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第8章「深い闇」

 パラを引き連れてレウ・デアがやって来たのは、神殿

の大広間だった。

 天井に開かれた半球状の水晶の窓からは、柔らかく濾

過された太陽の光が降り注いでいた。

 かつては全てが純白で満たされ、壮麗な空間を作り出

していたのだろう。

 広間の壁も、大理石の柱も、黒ずみと亀裂の為に見る

陰も無かった。

 円形の広間の壁には、東西南北の全方位に向けて扉が

作られていた。

 それぞれの扉の向こうから響いてくる足音が、パラの

耳に届いた。

「皆、着いた様だ。」

 レウ・デアは、広間の中央にある円形の祭壇へと歩い

ていった。

 四つの扉の前で足音はやみ――黒ずみ、ひび割れた白

亜の扉が押し開けられた。

 ヒウ・ザード、ラウ・ゼズ、ロウ・ゼーム、リウ・フ

ァイオ――四体のレウ・デアに導かれ、幻神達は広間へ

と足を踏み入れた。

 既知の顔、未知の顔をそれぞれに認めながら、幻神達

は互いに言葉を交わす事も無く、祭壇の前へと歩いてい

った。

 幻神達を導いてきたレウ・デアは、五体全てが壇上へ

と上った。

「――蔑まれ、疎まれてきた幻神達よ……。」

 どのレウ・デアが言葉を発したものか。

 広間に硬質の合成音が響く中、ヒウ・ザードと共に来

たレウ・デアが、祭壇上に咲く巨大な黄金の蓮華の上に

屈み込んだ。

 祭壇の中央に咲く巨大輪の華は、幾千年の時の流れに

もその輝きを失ってはいなかった。

 かつての天空神達がどの様な祭式を執り行っていたの

かは、この場ではレウ・ファーしか知らない事だった。

 レウ・デアは黄金の蓮華の上に座すと、身に着けてい

たマントとシルクハットを脱ぎ捨てた。

 肉の管と触手、機械部品の奇怪な寄り集まりが、形ば

かり、意思ある者を装うかの様に、白磁の仮面を頭部に

頂いていた。

 蓮華の上のレウ・デアに続き、それを取り囲む他のレ

ウ・デアも漆黒の衣装を脱ぎ捨てた。

「――我々が、独り成りの国を建て――神国の愚かな神

々に報いる時が来たのだッ!」

 レウ・デアの声を、幻神達は呆然と聞いた。

 自分達を空中都市へと連れて来たこの神は、これから

一体何をしようと言うのだろうか。

 五体のレウ・デアの仮面に、同時に幾筋もの亀裂が縦

に走った。

 そこからは墨汁の様な漆黒の体液が噴き出し、祭壇上

を汚していった。

 蓮華に座すレウ・デアの仮面のひび割れの中から、一

つの眼球が覗き、ゆっくりと這い出して来た。

 触手に覆われた一つ眼の脳が、亀裂の間から姿を現す

と、レウ・デアの体を滑る様に伝い下りていった。

 一つ眼の脳――それはレウ・デアの本体、レウ・ファ

ーの真実の姿だった。

 ――びしゃっ。

 レウ・ファーが蓮華の中へと収まったと同時に、五体

全てのレウ・デアが体液にまみれた肉体を、湿った音を

撒きつつ崩壊させた。

 まとまりを失った肉の管と触手の塊は、蛇の様にのた

うちながら祭壇の石材へと食い込んでいった。

 黒血にまみれた何かの内臓の陳列を連想し、ファイオ

とパラは吐き気を催して、祭壇から顔を背けた。

