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29.結末

「はじまった……!」


 興奮気味にデールが呟く。

 ついに予定していたセラティス暗殺計画が始まろうとしているのだ。


「人数的には……騎馬隊にやられてしまいそうだけど」

「構いませんよ。あれは私が集めた者たちでしてね、金をちらつかせて買った荒くれ者たちですから使い捨てて構いません。彼らが騒ぎを起こしている間に本命が来る」


 つまり、あの私兵は騎馬隊の注意を惹きつけるためのもの。使い捨ての駒なのだ。だが彼らは、自分たちが使い捨てだと気づいていないのだろう。デールに集められた彼らは、騎馬隊を打ち倒し、自分こそがセラティスを殺すと燃えているようだった。


(そんな風に人の命を使うなんて非道だわ)


 しかし、ここでデールの予測に反することが起きた。

 騎馬隊は動揺せず、予めわかっていたかのように対応している。それだけではない。パレードに混じっていないところから王国軍が現れ、騎馬隊に加勢しているのだ。

 これほど警備が厳重であると予想していなかったのだろう。あっという間に私兵は捕らえられていく。私兵の武器を奪ったり峰打ちにするなどし、命までは奪わないようにしていた。

 おそらくはガードレット王の指示だろう。金で雇われただけの私兵の命まで奪ってはいけないと慈悲をかけたに違いない。


「……まずいな。思っていたよりも警備が堅い」


 想定と異なる動きだと気づいたのかデールが顔を顰めた。

 予定であれば、私兵らが注意を惹きつけ、その間に本命である『夜梟』が馬車にいるセラティスを襲うはずだろう。だが『夜梟』の姿はまだ見つからない。


 パレードがこのような事態になったのだ。その場に残る観客もいるが、多くは悲鳴をあげてその場から逃げようとしていた。怒声や泣き声も聞こえる。


(旦那様は……『夜梟』はどこにいるの?)


 彼はどこにいるのだろう。本当にセラティスを襲うのだろうか。

 ヴィルエはあちこちに視線を動かし、『夜梟』の姿を捜し続けていた。


 そしてようやく、ヴィルエの瞳がそれを捉えた。

 停止した馬車の近くにある建物の屋根。黒い影が揺らめいている。


 風に揺らめく、黒の外套。

 見慣れた仮面。


(『夜梟』だ。旦那様がいる)


 彼が現れてしまったのだ。その姿を視界に捉えてすぐ、彼の姿が消えた。まばたきをしている間に屋根から消えてしまった。

 だが落ちたのではないだろう。二階にあったデールの部屋までひょいと登ってしまうような男である。ヴィルエが気づかぬうちに降りたのかもしれない。


「……まだいるぞ!」

「馬車だ! 馬車を守れ!」


 騎馬隊の怒声が聞こえ、導かれるようにその方へと視線を移せば、ちょうど黒い外套が馬車の中に消えた瞬間であった。『夜梟』は瞬く間に、セラティスのいる馬車に乗り込んでしまったのだ。

 遅れて騎馬隊の者たちが馬車に駆けていく。


「は、ははっ……よし、いいぞ! セラティスを殺れ!」


 騒ぎの声から『夜梟』の登場を悟ったデールが興奮気味に声をあげる。

 ヴィルエは固唾を呑んで見守るしかなかった。気づかぬうちに手のひらが汗ばんでいる。セラティスは無事であると信じたいが、恐ろしい。


 がたがたと馬車が揺れる。そして――馬車から一人の男が姿を現した。


「……私は無事だ」


 外の眩しい光を浴び、燦然と輝く薄水色の髪。ガードレット王国を現す紺碧のガウンに身を包んだセラティスだ。

 同じ時間、同じ町にいる。だというのに彼の周りだけきらきらと光輝いているように見え、彼だけがスポットライトを浴びているかのようだ。

 無事を示すかのように皆の前に現れた後、セラティスは高らかに叫んだ。


「此度の首謀者、デール・クラウザーを捕えよ!」


 馬車に乗り込んだ『夜梟』。入れ替わるように現れたセラティス王子。

 つまり計画は失敗だ。それだけではない。首謀者が誰であるかまで、セラティスが告げたのだ。


 これにデールの顔が青ざめた。ヴィルエの手首を掴む手にぐっと力が込められる。骨が軋むような痛みに、ヴィルエは顔を歪めた。


「くっ……こうなったら」


 手を強く引っ張られ、足がもつれそうになる。倒れないよう何とか堪えたが、それでもデールから解放はされない。引きずってでも構わないとばかり、デールは振り返らずに走り出す。


