第9話 転生したら 効きすぎるブレーキパッドだった
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
転生の果てシリーズは、転生の果てⅥで終了になります。
ここまで読んで頂いたこと感謝します。
ありがとうございます。
――午後三時、郊外の道。
「 」は、タイヤの奥に在る。
金属の板。
摩擦材が、貼り付けられている。
車が、走行している。
アスファルトを蹴る、タイヤの音。
エンジンの、低い唸り。
時速、六十キロ。
制限速度内。
穏やかな、走行。
ハンドルを握る手は、リラックスしている。
窓の外を、景色が流れていく。
田んぼ。
民家。
電柱。
前方に――
信号が、見えてくる。
青。
そのまま、通過する予定。
だが――
黄色に、変わった。
距離を、確認する。
あと三十メートル。
時速六十キロなら――
止まれる。
いや、止まるべきか。
それとも、加速して通過するか。
一瞬の、判断。
――止まろう。
足が、ブレーキペダルに移る。
踏む。
「 」が、作動する。
タイヤに、圧力がかかる。
摩擦が、生まれる。
だが――
その摩擦が、強すぎた。
キーッ。
鋭い音。
タイヤが、ロックする。
車体が――
急激に、減速する。
予想以上の、制動力。
「うわっ」
体が、前に投げ出されそうになる。
シートベルトが、引っ張られる。
ハンドルを、強く握りしめる。
タイヤが、滑る。
アスファルトとの摩擦音。
キィィィィ……
車が、斜めになる。
後輪が、流れる。
「やばい……!」
ハンドルを、切る。
だが――
タイヤがロックしているから、効かない。
車は、滑り続ける。
対向車線に――
はみ出しそうになる。
心臓が、跳ね上がる。
だが――
対向車は、いない。
幸運だった。
車が、ようやく止まる。
信号の、十メートル手前。
斜めに、停車している。
エンジンが、アイドリング音を立てている。
「……はぁ、はぁ……」
荒い呼吸。
手が、震えている。
「何だ、今の……」
呟く。
ブレーキを、踏んだだけ。
いつも通りに。
だが――
効きすぎた。
「 」が、過剰に反応した。
新しく交換したばかりの、ブレーキパッド。
高性能、と謳われていた部品。
だが――
高性能すぎた。
普通の踏み方では、強すぎる。
車を、立て直す。
ハンドルを切って、正面を向ける。
信号は――
赤に、変わっていた。
停止線の、手前。
止まっている。
結果的には、正しい位置。
だが――
過程が、危険だった。
深呼吸。
落ち着かせる。
「気をつけないと……」
呟く。
信号が、青になる。
発進する。
慎重に、アクセルを踏む。
速度を上げる。
次の信号が――
また、黄色に変わる。
「……」
今度は、通過することにした。
ブレーキを踏みたくない。
さっきの、恐怖が残っている。
アクセルを、踏み込む。
加速。
信号を――
赤に変わる直前に、通過する。
「ふぅ……」
安堵の息。
だが――
それは、間違った判断だった。
本来なら、止まるべきだった。
だが、「 」を恐れて、加速した。
危険を避けるつもりで――
別の危険を、選んでしまった。
次の交差点。
また、信号が黄色に変わる。
距離は――
微妙。
止まれるか、止まれないか。
判断に、迷う。
だが――
「 」のことを思い出す。
強すぎる、制動力。
タイヤが、ロックする感覚。
車体が、滑る恐怖。
「……行くか」
アクセルを、踏む。
信号を、通過する。
だが――
赤に、変わっていた。
完全に、信号無視。
「くそ……」
焦る。
だが、もう遅い。
通過してしまった。
幸い――
パトカーは、いない。
事故も、起きなかった。
だが――
明らかに、危険な運転。
「 」が、判断を狂わせている。
ブレーキを信頼できないから。
止まることを、恐れるようになっている。
住宅街に、入る。
狭い道。