 二神に一瞬、同情の目を向けるも、ゼズは冷たい憎悪

を湛えた瞳でレウ・ファーの怖ましい儀式を見つめてい

た。

 ゼームは一人、茫洋とも冷静ともつかない表情で、面

白くもなさそうに佇むばかりだった。

 幻神の中で、ザードだけが、残酷な笑みを浮かべてレ

ウ・ファーの変わりいく様子を眺めていたのだった。

 やがて――黄金で出来ている筈の蓮華は、次第に閉じ

始めた。

 レウ・ファーの姿は、幾重にも折り重なる金の花弁の

中へと呑み込まれていった。

 黄金の蓮華は、異形の脳髄の神を内部に含み、小さな

蕾へと戻ったのだった。

 幻神達の視線が注がれる中、僅かな時間、朽ち果てた

広間を静寂が支配した。

 ――それはすぐに破られ、黄金に輝く蕾は、卵が孵る

かの様に蠢き始めた。

 薄汚れてくすんだ広間に金の光を投げ掛ける蕾は、花

弁を固く閉ざしたまま巨大化していった。

 幻神達が驚愕をもって見つめる中で、蕾を形作る花弁

には、葉脈ではない不可思議な筋が幾本も浮き出ていき

――一枚、また一枚、と綻んでいった。

 金属の質感はそのままに、花弁は別の物へと変質して

いた。

 広がる花弁の内と外には、模様めいた平面的な眼球が

現れ、薄く柔らかに輝いていた花弁の内部に神経配線や

パイプが通されていった。

 華――と言うよりも、巨獣の殻、或いは巨大な幻獣の

様だと居並ぶ幻神達は思った。

 巨大輪の妖華の開いた後、誰もが見慣れた白磁の仮面

が姿を現した。

 仮面を頂上に戴き、ずるずると、重く濡れた物が擦れ

合う音を撒き散らして――レウ・ファーの新しい肉体は

花弁の中から屹立した。

 電子回路を思わせる筋模様があちこちに浮かび上がっ

た甲殻。その隙間から無数にはみ出した肉の管と触手。

 縦に裂けた胸元から覗く――血走った一個の眼球。

 全長五十メートルもあろうか。

 レウ・ファーは、それ自身が魔物の男根柱の様な威容

をもって、水晶の天蓋を突き破らんばかりの勢いで広間

に聳え立った。

 ファイオとパラは、レウ・ファーの力と姿に、ただ呆

然とするばかりだった。

 ザードはそんな二神に蔑む様な一瞥を与え、レウ・フ

ァーの変化を満足気に見上げていた。

 ゼズはただ、嫌悪感に表情を強張らせるだけだった。

 驚愕も嫌悪も無く――、ゼームはただ、冷たさすら感

じさせる表情で成り行きを見つめていた。

「――中身は同じ、ただの脳髄か……。」

 淡々と呟いたゼームの言葉を、一体誰が聞いただろう

か。

「我々は……。」

 耳障りなノイズが僅かに起きた後、鮮明な合成音が広

間に響き渡った。

「我々は、我々を見下して来た者達を、今度は我々が見

下すだろう。――神国に独り成りの国を建て、それを実

現するのだ!!」

 幻神達は確かに聞いた。

 眼前に聳え立つ異形の魔神が、声高に神国の破壊を宣

誓するのを。

              ◆

 神国神殿――正確には本殿。

 その巨大な建物の中の一室に、幾神かの神々が密かに

集っていた。

 本殿はその巨大さ故に、神々の居室の他に会議室や庭

園、大浴場、ありとあらゆる施設が混在している。

 その為に忘れ去られ、捨てられた部屋や広間も少なく

はなかった。

挿絵(By みてみん)

