第六話
「皆、仕事よ!」
騎士様達が滞在して、十日目の朝食の席で。お嬢様は立ち上がり、高らかに宣言した。はむはむ、ごくん。
「まあ、落ち着きなさい孫娘よ」
旦那様に宥められ、お嬢様はすとんと席に着く。
「仕事だと」
ジャスティ様は、不機嫌そうに呟く。ジャスティ様にしてみれば、毎朝、菜園で働いているので更に仕事を増やされると思っているのだろう。
お嬢様は、ジャスティ様の態度に気を悪くした様子もなく、続ける。
「そう、仕事! 今回は、名誉ある騎士様の仕事なの」
「ほう」
騎士の仕事という言葉に、ジャスティ様は機嫌を治す。単純なんて、言っちゃ駄目だよ。
「えー……、俺は掃除の方が楽しい……嘘。嘘だよー」
ジャスティ様に睨まれ、クウリィ様は前言を撤回した。そうか、クウリィ様はお掃除気に入ってたんだ。
「騎士の仕事とは……何かあったのですか?」
ジーン様が、心配そうに尋ねる。
元来騎士の仕事とは、治安維持が主だ。何か事が起これば、剣を取り戦う。血生臭い仕事もする。
そんな背景があるから、ジーン様は心配してくださっているのだろう。
平和な村に、何か起きたのではないのかと。本当にお優しい!
「ふっふっふ」
お嬢様は、口角をあげる。
「大丈夫、安心してジーン様。今回の仕事に、剣は必要ないわ」
「剣が必要ない?」
ジャスティ様が口を挟む。
剣が必要ない騎士の仕事とは。私も興味が出てきた。わくわく。
「今回必要なのは……網よ」
「網だと!?」
ジャスティ様が叫ぶ。
「網ですか」
「ふーん、何だか面白そうだね」
「……体力勝負の、予感が、する」
四者それぞれの反応を見せる騎士様達。
お嬢様は、ビシッとクリフ様を指差す。ビクッと体を震わすクリフ様。
「そう! 体力勝負!」
「……」
無言のクリフ様を気にすることなく、お嬢様はテンション高く続ける。
「畑を荒らすビットを捕獲する。それが今回のお仕事よ」
「それが、騎士の仕事だと言うのか!」
ジャスティ様が怒鳴る。お嬢様は、平然と笑う。そして、ぱちりとウインクを一つ。
「困ってる民を助けるのも、立派な騎士の仕事でしょ」
と、正論を仰った。
「ぬ……っ」
黙るジャスティ様。
恒例の言い合いは今日も、お嬢様の勝ちのようです。お嬢様、凄い。
最近、村の農園でビットによる畑荒らしの被害が増えてるそうだ。
最初は、子供でも捕まえられるビットが相手とあり、皆は楽観視していたのだけど。
「昨日、とうとう怪我人が出たの」
農園への道すがら、お嬢様が説明してくださる。あ、ビット捕獲には私も参加します。村の農園には、たいへんお世話になってますから。
因みに、騎士ではないクリフ様は、ジャスティ様により半強制的に連れてこられました。
「僕、体力、無いのに……」
道中クリフ様は、不満を口にしたけれど。人手が少しでも欲しい事もあり、黙殺された。
それにしても、ビットが畑を荒らす、か。ビットは、大人しい生き物だ。臆病な性質もあり、人間の畑にまで出てくる事なんて滅多にない。そのビットが人間の村にまで出てきて、畑を荒らすなんて……。少し前までの私だったのなら、信じなかっただろう。
だけど、二日前に私は実際にビットに襲われ掛けた。クリフ様が居なければ、どうなっていたことか。ビットの鋭い前歯を思いだし、私はぶるりと身を震わす。
農園には、いったい何匹のビットが出てきているのだろう。お役に立ちたいと付いてきたはいいけれど、私は拭いがたい恐怖心を抱いていた。
「顔色が悪いようだけど、大丈夫?」
「は、はい。お嬢様、大丈夫です」
お嬢様に気遣われ、私は情けない気持ちでいっぱいだ。すみません、お嬢様。
しょんぼりと落ち込んでいると、服の袖を引っ張られた。驚いて振り返ると、クリフ様がすぐ後ろを歩いている。
そして、じっと私を見つめていた。
「あの……」
「大丈夫、僕が、居る」
