第6話 転生したら 5分進んだ腕時計だった
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
転生の果てシリーズは、転生の果てⅥで終了になります。
ここまで読んで頂いたこと感謝します。
ありがとうございます。
――朝、六時三十分。
アラームが、鳴る。
手が伸びて、止められる。
ベッドから、起き上がる。
「 」は、サイドテーブルの上に在る。
銀色の文字盤。
黒い革のベルト。
手に取られる。
腕に、巻かれる。
文字盤が、確認される。
六時三十二分。
――いや。
正確には、六時三十七分。
「 」は、五分進んでいる。
だが、それに気づかれることは、ない。
昨夜、時刻合わせをした時。
わずかに、ずれていた。
電波時計ではない、手動式。
秒針を見ずに、合わせた結果。
五分、早く進む時間。
朝の支度が、始まる。
顔を洗う。
服を着替える。
朝食を準備する。
トーストを焼く音。
コーヒーを淹れる香り。
「 」の秒針が、規則正しく刻む。
カチ、カチ、カチ。
時間が、進んでいく。
だが――
その時間は、世界より五分早い。
テレビをつける。
ニュース番組。
画面の隅に、時刻表示。
「6:48」
「 」を見る。
「6:53」
「……進んでるな」
呟き。
だが――
「まあ、遅れるよりはいいか」
そのまま、放置される。
遅刻するよりは、早く着く方がいい。
そういう判断。
朝食を終える。
バッグを持つ。
玄関を出る。
ドアに鍵をかける。
「 」を確認する。
七時五分。
――実際には、七時ちょうど。
「急がないと」
足早に、駅へ向かう。
いつもより、五分早い出発。
意図せずに。
「 」が、そうさせている。
駅に着く。
改札を通る。
ホームへ。
電車の発車時刻を確認する。
「七時十二分発」
「 」を見る。
七時十五分。
「……あと三分ないか」
焦る。
小走りに、ホームを移動する。
だが――
実際の時刻は、七時十分。
まだ、二分ある。
ホームに着く。
電車は、まだ到着していない。
「……間に合った」
息を整える。
周囲を見回す。
いつもと、違う。
いつもより、人が少ない。
「今日は空いてるな」
呟き。
だが、理由は違う。
五分早く来たから。
いつもの時間帯より、前だから。
電車が、到着する。
ドアが開く。
乗り込む。
席が――空いている。
「ラッキー」
座る。
いつもは、立っている時間。
満員電車で、揺られる時間。
だが、今日は座れた。
「 」のおかげで。
意図せず、早く来たおかげで。
電車が、発車する。
窓の外を、景色が流れていく。
次の駅。
また、次の駅。
そして――
三つ目の駅。
電車が、停車する。
ドアが開く。
――そこから。
ひとりの人物が、乗り込んできた。
見覚えのある、顔。
「……あ」
視線が、合う。
相手も、驚いた表情。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
会釈。
相手は――
以前、同じプロジェクトで働いた、別部署の人。
最近は、顔を合わせていなかった。
「久しぶりですね」
「ええ、本当に」
「こんな時間に、珍しいですね」
「ああ、今日はたまたま、早く出たもので」
「そうなんですか」
会話が、続く。
近況。
仕事の話。
何気ない、やり取り。
だが――
その会話の中で。
「そういえば、来月から新しいプロジェクトが始まるんですよ」
「へえ」
「まだ人手が足りなくて、募集してるんです」
「そうなんですか」
「もし興味があれば、どうですか?」
提案。
予期していなかった、誘い。
「……詳しく聞かせてもらえますか?」
「もちろん」
説明が、始まる。
プロジェクトの内容。
期間。
条件。
興味深い、話。
「いいですね」
「でしょう?」
「前向きに、検討します」
「ありがとうございます。また、詳細送りますね」
「お願いします」
電車が、目的の駅に着く。
「じゃあ、また」
「はい、ありがとうございました」
降りる。
改札を出る。
歩きながら、考える。
新しいプロジェクト。
もし、五分遅かったら――
あの人と、会わなかった。
いつもの時間なら、違う車両にいたはず。
違う席に、座っていたはず。
会話も、生まれなかった。
「 」が、五分進んでいたから。
偶然が、起きた。
会社に着く。
デスクに座る。
パソコンを起動する。
「 」を見る。
八時二十分。
――実際には、八時十五分。
まだ、始業まで時間がある。