 彼らが集まったのは、そんな部屋の一つだった。

「――皆さん、お集まりの様ですね。」

 灰色がかった茶色の髪を後ろで無造作に結んだ青年神

が、明るい花柄で満たされたソファへと腰を沈めた。

 品の良い若草色の背広で身を固め、穏やかな表情で部

屋を見渡す彼の暗緑の双眸は、しかし鋭い眼光を湛えて

いた。

 神国の日々の秩序を司り、神々と人間の営みを守る護

法庁――若くしてその長の一人に名を連ねる護法神、紫

昏だった。

 壁紙もソファの布地も、明るい花柄で統一された居間

を思わせる一室に、神々は硬い表情で次々に席に着いて

いった。

 過去と哀しみの神、ゴレミカ。灼熱神、バギル。南方

の水神、ラノ。予言神、サイト・ライト。夢想神候補、

ファレス、ファリア。経理神、サナリア。書物の神、エ

トラージュ。

 大神レウ・ファーの暴走と、幻神達の失踪に関係した

神々だった。

 この事件は、まだ表沙汰にはなっていなかった。

「――まず、あたくしから報告しますが。」

 疲れ切った表情で、サナリアは手元のリモコンのスイ

ッチを入れた。

 神々の取り囲むテーブルの上に、幾つかの資料が立体

映像として映写された。

 映像を指し示すサナリアの眼は、徹夜の為に赤く腫れ

ていた。レウ・ファーに荒されたコンピュータの復旧作

業の為に、ただでさえ肌荒れの多いサナリアの肌はすっ

かりと色艶を失っていた。

「暴走時、レウ・ファーは神国の全ての機関、組織のデ

ータを荒らして持ち去って行ったわ。御丁寧にプログラ

ム破壊のおまけまで付けて……。」

 しきりに頬を撫でつけ、肌の具合を気にするサナリア

の後に、紫昏が言葉を続けた。

「今の処、公式には大規模なウィルス発生によるコンピ

ュータの暴走と発表しているが。――いずれにせよ、被

害は甚大ですな。」

 被害総額の概算は既にサナリアによって計算され、立

体映像の資料の中に書き込まれていた。

「――レウ・ファーの暴走か……。」

 そわそわと体を揺すりながら、バギルは落ち着かない

様子で立体映像に目を走らせていた。

 だが、映像を見ながらも、バギルの紅い瞳は、レウ・

ファーと共に去って行った幼馴染みの優しい笑顔を見て

いた。

 レウ・ファーに洗脳されて、連れて行かれてしまった

ザード。

 一刻も早く見つけ出し、元に戻したい――バギルの心

の中はそれだけで占められていたのだった。

「暴走?――発狂でしょ?」

 柔らかな響きを含みつつも、発せられた言葉には険が

あった。

 先だけがカールした豊かな黒髪をいじりながら、サナ

リアの隣に座っていた女神が溜め息をついた。

 書物の神エトラージュ。彼女もまた――、自身の管理

する世界最大の蔵書量を誇る知の殿堂、神国国立図書館

のコンピュータをレウ・ファーによって破壊されたのだ

った。

 数の上では他の機関と比べて恵まれているとは言い難

い、全ての職員を総動員し、徹夜で復旧作業に励む姿は

鉄血の経理神サナリアに劣るものではなかった。

「発狂ではありません……。覚醒、です――。」

 ただ一神、ソファに腰を下ろす事も無く佇んでいたゴ

レミカが口を開いた。

 滅多に他の神々の前にも姿を現さない最古の女神は、

居並ぶ神々の注視を浴びながら、言葉を続けた。

「虚空の深淵より生まれ出でし、独り成る神……。あの

神の本性は、邪悪……なもの。この地上の世界の秩序と

は、決して相容れない者なのです……。」

 吟ずる様な調子で紡ぐゴレミカの言葉の中で、うわべ

だけの言葉では表現し難い思いがある事を、サイト・ラ

イトだけが看破した。

 天と地と海と、冥界と、虚空と。

 様々な神々が溢れ返るこの世界で、一つの秩序や理法

に属していないからといって、どうしてそれが即、邪悪

だと言い切れようか。

「邪悪――か。そうだな……。」

 紫紺と黄金とを放つ双眸が、僅かの間宙空を漂い、サ

イト・ライトは溜め息をついた。

「独り成りの国を作る為に、レウ・ファーは幻神達を誘

惑、ないし脅迫して自らの下へ付かせた。――今の処、

護法庁はこう認識しているが……。」

 紫昏が伺いを立てる様な口調だったのは、天と地と海

――そして冥界、虚空の中で並ぶ者無き最古、最貴の女

