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5.知らないふり

 朝になるとさっそくヴィルエは動いた。部屋に誰もいないとしても悲鳴をあげながら起き上がる。


「だ、誰か! 誰かいないの!?」


 大声で人を呼べば、廊下にいたのだろう侍女が何事かと慌てて駆け込んできた。


「奥様、どうされました!?」

「大変よ。不審者が、不審者が――」


 こちらにやって来た侍女に縋り付くようにし、ヴィルエは叫ぶ。


「奥様、落ち着いてください。大丈夫ですから」

「でも不審者がいたはずだわ。逃げないと」


 騒ぎを聞きつけ、廊下には他の使用人も集まっている。それでも足りぬとヴィルエは取り乱した様子で続ける。


「そうだわ、旦那様! 旦那様に知らせないと。旦那様は無事なの!?」


 ヴィルエがそう叫ぶと、廊下に集まっていた人波が揺れた。彼らの視線はヴィルエではなく、現れた主人へと向けられている。


「何の騒ぎだ」


 しかめ面をしたアクシオがこちらにやってくる。その後ろにはグレンもいる。

 ヴィルエは二人の到着を確かめると、今度はアクシオのもとに駆け寄った。


「旦那様!? よかった、ご無事ですね……」


 裾をきゅっと掴み、彼の身を案じる。


 ここまでは想定していた通りである。

 昨晩については『血まみれの不審者を見て意識を失った』とするべきだとヴィルエは考えている。本当にその状態で意識を失っているのなら、目を醒ました時には不審者がいるかもしれないと怯えるだろう。場所がアクシオの部屋であったため、彼の安否を心配するはずだ――そう考え、ここまでの行動を取っている。


(旦那様から呼び出されるまで待つより、自分から行動を起こした方がいいわ)


 ヴィルエが騒ぎたて、人を集めれば、アクシオもやってくるはず。その予定通りにアクシオとグレンは現れた。


 ヴィルエが取り乱していると考えたのだろうアクシオは、険しい顔をしたまま使用人らに向き直る。


「お前たちは戻っていい。あとは俺とグレンで話を聞く」


 その言葉に、集まっていた使用人や侍女らが部屋を出て行った。


 こうして部屋はヴィルエとアクシオ、アクシオに命じられて残ったグレンの三人である。ヴィルエはベッドに腰掛け、その近くの椅子にアクシオが座る。

 二人の間は距離があり、アクシオは忌み嫌うかのように鋭いまなざしをヴィルエに向けていた。


「お前はなぜ騒いでいた?」


 先に口を開いたのはアクシオだ。ヴィルエは両手を握りしめ、怯えているふりを装いながらアクシオに答えた。


「昨晩、不審者を見たのです」

「詳しく話せ」

「私が夜会から帰った後、旦那様の部屋からガラスが割れたような音が聞こえました。夜遅くだったのでただ事ではないと思い、勝手ながら旦那様の部屋に向かいました」


 アクシオは黙ったまま、口を挟むことなくヴィルエの言葉に耳を傾けている。


「そうして旦那様の部屋に入った時――不審な者がいたのです」

「その不審な者についてお聞かせ願えますか?」


 グレンに問われるもヴィルエは気まずそうに俯く。


「男の方……だと思うけれど自信がありません。情けない話ですが、その血まみれの姿を見た後が思い出せないのです。気づいたらベッドに寝ていましたから」


 恐怖を思い出したかのようにヴィルエは両手で顔を覆う。体を震わせながら、しかしどれも演技である。気づかれぬ程度に開いた指の隙間から、グレンがアクシオに視線を送るのを見ていた。

 そのグレンの動きはまさしく『ほら、覚えていないじゃないですか』と得意げなものである。これに対しアクシオは瞼を伏せてうんざりとした様子であった。それから顔をあげ、ヴィルエに問う。


「その不審者についてわかることはそれだけか? 何か持ってきたとか特徴だとか、そういったものはわからないのか?」

「そうですね……」


 見ていないととぼけるにしても、思い出す努力をした方がよい。そう判断し、ヴィルエは思い出すふりをして俯く。


「特徴……私よりも体格が良いので男性……ぐらいでしょうか」

「……本当にわからないのか?」

「お力になれず申し訳ございません」

「まあまあ。そこまでにしましょう」


 そこでグレンが間に入った。


「不審者については不明ですが、ガラスが割れる音などの話は他使用人からも聞いています。仰る通り、何者かが忍び込んでいたのでしょう。既に屋敷内の捜索を終えていますが、それらしき不審な者は見つかりませんでした」


 ここでグレンがアクシオの方を見る。だがアクシオは何の反応も示さない。

 グレンは再びヴィルエの方を向いた。


「領内の者たちにも知らせ、不審者の捜索を行っています」

「私がしっかりしていれば、捕えることができたのかしら」

「そうやって自分を責めないでください。奥様がご無事で何よりです――では、気分を落ち着けるためのお茶などを持ってきましょう」


 そう言ってグレンは立ち上がり、部屋を出ていく。

 残されたのはしかめ面のアクシオとヴィルエだ。


 これまでアクシオはヴィルエを睨んだままである。口を開いたのも不審者に関する問いかけのみで、表情も硬い。


(グレンは信じてくれそうだけど、この人はどうかしらね)


 油断はできない。ヴィルエは動じているふりを装いながら、アクシオの様子を探る。

 彼の中で疑念は消えていないのか、こちらに向けた視線には疑いが感じられる。


(そういえば、昨晩の彼の怪我はどうなったのかしら)


