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<序章・美しき広き郷>

<序章・美しき広き郷>

 照葉樹の密林は、降り注ぐ陽光と暖かな風をその身に

受けて揺れていた。

 森の中を吹き抜けていく微風は、年を経て節くれだっ

た梢を揺らして行きながら、濃緑の森の香気に染められ

ていった。

 風に揺れる梢の他、動く物は何一つ無く、静寂と濃密

な木々の香気だけが森の中を満たしていた。

 メル・ロー大陸、ダイナ山脈の北の外れ。

 天を覆い尽くさんばかりに生い茂っている照葉樹の密

林は、人間はおろか、神々ですら訪れる事の無い場所だ

った。

 風が吹く度に、空を埋める無数の葉は淡い緑のきらめ

きを放ち、日の光は柔らかに濾過されて地上に零れ落ち

て行った。

 そんな密林の奥底に、木漏れ陽を受けて鏡の様に輝く

小さな湖があった。

 その湖の浅瀬に、白い裸身を横たえている女神の姿が

あった。

 淡い光すら眩しそうに目を細め、女神は長い時間、そ

うやって水に浸り続けていた。

 濃緑の森の息吹を胸に吸い込む度に、女神の裸身は浮

き沈みを繰り返した。その豊かな胸もまた、緑に染まっ

た水面で上下した。

 湖のすぐ側の大きな楠が、上半身に若草色の光の粒を

纏い、下半身に薄い藍色の影をはいていた。

 木々の茂みの切れ間から覗く空は、何処までも青く澄

み渡っていた。

 だが、女神はいつしかそれらを見る事も忘れ果て――

その全ての思考と感覚は、ひんやりとした水の中に消

え失せていた。

 女神はただ、忘我の境の中、光を浴び続けていた。

 女神の命の全ては果てし無く澄み渡り、いつか、世界

の全てと溶け合い漂っているのだった。

 女神の体の奥から一つの温もりがこみ上げ、それは女

神の細い喉を震わせる言葉と化した。

「―――ああ……、世界は美しい……。」

 女神の呟きは微風の中に掻き消え、女神はゆっくりと

瞼を下ろした。

            ◆

挿絵(By みてみん)

 女神はこの世界の生まれた次の瞬間に誕生し、その時

から永遠にも近い長さの命を生き続けてきた。

 幾億の幾億乗、幾兆の幾兆乗――どれ程の年月を生き

て、どれ程の数の命の営みを見続けて来たのだろうか。

 常に過去を見つめ、世界の全てを見つめ続ける事が女

神の司るべき宿命だった。

 過去を振り返る女神の顔を見た者は誰もいない。

 女神の名は「哀しみ」――ゴレミカと言う。

            ◆

 森の何処からか、暗い風が吹きつける気配があった。

 突然穿たれた小さな穴から吹いて来る、暗く冷たい空

気。

 それは、この森ではない――遙か遠く離れた異なった

世界へと続いている次元の穴だった。

 そこから吹きつける風はこの森の浄寂とひどくそぐわ

ない、憎悪と怨念の喧騒を伴ったものだった。

 ゴレミカは森の異変に気付くと、体を起こして岸へと

上がった。

 水に濡れてもつれ合った髪を拭き、頭の両端で結わえ

直した。

 次第に、不快な臭気が森の空気に混ざり始めているの

をゴレミカは感じ始めた。

 嫉妬や憎悪、恨みの叫び。それらは余りにも生臭い匂

いを撒き散らし――ゴレミカの感覚を刺激した。

「!」

 溢れ出る風は、次第に濃度を増し、渦を巻き始めた。

 やがて、それらは一点に凝縮し、形を成し、意識を持

ち――一つの命を持とうとしていた。

 この森よりも遙かに遠く離れた世界から、その命は生

まれ出ようとしていた。

 太古――いや、それよりもずっと以前の、世界の原初

の時代にゴレミカが誕生した時の様に。

 しかし、遙かに禍々しく邪悪な神が、この世界へと生

まれ来ようとしていたのだった。

 傍らの木の枝に掛けておいた衣服を身に着けると、ゴ

レミカは精神を集中した。

 女神の念の力は、その身を重力の束縛から解放した。

 宙に浮かんだゴレミカの前を、一陣の疾風が駆け抜け

ていった。

 風は互いに絡み合った木々の枝を掻き分け、ゴレミカ

の行く先を示して一つの道を作り出した。

 禍々しい命の誕生しようとする気配が、道の彼方に、

はっきりと感じられた。

 この世界の秩序を乱すものに間違いない。

 永い、永い年月を生きてきた女神の直感が告げた。

 何としてもその誕生を阻止しなければならない。

 ゴレミカは決然と顔を上げると、異世界からの空気の

渦の中心へ向かって飛び立った。

           ◆

 いつの時代の事か。

 何処の場所の事か。

 神々と人間と、あまたの命の生きる世界がある。

 天と地と海とに幾多の神々が溢れ、人間と共に生き、

日々を営んでいる世界がある。

 その郷の名を―――――

 「神国」。

 そんな世界の、これは神話―――――



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