神と、それに劣らない器を持つ予言神の列席に緊張して

いた為だった。

 護法庁の長――いや、「奥の院」に名を連ねる長老、

古老達ですら、この女神の前では空しい肩書を背負うだ

けの赤子に過ぎない。

「―――――それで差し障り無いかと。」

 暫くの沈黙の後、ゴレミカはそう呟いたきり、再び沈

黙した。

 それから僅かな間を置いて、ゴレミカの沈黙を慎まし

げに破る、水の女神のたおやかな顔が上げられた。

「……わたくしは、まだ彼らを、大事な友と思っており

ます。」

 深い憂愁に、透き通る様な顔を曇らせ、ラノは遙か遠

くへと去っていった緑の幻神を想った。

「彼らはレウ・ファーに洗脳され、或いは脅迫されてい

るのですわ……。彼らが一日も早く解放される事を願っ

てやみません。」

 目に涙を滲ませ、切々と語るラノの姿は神々の胸を打

った。

「そうよ!お兄ちゃんだって、あたし達を助ける為に連

れて行かれたんだからっ……。」

 ラノにつられる様に涙ぐみ、妹の手を掴んだままファ

レスは呟いた。

「――いずれにせよ、レウ・ファーは行動を間も無く起

こすだろう。神国を滅ぼす為に……。」

 既に見えていた、何もかも。

 この双子の兄が何をなすのか。この双子の身の上に何

が降りかかるのか。

 或いは、何もなさず、何も起こらないのか。

 全て等しく起こり得る未来は、一つの方向へと少しず

つはっきりとした形を持ちつつあった。

 神々は、黙ってサイト・ライトの言葉を聞く事しか出

来なかった。

             ◆

 悲鳴を上げたのだろうか。

 幻獣の体が大きく痙攣したのは、レウ・ファーの体組

織の爪の様な一片が食い込んだ為だった。

 鋭い鉤爪の様な体組織の先端は、容赦無く幻獣を貫い

て別の物へと変貌させていった。

 幻獣の緩やかな流線型の体のあちこちで、金属室の光

沢と電子回路の様な筋を持つ肉塊が膨れ上がった。

 肉塊を鎧の様に纏い、体を起こすそれは、もはや幻獣

ではなかった。

 レウ・ファーの不滅の生命力を誇る細胞に侵され、別

の存在へと塗り変えられてしまっていた。

「――邪神の様だな。太古、ヌマンティアの神々が創り

出したという……。」

 さして興味を示す風でもなく、広間の壁にもたれたま

まゼームは呟いた。

「では、これは邪神と呼ぼう。我が力で生まれ変わった

今、幻獣などではない。」

 レウ・ファーの白磁の仮面が、邪神と化した幻獣を見

下ろした。

 間近で幻獣の変化を見ていたザード、ファイオ、パラ

達は、邪神の出来映えに満足気に頷いた。

「何が……っ、何が邪神だッッ!」

 耐えきれずに発せられたゼズの怒号に、一瞬広間は音

を失った。

 握り締めた拳を震わせ、ゼズの怒りと憎悪の視線は邪

神とレウ・ファーとを射抜いた。

 象程にも巨大化した幻獣の成れの果てを指差し、忌々

し気に叫んだ。

「破壊し、傷付けるだけの化け物ではないかっ!幻獣を

この様にして、一体何をするつもりだっ!」

 だが、レウ・ファーはゼズを一顧だにせず、何の感情

もこもらない声を放った。

「お前の幻獣までは変えはせぬよ。――だが、余計な口

を挟むな。」

 レウ・ファーの言葉に反応し、邪神の刃状の腕がゼズ

の喉元へと瞬時に突き付けられた。

「……。」

 広間の空気が、長い間凍り付いた様な錯覚があった。

 ゼズの頬を、緊張の汗が一筋伝わり落ちた。

「――着いた様だ。」

 下界の様子を知らせる立体映像が、不意にレウ・ファ

ーの前に結ばれた。

 幾らかの緊張感を残しながらも、広間に佇む幻神達の

関心は、下界の映像へと移っていた。

 幻神達に行く先も知らせないまま、レウ・ファーは空

中城塞を大都市上空へと運んでいたのだった。

「何だ……。ドミュスティルじゃないか。――神国神殿

近くにいきなり来るなんて、命知らずもいい処だね。」

 ザードが呆れた様に溜め息をついた。

 神国――神州大陸南岸の都市ドミュスティル。神国神

殿からさ程遠くない場所に栄える、神々と人間の住む大

都市だった。

 ザード達の頭上に広がる立体映像の中で、緑豊かな都

市の中を横切るケニ川の流れがきらめいていた。

「邪神はこの様に使う。――見ておれ。」

