↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

水泳部が廃部になったので、私たちはバンドを始めることにした。

作者: 裏衣助
掲載日:2026/09/03


夏休みが終わって一週間。


夕方のプールには、まだ夏の名残があった。


傾き始めた太陽を受けて、水面がオレンジ色に揺れている。ついさっきまで四人で泳いでいたはずなのに、今はもう誰も水の中にはいない。プールサイドに置かれた四人分のゴーグルとタオルだけが、今日で最後になることを妙に強調していた。


「……本当に終わりなんだね」


リカがそう呟いた。


返事はない。


別に、誰も悲しくないわけではなかった。ただ、何と言えばいいのか分からなかった。


水泳部の廃部が決まったのは、昨日のことだった。


部員不足。


それが理由だった。


以前はもう少し人数がいた。しかし、受験やら何やらで一人ずつ抜けていき、最後まで残ったのがリカ、タキ、スミ、ラムの四人だった。四人だけでも続けられると思っていたが、学校側の判断は変わらなかった。


今日の練習を最後に、四人は部員ではなくなる。


「明日から何しようか」


ラムがベンチに座りながら、濡れた髪をタオルで乱暴に拭いた。


「帰宅部」


スミが即答する。


「嫌だ」


「じゃあ何か入れば?」


「それも嫌」


「わがまま」


スミが笑う。


ラムも笑った。


タキは何も言わず、プールの水面を眺めている。


いつもなら、もう少し泳いでいた。


練習が終わっても、くだらない話をしながらプールサイドに残っていた。


けれど、明日からはそれもない。


リカは水面に浮かぶ夕日の光を眺めながら、胸の奥にぽっかり空いたような感覚を持て余していた。


「……ねえ」


三人が顔を向ける。


「バンドとか、楽しそうじゃない?」


「バンド?」


「うん。文化祭でやってる人たちいるじゃん。ギターとか弾いて、歌って。なんか青春って感じするし」


「青春って言いたいだけじゃない?」


スミが呆れる。


「いいじゃん、別に。私、歌うよ」


「歌えるの?」


「たぶん」


「たぶんでボーカルやるの?」


「じゃあタキ、ギター」


「いいよ」


「早っ」


「ラムはドラムね」


「やる!」


「スミはベース」


「私もやるとは言ってないんだけど」


「でも、こういうとき一番真面目に練習するのスミじゃん」


「……否定できないのが腹立つ」


四人の間に笑いが広がった。


廃部が決まってから初めてだった。


少しだけ、明日が楽しみになった。


△▽△▽


翌日には、もう四人で楽器店に行っていた。


リカは中古のマイクを眺め、タキはギターの試奏を繰り返し、ラムは店員にドラムについて質問攻めにしている。


スミだけは一歩引いた場所から三人を眺めていた。


「本当にやるの?」


「やる」


リカが即答する。


「楽器なんて触ったことないじゃん」


「だから面白いんじゃん」


その勢いに押されるようにして、スミもベースを買った。


問題は、その後だった。


四人とも、楽器の弾き方が分からない。


当然だった。


今まで毎日のように泳いでいた四人が、急に楽器を持ったところで弾けるはずもない。


「……誰か教えてくれる人、いないかな」


リカが学校でそう呟いたときだった。


「先生なら?」


ラムが指差した先に、水泳部の顧問だった目田村がいた。


四人は顔を見合わせる。


「先生、楽器できるんですか?」


職員室で尋ねると、目田村は少しだけ間を置いてから頷いた。


「昔、少しな」


「じゃあ教えてください!」


「……別に構わない」


あまりにもあっさり話が決まった。


このとき、四人はまだ知らなかった。


目田村が「昔、少し」どころではないことを。


△▽△▽


それを知ったのは、練習を始めて三日目だった。


放課後の音楽室。


四人がそれぞれ楽器を抱えて音を出していると、目田村のスマートフォンが机の上で振動した。


画面に表示された動画のサムネイルを、スミが何気なく見た。


そこには、暗いライブハウスのステージが映っていた。


黒い革ジャン。


長い髪。


鋭い目つき。


そして、ギターを抱えて客席を煽る女性。


顔を見た瞬間、スミの手が止まった。


「……先生」


「なんだ」


「これ」


スマートフォンを指差す。


目田村の表情が固まった。


「……知らん」


「いや、先生ですよね?」


