第2話 転生したら 電源が入らないスマホだった
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
転生の果てシリーズは、転生の果てⅥで終了になります。
ここまで読んで頂いたこと感謝します。
ありがとうございます。
――約束の時間まで、あと三十分。
「 」は、ポケットの中に在る。
布地に包まれた暗闇。
わずかに伝わる体温と、歩く振動。
待ち合わせの場所は、駅前のカフェ。
初めて会う相手。オンラインで何度もやり取りをした、大切な人。
ポケットから取り出される。
手に握られた感触。
冷たい表面。滑らかなガラス。
電源ボタンが、押される。
――だが。
画面は、点かない。
「……あれ?」
もう一度、押される。
長押し。五秒、十秒。
何も起こらない。
暗いまま。
反応しない。
「 」は、ただの黒い板として、手の中に在る。
指が、画面を撫でる。
タップする。スワイプする。
何をしても、変わらない。
「嘘だろ……」
呟きが、漏れる。
今朝まで、普通に使えていた。
充電も、八十パーセント残っていたはずだ。
バッグから、充電ケーブルが取り出される。
モバイルバッテリーに繋がれる「 」。
接続音が――鳴らない。
画面の隅に、充電マークも表示されない。
ただ、暗いまま。
「 」は、電力を受け取っているのか、いないのか。
内部で何が起きているのか、誰にも分からない。
時計を見る動作。
だが、時計は「 」の中にあった。
腕時計は持っていない。駅の時計を探す視線。
あと二十五分。
もう一度、電源ボタンを長押しする。
十秒。
十五秒。
二十秒。
指が、痛くなるほど押し続ける。
――何も起こらない。
「 」は、沈黙している。
中に保存された、全てのデータと共に。
連絡先。メッセージの履歴。約束の詳細。
相手の電話番号も、「 」の中。
メモにも残していない。オンラインでしか繋がっていない。
駅のベンチに座る。
「 」を両手で包み込む。
温めれば、動くかもしれない。そんな根拠のない期待。
だが、変わらない。
周囲を歩く人々は、皆スマホを見ている。
画面を覗き込み、指を滑らせ、誰かと繋がっている。
「 」だけが、沈黙している。
時間が、過ぎていく。
あと二十分。
カフェに向かうべきか。
だが――相手の顔を、知らない。
オンラインでは写真を見た。
だが、実物と同じかどうか。髪型が変わっているかもしれない。服装も分からない。
「 」の中にあった。
待ち合わせ場所の詳細も。
「カフェの二階、窓際の席」という約束も。
記憶を辿る。
確か――駅前の、あのカフェだった。
名前が思い出せない。いくつかある中の、どれか。
不安が、募る。
もう一度、電源ボタンを押す。
カチ。
暗いまま。
「 」は、答えない。
手の中で、ただの重さとして存在している。
冷たく、硬く、何の役にも立たない物体として。
時間が、削られていく。
あと十五分。
立ち上がる。
とりあえず、カフェに向かう。
駅前には三軒ある。全部回れば――
歩き出す足。
だが、三歩進んだところで。
ふと、思い至る。
相手も、同じように「 」を持っている。
相手の「 」には、こちらの連絡先が入っている。
連絡が来ないことを、どう思うだろう。
既読が付かない。
返信がない。
電話も繋がらない。
相手は、今。
待っているのだろうか。
それとも、もう諦めているのだろうか。
「 」は、その想像を記録することができない。
ただ、暗い画面のまま。
手に握られたまま。
カフェに着く。
一軒目。
入口から中を覗く。
二階建ての店。窓際の席には、誰か座っているだろうか。
階段を上がる。
二階のフロア。
窓際の席――四つある。
ひとつは、カップルが座っている。
ひとつは、空席。
ひとつは、本を読む老人。
ひとつは――
ひとりの人物が、座っている。
年齢は、二十代半ば。
テーブルの上には、スマホ。
画面を、何度も確認している。
視線が、入口に向く。
目が合う。
――だが、相手は首を振って、視線を戻した。
違う。
この人ではない。
「 」を握る手が、汗ばむ。
確認できない。
相手の顔も、名前も、連絡手段も。
二軒目のカフェに向かう。
時間を確認したいが、時計がない。
