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31.5.可愛い旦那様(アクシオ視点)

 時は、国交後十年記念祭にてヴィルエを助けた後に遡る。


 地下水道を出た後にヴィルエと別れ、『夜梟』に扮したアクシオは裏道を駆けていた。

 裏道といえ今日は祝祭であるため行き交う人は多い。人目につかないよう、時には民家の二階バルコニーや屋根に登って移動する。

 周囲に気を払って進みながらも、頭にはヴィルエのことばかり浮かんでいた。


(間に合ってよかったな。あいつ、ヴィルエをどこに連れていこうとしたんだ)


 パレードの際、アクシオは民家の屋根に潜んで様子を窺っていた。そこでデールとヴィルエのやりとりを見ていたのである。

 会話までは聞こえなかったが、デールがヴィルエの手を掴んでいたのはわかった。

 それを見ただけで苛立ち、今すぐ駆けつけたい衝動に駆られたのだが、アクシオは動くことができなかった。

 デールの計画では、私兵による陽動が始まった後、『夜梟』がセラティス王子の乗る馬車を強襲することになっていた。

 だがその通りには進まない。彼の計画を全て掴んだアクシオは、事前にセラティスとガードレット王に伝えていたのである。

 『夜梟』と交わした誓約書があるためデールを捕えることはできるのだが、彼の影に潜む者がいる。何者が潜んでいるのかを探るべく、暗殺計画がうまくいっているように見せかけたのだ。そのため、馬車に強襲した『夜梟』はアクシオではない。同じ格好をしたグレンだ。


 実際に、尾らしきものを掴むことはできた。セラティス王子が乗り込む馬車を中心として騒ぎが起こる中、もう一台の馬車は静かだったのだ。

 外に控えていたノスティルヤの兵らは殺気だっていたが、中に乗っていた姫君は異なる。

扇で口元を隠しながら窓の外を眺めていた。細められた瞳には好奇の色が浮かんでいたように思える。


(国外逃亡を企むことから他国が関わっているとは思っていたが、あの姫君は頭が緩いんだろうな。隠そうともしていなかった)


 まだ確証に至るものは得られていないが、調べる方向は定まったように思う。

 そう考えれば収穫は大きいのだが、暗殺が失敗したとなった後のデールの行動はアクシオの予想と異なるものだった。

 彼はヴィルエの手を離そうとせず、それどころか連れて行こうとしたのである。

 ヴィルエはデールの共犯――として逃げたのではないと、アクシオにはわかっていた。


(ヴィルエも国のために動いてるんだろ。妹の話になった途端、顔が緩んでたもんな)


 それはセラティスが認めた話であった。

 『夜宴の黒花』という悪名からデールと共犯ではないかと疑っていたが、どうにもヴィルエの様子が異なる。屋敷に乗り込んだ時も、ヴィルエはデールの部屋にて何かを探っているようでもあった。

 そのことから、彼女も国のために動いている者ではないかと考えたのだ。そうしてグレンに確認を取ってもらい、セラティスがそれを認めた。


 実際、彼女の働きはアクシオにとって助かるものであった。

 余計な者に暗殺計画を依頼するぐらいならば『夜梟』に依頼を出せばいい。その方が自分で内容を把握できる。

 貴族だの社交界だのといったものは苦手であったが、ヴィルエはこれを得意としている。最終的には協力しあう形となっていたのだ。


 そのためヴィルエはデールと逃げたのではなく、彼に連れ去られようとしているのだとわかった。

 アクシオはすぐにヴィルエたちを追いかけた。その途中にてデールの手下とミゼレーを発見し、ミゼレーを解放すべく動いたため到着が遅くなってしまった。

 水路に落ちていくヴィルエを見つけた時は、頭が真っ白になった。勝手に体が動き、気づけば彼女をこの腕に収めていた。理性を欠いて、彼女のためだけに行動していたのだ。間一髪であったが間に合ってよかったと心から思っている。



 そのように考えているうちに、予定していた隠れ家へと着いた。ここで『夜梟』の変装を解き、アクシオに戻る。


(あとは騎士団のところに顔を出して、デールを捕えたか確認しよう。セラティスは忙しいだろうから、報告は後日だな)


 『夜梟』の衣を脱ぎ捨てると気が緩むのか、体がどっと重たくなる。見ないふりをしていたが疲労が溜まっていたのだろう。壁にもたれかかり、シャツのボタンを一つ外す。それから前髪をかきあげた。

 今はとにかく、屋敷に戻りたかった。


 別れる前のヴィルエとの会話。こちらを揶揄うような瞳に、蠱惑的な微笑み。艶めいた唇が動いて告げたのだ。


『じゃあ家に帰ってから、夫に付き合ってもらおうかしら』


 本気なのか、それとも冗談なのか。ヴィルエの真意が不明だが、もしも本気であったのなら――そわそわとしてしまう自分が情けない。


「たまには……早めに帰ってもいいか」


 負け惜しみのように呟いた後、アクシオは立ち上がる。先ほどまであったはずの疲労はもうわからなくなっていた。


***


 そうして屋敷にて待っているとヴィルエが現れたのである。


「旦那様。少しいいかしら?」


 ドアをノックする音と彼女の声が聞こえた時には、それまで静かであった心音が一気に騒がしくなった。冗談でなく本気だったのだと嬉しくなってしまった。


(喜ぶな。表に出すな。いつも通りだ)


 心の中で唱えて、荒ぶりそうな感情を抑えつけて、彼女と共に酒を交わす。




 はずであった。


「旦那様のことは可愛いと思っていますもの」


 どうしてこうなったのか。

 広い自室だというのにすぐ隣にヴィルエが腰掛けている。彼女が愛用する甘い香りがし、彼女の距離をより近くに感じてしまう。

 それだけでも頭がいっぱいになりそうだというのに、何を思ったか彼女の手はアクシオの頭を撫でていた。


(くっ……こ、こんなのは想像してない!)