「ど、どこに行くの!?」

「逃走経路は確保してありましてね。暗殺は失敗しても、まだ道はある」


 デールとヴィルエがいることに気づいたらしく、王国軍がこちらを追いかけてくる。しかし混乱した人々のため簡単に追いつくことはできなさそうだ。


 このままではデールに連れて行かれてしまう。そしてデールを逃がしてはいけない。王国軍がこちらに追いつくまで、足止めをしなければ。

 ヴィルエは手を振り払おうともがき、その場に立ち止まった。


「離して! 私は行かないわ!」

「離しませんよ! ヴィルエ様だけでも連れて行かないと、あの方が」


 ヴィルエが思い通りにならないためかデールは苛立っているようだった。それほどヴィルエを連れていきたい理由があるのだろう。

 デールは歯がみをし、それから乱暴にヴィルエを引き寄せた。


「っ、やめて!」


 必死に叫ぶも虚しく、ヴィルエの体は宙に浮いた。デールに担ぎ上げられているのだ。まるで人さらいのような格好だが、それも厭わずにデールは再び走り出す。


(どうしよう。このままじゃデールに逃げられ、私も連れていかれてしまう)


 デールの体を叩くなど抵抗するも、彼に届く様子はない。そんな些細な痛みよりも逃走への焦りが勝っているようだ。


 パレードが行われていた道から離れ、デールは裏道に向かう。そして地下水道に至る蓋を開くと、その中に降りた。


 黴だらけの地下水道に降りると、黴たようなにおいが鼻につく。

 点検用に作られた歩廊があり、そこより下に水路がある。水路を流れる水は綺麗なものだが、狭い空間であるからか嫌な印象を抱いてしまう。

 階段を降りてすぐの歩廊にランプがおいてあった。もしものためにと用意していたらしい。ランプがなければ明かりがなく、入り組んだ地下水道を進むのは困難だったはずだ。

 そんな地下水道をデールはためらいなく進んでいく。デールが駆けるたび、歩廊に溜まっていた水が跳ね上がり、ネズミらしき鳴き声が狭くじめついた空間に響く。その様子から逃走経路は頭に入っているようだ。

 地下水道は王都の地下に広がっている。うまく利用すれば王国軍に見つからず、王都を出ることも可能だろう。これ以上進ませれば、どうなるかわからない。ヴィルエはもう一度、彼の体を強く叩いた。


「離してちょうだい」

「離したら落ちてしまうのでは?」


 不安を煽るようにデールが告げる。ヴィルエは来た道を振り返るが、王国軍の姿はない。あの場は混乱した者たちが多かったため、デールを見失うのも仕方ないだろう。まさか地下水道に逃げると想定していないはずだ。


(逃げ出して王国軍を呼ばないと。もしくは王国軍が到着するまでの時間稼ぎ……どうしたら良いのかしら)


 この場を切り抜ける良い方法が思いつかない。ならばデールもろとも水路に落ちた方が時間を稼げるかもしれない。


 だが、残念なことにヴィルエは泳げないのだ。

 これまで体を動かすことはまったく無縁の生活であった。その上、ドレスを着ている。この状態で水路に落ちれば時間を稼ぐどころか、最悪の展開も考えられる。


(でもやるしかない。時間を稼がないとデールに逃げられる。私も連れて行かれてしまうわ)


 力を振り絞り、ヴィルエはもう一度デールの体を叩く。さらに足をばたつかせ、拘束する手から逃げだそうと体をよじった。


「っ、この……暴れるな! 落とされたいのか!?」

「構わないわ。だから離して!」

「くそ、この女……!」


 そうしてもう一度ヴィルエが足をばたつかせると、彼がバランスを崩した。同時に手の力が緩む。


(やった……!)


 拘束から解き放たれ――たのはよかったが、ヴィルエの足はまだ地面についてはいなかった。デールはたたらを踏みながらも歩廊に留まったが、担がれていたヴィルエの体は勢いそのまま、下にある水路へと落ちていく。


「ま、まずい! ヴィルエ様!」


 ヴィルエを手放してしまったと気づいたのだろう。慌てたデールの叫びが聞こえたが、その時には遅かった。

 水路は深く、ドレスを着ている状態のヴィルエがひとたび落ちれば上にあがるのは難しいだろう。

 このまま死ぬのかもしれない。ヴィルエはぎゅっと目を瞑った。


(……旦那様)


 思い浮かぶのはアクシオのことだ。

 暗殺計画は失敗したのだ。アクシオと話がしたかった。ヴィルエが辿り着いた彼の『弟』について聞きたかった。彼の過去に触れたかったのに。

 そのような後悔ばかりが浮かぶ。どうしてかアクシオのことばかりだ。『夜宴の黒花』として身を捧げるほどオルナやセラティスを大切に守ってきたというのに、今はアクシオの姿しか思い出せない。


 彼は馬車の中に入って姿を消した。だからここにはいないとわかっているのに、願ってしまう。


(旦那様、助けて)


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