間章1.従者の後悔(グレン視点)
突然現れた貴族風の男が、彼を連れて行った日の絶望を忘れられない。
両親が亡くなった後からグレンの日々は灰色になっていた。
旅行だったはずが、行きの山中にて馬車が転落。転落事故がどのようであったかは覚えていないが、自分を庇うように覆い被さったまま息絶えた両親のことは覚えている。
両親を亡くしたグレンは親族に引き取られた。しかしこの親族というのが最低なものである。グレンを引き取ったのは財産と家のためだといい、グレンに関してはまったく面倒を見ようともしなかった。
家は親族に乗っ取られ、好き放題に荒らされていく。父が揃えた家具も、母が大切にした庭もめちゃくちゃになった。
それだけではなくグレンへの扱いもひどいものだった。無償の召使いだと笑い、あらゆる雑事を押しつけていく。二階にあった彼の寝床は親族の娘のものとなり、食料庫に薄布を引いただけの場所がグレンの部屋となった。
身寄りのない子を引き取ってくれたのだから耐えるしかないと思っていたグレンであったが、ある時に親族の会話が聞こえてしまった。
「やっぱり、あいつらを殺してよかったな」
「うまいこと事故に見せかけたもんだ」
「グレンだけが生き残るとはなあ。まとめてやれたらよかったのに」
下卑た笑い声と共に語られるは、転落事故の真相。
両親は事故に見せかけて殺されていたのだ。それだけではない。彼らはグレンをも殺すつもりであった。
生きていた頃は父や母と親しくし、時には頭を下げてお金を借りていた。
そんな親族たちが裏切っていたのだ。
自分にとって幸せな日々を奪い取った者たちと共に住みたくない。気づけば、グレンは家を飛び出していた。
両親を、自分の不幸を、裏切りを。すべてを呪って、泣きながら駆けていった。
そうして辿り着いたのが古教会であった。
身寄りのない子どもたちが多く、古教会という狭い場所を皆で奪い合う。争いは絶えず、いつも泣き声が聞こえていた。
(どうせまた裏切られる。慣れ合わなくてもいい。そのうち僕もみんなも死ぬんだろう)
親しくなったところでいつ裏切るかわからない。また殺そうとしてくるかもしれない。そう考え、グレンは子どもたちとの馴れ合いをせず、一人で行動することを考えた。
子どもが一人で生き延びるのは容易ではない。住処は古教会があるとして、問題は食べ物だ。
(人なんて信じたって無駄だからね。こっちもうまく使ってやればいい)
古教会を出て、町に行く。みすぼらしい格好であったが、町にいる若い女性に声をかけ、食べ物を恵んでもらう。時には見返りを求められることもあったが、それも生きるために仕方の無いことだ。愛嬌よく振る舞い、人に気に入られ、生きていく。
そんな時に出会ったのが、アクシオであった。
人なんて信じたって無駄だと思っていたグレンであったが、どうしてもアクシオのことは気になってしまった。
はじめの頃のアクシオは、古教会の隅で膝を抱え、母を待ち続けていた。
(どうせ、母親なんて来ないよ。この子だって捨てられたんでしょ)
ひたすらに待ち続けるアクシオが滑稽に見えた。いつまでも来ない母を待つより、生き延びることを考えた方がいい。
そのうちに絶望するのだろう。グレンと同じように。
だから、声をかけた。
彼が絶望する瞬間を間近で見届け、彼を嗤うために。
幸いにも二人の相性はよかった。グレンは言葉を巧みに操り、人を利用して食べ物を得る。アクシオは体術や剣術の才能があった。グレンが揉め事に巻き込まれたとしても、アクシオが助けてくれる。
得意なものが違うからこそ協力しあえたのだ。
「僕、アクシオに出会えてよかったよ。これからも二人でやっていこうね」
そう口にしながらも、グレンはアクシオの不幸を願っていた。
膝を抱えて待たなくなり、古教会で他の子どもたちと馴染むようになった。明日を生き延びるための知恵もついた。
