6.彼女の知らぬ『夜梟』
アクシオとの話し合いの後から数日。ヴィルエの生活に大きな変化が生じていた。
食堂に行けば、アクシオがいる。テーブルにも二人分の食事が用意されるようになった。
食事だけではない。応接間に向かえばアクシオが既にいる。自室に使用人を呼べばアクシオもやってくる。外出しようとすれば行き先や目的を確認される。
そのように顔を合わせることは増えたものの、彼から言葉をかけられることはない。ただじっと、鷹のように鋭く睨まれるだけだ。
そうなると気が抜ける時間はない。朝食を終えたヴィルエは、食堂にアクシオを残して、逃げるように自室に戻った。
(……こんなにも顔を合わせるようになるなんて)
一人の時間になってようやくヴィルエは息を吐く。一日は始まったばかりだというのに、どっと疲れたような心地だ。
(私のことを疑って、監視しているのでしょうね)
ヴィルエと共にいるは、不審な行動を取っていないか探るためだろう。それほどアクシオは警戒しているのだ。
だがこれはヴィルエにとってもつらい状況である。レインブル家とのやりとりが、うまく進んでいないのだ。
レインブル家が『国王の耳』として動いていることは知られてはならない。これを知るのは王家の者とレインブル家だが、レインブル家でもヴィルエと父オスカーは知っているが、母やオルナはこれを知らない。そのような機密情報であるから、アクシオに知られるわけにはいかなかった。
これまではアクシオと顔を合わせる機会はなく、ヴィルエにとっては動きやすかった。屋敷に帰ったり、父宛に手紙を送ったりといった行動を妨げるものはなかった。
しかしアクシオが見ている。そうなればヴィルエは自由に動けない。
(どうにかしてお父様と連絡を取らないと……こうしているうちに新しい問題が起きているかもしれない)
ヴィルエがそう考えていると、部屋の扉が叩かれた。控えめなノック音の後、扉の向こうから声がする。
「レインブル家からお前宛の手紙が届いている」
声の主からしてアクシオだろう。またアクシオがいると考えれば気が重たくなるものの、ヴィルエは平静を装って扉を開けた。
「旦那様自ら届けてくださるなんて。ありがとうございます」
「……実家と手紙のやりとりをするのが趣味だと聞いたが」
手紙を受け取ると、アクシオが言った。穏やかに笑みを浮かべてはいるが、鋭い声音や視線は、まるで静観する捕食者だ。
「ええ。家族も私のことが心配なのでしょうね」
「『夜宴の黒花』を案ずる家族か。随分と過保護だな」
「嫁いだばかりなのに旦那様に無視され、屋敷に一人閉じこもっているとなれば、過保護になってしまうのも仕方の無いことでしょうね」
皮肉めいた反論をすれば、アクシオが小さく笑った。
「つまり、俺がお前と接していれば手紙が減ると?」
「どうでしょうね。寂しさを埋めるだけでは、便箋の数は減らないと思いますわ」
ヴィルエは部屋の奥へと戻っていく。これで会話は終わりだと告げるためであったが、それはアクシオに通じなかったらしい。彼は壁にもたれかかってこちらを見ている。
それを視界に入れた後、ヴィルエは顔をしかめた。
「まだ何か?」
「最近はお前と顔を合わせる機会を増やすようにした」
「ええ。もちろん存じておりますわ」
素っ気なく返事をする。するとアクシオがこちらに近づいてきた。
「どうして、と聞かないのか?」
その問いかけにはっとし、ヴィルエは彼に向き直る。
「どういう意味でしょう?」
「毎日お前と顔を合わせる。これほどわかりやすい変化だというのに、お前は動じていない。俺に見張られているこの状況を受け入れている」
確かに、とヴィルエは心の中で頷く。
今のヴィルエは監視される状況にある。もしも本当に『夜梟』の正体を見ていないのならば、人が変わったように接点を増やすアクシオに疑問を抱いただろう。
『夜梟』の正体を知っている。それを明かせば殺されると知っているから、監視されるこの状況を受け入れているのではないか――アクシオの問いかけにはその意味が込められている。ヴィルエは試されているのだ。
そうなれば、とヴィルエは近くまで迫ったアクシオとの距離を縮める。手を伸ばせば触れそうなほど近くに入りこみ、彼を見上げた。
「旦那様は女性に不慣れでいらっしゃるのね」
ガーネットの瞳がアクシオを捉えている。彼がたじろぐ瞬間までをしっかりと。
「それをわざわざ女性に言わせるなんてよろしくありませんわ」
「なっ……お前、誰に向かって――」
