番外編
ジャスティ様とお嬢様のお屋敷にお世話になって二年。十六歳になった私は、試練のなかにいた。正確には、お嬢様とジャスティ様にとって大事な出来事が今夜起きようとしているのだ。
私とジャスティ様は、とある扉を祈るように見つめていた。
ふかふかの絨毯の感触すら分からないぐらい、足が緊張している。
隣に立つジャスティ様は、「……どうか、無事で」と呟いた。
私も同じ気持ちです。
ああ、女神様。どうか、どうか……!
祈りを捧げた瞬間のこと。
体を震わす産声が、扉の向こうから聞こえた。
「ああ……!」
ジャスティ様が声を上げた。
「女神よ!」
その声には感謝の気持ちが込められていた。
「生ま、れた……」
へたりと、私は絨毯に座り込む。安堵から力が抜けてしまったのだ。
元気な泣き声には、生命の強さが宿っていた。
生まれたのだ。お嬢様のお子様が!
「ジャ、ジャスティ様! 父親ですよ! おめでとうございます!」
まだ震える声でジャスティ様を見上げれば、ジャスティ様の目からは涙が溢れていた。
「ああ、ああ、元気な声だ……!」
ジャスティ様はお嬢様が産気づき、この部屋に運ばれるまでずっとおそばにいらした。お嬢様を励まし続けていたのだ。
きっと、ご自身も不安だったはずだ。
それでもジャスティ様は、そんな様子を微塵も見せなかった。力強くお嬢様を支えてくださった。
けれどジャスティ様は、本当は初めてのことだらけで、張り詰めていたのだと思う。
それが、お子様の誕生でようやく緩んだのだ。
気がつけば、私の目からも涙が溢れていた。
まさか、こんなにも素晴らしい瞬間に立ち合えるだなんて。永久の楽園にいた頃には想像もしていなかった。
「良かったですね、ジャスティ様」
「ありがとう、嬉しいよ」
お互い涙声なのは仕方ない。嬉しいのだから。
そして、扉が開かれた。中からお産婆さんとジャスティ様のお母様ーー大奥様が現れた。
お二人とも疲れた様子だけど、表情は明るい。
大奥様がにこやかに口を開いた。
「二人とも喜びなさい。お子もあの子も元気ですよ」
「そ、そうですか!」
ジャスティ様の目が、また涙で輝く。私もお嬢様の無事を知り、また涙が出た。
お産は命がけなのだ。お嬢様、本当に良かった!
「ふふ、お子は清めて今はおくるみの中よ。ジャスティ、あの子は頑張りました。跡継ぎを生んでくれたことも、無事にお産を終えたこと。本当によくやりました」
「は、母上。妻や子には、もう会っても良いのですか?」
「ええ、行きなさいな。でも、静かにするのですよ?」
「はい!」
ジャスティ様は、お嬢様とお子様のいらっしゃる部屋へと飛び込んでいく。
「あらあら、静かにと言ったのに」
「それだけ、奥様を愛していらっしゃるのですよ」
呆れる大奥様に、微笑ましく目を細めるお産婆さん。
部屋のなかからは、ジャスティ様とお嬢様の静かな声が聞こえる。
「では、わたくしはもう少し様子を見ますので」
「ええ、頼みました」
「はい」
お産婆さんは、再び部屋のなかへと戻っていく。
あとには、私と大奥様が残った。
大奥様は、座り込んだままの私を見ると、目を細めた。
「あなたも、よく頑張りましたね」
「あ、い、いえ! 私なんか、お嬢様に比べたら!」
座ったままでは、失礼だ。急いで立ち上がろうとしたけれど、足が震えてしまう。
「あ、あれ……?」
ふらふらとおぼつかない私を、あろうことか大奥様が支えてくださった。
「も、申し訳ありません!」
「いいのです。あなたがいてくれたから、ジャスティも平常心でいられたのですよ」
「え……?」
大奥様を見上げれば、優しい微笑みが返ってくる。
「あの子たちの友人は、忙しい身。今日は皆様、来られない。精神的に頼れたのはあなただけでした。男性はね、弱い生き物なのですよ」
くすりと笑う大奥様に、私は曖昧に笑い返す。私、お役に立てたのかな?
「あなたも、あの子に会いたかったでしょうに。ジャスティに譲って偉かったですよ」
そして、ぎゅと抱きしめられた。
大奥様は、お優しい方だ。
大貴族の奥方なのに、平民の私にすごく良くしてくれた。お嬢様のことも、とても可愛がってくださる。
「女性不信の息子を救った救世主」と、お嬢様のことを呼ぶことがある。いや、本当に世界を救ったので、大奥様は二重の意味でお嬢様に感謝しているのだとおっしゃっていた。
「さあ、あとのことは任せて、わたくしたちは、お茶にしましょう。もう夜も遅いわ。お茶で体を温めたら、寝なさいね」
「は、はい!」
本当は、お嬢様が心配だったけど。今は、ジャスティ様がそばにいるべきだ。
お嬢様、お疲れ様でした。
お子様の誕生、本当におめでとうございます!