 既に、ゼズの喉元からは刃は引かれていた。

 レウ・ファーの命令を受け、邪神は広間から出て行っ

た。

            ◆

 ヒルデン海に程近い平野に、無数の高層建築と住宅と

が広がっていた。

 放射状に広がる道路に貫かれた都市は、上空から見る

と、円盤状の区画で構成されていた。

 神々と人間とが混在し、共存する街。

 豊かなケニ川の流れを抱き、緑濃き木々に包まれた街

は、雑多でとめどなく溢れる活気で満たされていた。

 神国神殿の様な荘厳で浄寂な神域のある一方で、この

街もまた、確かに神国の景色の一つを形作っていた。

 こうしたドミュスティルの街の広がりと比べて、そこ

に降下した邪神一体は、余りにも小さかった。

 しかし、神国にありふれた街の一角に邪神が降り立つ

とすぐ――警戒と混乱とが怒濤の様に住民の間へと広が

っていった。

 神々、人間、妖精、精霊――様々な生物が街を行き交

い、様々な姿の神と人間とが生きるこの街で、邪神の垂

れ流す邪気は余りにも目立ち過ぎた。

 邪神は暫く、赤茶けた煉瓦敷きの道を移動し――然る

べき位置を定めると、そこで停止した。

 エビの様な体を丸め、邪神がうずくまると、その背か

ら数本の角が現れた。

 角は細く鋭い光を放ちながら、空高くへ掲げられた。

 そうする内にも、邪神の下半身は鋭角的な変化を遂げ

――地面へと潜り込んでいった。

 そして――それっきり、邪神は完全にその動きを停止

した。

 警戒しながら遠巻きに眺める神々や人間達の目には、

毒々しい巨大な茸の様にも映った。

 呼吸と思しい体の収縮もやまり、邪神の表面には鏡の

様な光沢が宿り――瞬く間に硬化していった。

 身じろぎ一つしなくなった邪神を不審な目で眺めなが

ら、神々や人間達は不安気にざわついていた。

 そんな彼らの頭上に近寄る重々しい音があった。

 幾千年の天の放浪を支える反重力の石材の放つ、特殊

な波動だった。

 唸る様な音に気付いて顔を上げると同時に、ドミュス

ティルの街並みを照らす太陽が、円盤に遮られるのを彼

らは見た。

 空中城塞都市ラデュレー。

 天空を渡る古代の都市が、建ち並ぶドミュスティルの

建物の群れへと真円の影を落とした。

『――我々を差別してきた者達よ。』

 天上の都市から落とされた声に、神々と人間達は、不

可思議な幾何学模様の走るラデュレーの基底部を呆然と

見た。

 青い筈の空に、見えない染みの様な暗黒が広がってい

く気配を彼らは直感した。

 確かに――空は、青く晴れ渡っていた。

 だが、その空の一点に広がる昏い気配は、ドミュステ

ィルの街の真上に――白い仮面の神の姿をもって顕現し

た。

 無表情の白磁の仮面――神国の者ならば、誰もが知っ

ているレウ・ファーの顔だった。

『我が名はレウ・ファー。虚空の深淵より立ち現れし、

独り生まれ出で独り成る神。』

 誰もが見知っている筈の機械神は、今や、誰一人知る

事の無かった素性の異形の神として、街並みを睥睨して

いた。

『我々を、独り成りの故に蔑み、貶めてきた他の神々や

人間、妖精、精霊――およそ、知恵ある全ての者共に、

我は宣言する。』

 レウ・ファーの宣言を、ラデュレーの中で幻神達もま

た緊張の面持ちで耳にしていた。

『我は、この神国に独り成りの国を建てる。神国による

秩序の一切を滅ぼして。――我々は、我々を貶めた者共

を、今度は我々が貶めるだろう!』

 レウ・ファーの宣言は驚愕と戦慄をもって、神々と人

間達の心臓を凍り付かせた。

 彼らは、昏い闇の流れの中に属する独り成りの神の宣

戦布告を、はっきりと聞いた。

             ◆

 レウ・ファーの映像が消え、ラデュレーが自分達の頭

上から遠ざかっても、住民達はその場に釘付けになって

いた。

 長い時間、白い仮面と天上から降り注ぐ昏い声は彼ら

の心を苛み続けた。

 ドミュスティルを後に、ラデュレーは再び高度を上げ

て飛翔を始めた。

「何故、一気に侵略を始めないのですか?」

 ちぢれた赤髪を掻き上げ、パラは遠ざかり行くドミュ

スティルの映像を不思議そうに眺めた。

 パラの横で、ファイオもまた不満気な表情だった。