 確か脇腹を庇うようにしていた。彼の姿が血塗れだったのも、返り血だけが理由ではないだろう。こうしているからには深い傷でなさそうだが、ちゃんと手当てはしているのだろうか。気になってしまい、ヴィルエの視線が脇腹の方へと移る。


(あの怪我は『夜梟』として暗殺対象のところにいった時の傷なのかしら。怪我をしたことも従者に言えないなんて、この人は本当にわからないわ)


 そして今も、怪我なんてしていないかのように振る舞っている。強がっているのか、それとも怪我をしたと言えない理由があるのか、ヴィルエにはわからない。


「……っ、何を、じっと見ている?」


 その声によって我に返る。見れば、アクシオは気まずそうにしていた。妙に頬が赤い。


「はい? 何のことでしょうか」

「だから! なぜ、ずっと……俺の腹部を見ているのかと聞いているんだ」


 つまり、彼はヴィルエに凝視されていたことに照れていたらしい。うわずった声を隠すように咳払いをしているが、まだ頬は赤い。


(確かに……じっと見つめていい場所ではなかったけれども)


 怪我が気になっただけなのだが、言われてみれば熱視線を送るには相応しくない部位かもしれない。

 とはいえ、そこまで照れなくても良いだろう。先ほどまでの偉そうな態度と大違いだ。


 このようなタイプの男はあまり見たことがない。全員とは言わないが、上流階級の男たちは悠然としているのを格好よいとする節があり、令嬢たちを小馬鹿にしたり道具として扱う者もいる。だからか、このように照れる男を見ることは初めてだった。


(からかったら面白そう……だけど、今は我慢しましょう)


 今はそのように遊んでいる時ではない。平静を装うとしてはいるがうまくできていないアクシオを慮り、いたずら心は封じることとした。


「結婚してから今日まで、旦那様と顔を合わせることがなかったものですから。ようやく顔を合わせたのがこのような機会だなんて、と考えていただけですよ」


 優しさで話題を変える。これに気づいたのか、アクシオはようやくこちらを向いた。先ほどまでの動揺はなかったかのように口ぶりも戻っている。


「……とにかく。お互いに望んだ結婚ではないから顔を合わせる必要はない。お前だって好き勝手に出歩いているじゃないか」

「出歩く、といいますと?」

「毎夜、夜会に出向いては他の貴族らと親しくしているそうじゃないか」


 アクシオが指しているのは夜会のことだろう。好き勝手に歩いているわけではなく、レインブル家の者として情報収集にあたっているまでだが、それはアクシオも知らぬことだ。


「旦那様は、私が夜会に出ることをいやだとお考えで?」

「別に。お前に興味を持つことも、お前が俺に興味を持つこともないと話しただろ。だが、お前の行動は理解できない」


 彼はヴィルエから視線を外すと、額に手を添えて何かを考えているらしい。そして呟く。


「そのように夜会に出歩いて男漁りをするほど俺に興味がないというのに、昨晩のお前は俺の部屋に入った。そして目が覚めた後に俺の身を案じていた。矛盾がある」


 アクシオはまだ疑っているのだ。だからここは素直にその疑念を払えばいい。不審者を目撃し、恐怖に怯える純粋な令嬢のふりだ。

 そうわかっているのに、ヴィルエは眼前の男に苛立ちを抱いていた。


 興味はない。愛することはない。勝手な宣言から始まり、いざ秘密を知ってしまえば殺そうとする。

 『夜梟』という秘密を隠したいのならばガラスなど割らなければよかった。物音立てず屋敷に戻ればヴィルエだって知ることはなかった。ヴィルエだけの責任ではなく、アクシオにだって非ががある。


(少しぐらい、文句をつけたいわね)


 ただ文句をつけるだけではつまらない。『夜宴の黒花』と呼ばれる所以――ヴィルエが隠し持つ棘がうずき出す。


「私が旦那様に興味を持つことはありませんが、だからといって旦那様の心配をしてはいけないというルールはないでしょう?」

「その通りだが、今回に限って部屋に入ってきたのかが引っかかる。俺と顔を合わせない生活を良しとしていたはずだろう」


 言葉で負けてはならない。相手を前に臆してはならない。どんな状況であれ、笑え。

 動じぬ強い心を持ち、場面を掌握せよ。

 それが貴族の思惑渦巻く夜会でも咲き誇る術――ヴィルエの口端が弧を描く。


「一度、気にかけただけ。それでも旦那様は、そこに意味を求めようとするのですね?」


 挑発的なヴィルエの言葉にアクシオの瞳が揺れた。その顔つきはより険しくなる。

 だがアクシオが反論するより先に、扉が開いた。現れたのはグレンである。


「お茶をお持ちしました――おや、お二人で話をされていたのですか」

「……たいした話じゃない。俺は部屋に戻る」


 グレンが戻ってきたのを良いことに、アクシオはさっさと部屋を出て行ってしまった。

 斬られることなく話し合いが終わったのだから、ヴィルエにとっては成功である。うまい形で不審者を見て取り乱す令嬢を装うことが出来た。


(旦那様はまだ疑っていそうだけれど……私だって命が惜しいもの。身を守るために、知らないふりを続けるしかない。旦那様を騙していくしかないわ)


 この場をやり過ごしたとしても、油断はできない。このハーブティーだって心落ち着く温かさを保っているのは今だけだ。気を抜けば冷えてしまう。


(でも『夜梟』って何なのかしら。正体を知られたから殺さなきゃだなんて、物騒ね)


 ニーベルジュ伯爵として振る舞いながらも、その裏には暗殺者の顔を持つ。アクシオはなぜ、暗殺者として動いているのだろう。


 彼に関する謎はまだ解けそうになかった。


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