第三話
波乱に満ちた同居生活が、幕を上げた。
自分なりのおもてなしをすると宣言したお嬢様は何を思ってか、手伝いの村の人達を皆帰してしまった。
私達と特務騎士達以外誰も居ないお屋敷で、既に用意されていた夕食を静かに食し。夜が明け、今に至る。
私は、朝起きると直ぐに庭に出て、庭にある花壇の手入れをしている。日課である。
「……」
しかし、今日はいつもと少し違う。
クリフ様だ。クリフ様が、花壇の手入れを手伝って下さっている。
私が雑草を引っこ抜いていると、無言で近付いてきて、そのまま私と同じように雑草を抜き始めたのだ。
「手伝ってくださるのですか?」
と尋ねれば。
「ジーン様が、同年同士、仲良くしろと、命令した、から」
という答えが返ってきた。
確かに昨晩。静かな夕食のあと、ジーン様が私とクリフ様に向けて話しを振られた。
「貴方達は、歳も同じですし。仲良くしてくださいね」と。
そうか。クリフ様にしてみたら、あれは命令になるのかと、私は驚いた。そして、律儀に守るクリフ様は案外素直な方なのかもしれないと思った。
「あっ、その草は薬草なので抜かないでください」
「分かった」
と、割りと無音が多い中、私達は静かな時間を過ごしていた。
しかし、そんな時間は長くは続かなかった。
「う、わああああ……っ!」
という、男性の悲鳴がしたのだ。直後に、ドッタンという重い音もした。
何事かと、私は立ち上がったが。クリフ様は、草を抜きながら動じた様子もなく、ポツリと呟かれた。
「多分、ジャスティ様の、悲鳴」
「た、大変じゃないですか!」
ジャスティ様は、大事なお客様だ。そんな方に何かあれば大変だ!
あわあわと、慌てふためく私をクリフ様は不思議そうに見ている。貴方は何で、そんなに落ち着いてられるんですか。
「ジャスティは、強い方ですから大丈夫ですよ」
後方から、穏やかな声がした。ジーン様だ。
「お、おはようございま、す……?」
私は慌てて、朝の挨拶を口にしたのだけれど、途中で疑問符が付いてしまった。
だ、だって!
振り向いた先のジーン様の姿が!
ピンクのエプロンと同色のほっかむりを装着してて、箒と塵取りを装備していたのだもの! 驚きすぎて、一瞬お似合いですよと口走りそうになってしまった。
「ど、うしたのですか。その格好は……」
「似合って、ます」
クリフ様が言っちゃった!
「ふふ、ありがとうございます」
ジーン様は穏やかに笑う。大人の余裕を感じる。流石、特務騎士最年長、二十四歳。因みに、クウリィ様は二十一歳だ。
「このエプロンは、お嬢さんからお借りしたのですよ」
「お嬢様から」
そう言われれば、確かに見覚えのあるエプロンだ。
「この箒達は、おもてなし、ですよ」
「え……?」
なんの事か分からない私に、ジーン様は説明してくださった。
曰く。ジーン様が起床すると、お嬢様が部屋を訪ねてきたそうだ。エプロンと掃除道具持参で。
そして、笑顔でこう言ったそうだ。
「我が家は、自分のことは自分で、が決まりなの。だから、ジーン様。お掃除お願いしますね」
我が家の方針に従ってもらう。それが、お嬢様流のおもてなしなのだと言い切ったのだと言う。お嬢様、格好いい。
「ふふ、騎士団でも掃除洗濯は得意な方でしたから、任せてください」
そうやって笑えるジーン様も、格好いいです。
「ジーン様は、メイド要らずの、騎士だから」
ポツリと、クリフ様が呟く。
つまりジーン様は、日頃から騎士団に居るメイドさんに頼らずに生活していたという事か。理想のお婿さんだ!
