第10話 転生したら 割れたマグカップだった
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どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
転生の果てシリーズは、転生の果てⅥで終了になります。
ここまで読んで頂いたこと感謝します。
ありがとうございます。
――朝、七時。
「 」は、食器棚から取り出される。
白い陶器。
取っ手が、ひとつ。
シンプルな、形。
だが――
表面には、細い線が走っている。
ヒビ。
わずかな、亀裂。
気づかれないほど、小さな傷。
熱湯が、注がれる。
コーヒーの粉が、溶ける。
香りが、立ち上る。
「 」は、温められる。
内側から、熱が広がる。
ヒビが――
わずかに、広がる。
だが、まだ持ちこたえている。
テーブルに、置かれる。
両手で、包まれる。
「……温かい」
呟き。
冬の朝。
冷えた手が、「 」で温められる。
毎朝の、儀式。
このカップでなければ、ダメ。
他のカップは――
サイズが違う。
手触りが違う。
温まり方が違う。
「 」だけが、ちょうどいい。
だから――
毎日、使われる。
朝のコーヒー。
午後の紅茶。
夜のホットミルク。
一日三回、熱い飲み物。
「 」は、その全てを受け止めている。
だが――
ヒビは、少しずつ広がっている。
温度差に、耐えられなくなっている。
熱い液体を注がれる。
冷たい水で洗われる。
また、熱い飲み物。
繰り返される、膨張と収縮。
陶器が、悲鳴を上げている。
ある日の午後。
また、「 」が使われる。
熱湯が、注がれる。
――その瞬間。
ピシッ。
小さな音。
ヒビが、伸びた。
表面から、内側へ。
縦に、走る亀裂。
だが――
まだ、割れていない。
液体は、漏れていない。
使用者は――
気づかない。
音も、聞こえなかった。
テレビを見ながら、飲んでいるから。
「 」を、口に運ぶ。
温かい紅茶が、流れ込む。
飲み終わる。
シンクに、置かれる。
水で、すすがれる。
冷たい水が――
熱かった「 」に、触れる。
急激な、温度変化。
ヒビが――
また、伸びる。
今度は、横に。
網目状に、広がり始める。
だが、まだ。
形は、保たれている。
食器棚に、戻される。
他のカップと、並べられる。
だが――
「 」だけが、ヒビだらけ。
翌朝。
また、取り出される。
「このカップが、一番好きなんだよな」
呟きながら。
熱湯を、注ぐ。
コーヒーを、淹れる。
「 」は、震えている。
内部で、亀裂が広がろうとしている。
だが――
まだ、耐えている。
テーブルに、運ばれる。
両手で、持たれる。
「あれ……?」
指先に、違和感。
表面を、確認する。
「……ヒビ?」
細い線が、見える。
縦に、横に。
何本も。
「そんなに、使ってたかな……」
呟く。
だが――
捨てない。
「まだ、使えるだろ」
飲む。
問題なく、飲める。
漏れも、しない。
「大丈夫だな」
そのまま、使い続ける。
だが――
ヒビは、確実に広がっている。
毎日、熱い飲み物。
毎日、冷たい水。
温度差が、陶器を蝕んでいく。
ある日の夜。
ホットミルクを、作る。
電子レンジで、温める。
「 」ごと、レンジに入れる。
二分間。
温められる。
取り出す。
熱い。
「あつっ」
慌てて、テーブルに置く。
その衝撃で――
ピシッ。
また、音。
ヒビが、底まで達した。
貫通は、していない。
だが――
もう、限界に近い。
翌朝。
また、コーヒー。
熱湯を、注ぐ。
「 」が――
わずかに、軋む。
音は、しない。
だが、内部で何かが起きている。
テーブルに、置く。
飲もうとして――
手が、止まる。
「……やっぱり、ヒビがひどいな」
見つめる。
網目状の、亀裂。
もう、隠せないほど。
「新しいの、買おうかな」
だが――
「でも、このカップが好きなんだよな」
迷う。
愛着。
手に馴染む、感触。
ちょうどいい、サイズ。
他では、代えられない。
「もう少し、使おう」
結論。
飲み始める。
だが――
心のどこかで、不安がある。
いつ、割れるのか。
いつ、使えなくなるのか。
それでも――
使い続ける。
数日後。
朝のコーヒー。
いつも通り、「 」を使う。
熱湯を、注ぐ。
テーブルに、置く。
飲もうとして――
手を伸ばした、その時。
パキン。
音が、した。
「え……?」
見ると――
「 」の側面に、大きな割れ目。
縦に、一本。
底から、縁まで。
完全に、貫通している。
「……嘘」
慌てて、持ち上げようとする。
だが――
その瞬間。
パリン。
砕けた。
二つに、割れた。
中のコーヒーが――
溢れ出す。
テーブルに、広がる。
「あ、あ……」
慌てて、ふきんを取りに行く。
拭く。
だが――
もう、遅い。
「 」は、割れている。
二つの、破片。
手に取る。
鋭い、断面。
内部が、見える。
無数の、小さなヒビ。
ずっと前から、壊れかけていた。
だが――
使い続けた。
大切にしているつもりで――
壊していた。
「……ごめん」
呟く。
誰に、謝っているのか。
「 」に、か。
それとも、自分に、か。
破片を、見つめる。
もう、使えない。
割れてしまった。
ゴミ箱に――
捨てようとして。
手が、止まる。
「……」
捨てられない。
愛着のある、カップ。
毎日、使っていた。
思い出が、詰まっている。
だが――
割れている。
修復も、できない。
結局――
ゴミ袋に、入れた。
他のゴミと、一緒に。
縛る。
玄関に、置く。
明日の、ゴミの日に出す。
食器棚を、開く。
他のカップが、並んでいる。
どれも、無傷。
ヒビも、ない。
ひとつ、取り出す。
白い、マグカップ。
形は、似ている。
だが――
手に持った感触が、違う。
少し、大きい。
重さも、違う。
「……慣れるしかないか」
呟く。
熱湯を、注ぐ。
コーヒーを、淹れる。
飲む。
味は――
同じはずなのに。
何かが、違う気がする。
「 」じゃないから、か。
翌朝。
ゴミを、出す。
「 」の入った袋を、集積所に置く。
他のゴミと、一緒に。
回収車が、来る。
持っていかれる。
「 」は――
もう、戻らない。
新しいカップで、コーヒーを飲む。
慣れない、感触。
だが――
使い続けるしかない。
いつか――
このカップにも、愛着が湧くだろう。
そして――
また、ヒビが入るだろう。
また、無理に使い続けるだろう。
また、割れるだろう。
繰り返し。
「 」は、理解している。
大切にされているつもりで、消耗していたことを。
善意が続くほど、壊れる時の音が大きくなることを。
ゴミ処理場で。
他の破片と、混ざり合いながら。
「 」は、静かに在る。
ヒビの痕跡と共に。
愛着の重さと共に。
ただ、静かに。
(了)




