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2.5.興味はあった(アクシオ視点)

 話は少々遡る。これはヴィルエとアクシオの顔あわせをした後の話だ。


 取り決めのほとんどは従者グレンに任せ、アクシオは別室にて待機していた。


(ヴィルエ・レインブルか……)


 これまでにヴィルエの名を聞いたことはあった。社交界で名を馳せている悪女だの、貴族らを牛耳る闇の令嬢だの、『夜宴の黒花』だの、聞こえてくるのはどれも悪名である。だが社交に疎く、ニーベルジュ領内にいてばかりのアクシオが彼女に会ったことは一度もなかった。


(あんなに美しい人が、俺の妻に? 嘘だろ、何かの間違いじゃないのか)


 先ほど初めて会い、アクシオは内心で驚いていた。もしかすると『夜宴の黒花』という名は彼女の美しさに嫉妬して付いた名かもしれないと思うほど、ヴィルエは気高く美しい。


 セラティス王子の婚約発表パーティーで見たオルナは、ヴィルエの妹と聞いている。だがオルナのように清純で澄んだイメージはなく、ヴィルエは大輪のごとく咲く薔薇だ。彼女ならば夜会のホールの隅にいたとしても目を惹くだろう。


 そんなヴィルエが妻になるのだ。その事実を反芻し、アクシオは困ったように長く息を吐く。


(あの人と一つ屋根の下で暮らす……いや、妻なのだから同じ屋敷に住むのは当たり前か。でも思いもしない場面ですれ違うことがあるかもしれないのだろう? 廊下だって気が抜けない。そんなの自室から出られなくなるだろ。世間の男たちはどうしているんだ)


 近くにいるだけでも緊張してしまうのに同じ屋敷に住むことになる。それも妻という名目だ。想像するだけで耐えられない。


 内心ではそのように考えているアクシオだが、表にはまったく出ていない。頬杖をつき、仏頂面である。見る人によっては不機嫌と捉えられるだろう。

 壁に穴が空くかもしれないというほど睨んでいると、控えめなノックの音が響いた。声をかけると、ヴィルエとの打ち合わせを終えたらしいグレンが戻ってきた。


「……はあ。終わりましたよ」


 扉を閉めるなり、グレンはため息をつく。その顔には疲労が滲んでいる。


「まったく。女性と話すのが不慣れだからって、僕に丸投げするのはどうかと思いますがね。突然僕を指名して、後は任せたと逃げるんですから」

「そのためにお前を連れて行ったんだ。これも従者の仕事だろ」

「転職したい気持ちでいっぱいですよ」


 グレンとの付き合いは長い。彼は従者であるが、アクシオにとっては友人のような存在だ。それはアクシオだけでなくグレンにとってもそうなのだろう。二人きりで緊張の糸が切れたのか、グレンが倒れるようにソファに座り込んだ。


「しかし、美しい方でしたね。強気な女性と言うんでしょうか」

「……まあ、そうだな。悪くはない」


 美しい、と素直に認めるのは良くない気がしたので、悪くないという言葉を用いた。

 しかしその判断は誤っていたらしい。アクシオの返答を聞くなり、グレンの顔がにやけていく。アクシオの方を見やり、声を真似てしゃべり出した。


「『俺がお前を愛することはない』でしたっけ。笑っちゃいそうでしたよ」

「……別におかしくはないだろ」

「女性と関わった機会なんて極めて少ない、ピュアすぎるアクシオ様が、あんな風に格好つけるなんて思わなくて」

「ピュアは余計だ」


 むすっとして反論するアクシオだが、グレンの言っていることはまったく正しい。

 このアクシオ・ニーベルジュという男、諸々の事情により女性経験がないのである。というよりも女性と接する機会が極めて少ない。

 会話は多少あるものの、一定以上の距離に近づいたことはない。社交界にもまったく参加したことがないため、ダンスパーティーで手を繋ぐなんてのも未経験なのである。まず女性と手さえ繋いだことがない。


「でもよかったですね。アクシオ様はどちらかというと尻に敷かれるのが似合いそうじゃないですか。ヴィルエ様はそのタイプに見えましたよ。清純派とか清楚派ってよりも、悪女って感じで」

「尻に敷かれるのが似合うって何だ。お前、俺のことをなんだと思ってる」

「女性と対面するのも緊張してしまうから睨むしか出来ない。初心なアクシオ様と思っていますよ。どちらかというとお姉さんタイプに弱そうじゃないですか」


 いくら反論してもグレンはけろりとしている。普段からこうだ。言い合いになればグレンに勝てない。

 アクシオは言い合いを諦め、ソファにもたれかかって天を仰いだ。


「あれほど美しい方なのに、これまでの縁談は全て断っていたとか。何の理由があるんでしょうね」


 グレンがぽつりと呟いた。

 同じ疑問はアクシオも抱いている。それらの縁談を撥ね除けてでも孤独を選んでいたのには理由があるだろう。


「……愛人でもいるんだろ」


 それは彼女に会った時だけでなく、『夜宴の黒花』という名を聞いた時から想像していたことだ。あれほどに美しく、目立つ存在なのだ。愛人の一人や二人いてもおかしくない。

 想い人、愛人。表だって結ばれることのできない者がいるから孤独でいたのだろうとアクシオは結論付けていた。


 そんな呟きにグレンが頷く。


「そうかもしれませんね。恋愛初心者のアクシオ様にはちょっとレベルが高すぎます」

「恋愛初心者は余計だ。そもそも恋愛なんてする気がない」

「そうなんですか? そのつもりで縁談を受けたのかと思っていましたが」


 好きに、なるのだろうか。一瞬ほど頭に浮かんだが――その問いかけはすぐに消えた。


「……そんなことをしている場合じゃない」


 低く、弱々しいその言葉を口にすれば、グレンがこちらを見る。


「何のために生かされているのか。それを忘れたことはない」


 やるべきことがある。そのためには恋愛なんてしている場合じゃない。

 顔をあげ、真っ直ぐに前を見つめる。その向こうには壁しかないものの、彼の瞳が見つめているのは別のもの。光あたらぬ場所にて渦巻く不穏なるものだ。


「彼女には申し訳ないが、俺には誰かを愛する資格はない。婚姻なんて飾りだ」


 グレンはというと、そんなアクシオをじっと見つめていた。何か言いたげではあったが、それを口にしてもこの主人は考えを変えぬと判断したのか、諦めたように喉がゆっくりと上下する。


「……ついていきますよ、ご主人様」


 美しい人であった、と思う。ただ、それだけだ。それ以上を考えてはいけない。


(なるべく彼女との接点は減らす。余計なことを考えないように、顔を合わせないようにする)


 そうして、これから共に暮らすであろう妻を遠ざける覚悟をしたのである。

 婚姻から一ヶ月後、妻に秘密を知られるとも知らずに。


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