「似た人だ」


「名前、『METAL QUEEN 目田村』って出てますけど」


沈黙が落ちた。


リカが画面を覗き込む。


「えっ、先生じゃん!」


「違う」


「でもギター持ってる」


「違う」


「めちゃくちゃ髪長い」


「昔だ」


「やっぱ先生じゃん!」


目田村は諦めたように椅子へ腰を下ろした。


学校では知られたくないらしい。


そのことだけは、四人にも分かった。


だからリカは笑顔で言った。


「先生」


「……なんだ」


「私たちに、本気でバンド教えてください」


「なぜだ」


「このこと、誰にも言わないので」


目田村は四人を順番に見た。


「……分かった」


それが、すべての始まりだった。


△▽△▽


最初の練習は、普通だった。


少なくとも、スミはそう思っていた。


ギターのコードを覚え、ベースの弾き方を教わり、ドラムの基本的なリズムを叩く。


リカも簡単なメロディーを歌っていた。


想像していたバンド練習と、それほど変わらない。


「先生、私、もう少し可愛い感じで歌いたいんですけど」


リカが言うと、目田村は首を横に振った。


「声が弱い」


「弱い?」


「腹から出せ」


リカは言われた通りに声を出した。


「あーっ!」


「もっと」


「ああーっ!」


「もっとだ」


「ああああーっ!」


音楽室の窓が震えた。


スミが思わず耳を塞ぐ。


「先生、これ歌の練習ですよね?」


「当然だ」


「なんか違う気がするんですけど」


目田村は答えなかった。


代わりにタキへ視線を移す。


「ギターを持て」


「はい」


「音を歪ませろ」


「こう?」


アンプから、先ほどまでとはまるで違う音が飛び出した。


ギュン、と低く唸るような音。


タキの目が輝いた。


「……これ、カッコいい」


「そうだ」


「もっとできます?」


「やってみろ」


タキがつま弾く。


一音、また一音。


最初はぎこちなかったフレーズが、何度か繰り返すうちに滑らかになっていく。


タキは覚えるのが早かった。


それどころか、一度覚えたものを自分なりに変えてしまう。


目田村が教えたフレーズに別の音を加え、テンポを上げ、いつの間にか最初に渡された譜面とは違うものにしてしまう。


「タキ、速すぎる」


スミが言う。


「そう?」


「私たち、まだそこまで弾けない」


「じゃあ待つ」


そう言いながらも、タキは楽しそうだった。


ラムも負けていなかった。


ドラムを始めたばかりだというのに、もともとの体力が異様なところで役に立った。


長時間叩き続けても息が上がらない。


「足も使え」


目田村が言った。


「こう?」


ラムがペダルを踏む。


ドン、ドン。


「もっと速く」


ドドドドドド。


「……まだいける?」


「いけます!」


ラムは笑った。


目田村も笑った。


スミは、その二人を見ながら嫌な予感を覚えていた。


どう考えても、方向がおかしい。


△▽△▽


しかし、一番おかしくなったのはリカだった。


歌の練習を始めて一週間ほど経った頃、彼女の声は明らかに変わっていた。


最初は普通に歌っていた。


ところが目田村は、そこからさらに発声を要求した。


高い声ではなく、低いところから押し出すような声。


喉ではなく、腹から響かせる声。


最初は苦しそうだったリカも、少しずつコツを掴んでいった。


ある日の練習で、リカがマイクを握った。


「先生、これでいい?」


「やってみろ」


リカが息を吸う。


そして、


「ウォォォォォォッ!」


低く、鋭い声が音楽室いっぱいに響き渡った。


スミは目を丸くした。


リカ本人も驚いていた。


「……今の、私?」


「そうだ」


「なんか……気持ちいい」


目田村が頷く。


「それでいい」


その日を境に、リカはシャウトの練習を始めた。


家でも小声で発声を繰り返しているらしい。


タキはギターの歪んだ音を研究し始め、ラムはツーバスの練習に夢中になった。


そしてスミも、気づけばベースの音を低く、重くすることにこだわり始めていた。


「……ねえ」


ある日の練習終わり。


スミは三人を見回した。


「私たちって、最初、どんなバンドやるつもりだったっけ?」


誰もすぐには答えなかった。


「普通の……」


リカが首を傾げる。


「普通って?」


「普通のガールズバンド」


スミが答える。