 彼らを見下ろす事すらせず、レウ・ファーは冷たい合

成音を響かせた。

「――混乱と、破壊が必要なのだ……。ただの武力制圧

では意味が無いのだ。」

 肉の管と触手の絡み合いで形成されたレウ・ファーの

腕が、空中の立体映像を掻き消した。

「それに、現在、我々には武力も不足している。――ま

だまだ準備が必要だ。」

 片方の掌を広げ、レウ・ファーはファイオ達に差し出

した。

 爛れや虫食いを連想させる模様をした表皮の上に、邪

神の立体映像が浮かび上がった。

            ◆

 都市ドミュスティルで行われたレウ・ファーの宣戦布

告は、数秒と経たずして神国神殿の神々の知る処となっ

た。

 レウ・ファーの反乱は隠蔽しようの無い事実として、

世界に知らしめられた。

「――これはまた、大したオブジェを置いて行ったもの

だな。」

 神国神殿から直行した紫昏は、溜め息をついて邪神を

見上げた。

 レウ・ファーは行動を起こすだろう――神国神殿の一

室でサイト・ライトの言葉を聞いて暫くの後、ドミュス

ティルでの出来事が報告されたのだった。

 忙しく動き回る警官の神の一神を捕まえて、紫昏は邪

神の様子を尋ねた。

 事態はまだ、過激派の示威行為の域にも達してはおら

ず、紫昏の出番ではなかったのだったが。

「これは紫昏様――。」

 中年の警官は恐縮しながら、調査したての事柄を紫昏

に報告した。

 接触透視能力者――サイコメトラーの報告によると、

この物体はレウ・ファーが邪神と呼んでおり、その表面

は、レウ・ファーの組織によって極端に硬化した状態に

あるという。

 下半身は数百メートルの地下へと伸び、引き抜く事も

破壊する事も不可能――と。

「何の為にこんな物を街の真ん中に置いていったのか、

また、この邪神の能力や性質などは不明です。」

「分かった。御苦労。」

 警官はまた、忙しそうに仕事へと戻って行き、紫昏は

再び邪神を見上げた。

 サイコメトラーの透視では、単純に物質の性質や内部

構造などの透視だけに留まらず、どういう目的や経緯が

背後にあるのか、どんな者が関わっているのかまでが分

かる。

 透視が妨害されているのか、或いは・・見えていても

それと、認識出来ないか……。

 様々な神々の溢れる神国では、そんな事態もまた、あ

りふれた事だった。

 一つの神の思惑や、見聞きしたものが、必ずしも他の

者に認識されるとは限らなかった。

「おい、紫昏っ!空中都市はどっちへ行ったっ!?」

 関係者以外立入禁止と押し止める警官達を押しのけ、

紅気を纏った気配が紫昏の背後に迫って来た。

「バギルか。あれは、正確には空中城塞都市ラデュレー

と言うそうだ。」

 呑気に使用名称の統一を図る紫昏の背広の襟首を掴ん

で、バギルはぜいぜいと息を切らしながら、

「ンなこたぁ、どおでもいいんだっ!そのラデュレーは

何処へ行ったっ!?」

 瞬間移動で送ってもらった紫昏とは違い、バギルは神

国神殿から空を飛んで来たのだろう。

 赤褐色の髪は風圧でぼさぼさに乱れていた。

 その小脇には、「ゴレミカ」のサインの入ったスケー

トボード程の大きさの飛翔板が抱えられていた。

「ドミュスティル南方に向かい、それ以後、消滅だそう

だ。――どうやら、何かのシールドが張られたらしい。

レーダーにも透視にも引っ掛からない。」

 紫昏の説明が終わらない内に、バギルは飛翔板へと飛

び乗った。

「南だなっ!」

 バギルの念を受け、一陣の突風を巻き起こして飛翔板

は空高く舞い上がって行った。

 必ず追い付く。

 バギルは、どうしても行かずにはいられなかった。

 レウ・ファーの下からザードを連れ戻す為に。

 焦る気持ちをなだめつつ、バギルは空中都市の姿を求

めて飛翔板の速度を上げた。

「おい、バギル――。」

 青空の片隅にもはや点と化してしまったバギルに、紫

昏は呑気に言葉を続けた。

「――肉眼にも映らないんだそうだが――。」

            ◆

 頭は半円球の甲殻で覆われ、そこからは、骨を連想さ

せるような異様に細い胴と手足とが、ぬらぬらと妖しい

光沢を放って伸びていた。

 レウ・ファーの手の上に映し出された邪神は、ドミュ