何かご用ですかと、問い掛けるつもりだったのだけど、クリフ様に遮られてしまう。
「だから、大丈夫」
クリフ様は、大丈夫と繰り返す。
すると、私の心がふわりと軽くなる。
大丈夫。クリフ様が、そう仰るのだから、大丈夫なんだ。そう思えてくる。クリフ様、頼もしい。
「ありがとう、ございます」
「うん」
するりと、握られた袖が離される。
クリフ様は、前を歩く騎士様達の方へと歩いていく。その頬が、少し赤かったのは気のせいだろうか。
「……本当に、ありがとうございます」
私は、口の中で再度感謝を口にした。
「これはこれは、お嬢様に皆様も! 今回は、うちの畑の為にありがとうございます!」
たいへん恐縮した様子で、農園のおじさんは私達を出迎えた。
毎日鍬を振るう太い腕には、白い包帯が巻かれている。血が滲んでいるのが、痛々しい。おじさんが、件の怪我人なんだろう。
「その包帯は、ビットにか?」
「え、ええ。まさか、ビットがあんなに暴れるとは……」
ジャスティ様の質問に、おじさんは頭を掻いて答える。心底、困っているのが声や表情でよく分かる。
「ビットが人を襲うなど……」
「ねえ、それって、まさか……」
ジーン様とクウリィ様が、言葉を交わす。何やら、疑惑を感じているようだ。
そういえばと、私は思い出す。
『予言の乙女』では、特務騎士達は王国の各地で起こっている異変を調査していた。大精霊に会うのも、異変について聞くためだ。
普段の皆様が家事に勤しんでいるから、すっかり忘れていた。特務騎士設定。
そうか、ビットの凶暴化も異変の一つだったのか。なるほどな。
騎士様達の事情を知らないお嬢様は、不思議そうな顔をしている。
「ビットは、まだ畑に居るのか」
「はい。十数匹のビットが、儂らの野菜を……っ」
おじさんは声を詰まらせる。畑が荒らされているのに、何も出来ないのが悔しいのだ。
「分かった。ジーン、クウリィ、クリフ行くぞ」
ジャスティ様が、三人を振り返り言う。
「わーかってるよー」
クウリィ様が、ジャスティ様の横に並ぶ。
そして、おじさんに笑いかける。
「まあ、俺らに任せて。おじさんは、ゆっくりしててよ」
「は、はい……、お願いします」
おじさんは、深々とお辞儀をする。万感の思いがこめられている。おじさん……。
「さあ、行きましょう」
お嬢様が、皆様に声を掛ける。
「お嬢さん達は、怪我のないように気をつけてくださいね」
ジーン様に言われ、私はこくりと頷く。
「ええ! おじさんの野菜の仇を討つわ!」
そうして、私達は柄の付いた大きめの網を手に畑へと繰り出したのだった。
畑では、たくさんのビットがうごうごと野菜に群がっている。無惨に食い散らかされた野菜が痛々しい。
「なんと、非道なことを……っ」
と、呻いたのはジャスティ様だ。ジャスティ様は、毎朝菜園の手入れをなさっている。野菜への思い入れは、人一倍だろう。
「早く捕まえましょう!」
お嬢様の言葉に、皆は頷く。食べ物大事!
一斉に駆け出す私達。
すると、野菜に群がっていたビット達は、逃げるところか威嚇をして、こちらに走ってくる。鋭い前歯が光る。
「えー、何あのビットー。引くわー」
「クウリィ、無駄口を叩くな!」
「来ますよ!」
ぐわっと、ビットが大口を開けて飛び掛かってくる。
「えいっ!」
私は網を降り下ろしたが、素早いビットはするりと隙間を抜けてしまう。うう、私の役立たず。
他の皆様は、と見れば。皆様も、苦戦しているようだ。
「うわっ、なんか、凄い噛んでくる!」
クウリィ様の持つ網の柄にビットが噛みついている。うわぁ、容赦ない。
「クウリィ! そのままで居ろ!」
「え……ちょっ」
ジャスティ様が網を振り上げ、クウリィ様……の、柄に噛み付くビットへと降り下ろす。
しかし、ビットはまたもや逃げてしまう。
そして、ジャスティ様とクウリィ様はぶつかった衝撃で、地面へとダイブ! うわ、痛そう!