「興味がない、愛することはないと仰っていましたけど、少しは練習された方が良いのでは?」
想定とは異なるヴィルエの反応に、アクシオが言葉を詰まらせる。吃驚のせいなのかヴィルエが距離を詰めたせいなのか、彼の頬がわずかに赤らんでいるようにも見えた。
(あら。可愛い反応するじゃない)
アクシオは傲慢な態度の印象が強い。暗殺者という仕事も彼に冷徹なイメージを与えている。そんなアクシオならばこの程度の挑発にも慣れているのかと思っていたのだが、目の前の彼は違う。
わかりやすいほどに狼狽え、視線を泳がせている。
整った顔立ちに、ヴィルエよりも高い背丈。どこからどうみても立派な男性だが不似合いな動揺っぷりだ。
(前もそうだったけれど、この人すぐに赤くなるのね。本当に女性に慣れていないのかも)
可愛いと口にすればアクシオは怒るだろう。だから胸の中に秘めておくが、彼の見た目と反応のギャップは愛らしく見えてしまう。冷徹に振る舞っているようで、少し詰めただけでこれなのだ。
(もうちょっと近づいてみたらどうなるのかしら。試して見たくなるわね)
このように近づいて見上げ、挑発的な言葉をぶつけるだけでこの反応なのだ。近づいたり触れたりすればどうなるのだろう。
悪戯な好奇心がぞくぞくと疼く。アクシオをからかってみたいと気が急くものの、その感情をぐっと押し殺した。
(今は余計なことをするべきじゃない。我慢、我慢するのよ)
これ以上近づいていてはアクシオよりもヴィルエの好奇心が限界だ。もっとからかって遊んでみたくなってしまうが、その衝動を何とか堪え、ヴィルエは彼から一歩離れ、微笑んだ。
「では、私はこれから手紙を読もうと思いますので。旦那様はご退室願えますか?」
「……わかった」
意外にもアクシオはあっさりと引いた。逃げるような速さで背を向け、部屋を出て行ってしまう。
扉が閉まり、足音も聞こえなくなってから、ヴィルエは張り詰めていた気を緩める。
手紙の封を開ける。レインブル家と言っていたが、想像通り父からの手紙であった。
ヴィルエは急ぎ、その内容に目を通す。
(セラティス王子の暗殺計画……?)
綴られていた不穏な単語にヴィルエは顔を顰める。
このガードレット王国には二人の王子がいる。一人は先王妃の子であるセラティス王子。もう一人は、先王妃亡き後に迎えた現王妃の子で、まだ幼いシェルスタ王子。
そのためシェルスタ王子擁立を願う貴族は、セラティス王子を目の敵にする。これまでに何度も命の危機に瀕したことがあった。そのほとんどは未然に防がれているため、今日まで大きな事件とはなっていない。
(まだ諦めていないのね。オルナとの婚姻があるから浮つく今が狙い時とでも考えたのかしら)
父オスカーは、市井の者からこの情報を得たらしい。何でも身分を明かさぬ貴族が、裏稼業の者たちを集めているというのだ。
そこで、脳裏に過るは『夜梟』だ。依頼されたという暗殺者が『夜梟』であったのなら――それは暗殺計画を止めたいヴィルエにとって、アクシオが敵ということになる。
(旦那様の動向にも気をつけた方がいいわね)
だがアクシオを見張るだけでは足りない。積極的に動いて情報を集め、暗殺計画を止めなければならない。
(先のマチェスト子爵の件もある。屋敷に籠もらず情報収集に動かないといけないわ)
どうにかしてアクシオの監視から逃れる術はないだろうか。そう考えた矢先、おずおずと扉が叩かれた。
「ヴィルエ様、失礼します」
部屋に入ってきたのはミゼレーである。彼女は周囲を確かめてから扉を閉め、ヴィルエのそばに寄ってくる。
ミゼレーにはアクシオについての話をしていた。彼が『夜梟』であることは伝えていないが、アクシオの動向に気を配り、隙があれば伝えるように命じている。
「アクシオ様がお出かけになるそうです。戻られるのは夜遅くになると使用人に話していました」
「ありがとう。それなら……好都合ね」
ようやく隙が出来た。ヴィルエはにやりと笑みを浮かべる。
「ちょうどお父様から手紙が来ていたの。どうやら忙しくなりそうだわ」
「それは嬉しくない話ですね」
「暇よりはいいじゃない。相手の尾を掴み次第、あなたにも動いてもらうかもしれない」
「かしこまりました」
そうなればアクシオの隙を探るよりも暗殺計画の阻止に向けて動いてもらうことになるだろう。
ミゼレーに動いてもらうためにもまずは相手の尾を掴む。
「今宵の夜会に出るわ。手配をお願いできるかしら」
動くならば今日しかない。今宵の予定は決まった。