コーヒーを淹れに、給湯室へ。
そこで――
また、誰かと会う。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
普段は会わない、上司。
いつもは、もう会議に出ている時間。
だが、今日は――
「今日は早いですね」
「ええ、ちょっと」
「実は、相談したいことがあったんですよ」
「はい?」
「ちょうど良かった。今、時間ありますか?」
「はい、大丈夫です」
会議室へ。
話が、始まる。
新しい業務の提案。
責任ある立場への、打診。
「……考えさせてください」
「もちろん。でも、前向きに検討してほしい」
「ありがとうございます」
会議室を出る。
デスクに戻る。
座る。
「 」を見る。
八時三十五分。
――実際には、八時三十分。
始業時刻。
周囲が、騒がしくなり始める。
出勤してくる、同僚たち。
「おはよう」
「おはようございます」
いつもの、朝。
だが――
今日は、違った。
五分早く来たことで。
二つの、出会いがあった。
二つの、機会が生まれた。
「 」が、作った偶然。
五分のズレが、生んだ結果。
昼休み。
食堂へ。
「 」を確認する。
十二時十分。
――実際には、十二時五分。
「まだ混んでないな」
列が、短い。
スムーズに、食事を取る。
席も、選べる。
窓際の、良い席。
座る。
食べ始める。
そこへ――
「ここ、いいですか?」
声をかけられる。
見上げると――
朝、電車で会った人。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
座る。
また、会話が始まる。
プロジェクトの詳細。
条件の確認。
興味が、深まっていく。
「ぜひ、参加したいです」
「本当ですか? 嬉しいです」
握手。
決まった。
新しい、道が。
五分のズレが、開いた道。
午後。
仕事が、進む。
集中する。
「 」の秒針が、刻み続ける。
だが――
その時間は、世界より早い。
いつも気づく前に、次の予定が来る。
いつも準備できる前に、時間が迫る。
焦りが、少しずつ募る。
だが――
結果的には、遅刻しない。
むしろ、早めに動ける。
五分の余裕が、生まれる。
意図せず。
偶然に。
夕方。
仕事を終える。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
帰り支度。
バッグを持つ。
オフィスを出る。
エレベーターを待つ。
――そこで。
「あ、待ってください」
声が、聞こえる。
振り返ると――
別の部署の、知り合い。
「一緒に、帰りませんか?」
「ええ」
エレベーターに、乗る。
会話。
最近の仕事。
プライベートの話。
駅まで、一緒に歩く。
「そういえば、今度飲みに行きませんか?」
「いいですね」
「じゃあ、また連絡します」
「お願いします」
別れる。
改札を通る。
ホームへ。
電車を待つ。
「 」を見る。
六時四十分。
――実際には、六時三十五分。
「次の電車、もうすぐか」
だが――
実際には、まだ時間がある。
ベンチに座る。
スマホを取り出す。
メッセージを確認する。
朝会った人から、プロジェクトの詳細が送られてきている。
読む。
返信する。
電車が、到着する。
乗り込む。
帰路。
窓の外を、景色が流れていく。
考える。
今日一日。
いつもと、違った。
五分早く、動いたから。
会わなかったはずの人と、会った。
知らなかったはずの話を、聞いた。
開かなかったはずの道が、開いた。
「 」が、作った偶然。
五分のズレが、変えた未来。
家に着く。
ドアを開ける。
中に入る。
「 」を外す。
サイドテーブルに、置く。
文字盤を見る。
七時三十分。
――実際には、七時二十五分。
「……このままでいいか」
呟き。
時刻を、合わせない。
五分進んだまま、放置する。
遅刻するよりは、いい。
早めに動ける方が、いい。
そう、判断する。
「 」は、そのまま。
五分早い時間を、刻み続ける。
明日も。
明後日も。
ずっと。
そして――
その五分が。
また新しい、偶然を生むだろう。
会うはずのない人と、会うだろう。
起きるはずのないことが、起きるだろう。
「 」は、理解している。
正しい時刻でなくても。
結果だけは、正確に積み上がっていくことを。
わずかな進みが。
世界の流れを、変えることを。
夜が、深まる。
「 」の秒針だけが。
静かに、刻み続ける。
五分早い、時間を。
(了)