「何をやってるのですか、二人とも!」
「だって……ジャスがぁ。て、ジーン危ない!」
ジーン様にも、ビットが襲い掛かる。
「く……っ」
しかし、ジーン様は華麗な柄捌きでビットをいなしていく。だけど、かわすのが精一杯で、一匹も捕まえられない。
「──風よ……」
ふと、風の流れが変わる。クリフ様だ。クリフ様は、両手の平を前へ向け呪文を唱えている。魔法を使う気なのだ。
確かに魔法を使えば、ビット達もただだでは済まないだろう。でも……。
「駄目よ、クリフ様! 野菜に傷が付いちゃう!」
「そうだ! 止めろ、クリフ!」
野菜を愛するお嬢様とジャスティ様に、待ったを掛けられてしまう。
「分かり、ました」
不満そうに両手を下ろすクリフ様。すみません、野菜って繊細なんです。
結局、私達はビット達に振り回され続けた。
網を振れば互いに当たり、ビットを追い掛ければ誰かとぶつかり、揉みくちゃになる。
野菜を踏まないように動かなければならないので、精神的にも疲弊していく。ビットめ。私の目も据わってくる。
よく見たら、周りの皆様も同じように肩で息をして、怖い表情を浮かべていた。ビットめ。
私達は、日が暮れるまでビットと戦い続けた。その頃には、ビットへの敵愾心で皆の心は一つになっていた。
辺りが薄暗くなると、ビット達は森へと引き返していく。活動時間が終わったのだ。もう、私達はくたくただ。
「……こんなに網を振り回して、捕まえたのは」
「たったの、五匹かぁ」
私達はぐったりとへたりこみ、捕獲用の篭を見る。
篭の中では、五匹のビットがキイキイ鳴いていた。腹が立つほど元気だ。
「まさか、穏やかな気性のビットがあそこまで暴れるとは……」
髪がぐしゃぐしゃになったジーン様が、疲れた様に言う。
「ああ。あのビットが、だ。これはもしや……」
「うん。その可能性は否定出来ないよね」
「魔の、匂いが、しました」
ジャスティ様とクウリィ様。そして、クリフ様が真剣な表情で話す。
可能性とは、この村にも異変が起きているという事だろう。見るからに平和そのものの村なのに……。やはり、ゲームと同じように世界は闇に浸食されようとしているのか。私は、気持ちが沈んでいくのを感じた。
いや、絶望に囚われるのはまだ早い。世界には、まだお嬢様が居る。希望は、輝きここにあるのだ。
私は、お嬢様を見る。
お嬢様は、口元を押さえ肩を震わしていた。どうしたのだろう。心配になって見てみれば、お嬢様は口元から手を離す。
そして。
「あっはははは!」
爆笑した。お嬢様!?
「な、何を笑っている!」
ジャスティ様が声を尖らし、お嬢様を見る。
お嬢様は尚も笑ったまま、目に涙まで浮かべている。
「だ、だって。貴方達、そんな、格好で。真剣に話してるのだも、の……ふふっ!」
お嬢様に言われて、皆様自分の格好を見る。髪はボサボサ。服は泥だらけ。
顔にすら、泥が付着している。散々な姿だ。
そう。そんな姿で、彼等はシリアスな会話をしていたのだ。
お互いを見やった皆様は、俯き。そして、顔を上げると。
「は、ははは……っ」
お腹を抱えて笑いだした。
「……ぷっ」
笑いの大合唱に、私まで釣られてしまう。私も、勿論泥だらけだ。
「そう言うお前だって、酷いじゃないか!」
「あーら、貴方ほどではないわよ!」
ジャスティ様とお嬢様は言い合い、そして、顔を見合わせて笑い出す。
それから暫く、私達は笑いあった。
「ああ、こんなにも笑ったのは久しぶりだ」
ジャスティ様は、目尻の涙を拭うとお嬢様を見る。そして、頭を下げた。
「ちょっと……っ」
驚くお嬢様。
「今までの非礼の数々、すまなかった」
ジャスティ様が、お嬢様に謝罪を!
「俺は、自分勝手な思い込みで君を傷付けた。本当に、すまない」
「ジャスティ様……」
お嬢様は両目を見開き、そして微笑んだ。
「頭を上げて、ジャスティ様」
「しかし……」
渋るジャスティ様に、お嬢様は顔を緩く振る。
「いいの。誤解だったのだもの。誤りは解けてしまえば、何も残らない。だから、これから仲良くしていきましょう?」
「ありがとう」
顔を上げたジャスティ様は、微笑んでいる。優しい笑みだ。
見つめ合う二人。そして。
「あー、はいはい。仲直りおしまい!」
間に割って入るクウリィ様。雰囲気台無しだ。
「なっ、クウリィ!」
「そうですよ、ジャスティ。まだ、問題は山積みなのですから」
お嬢様の肩に手をのせ、ジャスティ様から遠ざけるジーン様。
あ、体力のないクリフ様はずっと地面でへばってます。
「問題?」
「ええ、お嬢さん。ビット達はこれからも畑を荒らすでしょう。根本的な問題を、解決しなくては……」
物憂げなジーン様の言葉に、お嬢様も 顔を曇らせる。
そうだった。ビットの脅威は去っていないのだ。
「……あの」
クリフ様が、地面に倒れこんだまま右手を上げる。
「なんだ、クリフ」
ジャスティ様の言葉に、のろのろと体を起こすクリフ様。
「ビット、は、魔に侵されて、ます。なので」
ごそごそとローブのポケットを漁るクリフ様。取り出したのは、黒い袋だ。
クリフ様は、真剣な表情で驚くべき事を言った。
「この魔除けの粉を、畑の周りに撒けば、ビットは近寄れません」
どや顔のクリフ様。
いや、あの、クリフ様?
それって、つまり……。
「最初から言いなさい! そんな大事なことは!」
「え、なに? 俺らの今までって」
「無駄……?」
ジーン様が珍しく叫び、クウリィ様とお嬢様が脱力する。
「クリフ、後で話し合おうか」
ジャスティ様に至っては、表情が抜け落ちている。
「え、と……」
助けを求めるように、クリフ様が私を見る。
私は、そっと視線を逸らす。
ごめんなさい、クリフ様。私は、無力なんです。
こうして、私達のビット捕獲作戦は幕を降ろしたのだった。