それでもアクシオは、心の中でいつも母を待っていた。いつまでも迎えにこない母を、待ち続けていた。
その不幸は訪れる。
ハイネ公爵が古教会に来た時、アクシオには絶望が突きつけられた。
「死んだと言っていたがどうせ殺さぬだろうと思っていた。あの女も馬鹿なことをするものだ」
「あの女って……母さんのことか!?」
「そうだ。今はもうとっくに死んでるがな」
アクシオも覚悟はしていたのだろうが、直接聞かされて彼の表情は凍りついていた。
あれほど待ち続けた母は死んでいる。
身よりがない子ども。
(やっぱり僕と同じじゃないか)
自らが知る絶望に、アクシオも落ちてきた。
やはり、この世界には不幸しかない。裏切りと悲しみしかない。
アクシオの心が折れた瞬間を喜び、グレンは彼のもとに駆け寄ろうとした。
だが――彼を襲う絶望は、グレンが思っている以上の深さをしていた。
「このまま古教会で死ぬか、私に育てられるか。選べ」
その言葉にグレンは目を見開いた。
母の死を告げられただけでは終わらない。アクシオは連れ去られようとしている。彼が連れて行かれた後はどうなるのだろう。アクシオは殺されるのだろうか。
(この不幸を終わらせてもらえるなんて羨ましいな)
絶望を味わうどころか、終わりまで来るのなんて羨ましい。
両親を失い、アクシオにも先立たれ、またグレンだけが残されるのだろうか。
ハイネ公爵や彼の取り巻きが持つ剣が見えた。
古教会に置いてあった木刀とは違う。人の命を奪える鋭さを持っている。
(すごい剣だな。あれで斬られたら……僕も楽になれるかな)
媚を売って食料を得る必要も、身を寄せ合って寒さに耐える必要もない。この不幸が終わらせられるかもしれない。
(アクシオを助けるふりをして飛び出せば、僕は斬って殺される。そうだ。これなら――)
殺されたい。そのために、グレンは飛び出した。
「アクシオ、逃げろ!」
そう叫んで、ハイネ公爵の足にしがみついた。子どもの力で叶わないことは到底わかっている。
グレンはハイネ公爵に蹴飛ばされ、彼が連れてきた男たちに取り押さえられた。地面に押さえつけられ、身動きが取れなくなる。
邪魔をする子どもは殺してもいいと考えていたのだろう。グレンが望む通り、彼は剣を引き抜いた。
そして剣が振り上げられようという時――彼が動いた。
「俺は……行きます。だからグレンを助けてください」
アクシオが弱々しく呟きに、男たちの動きが止まる。
満足したらしくハイネ公爵が手をあげると、こちらに振り下ろすはずであった剣が勢いを失う。
グレンは、殺されなかったのだ。
(……僕を助けた? 自分が連れて行かれてでも、僕を助けた?)
友だちを助ける。そのためにアクシオはハイネ公爵についていくことを承諾した。
やっと不幸が終わると思ったのに。得られたのは予想と異なるものであった。
(なんで僕を助けたんだ。友だちのふりをしながら、不幸を願うようなやつなのに)
残されたグレンは古教会の隅で、いつかのアクシオのように膝を抱えていた。双眸は涙に濡れている。
死んで終わるはずだったのに、生かされてしまった。
不幸だと思っていた世界で、裏切らない者がいた。
(ごめん……僕はなんてことを……僕はアクシオを裏切っていたのに)
あれほど裏切りを嫌っていたというのに、自分がそうなっていた。
「アクシオを助けないと」
贖罪のため、彼を助けにいく。ひとしきり泣いた後、グレンは立ち上がった。
この時はまだあの貴族がハイネ公爵という名だと知らなかった。唯一わかるのは、ハイネ公爵とアクシオの会話から聞こえた、彼の弟の名だ。
「セラティスを捜す」
そして友だちを取り戻すための彼の長い旅が始まる。
この時のグレンは、セラティスの名がこの国の王子であることをまだ知らない。




