31.約束の祝杯(前)
セラティス王子の暗殺未遂首謀者であるデール・クラウザーは地下水道にて発見、捕縛された。デールを探していた王国軍のもとに、不審な者が地下水道に倒れていると通報があったため今回の発見に繋がったようだ。
暗殺未遂事件については王都の民を騒がせたものの、セラティス王子が無事を宣言し、首謀者たちを捕えたことを大々的に発表したため、ひとまずは落ち着いた。逃げ惑う人々への案内だけでなく、一人一人のもとに駆けつけて無事であるかを確認したセラティス王子の動きは国民の心を掴み、今回の一件はセラティス王子の株を大きくあげることとなった。
ヴィルエが乗る馬車の対面にはミゼレーが座っていた。顔に貼られたガーゼや腕の包帯は痛々しく、その様子に顔をしかめながらもヴィルエがほっとしたように口を開いた。
「本当に無事でよかったわ」
「はい。私も、まさか助かるとは思っていませんでした。まさか『夜梟』が人助けをするなんて」
デールの手下に連れ去られたミゼレーのもとに現れたのは『夜梟』だった。はじめは何者かわからなかったらしいが、後になってから仮面に刻まれた紋様の意味を思い出し、彼が『夜梟』だと気づいたようだ。
「私の周囲には十人ほどいたのですが、『夜梟』はあっという間に彼らを倒し、私の腕に巻き付けられていたロープも外してくれました」
相づちを打ちながら、『夜梟』がどのように動いたのかを想像する。彼の動きや剣術は相当なもので、特に身体能力に関してはずば抜けている。水路に落ちかけたヴィルエを担ぎ、さらに歩廊まで戻ったような男だ。王国軍でさえ彼に敵わないかもしれない。
そうしてミゼレーは『夜梟』に助けられたものの、彼はすぐに姿を消したらしい。おそらくヴィルエを追いかけにきてくれたのだろう。その場に残されて呆然としていたミゼレーは、王国軍に助けられている。
「お互いに無事でよかったわ。セラティス王子だって守ることができたもの」
「ええ。うまくいきましたね。ですが、急いでニーベルジュ領に戻ることはないと思いますが。いろいろあったのですし、今日はレインブル家にて休んだ方がよいのでは」
王都との近さを考え、ヴィルエの父母はレインブル家にて休むことを提案していた。いろいろあった日であるから、休んでからニーベルジュに戻れば良いと話していたのである。
だが、ヴィルエが乗っている馬車はニーベルジュの屋敷に向かっている。ヴィルエは窓から外を眺め、にやりと笑った。
「今日中に帰りたいのよ。予定があるから」
「予定、ですか」
「そう」
帰ってからのことを想像するだけで口角があがる。彼はどうしているだろうと考えれば、いつもより馬車の速度を遅く感じた。
そうしてニーベルジュ領に戻った時には深夜になろうとしていた。屋敷の者たちも寝ている時間だろう。
ミゼレーと共に玄関の扉を開けると、この時間にしては珍しく明かりが灯っていた。
「おかえりなさいませ、奥様」
中に入ると、応接室にいたグレンがこちらにやってきた。どうやら応接室で何かを用意していたらしい。彼がいたところには軽食を載せたワゴンと空のグラスが置いてある。
それを一瞥した後、ヴィルエは小さく笑った。
「旦那様はいるの?」
グレンに問うと、彼は頷いた。
「先ほどお戻りになり、今は自室にいらっしゃいます」
「そう。少し用事があるの、旦那様の部屋に行っても構わない?」
「大丈夫かとは思いますが……念のため、確認してきましょうか?」
「いいわ。私が行くから」
アクシオはきっと部屋で待っているだろう。そう考え、グレンの申し出を断った。
ミゼレーとグレンを残し、ヴィルエは階段を上る。目指すはアクシオの部屋だ。
「旦那様。少しいいかしら?」
控えめに扉をノックし、声をかける。すぐに扉の向こうから声が聞こえた。
「ああ。入っていい」
許可を得たので早速入室する。アクシオは部屋にあるソファに腰掛けていた。すっかり『夜梟』の姿からいつもの装いへと戻っている。先に戻って風呂に入っていたのか、石鹸の香りがする。
(律儀に待っていたのかしら。だとするなら可愛いけど)
家に帰ってから夫と酒を飲む、とヴィルエは『夜梟』に宣言していたのだ。アクシオは『夜梟』であると知られぬよう隠すのかもしれないが、ヴィルエが来るのを待っていたのだろう。
向かいのソファに座ると、アクシオが口を開いた。
「遅い帰宅だな」
「ええ。国交五十年記念祭を楽しんだ後、実家に寄ってきたので時間がかかってしまいました」
水路に落ちる寸前で助けられたといえ、ドレスに地下水道の匂いが染みついている。そのため一度実家に戻り、風呂に入って着替えを済ませてきたのだ。そうでなければこの屋敷についてすぐに汚れたドレスを脱ぎ捨てていただろう。
「それで、俺の部屋に来た用事は?」
アクシオがそう言ったので、ヴィルエは笑いそうになってしまった。すんでのところで堪える。
(白々しいのね。グレンに命じてお酒の用意までしていたくせに)
応接室にあったワゴンは、アクシオが命じたため用意されたのだろう。ワイングラスは一つしかなかったため、グレンには『一人で酒を飲む』と伝えたのかもしれない。
そうして用意までしてヴィルエを待っていたくせに、素知らぬふりをするアクシオが可愛らしく思えてしまう。
ヴィルエは咳払いをした後、彼の嘘に乗った。
「お酒を飲みたいと思ったの。せっかくなら旦那様も一緒にと思いまして」
「別に構わない。待ってろ、グレンを呼んでくる」
そう言って、アクシオはグレンを呼びに部屋を出て行った。
ワゴンに置いてあった軽食にワイングラス。ワインのボトルも初めて見るものだった。もしかするとヴィルエが誘うと知っていてとっておきのものを用意したのかもしれない。
階下にいるグレンに伝えるだけだからすぐに戻ってくるだろうと考えながらも、アクシオがいない隙にヴィルエは部屋を見回す。
こうして部屋に入れてくれたのは、ヴィルエが敵ではないとわかったからなのだろう。ヴィルエもまた、以前のようにアクシオを警戒していなかった。形は違えど同じ目的を持つ仲間だと思っている。
そうして書斎の机を見た時だ。そこには一通の封書が置かれていた。
(……王家の紋章が入ってる)
王家の紋章入りの封蝋。王家の者からの手紙だろう。だが、その紋様はガードレット王が使うものとは異なる。
月桂樹の葉がぐるりと円を囲み、上部に対の百合が書かれているのはガードレット王家を示す紋様だ。だが、その中に書かれるものはそれぞれによって異なる。例えばガードレット王は王冠と鷲に対の剣だ。何度かガードレット王の書状を受け取ったため、紋様を覚えている。
しかしアクシオの机にある封書は、ガードレット王家を示す月桂樹や百合は一致しているものの、中に刻まれているものが違う。
その紋様が誰を示すのか――思い当たった者に、ヴィルエは柔らかく微笑んだ。
(やっぱり……セラティス王子だ)




