第五話
翌朝、クリフ様と一緒に日課である花壇の手入れをしていると、お嬢様に声を掛けられた。
「二人とも、おはよう!」
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ございます……」
先ほど、ジャスティ様の悲鳴を聞いた。なので、お嬢様は一仕事終えたばかりなのだ。お疲れ様です。
「お嬢様、何かご用でしょうか」
最近のこの時間は、お嬢様はジャスティ様と菜園に居る事が多い。なのに、わざわざ私に話し掛けられたということは、何か申し付けがあるということになる。
「ええ、そうなの。手が空いてからでいいのだけど、森にジャムにする木苺を採ってきてほしいの」
ジャムか。確かに残りは少なかったはず。朝食のパンに塗って終わりだろう。
「分かりました」
私は、クリフ様を見る。雑草を片手にクリフ様は、うなずき返してくれた。
「ありがとう、二人とも!」
輝く笑顔で言われ、私は照れてしまう。やっぱり、お嬢様大好きだ。
ついスカートの両手で掴み、もじもじしてしまう。
「ふふ、いい子」
私の気持ちが分かったのか、お嬢様が頭を撫でてくださる。えへへ。
クリフ様が側に居るので、恥ずかしいという気持ちはある。だけどそれ以上に、嬉しさが勝るのだ。
私がほっこりとしていると、冷たい声が耳に飛び込んでくる。
「森に入る汚れる仕事は、人任せか。いいご身分だな」
ジャスティ様だ。銀髪が、朝日に煌めいている。こうして改めて見ると、本当に美しい男性だ。表情が侮蔑に満ちていなければ、だが。
ジャスティ様は、お嬢様を睨み付けている。お嬢様はお嬢様で、ジャスティ様の態度に慣れていらっしゃるのか、平然と視線を受け止めている。
「また、貴方は……。どうして私に突っかかるの?」
「ふん。お前が俺の気に障ることばかりするからだ。あ、朝の事も……っ」
ジャスティ様は、言葉を詰まらせる。頬が赤い。ああ、毎朝恒例の床と顔面こんにちは、を思い出しているんですね。
「あれは、貴方が声を掛けても、揺すっても、叩いても起きないからじゃないの」
「な……っ、叩いたのか!?」
「頬っぺたをつねったりも、してるわよ」
「貴様……っ!」
激昂するジャスティ様に、お嬢様は勝ち誇った顔をする。
「だったら、ちゃーんと起きればいいのよ」
「ぐ……っ」
お嬢様は、ジャスティ様に容赦ありません。人とは鏡なのです。ジャスティ様がお嬢様に嫌な態度を取れば、それは自分に返ってくる。そう旦那様が仰ってました。旦那様、格好いい。
「それに、私は用事があって森には行けないのよ」
お嬢様は、声をきつくして言う。少し怒っているようだ。
先ほどの、ジャスティ様の人任せ発言の事を言っているのだろう。
「どんな用なんだかな」
「あのね……っ!」
ジャスティ様の小馬鹿にした言い方に、お嬢様は声を荒げる。ジャスティ様、態度が酷すぎる。お嬢様が怒るのも無理ない。
「私は……」
「村の子供達に、勉強を教えているのですよ」
お嬢様の言葉を遮り静かな声が、庭に響く。
現れたのは、黒髪の穏やかな人物。
「ジーン……」
「ジャスティ、貴方は度が過ぎています。彼女に謝りなさい」
いつもは微笑みを浮かべているジーン様だけど、今日は違う。静かな怒りを瞳に宿している。
ジーン様が怒っていらっしゃる。私の喉がごくりと鳴る。クリフ様も、作業の手を止めジーン様達を見つめている。
ジャスティ様は、口を引き結んでジーン様を睨んでいる。だけど、直ぐに視線を逸らし、舌打ちを一つする。お行儀が悪いです。
そして、何故かお嬢様に鋭い視線を向けるジャスティ様。
「……ジーンを味方に付けたからって、いい気になるなよ」
と、どこぞの悪役のような捨て台詞を残し、背を向けて立ち去ってしまう。
「ジャスティ!」
ジーン様が鋭く名を呼ぶけれど、ジャスティ様は立ち止まらなかった。
ジーン様は、深く息を吐いた。
「お嬢さん、本当にすみません」
「いえ! ジーン様が悪いわけではないですし。私も言い過ぎた、かも……はは」
お嬢様は苦笑を浮かべている。
いえ、お嬢様は悪くないですよ。お嬢様は、村の子供に勉強を教えたりしていて、お忙しい身ですし。それを知りもしないで、お嬢様を罵ったジャスティ様が圧倒的に悪いと思いますよ!
「ジャスティ様、短気、です」
ほら、クリフ様もこう仰ってますし!
「ジーン様、クリフ様……。ありがとうございます」
お嬢様は、微笑む。心からの、綺麗な微笑みだ。私の心臓ノックアウト!
「い、いえ。私は、大したことは言ってませんよ」
ジーン様の頬が赤い。ジーン様も、ハートを撃ち抜かれましたね! 仲間です!
「僕、も……」
クリフ様は俯いているから、表情は分からないけれど。きっと、お嬢様に好意を抱いた筈だ! お嬢様、罪作り!
