、平気平気」

「試合のときにちょっとね」

にこりと笑い、小さく舌をだす。

「平気って・・・」

「かなり痛そうなんですけど」

「大丈夫よ」

「そう?」

「トオル君は、心配性なんだからあ」

「そうかな」

「そ~だよ」

「でもほんと、来てくれてありがとね」

「いえいえ」

「ほんとはね、少し不安だったの」

「あかね」

「なに?」

「もしよかったらさ、このあと、予定がなかったらでいんだけど・・・」

「わかった」

「待ってて、閉会式終わったらすぐ行くから」

「うん、待ってるよ」

「じゃあ、あとでね」

「外の入り口のところで待ってるから」

 彼女は階段で足をとめて、顔の横で小さな手をふった。はじめて会った時と変わらない笑顔だった。彼女がベンチに座ると、ひとりふたりと集まりだし彼女をぐるっと取り囲み米国のパパラッチみたいに騒ぎはじめた。嫌な予感がする。誰、あの人、もしかして茜の彼氏、的な視線の雨が降るまえに、ぼくは競技場を出ることにした。


 あれこれ心配していたが、実際にやってみると案外うまくいくものだな。煙草に火をつけ、背の低い石垣にもたれた。まさか、これほど順調に物事が進行するなんて。ふうっと口笛を吹くように煙を吐きだし、雲の一部になるのを見届けながら考えごとをする。あとは、るるぶの情報をもとにデートコースを組み立て、頭のなかで二、三回模擬デートをすれば・・・

「トオルく~ん」

「ん?」

「おまたせ」

「おう・・・」

思わず息をのむ。

彼女のほっそりとした体は、アシックスの紺色ジャージに包まれていた。

「あれッ?」

「閉会式、まだ途中じゃない?」

「大丈夫、ママにもちゃんと言ってきたから」

「そう、なの?」

「うん」

「それに、先輩を待たせちゃ悪いしねっ」

彼女は顔を少し傾け、ウィンクしてみせる。

「なんか、悪いことさせちゃったね」

「平気平気」

「それより早く行こう。 閉会式が終わったらみんな出てきちゃうから」

「それは気まずいな」

「でしょ」

「じゃあ、行こう」

「うん」

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