 イメージしていたのはスマートな会話だった。国交五十年記念祭について話しながら、彼女の様子を窺いつつ、お互いの目的や立場などを明かせればいい。そんな風に考えていたというのに。


(距離っ……近すぎるだろ!? てか、頭を撫でられるの悪くない……なんて思っちゃう俺もどうなんだ)


 抗うべきなのだとわかっているが、できない。心地よすぎる。

 考えてみれば、誰かに頭を撫でられるのは久しぶりだった。幼い頃に母が頭を撫でてくれたのが最後である。


 このままでもいいかもしれない。

 そんな甘ったれた考えが浮かぶものの、理性の糸をたぐり寄せて堪える。苦し紛れに反論した。


「可愛い……って、俺は男だぞ。そう言われても嬉しくない」

「ですがそれ以外の言葉が見つかりませんの。ほら、可愛い可愛い」


 自分のどこが可愛いのかと問いたくなる。体格だけならヴィルエより大きく、彼女を軽々と抱き上げる筋力だってある。そんな男のどこが可愛いのか。


 恨めしげに彼女の方を見やれば、目が合った。

 いつも強気なことばかり口にし、蠱惑的な笑みでこちらを混乱させるヴィルエであるが、この時は柔らかい表情をしていた。

 頭を撫でる動きも優しく、溶けてしまいそうになる。


(ずるいだろ。いつもいつも、俺ばかりこんな目に遭わされて)


 思い返せば、いつもヴィルエにからかわれてきた。そのたびにアクシオは戸惑い、時には照れることもあった。


 心臓の音が大きくて相手に聞こえてしまうのではないかと不安になることも、もう少しと願ってしまうことも。

 いつだって、アクシオばかりだ。


「俺は男だって、わからせてやらないとだめか?」


 ぽつりと、呟いた。

 彼女の細い手首を掴み、ねじ伏せることは容易だ。力比べならヴィルエに負けない。

 それをしないのは――彼女に嫌われるのが怖いからだ。

 この恥じらいを彼女にも味わわせてやりたい。いつかのように顔を赤らめた彼女をもう一度見てみたい。そんな衝動はいつだって胸の奥にあるのだが、彼女に拒絶されることが怖いからと封じていた。

 その壁にひびが入る。壊れそうになる。


 反撃に出ようかとアクシオの手が動いた瞬間、ヴィルエが妖しく笑った。


「ふふ。できるものならどうぞ。簡単にわからせられると思わないでくださいね」


 するりと、自分の手から逃げていく。

 反撃に転じようとすれば、ヴィルエはこうして逃げてしまうのだ。

 頭を撫でる優しい手のひらも、甘い香りも離れていく。


(……またやられっぱなしじゃないか!)


 挑発するだけしておいて、ヴィルエはささっと元いた場所に戻ってしまった。さらには悠然とした態度でワインに口をつけている。

 彼女との距離が開いたことで安心したような心地になるものの、まだ心音は急き、それは寂しいと鳴いているかのようでもあった。


(同じ目的だとわかったから、ヴィルエのことを好きでいいんだと思っていたけど……これは難易度が高すぎだろ!? 俺の身が持たないぞ!)


 アクシオは額に手を添え、深くため息をついた。

 ヴィルエのことは、好きだ。

 愛するつもりはないと宣言したのを撤回し、彼女が好きだと認めよう。


 だから、苦しい。


「……お前を落とすのは難しいな」

「大丈夫ですよ。時間はこれからもたくさんありますから」


 情けなく呟いた言葉に対し、ヴィルエはすかさず返してくる。アクシオをからかってご満悦なのか上機嫌な声であったが、その言葉に優しいものを感じた。


 これからもたくさん。

 つまり、これからもアクシオと共にいると彼女は言っているのだ。


 誰にでも触れさせるような女ではないと言いながらもアクシオにキスをし、散々からかってくるくせにこれからもそばにいるようなことを言う。


(こいつ……素直じゃないな……)


 悪くは思われていないのかもしれない。

 そう受け止めると、アクシオの表情はほころんでいた。


「なにかおかしなことでも?」

「俺たちは似てると思っただけだ。もう少し素直になれたらいいんだけどな」

「あらあら。悩み事です? 今日は機嫌がいいので聞いてあげますわ。甘えたいけれど素直になれないということでしたら気にせず仰ってくださいね。今度は膝枕でもしてあげましょうか?」

「くっ……」


 本音をいえば膝枕はとっても魅力的である。頷きたい衝動に駆られたものの、なんとかぐっと堪える。

 アクシオの葛藤に気づいているのか、ヴィルエはにんまりと笑っていた。


「これからもよろしくお願いしますね。旦那様」

*******************

ここまでお読みいただきありがとうございます。

初心なヒーローをツンツンして可愛がる小説を書きたい!という衝動で始まった本作ですが、

想像していたよりも長くなってしまいまして…。

ここでいったん1部終了となります。

両片思いに近づいてきたので、2部からわからせ合戦が始まる…はず(2部は二人がお泊まりに行きます!)


この後、サブキャラクター視点のエピソードを3話公開予定です。


2部公開時はXなどでお知らせしていく予定です。


最後になりますが、後書きまでお読みいただき誠にありがとうございました。

また皆様とお会いできますように。

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