見通しの悪い、カーブ。
速度を、落とすべき場所。
だが――
ブレーキを、踏みたくない。
そのまま、速度を維持する。
カーブを、曲がる。
――そこに。
子供が、飛び出してきた。
「!」
反射的に、ブレーキを踏む。
「 」が、作動する。
キーッ。
またも、急制動。
タイヤが、ロックする。
車が、滑る。
子供との距離――
五メートル。
四メートル。
三メートル。
「止まれっ……!」
必死に、ハンドルを握る。
だが、操作できない。
二メートル。
一メートル。
――ギリギリで、止まった。
子供の、目の前。
バンパーから、数十センチ。
「……っ」
子供が、泣き出す。
転んで、座り込んでいる。
慌てて、車から降りる。
「大丈夫!? ごめん、ごめん……」
手を差し伸べる。
子供は、泣きながら頷く。
怪我は――ない。
転んだだけ。
「ごめんね、本当に……」
何度も、謝る。
近くの家から、親が出てくる。
「何があったんですか!?」
「すみません、子供さんが飛び出してきて……」
「大丈夫? 怪我は?」
親が、子供を抱き上げる。
確認する。
「……大丈夫みたいです」
「本当に、申し訳ございません」
頭を下げる。
「気をつけてください」
厳しい声。
「はい……」
親子が、家に戻る。
残された運転手は――
車に、戻る。
ハンドルに、額を押し付ける。
「……危なかった」
冷や汗が、止まらない。
もし――
あと一秒、ブレーキを踏むのが遅かったら。
もし――
「 」が、もっと効きが悪かったら。
いや、違う。
もし――
最初から、適切なブレーキだったら。
恐れることなく、止まれていたら。
こんな危険な運転は、しなかった。
「 」を、恐れたから。
信号で止まらなかった。
速度を落とさなかった。
結果――
子供を、轢きそうになった。
深呼吸。
落ち着かせる。
エンジンを、かける。
慎重に、発進する。
今度は――
ブレーキを、恐れない。
使い方を、学ぶ。
次の信号。
黄色。
止まる。
ブレーキを――
今度は、優しく踏む。
じわり、と。
「 」が、作動する。
だが――
タイヤは、ロックしない。
穏やかに、減速する。
止まる。
「……そうか」
分かった。
「 」が悪いんじゃない。
踏み方が、間違っていた。
いつもと同じ力で踏んだら、効きすぎる。
だから――
もっと、優しく。
繊細に。
コントロールしなければ。
信号が、青になる。
発進する。
次の信号。
また、黄色。
今度は――
ゆっくりと、ブレーキを踏む。
「 」が、反応する。
穏やかに、止まる。
成功。
「……慣れれば、大丈夫か」
だが――
慣れるまでが、危険。
今日、何度も危ない目に遭った。
子供を、轢きそうになった。
信号を、無視した。
全て――
「 」を恐れたから。
止まることを、避けたから。
家に、着く。
車を、停める。
エンジンを、切る。
降りる。
タイヤの下に――
「 」が、在る。
見えないけれど、確かに在る。
高性能な、ブレーキパッド。
だが――
その性能が、恐怖を生んだ。
恐怖が、危険を呼んだ。
止まりたいという力が――
逆に、止まれなくさせた。
「 」は、理解している。
過剰な力が、バランスを崩すことを。
恐れが強すぎると、結果を早めてしまうことを。
夜。
整備工場に、電話をする。
「ブレーキパッド、交換してもらえますか」
「はい、どうかされましたか?」
「効きすぎて……危ないんです」
「効きすぎ、ですか」
「ええ、もう少し、マイルドなものに」
「分かりました。では、明日お持ちください」
「お願いします」
電話を、切る。
「 」は、明日。
外される。
新しいパッドと、交換される。
今夜が、最後。
窓の外で――
夜風が、吹いている。
静かな、住宅街。
「 」は、タイヤの奥で。
じっと、在る。
過剰だった力と共に。
生んでしまった恐怖と共に。
ただ、静かに。
(了)