赤ちゃんのほっぺたには、幸せが詰まっていると思う。
お嬢様がお子様を生んでから、ひと月が経ちました。
私はお嬢様に抱かれたお子様ーーエルドラ様を見てはニヤついてしまう。エルドラ様は、お嬢様にそっくりなのです。
きっと、美少年になりますよ、お嬢様!
「エルドラ様、寝てますねー」
「ええ、今はお腹もいっぱいだから、ぐっすりね」
お嬢様は優しい眼差しをエルドラ様に向けています。
お母さんの顔です。
「いやあ、絵になるねえ」
「本当に。エルドラは幸せ者ですね」
「可愛い……」
おっと、そうだった!
今日は、クウリィ様とジーン様。そして、クリフ様がいらしていたのだ。
皆様忙しくしてらしたので、ひと月経っての初対面なのです。
お嬢様の産後の状態を慮ったというのもあるのだ。
ジャスティ様は、今は仕事で執務室にいます。ご当主様ですから。お仕事頑張ってください。夜になれば、お嬢様とエルドラ様との時間が待ってますからね。
「ジャスが親かあ。俺も年取るはずだよ」
しみじみと言うクウリィ様にジーン様が苦笑する。
「あなたも、家庭に入りますか?」
「んー、今は仕事が楽しいから。まだいいかな。そう言ったジーンはどうなんだよ」
「自分は、まだまだ未熟ですから」
「出たよ、剣術馬鹿」
クウリィ様とジーン様の軽口に、思わず笑ってしまう。本当に変わらない。
クリフ様はお嬢様にすすめられて、エルドラ様を抱っこしている。
「ほ、本当に、小さいね……」
「ええ。でも、日を重ねるごとに重くなるの。成長しているのね」
「そうなんだ……」
おお、クリフ様。予想外に様になっている。その証拠に、抱っこにうるさいエルドラ様が起きない。
すると、クウリィ様がニヤニヤ笑いだした。
「クーリフ! 次はお前らの番だろー?」
「……クウリィ様、意地が悪いです」
横目で、クリフ様がクウリィ様を睨む。
ん? 次はクリフ様の番? なんだろう?
首を傾げていると、お嬢様がにこやかに私を見た。
「あらあら。クリフは苦労しそうね」
「なあんだ。お前ら、進展してないの?」
つまらなそうに言うクウリィ様の頭を、ジーン様が叩いた。
「いて!」
「二人の問題に突っ込むのは、感心しませんよ」
「そうよ、クウリィ。クリフだって、頑張ってるのよ」
「そうですよ。この間、宝石商……」
「ジーン様、その話は!」
クリフ様が慌ててジーン様の言葉を遮る。それを見て、クウリィ様は何か得心がいったのか、うんうん頷いていた。
「そうか、そうか。クリフ、大人になったなー。もう、二十三だもんな。んで、彼女が十六歳。いいねー、適齢期だ」
「クウリィ様!」
「ふえ……っ」
クリフ様の声で、エルドラ様が起きてしまわれた。
泣き出すエルドラ様に、クリフ様は慌てだす。すぐさま慣れた様子で、お嬢様が抱きかかえた。
「よしよし。エルはいい子ねー」
エルドラ様が泣いたことにより、クウリィ様はクリフ様をからかうのをやめた。
しかし。
しかし、だ。
私、理解してしまいました。今までの会話の意味を。
クウリィ様! 破廉恥です!
私は、熱い頬をなんとかするのに必死で、クリフ様に見つめられていることに気づいていなかった。
そうして、クウリィ様はジーン様とクリフ様に叱られながら、皆様お帰りになられました。
はあ、焦った。
私は、大奥様から一般教養を習っている。
今までは田舎の出だから、恥をかかないようにと教えてくださっているのだと思っていた。
けれど、クウリィ様の言動により気づいてしまった。
平民が普通に暮らすだけなら、行儀作法は必要ない。しかし、大奥様は熱心に教えてくださった。
それは、つまり私に必要だということで。大奥様は、私の将来を見据えていたのだ。
大奥様は知ってらしたのだ。
私とクリフ様の関係を。
「は、恥ずかしい……」
夜。自室のベッドにうずくまり、呻く。
よくよく考えれば、分からないはずがない。
この二年間。クリフ様は、仕事の合間をぬっては、私に会いに来てくれた。
誕生日には、花束と装飾品。二人きりになれば、抱きしめられることもあった。
「……筒抜けだったんだ」
クリフ様との関係を恥ずかしく思うわけではない。
ただ、明確に周りに認識されていると理解してしまったのが恥ずかしい。
だ、大丈夫かな? 無意識に、こう、雰囲気的に甘くなってたりしてなかったかな?
……クリフ様の私を見る目は、照れるぐらい優しかった!
私も、クリフ様を見かけたら駆け寄ってた!
「ああー……」
枕に顔を埋める。
なんだか、心がむずむずするよー!
どうしよう。明日、クリフ様と普通に話せるかな。周りの目を意識しちゃいそう!
羞恥に悶ていると、何故か部屋のバルコニーから風が吹いた。
あれ、窓は閉まっていたはず……?