スティルへと降下させたものよりも、さらに異様で怖ま

しい姿をしていた。

「古い記録から再生した映像だ。――神や人の負の心か

ら創られた幻獣を素材とした邪神だ。」

 レウ・ファーの説明に、ファイオは得意気に前へと進

み出た。

「それなら、アタシが得意とするものだワ。」

 レウ・ファーは邪神の映像に、仮面の目を落としたま

ま、次の映像へと切り換えた。

「心の奥底に存在する暗黒――心の「深い闇」……ここ

から採取される精神エネルギーが、邪神の為の幻獣創り

に最も都合が良い。」

 レウ・ファーの手に映し出されたものは、「深い闇」

の採取が可能な神々の名簿だった。

「―――!」

 それ迄無関心にレウ・ファーを見ていたゼームの表情

に、珍しく動揺の色が掠めた。

 レウ・ファーの手の上で、人形の様に並ぶ神々の立体

映像の中に、ゼームはラノの姿を認めたのだった。

「一つ、尋ねたいが――――。」

 いつもの穏やかな口調のまま、ゼームはレウ・ファー

を見上げた。

 穏やかな――しかし、全ての物を貫き通すかの様な鋭

い眼差しは、レウ・ファーの胸部の眼球へと向けられて

いた。

「「深い闇」の採取後、その者はどうなるのか?」

 今や、レウ・ファーは神国の優秀な機械神などではな

かった。

 虚空の深淵からやって来た、その本性も露に、見る者

全てに得体の知れない嫌悪と恐怖とを与える神となって

いた。

 そのレウ・ファーを臆する事無く圧し、ゼームは佇ん

でいた。

「――どうなるのか?」

 ゼームはもう一度繰り返した。

 あくまで静かな口調の中に、レウ・ファーすら圧倒し

ようとする気迫が見え隠れしていた。

 成り行きを見守る幻神達――ザードさえもが、この女

神の底知れない器に戦慄を覚えた。

「どうもせぬよ。」

 緊張に強張った広間の空気は、レウ・ファーの素っ気

無い合成音で破られた。

 胸部の巨眼がぎょろっと動き、ゼームの視線を真っ向

から受け止めた。

「「深い闇」とは、言わば汗や糞尿。流れ出た汗を持ち

去った処で、何も起こりはしないであろう。」

「そうか――。」

 安堵したのだろうか。

 ゼームの様子には何一つ変化は見られなかった。

 一度、ラノの立体映像へと目を向け――それっきり興

味を失った様に広間を後にした。

「私も失礼する!その様な、醜い幻獣創りに興味は無い

っ!」

 ありったけの侮蔑を込めて、ゼズはレウ・ファーへと

言葉を投げつけた。

 ローブを翻し、ゼームとは別の扉から、ゼズも広間を

後にした。

「気が向けば、幻獣を持って来るが良い。」

 足早に立ち去ろうとするゼズの背に、冷たい合成音と

一枚のカードが放たれた。

「これは?」

 不審気に眉根を寄せてカードを手にするゼズに、

「お前に与えると約束した資料だ。古い時代からの、幻

獣創造に関するもの。好きな様に使うがいい。」

 この神が口にする約束という言葉程、空々しいものを

ゼズは聞いた事が無かった。

 やがて自分も、レウ・ファーの手足の様に使われなけ

ればならないのだろう。

 未知の幻獣の知識や技術と引き換えに――そして何よ

り、妹達の命の安全の為に。

 屈辱に唇を噛みしめ、ゼズはカードを無造作にポケッ

トに仕舞い込んで広間を退出した。

 重々しく扉が閉まった後、ザードが口を開いた。

「あんな連中はどうでもいいから、「深い闇」の採取に

取り掛かろうじゃないか。」

「――それなら、アタシに任せて欲しいワ!負の心なら

得意だしネ!」

 野太い声を張り上げて、ファイオはザードとパラを押

し退けて、レウ・ファーの前へと歩み出た。

「よかろう。」

「そう――ネ。まずはこのラノとかいうのにするワ。」

 ファイオは、先程のゼームの視線の先にあったものを

知らなかった。

 ラノが「深い闇」採取の毒牙に掛かる事を知った時、

ゼームはどの様な反応を示すのだろうか。――或いは、

既に興味の外の事柄なのだろうか。

 ファイオはレウ・ファーから、ラノの資料の入ったカ

ードを受け取ると、早速チェルロ大陸へと向かった。


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