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4.騙し合いのはじまり

 レインブル家は裏の顔を持つ。それは『国王の耳』として諜報活動をしていることだ。表向きはありふれた伯爵家であり、王族との関わりも少なく見えるが、実は動けぬ国王の代わりに情報を集めている。伯爵位で留まっているのは『国王の耳』として動きやすくするために過ぎない。

 レインブル家のように、国王に忠誠を誓って影で動く家はいくつかあるという。レインブル家は『国王の耳』として諜報を行っているが、『国王の手』や『国王の足』として動いている家もある。


 レインブル家に生まれ、父が『国王の耳』として動いているのを知った時から、ヴィルエも手伝っている。父の役に立てるよう、得られた情報は全て手紙に書いて伝えていた。

 此度のマチェスト子爵については、夜会にて会った際に不穏な様子が感じ取れた。貴族の中でも立ち位置が悪くなっていたはずが、他貴族に取り入るなどしていたのだ。そのためミゼレーに探ってもらっていた。


 多くの貴族らが集まる公爵邸のホールに、ヴィルエの姿はあった。

 長い黒髪をまとめあげ、紅の薔薇を挿す。ドレスは黒とワインレッドを選んだ。令嬢の多くは同伴者を伴うが、ヴィルエはいつも一人を選んでいた。その方が良いと考えたためである。一人でいる令嬢は目立ち、軽率に声をかける者や馬鹿にしてくる者がわかりやすい。


 ホール中央では男女が手を取り合いダンスに興じている。ヴィルエはその様子が見下ろせるバルコニーにいた。チェアに腰かけ、ダンスをする者たちの顔を確かめる。

 すると顔なじみの貴族が一人こちらにやってきた。カーウィル伯爵だ。ヴィルエは口元に笑みを浮かべ、彼に会釈をする。


「ご結婚されてもお一人で参加するとは」

「夫がいるからと夜会に参加してはいけない決まりはないでしょう?」

「ははっ。ヴィルエ様は相変わらずなようで。そのうちに悪妻として扱われますよ」

「構わないわ。どのような形だとしても、名が広まるのは悪くないもの」

「私ならこれほど美しい妻を一人にはしないのですがね」


 社交辞令だとわかっているが、結婚してから今日まで顔を合わせないアクシオのことを思い出し、ヴィルエは苦く笑う。

 カーウィル伯爵はヴィルエのそばに寄った。他の者に聞かれたくない話があるのだろう。


「……今宵も『夜梟』が現れたそうですよ」

「ではどなたかが殺されてしまったの?」

「ヴィルエ様のことですからマチェスト子爵の件についてはご存じでしょう。今宵狙われたのは、マチェスト子爵に関する者だとか」


 ヴィルエは動揺を表に出さないようにし、頭の中で彼の話を反芻する。

 彼の話が正しいのであれば、マチェスト子爵に関わる誰かが『夜梟』に殺された。貴族であればこの段階で名が割れているだろう。そうでないということは、貴族ではない者の可能性が高い。


(つまりマチェスト子爵の悪事に加担していた者、もしくは雇われていた者かしらね)


 ここで『夜梟』の目的について考えても答えは出ない。ヴィルエは思考を切り替え、この話を教えてくれたカーウィル伯爵を見上げる。この情報を持ってきたからには彼の目的があるはずだ。それを探るように目を細める。


「こんな面白い話を教えてくれるだなんて、カーウィル伯爵は随分とお優しいのね」

「ははっ。それでは私がいつもは優しくないと言っているようではありませんか。これはただの情報提供に過ぎませんよ。ですが、いつかの折に思い出していただければ嬉しいですね」


 彼の言葉からヴィルエは確信する。カーウィル伯爵が『夜梟』についての最新の情報を与えてくれたのは恩を売るためだ。挨拶するだけでなく情報を持ってきて良い印象を与えようと狙っているのだろう。

 だがすんなりと頷いては面白くない。『夜宴の黒花』としてヴィルエは微笑む。


「まあ。カーウィル伯爵は、私が簡単に忘れるような愚か者だとお思いなのかしら?」

「ヴィルエ様は実に信頼に足る方だ――それで、これにて失礼いたします」


 皮肉で殴り合う貴族の会話だ。去って行くカーウィル伯爵の背を見送った後、ヴィルエはため息を吐く。


(暗殺者『夜梟』ね……)


 一人になるとまた考えてしまう。『夜梟』の正体については掴めず、ミゼレーに探ってもらっても空振りのままだ。


(マチェスト子爵やそれに関する人を消していく……『夜梟』の狙いは何なのかしら)



 夜も更けた頃、ヴィルエは会場を後にした。マチェスト子爵についての情報は得ることができたものの、『夜梟』についてはさっぱりである。

 馬車に乗り込んでニーベルジュ家の屋敷に戻る。夜も更けているためか使用人たちは眠りにつき、屋敷は静かだ。

 本来ならばミゼレーが迎えるのだが、今日は潜入の予定があるため出かけている。ヴィルエは一人で自室に戻る――はずであった。


 遠くの方から、ガシャンと割れる音が聞こえた。

 昼間であれば騒がしさで聞こえなかっただろう。だが、静かな夜だからか聞こえてしまった。

 自室の扉を開けようとしたヴィルエの動きが止まる。


(今のは……どこから?)