「クウリィは、村長さんと朝食の準備をしていますよ」
クウリィ様も、労働中でしたか。
「ジャスティは……、朝に弱い質でして」
ジーン様は苦笑を浮かべる。
ジーン様曰く。お嬢様は、クウリィ様にお仕事を任せた後、ジャスティ様を起こしに行かれたそうだ。あれ、嫌な予感がする。
さっきの悲鳴は、まさか。
ひんやりとした汗が、私の頬を伝う。まさか、お嬢様?
私が、確信する前に。ドンッと、庭に面したお屋敷の扉が乱暴に開かれた。びっくりした!
扉から出てこられたのは、ジャスティ様だ。顔を真っ赤にしている。ご立腹のようだ。
「なんだ、あの女は!」
「ジャスティ、声が大きいですよ」
「煩い!」
ジーン様が諌めても、怒りは収まらないようだ。
ジャスティ様は、苛々と庭を行ったり来たりしている。
「あの女、俺をシーツごとひっぺ返したぞ!」
想像して、私は慌てて口を押さえる。不味い、噴くところだった。
だって、想像出来ちゃったのだもの。えいやーとシーツを引っ張るお嬢様に、空中に投げ出されるジャスティ様が。あ、不味い。ツボに入りそう。
「……ぷぷっ」
今の噴き出したの、私じゃないよ。
クリフ様だ。肩を震わせている。
私とクリフ様、笑いのツボが同じようだ。更に親近感。でも、今は間が悪かった。
「クリフ、貴様!」
「まあまあ、ジャスティ抑えて」
激昂するジャスティ様を、ジーン様が宥めて事なきを得た。ジーン様は偉大な方だ。
「すみません」
クリフ様、謝罪を口にしたけれど、目線は下のままだ。
たけど、ジャスティ様も落ち着かれたのか、今度は怒鳴らなかった。
「……ふん」
と、そっぽを向くジャスティ様。そういう行動を見ると十八歳なのだと実感する。
「ジャスティ。起こされたなら、貴方も何か仕事があるのでしょう」
ジーン様の言葉に、ジャスティ様の眉間の皺が深まる。
「ジャスティ?」
「……野菜の収穫を、頼まれた」
面白く無さそうに、ジャスティ様は答える。
野菜ということは、お屋敷自慢の家庭菜園の事だろう。美味しいよ!
「あの女が、先に行っているから、早く来い、と……」
「なら、早く行きなさい」
「しかし……」
ジャスティ様は渋る。お嬢様の言いなりになるようで、面白く無いのだ。
だが、そんなことジーン様が許す筈もない。
「ジャスティ。貴方が彼女のおもてなしを承諾したのでしょう?」
諭すように言われ、ジャスティ様は暫くの無言のあと、呟いた。分かった、と。
「……約束は、守る」
そう言うと、ジャスティ様は菜園の方へと歩き出す。
ジャスティ様を見送ると、ジーン様は深くため息を吐く。苦労してるのだと、それだけで分かってしまう。
「ジーン様」
クリフ様が、ジーン様を呼ぶ。
「なんですか、クリフ」
「僕、は……どうしたら」
端的なクリフ様の言葉だけど、ジーン様は分かったようだ。
「ああ、貴方はそのまま彼女のお手伝いをしてください」
「はい」
素直に頷くクリフ様。
ジーン様は、私へと視線を移す。目が合い、私の心臓がドキンと跳ねる。
「彼のこと、よろしくお願いしますね」
「は、はい!」
私の返事に満足したのか、ジーン様はにっこり微笑むと、箒と塵取りを持ってお屋敷の方へと歩いていく。
「が、頑張りましょうね!」
ジーン様にお願いされた高揚感のまま、私はクリフ様に話し掛ける。
「うん」
クリフ様は、こくりと頷いてくれた。
そうして私達は、朝食の時間まで花壇の手入れに勤しんだのだった。
朝食の席は、またもや無言であった。