周囲の人のスマホ画面が、チラチラと視界に入る。
時刻表示。
メッセージ通知。
誰かと繋がっている証。
「 」は、それらを映さない。
二軒目。
やはり二階建て。
窓際の席を確認する。
誰もいない。
空席が、並んでいる。
――まだ、来ていないのか。
それとも、もう帰ったのか。
判断できない。
座って待つべきか。
それとも、三軒目を探すべきか。
「 」に、答えを求める。
だが。
画面は、暗いまま。
手が震える。
もう一度、電源ボタン。
押す。
押す。
押す。
何度押しても、同じ。
「 」は、沈黙を続ける。
やがて――諦めた。
三軒目には向かわず、駅のベンチに戻る。
座り込む。
「 」を膝の上に置く。
ただ、見つめる。
時間が、どれだけ経ったのか分からない。
空が、少しずつオレンジ色に染まり始めている。
夕方が、近づいている。
もう、約束の時間は過ぎたはずだ。
相手は――
待っていたのだろうか。
来なかったことに、怒っているだろうか。
それとも、心配しているだろうか。
いや。
もっと悪い想像が、浮かぶ。
「無視された」
そう思われているかもしれない。
約束を忘れたのか。
それとも、最初から来る気がなかったのか。
オンラインでやり取りしていた時間。
少しずつ深まっていった、信頼。
「会いたい」と言ってくれた、あの言葉。
それらが、今。
沈黙によって、壊されている。
「 」は、その過程を見ている。
暗い画面の向こうで。
何も発信できない、無力な存在として。
夕日が、沈んでいく。
駅前の人通りが、増えてくる。
帰宅する人々の波。
「 」を握る手が、力を失っていく。
もう一度――
最後にもう一度だけ。
電源ボタンを、押す。
長押し。
十秒。
二十秒。
三十秒。
――何も、起こらない。
手が、脱力する。
「 」が、膝から滑り落ちそうになる。
慌てて、掴む。
だが、もう。
意味がない。
バッグに仕舞い込まれる「 」。
暗闇の中に、戻される。
立ち上がる。
駅の改札に向かう。
帰る。
それしか、できない。
家に着く頃には、もう夜だった。
「 」を充電器に繋ぐ。
コンセントに差し込まれるケーブル。
接続される端子。
だが、やはり画面は点かない。
充電ランプも、光らない。
机の上に、置かれる。
部屋の明かりを消す。
ベッドに横になる。
天井を、見つめる。
――今頃、相手はどう思っているだろう。
怒り。
失望。
諦め。
それとも、まだ心配してくれているだろうか。
分からない。
確かめる手段が、ない。
やがて、眠りに落ちる。
そして。
深夜。
誰もいない部屋で。
「 」の画面が――
微かに、光った。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
起動画面が表示され、そして消えた。
充電マークが点滅し、バッテリー残量が示される。
78%。
朝と、ほとんど変わらない。
通知が、溜まっている。
メッセージ。
着信履歴。
全て、同じ相手から。
『着きました』
『どこにいますか?』
『大丈夫ですか?』
『返信ください』
『心配です』
『……もう帰ります』
最後のメッセージは、三時間前。
『さようなら』
それきり、何も来ていない。
「 」の画面は、その文字を映したまま。
やがて、自動的にスリープモードに入る。
暗闇が、戻る。
翌朝。
目覚めた手が、「 」に伸びる。
電源ボタンを押す。
――画面が、点いた。
「……え?」
驚きの声。
普通に起動する。
何事もなかったように。
通知を確認する。
昨夜のメッセージが、並んでいる。
最後の『さようなら』が、目に入る。
返信しようとして――
指が、止まる。
何と、書けばいいのか。
「故障してました」
そんな言い訳が、通じるだろうか。
既に時間が経ちすぎている。
朝になってから返信しても、遅い。
指が、震える。
結局。
何も送らないまま、「 」を置いた。
机の上。
画面は点いている。
正常に、動いている。
だが、もう。
繋がっていたものは、切れている。
「 」は、それを知っている。
沈黙が、言葉よりも強く働いたことを。
何も発しなかったことが、最も大きな結果を生んだことを。
窓の外で、朝日が昇る。
新しい一日が、始まる。
だが、昨日と同じ日には、戻らない。
(了)