「文化祭で、かわいい衣装着て、ちょっと恋愛っぽい歌とか歌うんじゃなかった?」


「……そうだっけ?」


タキがギターを抱えたまま首を傾げる。


「私は今のほうが好き」


「私も!」


ラムが元気よく手を挙げる。


リカも頷いた。


「私も。今のほうが楽しい」


「……そう」


スミはため息をついた。


けれど、嫌ではなかった。


むしろ、最近は自分も練習が楽しみになっている。


低い音が腹に響く感覚。


四人の音が重なった瞬間に、身体の内側まで震えるような感覚。


泳いでいたときとは違う。


けれど、四人で何かを作っているという意味では、同じだった。


だから誰も止まらなかった。


△▽△▽


文化祭まで一週間。


四人は、もはや別人のようになっていた。


タキは高速のギターソロを弾けるようになり、ラムは複雑なリズムを平然と叩く。


リカは普通に話しているときこそ以前と変わらないが、マイクを持った瞬間、別人のような声を出す。


そしてスミも、重低音の効いたベースラインを弾きながら、以前なら絶対に使わなかった言葉を口にした。


「先生」


「なんだ」


「この曲、もう少し重くできます?」


目田村が微笑んだ。


「できる」


「お願いします」


その瞬間、スミは悟った。


もう手遅れだ。


△▽△▽


文化祭当日。


四人は舞台袖で出番を待っていた。


客席からは、他のクラスの出し物を待つ生徒たちの声が聞こえている。


リカは緊張した様子でマイクを握っていた。


「ねえ」


「なに?」


「今日、絶対盛り上がるよね」


タキが笑う。


「練習したから大丈夫」


「ラム、足つらない?」


「全然!」


スミは三人を見て、それから舞台の向こうにいる観客を見た。


ここで、ようやく気づいた。


――私たち、何を演奏するんだろう。


いや。


もう分かっている。


分かっているのに、誰も疑問に思わなくなっていた。


「出番だ」


目田村が告げる。


四人は頷いた。


ステージへ出る。


客席から拍手が起こった。


女子高生四人による初めてのバンド演奏。


観客の誰もが、明るい青春ソングを想像していた。


リカがマイクを握る。


タキがギターを構える。


スミがベースを抱える。


ラムがスティックを振り上げる。


そして――。


ドンッ。


重低音が会場を揺らした。


次の瞬間、タキのギターが轟音を放つ。


ラムのドラムが激しく叩き込まれ、スミのベースがその下を這うように響き渡る。


最後にリカがマイクへ顔を近づけた。


「ウォォォォォォォォォッ!!」


客席が静まり返った。


四人は気づいていない。


自分たちがどれほど場違いな音楽を演奏しているのか。


ただ、夢中だった。


これまでで一番息が合っていた。


四人の音が一つになっていく。


曲が終わった。


静寂。


四人は息を切らしながら顔を見合わせた。



やってしまった。



誰も口にはしなかったが、全員が同じことを思っていた。


――これ、普通のガールズバンドじゃない。


やがて、客席から一つの声が上がった。


「アンコール!」


四人が顔を上げる。


続いて、別の場所からも声が飛んだ。


「もう一回!」


「すげえ!」


「何あれ!?」


「めちゃくちゃカッコいい!」


リカが目を丸くする。


タキは笑っていた。


ラムは嬉しそうにスティックを握り直した。


スミだけは、舞台袖にいる目田村を見た。


目田村は腕を組み、満足そうに頷いている。


「先生」


スミが呟く。


「私たち……」


「どうした」


「普通のガールズバンドをやる予定だったんですけど」


「そうだな」


「なんでメタルになったんですか」


目田村は少しだけ考えた。


「お前たちに才能があったからだ」


「答えになってません」


その横で、リカがマイクを握り直した。


「もう一曲やろう!」


「うん!」


「やろう!」


スミは三人を見て、とうとう笑ってしまった。


まあ、いい。


最初に思っていたものとは違う。


それでも、四人で続けられるなら。


水泳部がなくなったあとに見つけたものが、たまたまメタルだっただけだ。


――ただし。


「次はブラックメタルだ」


目田村が何気なく言った。




「「「「なんで!?」」」」




四人の声が、文化祭の体育館に響き渡った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。