「しかし、ジャスティにも困ったものです」
「はい。ほんの少しでも、心を開いてくれると嬉しいんですけど……」
お嬢様は寂しそうに笑う。お嬢様は、優しく人との繋がりを大事になさる方だ。ジャスティ様との今の関係に、きっと心を痛めている筈だ。お嬢様……。
「何か切っ掛けでもあれば、ジャスティも態度を軟化すると思うのですが……」
切っ掛けか。
確かに、今のジャスティ様は少し意固地になっているように思える。
お嬢様の事も、無理に曲解しようとしているみたいだし。うーん。
「難しい、問題、です」
ですよねー、クリフ様。
「あれー、皆揃って何してんの」
と、暗くなった空気を呑気な声で吹き飛ばしたのは、クウリィ様だ。今日もピンクのエプロンを装着して、箒を持っている。和む姿だ。クウリィ様を見て和んじゃうの、ちょっと心外だけど。
「なーに、ジャスがまた言い掛かりでもつけてきたー?」
「……」
クウリィ様、鋭い!
「え、本当に? ジャスも困った奴だねー」
クウリィ様の言葉に、私達は苦笑を浮かべる。
切っ掛けかぁ。何か良いものがないだろうか。
朝食が終わり、私とクリフ様は森へと入る。木苺集めの使命を全うするのだ!
森は静かだ。鳥のさえずりに、風に揺れる葉の音。空気も美味しい。恵みの森だ。
「……」
クリフ様も私も、積極的に話す方じゃないので、基本は無言だ。だけど苦じゃない。クリフ様の静かな空気、私嫌いじゃない。
お嬢様と私も、二人で静かに過ごす事が多い。沈黙がもたらす心地好さも、お嬢様が教えてくれた。
「あ、クリフ様。木苺ありました!」
「うん」
二人で、木苺を潰さないように摘み取っていく。良い匂い。
ぷちぷち。音が響く。静かだなぁ。気持ちのよい風が吹く。微かな揺れが広がる森。なんて、平和な光景だろう。
「……ねえ」
私が森の恵みを感じていると、クリフ様が声を掛けてきた。クリフ様から話し掛けられるのは珍しい事だ。私は、クリフ様を見る。クリフ様も、私を見ている。
「君は、嫌じゃ、ないの?」
突然の質問に、私は目を瞬かせる。
嫌? 何が?
「木苺摘みなら、嫌じゃないです。ジャムすきですし」
「違う」
クリフ様は、否定する。木苺摘みの事じゃないなら、何が。
ぷちん、とクリフ様が木苺を摘む。
「僕。あまり、話さない、し。一緒に居て、つまらないでしょ」
ぷちん、と。また木苺が摘まれる。
私は、クリフ様が大事な事を話しているのだと、直感する。
クリフ様は、自分の中にある劣等感を話してくれているのだ。
私は、少し考えてから話す。
「つまらなく、ないですよ」
「嘘だ」
クリフ様は、即座に否定してきた。これは、相当根深い問題なのかもしれない。
「嘘じゃないです。つまらなくないです。クリフ様、分かりませんか?」
「何、が?」
クリフ様に私は笑いかけ、周りを見回す。
「私達、確かに無言でしたけれど。世界は、案外騒がしいんです」
私は、木々に止まる鳥を指差す。
「鳥。さえずりが耳に心地好いです。数が集まれば、更に賑やかです」
そして、両手を広げる。目を閉じ、全身で感じ取る。
「風。そよぐと葉がさらさらと音を立てます。綺麗な音です」
これは、全部お嬢様が教えてくださり、今では私の一部となった感覚だ。
『ほら、世界はとても美しいのよ』
本当ですね、お嬢様。世界は、美しい。
そんな世界をお嬢様は救うのです。誇らしさいっぱいで、目を開けてクリフ様を見る。
クリフ様は、驚いたように目を見開いている。
「同じ……」
「え?」
クリフ様の呟きに、私は聞き返す。同じとは、どういうことだろうか。
「僕、も。好き。鳥の声、風の音」
クリフ様は、私を見つめ。そして──笑った。ふわりと。
「同じ、嬉しい」
初めて見る、クリフ様の笑顔に私の心臓は煩く鳴り響く。顔が、熱い。
クリフ様の笑顔の、威力凄い!
「わ、私も同じで嬉しいですよ……あ」
顔に集まる熱を誤魔化そうとして、私は視線をさ迷わせる。そして、森の中動く白い生き物を発見する。
ビットだ。見た目はウサギによく似ている。草食動物で、子供でも素手で捕まえられるほど大人しい生き物だ。
「み、見てください。ビットですよ」
私は、おかしくなった心臓を鎮める為に、ビットに近付く。瞬間。
「危ない!」
「シャアっ!」
クリフ様の声がしたかと思うと、大人しい筈のビットが、鋭い前歯を見せ飛び掛かってきたのだ。なんで!?
尻餅をついた私は、ビットから逃げられない。ぎゅっと目を瞑る。怖い、怖い。
「──風よ!」
クリフ様の声がする。
「ギャンっ!」
ビットらしき悲鳴が聞こえた。私に衝撃は無い。
何がおきたのだろうと、私は目を開ける。見えたのは、後ろを見せ、草むらの中に逃げていくビットだ。
「大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございます」
私は、クリフ様にお礼を言う。何があったのか状況は分からないけれど、クリフ様が助けてくれたのは分かる。
それにしても、さっきのビットはなんだったのだろう。
私はクリフ様に手を貸して頂き、立ち上がる。
「……」
伺い見たクリフ様は、鋭い視線をビットが逃げた方向に向けていた。
その姿に、私は胸騒ぎを覚えた。
世界では、異変が起きている。その事を思い出した。