 音がした方を見やる。廊下の向こう。そこにあるのはアクシオの部屋だ。

 普段は近づくことのない、アクシオの領域。だが夜遅くにガラスが割れるなど、異常事態である。


(まさか何者かが入りこんだ?)


 すぐさまヴィルエの思考が巡る。伯爵邸に忍び込むとなれば強盗か。それとも殺人目的か。


(『夜梟』……ではないといいけれど)


 夜会でその名を聞いたばかりというのもあって、その名が頭に浮かんだ。

 もしも『夜梟』であるならば手がかりが得られるかもしれない。強盗だとしても、人を呼ぶことができる。

 ヴィルエは急ぎ、アクシオの部屋へと向かった。


***


 こうして、ヴィルエは知るのである。

 一大事だからと慌てて部屋に入れば、そこにいたのは血まみれのアクシオだった。

 ヴィルエが現れたことに驚き、アクシオの手から仮面が落ちる。それは噂されている『夜梟』の特徴通りの仮面。


(旦那様が……暗殺者だ)


 こちらを睨めつける視線は冷えている。その正体を知ってしまったヴィルエを責めるかのように。


「……ちっ。余計なことをする女だ」


 忌々しいとばかりに吐きすて、アクシオの手が動く。その手は腰に佩いた剣に向かっていた。柄まで返り血を浴びたその剣を、鞘から引き抜く。


 瞬間、ヴィルエは考える。この状況は非常によくないものだ。


(暗殺者の正体を知ってしまったから、私は殺されてしまう)


 アクシオが剣を引き抜いたのもそのためだろう。だからこそ、この場から逃げる手段を考えなければいけない。

 話し合いで解決できるのならば良いが、ヴィルエから見てアクシオは気難しい男だ。妻と顔も合わさずに一ヶ月放置するような男である。話し合いが通じるとは思えない。


(いちかばちか、知らないふりをするしかない)


 そこでヴィルエが取った行動は、彼が斬りかかるよりも先に倒れることであった。

 侵入者と血を見て意識を失った令嬢のふりをするのである。彼が剣を振り上げるよりも先に、ヴィルエは床に倒れこむ。


(あとは、気を失っているふりをしないと)


 うまくいくだろうかと不安、で心音が急いている。それがアクシオに伝わらないことを願い、ヴィルエは目を瞑る。


「……なんだ?」


 ヴィルエが突如倒れたため、アクシオは驚いているようだった。

 次いで、扉が開く。アクシオとは別の足音がこちらに近づいてくる。


「アクシオ様! 先ほどの音は――」


 声からして駆けつけたのはグレンのようだ。だが、部屋に立ち入って倒れているヴィルエに気づいたらしく、彼は言葉を飲み込んだ。

 足音がこちらに迫る。グレンが近づいてきた。そしてグレンがアクシオに問う。


「これは、どういう状況で?」

「俺が戻ってきたら、こいつが部屋に入ってきた」

「あんな風に物音を立てるからですよ。素直に玄関から入ればよかったのに」

「馬車が止まっていただろ。だから窓から入ろうとしただけだ」

「だからってガラスを割ることはないでしょうに」


 呆れたようにグレンがため息をついた。

 そこで二人のやりとりはいったん止まったものの、ヴィルエの体はぐいっと動かされた。横向きに倒れていたのが今は仰向けになっている。ヴィルエは何とか堪え、気絶しているふりを保った。


「それで、正体を奥様に見られてしまったと」

「遅くまでふらふらと出歩いているからだ。こうなった以上、こいつは殺すしかない」


 やはり先ほど刀を引き抜いたのはヴィルエを殺すためだったのだ。ヴィルエは内心でぞっとしていた。ヴィルエが倒れていなければ、彼は躊躇わずに切り捨てていただろう。たとえ感情がないといえ、婚姻関係の相手だというのに。


