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3.一ヶ月放置


 ヴィルエ・ニーベルジュとなり、ニーベルジュ領地の屋敷に移っても、生活の変化はあまりなかった。朝から夜まで、アクシオに会うことはほぼなく、結婚式の後でさえアクシオはヴィルエのもとを訪ねなかった。


 一人での朝食を終えたヴィルエは立ち上がる。広い食堂だが、今日もアクシオの姿はない。彼の分の食器も用意されてはいなかった。


(旦那様は自室で食事をされているのかしらね。気を遣う必要がないからありがたいけれども)


 結婚から一ヶ月経つが、アクシオが食堂に来た様子を見たことはない。彼の自室はいつも閉ざされている。

 別に一人の食事が寂しいわけではない。ヴィルエとしては気楽である。しかし屋敷の中を歩いても顔を合わせることのないとは、アクシオは何をしているのか気になるところだ。


 侍女に食事の終了を伝え、ヴィルエは廊下に出る。

 廊下の途中で、ミゼレーが待っていた。レインブル家から大事に育ててきたミゼレーを置いてはいけず、ニーベルジュ家にも連れてきている。


「ヴィルエ様。頼まれていた『マカロン』を手に入れました」


 少し後ろを歩いてついてきたミゼレーが、ヴィルエのみに聞こえるよう潜めいた声で言った。

 『マカロン』とは令嬢たちの間で流行りの菓子だが、ミゼレーとヴィルエの間では異なる意味を持つ。

 ヴィルエはミゼレーに、ある伯爵家を調べてもらっていた。そういった調べごとに対し、二人は隠語として菓子の名を使っている。

 ミゼレーの声音からただならぬものを感じ取ったものの、ヴィルエは普段通りに振る舞う。


「では部屋で話しましょう。二人でティータイムにしましょうね」


 周りから見れば、伯爵令嬢と、彼女が実家から連れてきた侍女の愛らしい会話になるだけ。そのようにして伏せながら、二人は部屋に向かい、扉を閉める。


 二人になるとすぐミゼレーは周囲の様子を確かめる。まずは周囲を見回して不審なものがないか調べ、耳をそばだてて扉向こうの通路に人がいないかを確かめる。そういった一連の流れの後、ミゼレーはヴィルエのそばに向かう。そして小さな声で呟いた。


「依頼されていたマチェスト子爵についてですが、他国とのやりとりが見つかっています。金品の移動も確認されているので亡命するつもりだったのかと」


 このマチェスト子爵というのが『マカロン』である。マチェスト子爵は娘をセラティス王子妃にしようと狙っていたようだ。その企みはヴィルエによって潰したものの、最近になって再び不穏な動きを見せていたため、ミゼレーに探ってもらっていた。

 しかしまさか、亡命とは。浅はかな考えだとヴィルエは苦笑する。


「娘を王宮に送りこむことはできず悪事を暴かれ、居場所がなくなっていたものね。この国の情報を持って行けば受け入れてくれる国はあるかもしれない……浅い考えね」

「はい。ですが――マチェスト子爵は何者かに殺されました」


 だが、マチェスト子爵の企みは別の形で潰されているらしい。ミゼレーの報告を聞いたヴィルエはため息をつく。


「何者かに殺害、とはまた『夜梟』かしら」

「はい。マチェスト子爵の遺体そばに『夜梟』のコインが落ちていたそうです」


 『夜梟』とは、貴族らの間でたびたび名前があがる暗殺者である。

 男か女かもわからない。紅の三日月と梟の模様が描かれた仮面で顔を隠して現れ、悪心を抱く者を殺めるという。『夜梟』が現れた現場には彼がつける仮面と同じマークが刻まれたコインが置かれている。


「これで何度目になるのかしらね。『夜梟』って誰に雇われているのかしら。何のために動いているのかしら」

「わかりません。『夜梟』については調べても手がかりはあまり得られないので」

「そうでしょうね。だから、多くの者が『夜梟』の情報を求めている。この情報のためならいくらでも金を積むなんて言われているもの」


 貴族だけではなく、多くの者が『夜梟』を探している。暗殺を生業とする裏稼業の者から、憧れを抱く貧民街の者。いまやこの国で、その名を知らぬ者はいない。


「マチェスト子爵は亡くなりましたが、調査は続けますか?」

「念のために調べてもらえる? 情報を売り渡す先がどの国だったのかは知っておきたいわね。それにマチェスト子爵と他国の繋がりは薄いはず。二つを繋げた貴族がいるはずだわ」

「お任せください」


 マチェスト子爵が他国へ亡命を企んだとして、誰かが斡旋しているはずだ。どの国と取引していたのかがわかれば、斡旋した者が絞り込みやすくなる。


(マチェスト子爵の件が、どこまで貴族に広まっているかも知っておきたいわね。これはミゼレーではなく、私が出た方がいいかしら)


 となると貴族同士で顔を合わせた方が早い。そう考えたヴィルエは部屋を出て行こうとするミゼレーを呼び止める。


「私、今日の夜会には出ようと思っているの。マチェスト子爵の件についても周囲の反応を確かめたいわ」

「畏まりました。手はずを整えておきます。ですが……良いのでしょうか?」


 急にミゼレーの顔が曇った。何だろうとヴィルエは首を傾げる。


「夜会に顔を出すのならば、旦那様に許可を得た方が良いのでは? 確か先日も、無許可で夜会に行っていたのでは」


 旦那様――つまりアクシオのことだ。

 まさかミゼレーがアクシオのことを気遣っているとは思ってもいなかった。ヴィルエは不意をつかれ、笑ってしまいそうになってしまった。


「別に平気よ。旦那様は私に興味がないもの。私が何をしたって、あの人は気にしないでしょうね」


 顔あわせの宣言通り、結婚式から一ヶ月も放置である。言葉を交わすどころか顔を合わせようともしない。妻なんていなかったかのように振る舞っているのだ。もしかすると別邸にいる愛人のもとに通っているのかもしれない。


「仮面夫婦……ですかね」

「仮面どころか透明な夫婦よ。透明だからこそいないものとして扱って、好き勝手に出来るのよ」


 領地の管理や経営はしていると思われるが、ほとんどは老齢の執事が行っているようだ。たまにアクシオの侍従であるグレンと顔を合わせることはあっても、挨拶をするのみで会話もない。

 屋敷にいるのかそれとも別邸に通っているのか。普段は何をしているのか。彼の行動はどれも理解できないが、確実に言えることが一つ。


(私も彼も、互いを愛することはないのよね)


 そこまでを考え、ヴィルエは瞼を伏せる。次に目を開いた時、頭からアクシオのことは消えていた。今晩の夜会をどう進めるか、頭の中はそれでいっぱいだ。


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