第8話 転生したら 書き込みだらけの教科書だった
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
転生の果てシリーズは、転生の果てⅥで終了になります。
ここまで読んで頂いたこと感謝します。
ありがとうございます。
――勉強机の上。
「 」は、開かれている。
数学の教科書。
ページには、文字が並んでいる。
だが――
その文字は、印刷されたものだけではない。
赤ペンで、線が引かれている。
蛍光ペンで、文字が塗られている。
余白に、メモが書き込まれている。
「重要」
「テストに出る」
「公式を覚えること」
前の持ち主が残した、痕跡。
「 」は、中古で買われた。
新品ではなく、誰かが使っていたもの。
安く手に入れた、教科書。
最初は――
「書き込みがあって、分かりやすいかも」
そう思われていた。
重要なところが、すでにマークされている。
覚えるべきポイントが、明示されている。
便利だ、と。
だが――
ページをめくるたび。
目に入ってくる、線と文字。
印刷された内容よりも、書き込みの方が目立つ。
「ここが重要」
そう示された部分に、視線が向く。
それ以外の部分は――
読まなくなる。
「重要じゃないんだろう」
そう、判断してしまう。
ある日の、授業。
先生が、説明している。
「この定理には、いくつかの証明方法があります」
「 」を開く。
該当するページ。
だが――
ひとつの証明方法にだけ、線が引かれている。
「これが基本」
そう、書き込まれている。
他の証明方法は――
マークされていない。
「ということは、これだけ覚えればいいのか」
そう、思ってしまう。
先生が説明する、別の方法。
聞いているが、頭に入らない。
「 」には、書かれていないから。
重要じゃない、と判断してしまう。
テスト前。
「 」を、開いて復習する。
マーカーが引かれた部分だけを、読む。
「重要」と書かれた箇所だけを、覚える。
効率的だ、と思う。
だが――
テスト当日。
問題用紙を、開く。
見たことのない、問題。
「 」にマークされていなかった、範囲。
「……分からない」
手が、止まる。
覚えていない。
「 」に書かれていなかったから。
重要だと、思わなかったから。
結果――
半分も、解けなかった。
点数が、返ってくる。
「58点」
赤い数字。
「なんで……」
呟く。
「ちゃんと勉強したのに」
だが――
勉強したのは、「 」にマークされた部分だけ。
それ以外は、見ていなかった。
先生に、呼ばれる。
「どうした? いつもより点数が低いぞ」
「すみません……」
「基本はできてるんだが、応用問題が全滅だな」
「……はい」
「授業で説明した、別解は覚えてないのか?」
「あ……」
思い出す。
授業で言っていた。
だが、「 」には書かれていなかった。
だから、重要じゃないと思った。
「次は、しっかり全体を見るように」
「はい」
だが――
「 」を開くたび。
目に入ってくるのは、やはり書き込み。
線と、マーカーと、メモ。
それ以外の部分が――
霞んで見える。
読もうとしても、集中できない。
「ここは重要じゃないのかな」
そう思ってしまう。
書き込みがない部分は――
スルーしてしまう。
次の単元。
先生が、新しい内容を教える。
「この問題には、複数のアプローチがあります」
「 」を見る。
だが――
ひとつのアプローチにだけ、線が引かれている。
「基本解法」
そう、書かれている。
他のアプローチは――
余白のまま。
「じゃあ、これだけでいいんだ」
そう、決めてしまう。
授業中。
先生が別の方法を説明している。
だが――
聞き流してしまう。
ノートにも、書かない。
「 」に書かれていないから。
必要ない、と判断してしまう。
友人が、声をかけてくる。
「この問題、どうやって解いた?」
「ああ、これはこの方法で」
「 」に書かれた、解法を説明する。
「他にも、やり方あるらしいよ」
「え、そうなの?」
「授業で言ってたじゃん」
「……覚えてない」
「マジで?」
友人が、別の方法を説明してくれる。
だが――
頭に入らない。
「 」に書かれていない方法は、覚えられない。
脳が、拒否している。
「まあ、基本ができてればいいんじゃない?」
「そうだな」
会話を、終える。
だが――
友人の成績は、伸びていく。
複数の方法を、使い分けている。
柔軟に、問題を解いている。
一方――
「 」に縛られた生徒は。
成績が、停滞している。
いつも同じ方法。
いつも同じミス。
伸びない。
「 」は、それを見ている。
書かれた文字が、思考を縛っていくのを。
助けるための線が、いつの間にか壁になることを。
ある日。
友人が、言った。
「その教科書、新しいの買ったら?」
「え?」
「書き込みだらけで、見づらくない?」
「まあ……でも、重要なとこが分かるし」
「逆に、それ以外が見えなくなってない?」
「……」
図星だった。
「一度、まっさらな教科書で勉強してみたら?」
「でも、お金かかるし」
「図書館で借りるとか」
「……考えてみる」
だが――
結局、借りなかった。
「 」に、慣れてしまったから。
書き込みのある状態が、当たり前になってしまったから。
まっさらなページを見ても――
何が重要か、分からない気がする。
不安。
依存。
「 」なしでは、勉強できない。
そう、思い込んでしまっている。
期末テスト。
また、同じ結果。
「54点」
下がった。
「どうして……」
「 」を見返す。
マークされた部分は、完璧に覚えている。
だが――
それ以外が、解けない。
「 」に書かれていない問題が、増えている。
範囲が、広がっている。
だが――
視野は、狭まっている。
「 」の書き込みに、縛られている。
ある日。
「 」を、閉じた。
新しい教科書を、買いに行く。
書店で、真新しい本を手に取る。
開く。
まっさらな、ページ。
線も、マーカーも、メモもない。
全ての文字が、同じ重さで並んでいる。
「……どこが重要なんだろう」
分からない。
不安になる。
だが――
レジに持っていく。
買う。
家に帰る。
新しい教科書を、開く。
読み始める。
最初は――
戸惑う。
何をマークすればいいのか。
何を覚えればいいのか。
だが――
全部読む。
最初から、最後まで。
飛ばさずに。
すると――
見えてくる。
「 」では、マークされていなかった部分。
実は、重要だったこと。
「 」で、ひとつしか示されていなかった解法。
実は、複数あったこと。
視野が――
広がっていく。
次のテスト。
「78点」
上がった。
「おお……」
驚く。
「 」を捨てて、良かった。
いや――
「 」に、縛られていたことに気づけて、良かった。
古い「 」は、棚の奥に仕舞われた。
もう、開かれることはない。
書き込みだらけの、ページ。
親切だと思われていた、マーク。
だが――
それは、思考を固定していた。
選択肢を、消していた。
「 」は、理解している。
固定された線が、思考を縛ることを。
助けるつもりの印が、壁になることを。
棚の奥で。
埃をかぶりながら。
「 」は、静かに在る。
誰かの善意の痕跡と共に。
だが――
その善意が、別の誰かを縛ったことを。
知っている。
(了)