誰一人喋る事なく、食卓の上にある物体を注視している。物体。そう、物体だ。黒く泥々としたものが、朝食用のお皿に鎮座していた。何これ。
ただ一人、クウリィ様だけが、あははと朗らかな笑い声を上げている。
「ごめーん、皆。失敗しちゃった!」
「し、失敗とかいう段階は、軽く越えているだろう!」
額に青筋を立てて、クウリィ様を責めるジャスティ様。お気持ち、よく分かります。
朝の労働を終え、程よくお腹を空かせて朝食の場に来てみれば。テーブルの半分を謎の物体が埋めていたのだ。食べられるの、あれ。うぇっぷ、匂いが凄い。
残り半分は、マトモな料理なのは旦那様がお作りになった分だろう。
「食材が宙を舞い、炎が吹き荒れる。そんな料理でした」
と、旦那様が遠い目をしている。
「え、えーと。クウリィ様は、料理が得意だと……」
お嬢様が、頬をひきつらせて質問する。
クウリィ様はあっけらかんと笑う。
「得意なんて言ってないよ。料理なら、任せて! って、言っただけ……あだっ!」
「同じ意味だ、馬鹿者!」
クウリィ様は、ジャスティ様により怒りの鉄槌が下された。なむ。
「……今日のお昼からは、私が料理を担当しますね」
「お願いします、ジーン様」
疲れたように言うジーン様に、お嬢様が同意する。
しかし、謎の物体はどうしたらいいのだろう。畑の肥料になったりしないだろうか。
「……お腹、空いた」
クリフ様の声が、虚しく響いた。
朝とは違いお昼を無事に終えた私は、村に来ていた。クリフ様は、無言で私の後を付いてくる。
ふう、今日も風が気持ちいい。小鳥のさえずりが心を穏やかにしてくれる。
こういう小さな事に気付く事が出来るのは、全てお嬢様のお陰だ。お嬢様は、世界を素敵に彩る事の出来る天才なのだ。
「今から行くお家のお婆さんから、薬を分けてもらうんです」
「……」
私は、クリフ様に説明しながら歩く。
「あら、おはよう。魔術師様もおはようございます」
「今日も、元気そうだねぇ。魔術師様、この村はどうですかな」
「姉ちゃん! また、お嬢様と一緒に遊んでねー!」
途中、何人かの村の人と出会い挨拶を交わしていく。皆、元気で何よりです。
薬を分けてくれるお婆さんも、元気いっぱいでした。私とクリフ様に、おやつとして焼き菓子までくださいました。やったー。
「良かったですね、クリフ様!」
「……」
嬉しくなってクリフ様に話しかければ、クリフ様は眉間に皺を寄せ手の中にある焼き菓子の袋を見つめている。
どうしたのだろうか。
「焼き菓子、嫌いでしたか?」
「……違う」
クリフ様は否定する。ならば、何故焼き菓子を睨み付けているのだろう。
私は、クリフ様の言葉を待った。
「……皆、おかしい」
「え?」
クリフ様は俯いたまま、話し出す。
「普通、魔術師なんて、無視するのに……」
あ! クリフ様の言いたい事が分かり、私はあることを思い出す。
『予言の乙女』の世界では、魔術師とは未知の力を使う存在として、恐れられているのだ。だから、魔術師達は魔法院という組織を作り、要らぬ争いを避けている。思い出した。村があまりにも長閑過ぎて、それに染まっている私は、その事をすっかり失念していた。
「君達も、そう。僕を、怖がらない」
クリフ様は顔を上げ、私を見る。その顔は、何だか泣きそうだった。
「変な、ところ」
それだけ言って、再び俯いてしまったクリフ様を見て、私は思う。
村の人達や、お嬢様の優しさがクリフ様の傷付いた心を癒してくれればいい、と。
そして、まずは私から行動に移そうと思う。
美味しい焼き菓子を、二人で一緒に食べる事から始めよう。