枕から顔を上げると、部屋の絨毯に月明かりに浮かぶ人影が。
バルコニーに、誰か、いる?
恐怖が浮かぶよりも早く、聞き親しんだ声がした。
「……やっぱり、悩んでた」
「クリフ、様?」
バルコニーに立っていたのは、宮廷魔術師長のマントに身を包んだクリフ様だった。
なんで、クリフ様がバルコニーに?
呆然とする私に構わず、クリフ様は部屋に入ってくる。
ああ、お風呂に入る前で良かった。寝間着姿を見られるのは恥ずかしい。
そんなことを考えてしまうのは、やはり私も恋する女の子だから……。
クリフ様は、憂い顔でベッドの上の私を見た。
「クリフ様、なんで……」
「風を使って上がったんだ。本当は、早く君に会いたかったけど。あの後、すぐに仕事が入ったから。こんな時間になっちゃった」
そうか。魔法使いだから。
いやいや、でも女の子の部屋に侵入はまずいのでは!
私にも、都合が! 悶えたから、髪乱れてるかも。か、鏡どこですか!
内心慌てふためいている私を、クリフ様はじっと見ている。真剣な眼差しに、私の心が鎮まる。
「クリフ様……?」
「愛してる」
突然の愛の言葉に、私は息を呑む。
好きならば、たくさんいただいた。
だけど、愛してるは初めてだ。
クリフ様は、悲しそうに目を伏せた。
「分かってるよ。君と僕の想いの強さは同じじゃないって。僕のほうが、ずっと強い」
私が口を開く前に、クリフ様はベッドに乗り上げた。
そして、強く引き寄せられる。
「でも、お願い。それでも、僕のそばにいて」
抱きしめる腕は震えていた。
そっと腕に触れると、クリフ様はビクリと体を震わす。
怯えている。私に、クリフ様が。
……私は、勘違いをしていた。
クリフ様に、私の想いは伝わっていると。
クリフ様は、大人だからと。安心していた。
だから、現実をちゃんと認識していなかったのだ。
クリフ様に寄りかかりすぎていた。
クリフ様だって、不安を感じる一人の人間なのに。
あのジャスティ様だって、不安に押しつぶされかけていたのだ。
私は、本当に何も見えてなかった。
「クリフ様」
名前を呼んで、背を撫でる。広い背中。大人の背中だ。
でも、クリフ様だって恋に弱くなる大人なのだ。
ぎゅっと、包容が強くなる。
「愛してます」
不思議と、言葉はするりと出た。羞恥心もない。
包容が弱まり、クリフ様がゆっくりと私の顔を覗き込む。目は不安に揺れている。
だから、私はクリフ様の目をまっすぐ見た。
「心から、あなたを愛しています」
「僕も、僕も、君を愛してる。ずっと、君しか見てない」
クリフ様は、私の肩に頭を乗せた。
「……ずっと、不安だった。僕は、君に好かれてるのか」
「好きだから、ついてきたんです」
クリフ様は、長く息をはいた。
「ごめん。待てるって、言ったの、嘘になる」
お屋敷に初めて来た日のことだ。
クリフ様は、待つと言っていた。私が、まだまだ子供だったから。
「君は、十六歳になった」
「そうです、大人になりました」
「髪も伸びた。どんどん、きれいになっていく」
「そ、そうですかね」
「うん、そう。だから、待つのは辛い」
クリフ様の声は弱々しい。
そんなクリフ様が、愛しい。
「だから」
クリフ様が顔を上げる。目が合う。
お嬢様に向けるジャスティ様に負けないぐらいの、熱い眼差し。
「これ、受け取ってほしい」
差し出されたのは、赤い石が煌めく指輪だ。
そうだ。
男性が、指輪を女性に贈るのは。その意味は。
「僕と結婚して」
装飾品は、いくつかもらった。髪飾りにブローチ。
でも、一番多かった贈り物はお花。綺麗な赤い色をした可憐な野花。お嬢様も好きで、私も大好きだと言ったのを覚えていたと凄く感動した。
私は、それを押し花にして大切に保管している。
指輪の石は、その花の形をしていた。
「クリフ様!」
私は、クリフ様に抱きついた。
あまりにも嬉しくて、言葉にするより早く体が動いてしまった。
「私、あなたのお嫁さんになりたいです!」
「ほ、んとう、に?」
「はい!」
本当に好きだ。私は、クリフ様が好きで大好きで、愛している。
そうでなければ、こんなにも心が震えるわけがない。愛しさが溢れて止まらない。
「あり、がとう」
クリフ様が私を抱きしめ返す。
「幸せにする。ずっと、寄り添っていくから」
「はい! 幸せになりましょう」
月明かりのもと、クリフ様は私に指輪をつけてくれた。
月光に輝く赤い花を見て、二人して照れ笑いを浮かべた。
クリフ様。
私は、あなたのそばにいます。
愛の言葉も伝え合いましょう。一緒に生きていきましょうね。
想いが通じ合う相手に巡り会えて。
私は、本当に幸せ者です。