 アクシオの足音がこちらに近寄ってきた。だが、グレンが彼を止める。


「ああ、もう! これだからアクシオ様は! 少し冷静になってください。相手は仮だとしても奥様ですからね。ここで何かあれば面倒なことになります」

「だが仮面を見られた。このままにしてはおけないだろ」


 グレンが止めてくれたため、すぐに殺されることはなさそうだ。駆けつけてくれたことに感謝するしかない。


「奥様は気絶しているのかもしれませんね。目覚めてから奥様と話すべきでしょう。もしかしたら『夜梟』のことも、この仮面が持つ意味も知らないかもしれない」

「話す? 俺が、この女と?」

「そうですよ。いつも言ってるじゃないですか。拒絶せず、もう少し奥様と話してみるべきですよ。顔あわせの時からあんな態度を取らなくたっていいのに」

「そんな余裕はない」


 苛立つようなアクシオの声が聞こえた。だが、その声量からしてヴィルエから遠ざかっているようだ。遠くで衣擦れの音もしたことから着替えているのかもしれない。


「この秘密を知ったやつを生かしてはいけない――グレンだって、知っているはずだ」


 グレンに向けたもののようで、けれど自分に言い聞かせるようなアクシオの呟きだ。


「わかっていますよ。でも、奥様を殺してしまえばレインブル家に向かって説明するのは僕の仕事になるのでしょう。これ以上仕事が増えたらやってられませんよ。あーあ、アクシオ様がガラスを割らなければこうならなかったのに。まーた僕の仕事が増える」


 ぶつぶつとグレンがぼやきはじめた。それにうんざりしたのか、アクシオが大きなため息をついて打ち消す。


「……わかった。明日、こいつと話せばいいんだろ?」

「そうです。それで気づいていないようなら、殺す必要はありませんからね。僕だって仕事が増えないのでありがたいですよ」


 返事は聞こえなかったが、話が落ち着いたことからアクシオはグレンの提案を呑んだのだろう。


(気絶したふりで正解だったみたいね。あのままだったら殺されていたのかも)


 首の皮が繋がったようで、ヴィルエは安堵する。すぐに殺されるということはなくなり、アクシオと話すという猶予が得られた。だが安心はできない。意識があることを二人は知らないのだ。


「さて、奥様を部屋に運ばなければなりませんね」

「俺の部屋で寝転がっていても邪魔なだけだからな」

「ですから――はい。頑張ってくださいね」


 なぜかグレンの声が遠ざかる。同時に「は?」とアクシオの素っ頓狂な声も聞こえた。


「な、なぜ俺が?」

「僕は非力なので。アクシオ様のように鍛えてはいませんし」

「嘘をつくな。お前が運べ」

「いやですよ。そもそも、この方はアクシオ様の妻なんです。おいそれと触れるわけにはいきません」


 アクシオの反論が止まる。主人と従者という関係だが、こうして聞いていると友人のようでもある。それほど、アクシオとグレンには強い信頼があるのだろう。


「後で覚えておけよ」


 恨み言を呟いた後、足音が近づいてきた。

 そしてすぐに、ヴィルエの背と腰に手が挟まれる。そのままぐっと体が持ち上がった。


(もしかして、抱き上げられている?)


 どうやらアクシオに抱き上げられているらしい。地面が遠ざかり、バランスが取りにくい。だからといって彼の腕を掴むこともできず、ヴィルエは身動きしないようぐっと堪えるしかなかった。


 抱き上げられるなんて子どもの頃以来だ。『夜宴の黒花』として気高く振る舞ってはいるが実のところ男性経験はない。周囲はそのようにヴィルエのことを見ていないだろうが、それはヴィルエがうまく演じているためである。


「……ぐっ、こんな時に、力仕事か」


 数歩ほど進んだところでアクシオが小さく呟いた。うめき声交じりのそれは、まるでヴィルエの体が重たいとぼやいているようでもある。


(失礼な人だわ。勝手に人を抱き上げておいて文句をつけるだなんて)


 気絶しているふりでなければ、アクシオの頬をひっ叩いていたかもしれない。憤りがこみ上げたものの、アクシオの小さなうめき声は歩を進めるたびに聞こえてくる。歩き方も何かを庇っているかのようだ。


(もしかすると、この人は怪我をしている? 脇腹を庇っているように見えるけれど)


 彼に気づかれぬよう薄目を開けてみる。今は部屋を出て、廊下を歩いているらしいが、彼が歩いてきた後には点々と血のしみが落ちていた。

 おそらくはグレンも気づいていなかったのだろう。だから、ヴィルエを運べとアクシオに言ったに違いない。


(怪我をしていると自分から言えばよかったのに。よくわからない人だわ)


 きっと明日になれば、アクシオに呼ばれるのだろう。今は首の皮が一枚繋がった状態であるが、話し合い次第ではわからない。

 そう考えているうちに、ヴィルエの部屋に着いていた。アクシオはヴィルエをベッドに寝かせると部屋を出て行く。おそらくは侍女に、ヴィルエが気絶しただの目を醒ましたら伝えろだのと命じるのだろう。


(時間は得られたから、うまく切り抜けるためにも考えないと)


 『夜梟』であるアクシオに殺されないため、ヴィルエの計画が動こうとしていた。


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