23.まるで護衛のような
あのウィルストという男は何者なのか。新たな疑問を抱えながらも、デールがいないことを確かめたヴィルエは社交パーティーを後にした。
後は馬車を探し、屋敷に帰るだけだ。社交パーティーでの疲労を感じ、ため息を吐いて髪をかき上げる。
そうしてふと顔をあげた時だった。
「今宵も忙しいようだな」
頭上から声がし、ヴィルエはその方を見上げる。
だが入れ違うかのように声の主は木から飛び降りた。黒い外套を風に揺らめき、ヴィルエの前に着地をする。迎賓館近くの高い木であったが、その動きは慣れているかのようであった。
ヴィルエは彼の姿を改めて確かめ、くすりと微笑む。
そこにいるのは『夜梟』だ。いつもの外套に仮面をつけている。
「人目につくところにいて、大丈夫なのかしら?」
「大丈夫ではないな。だから移動する」
そう話し『夜梟』が背を向けた。彼の背の向こうに馬車が見える。これから馬車に乗って移動するのだろう。
「……着いてくるなら、別に構わない」
こちらに顔を向けてはいなかったが、確かにそう聞こえた。
それは小さな呟きではあったが、彼の様々な感情が隠れているようにも思える。もしかするとヴィルエにそう告げるために勇気が必要だったのかもしれない。
「せっかくのお誘いだもの、ご一緒しようかしら」
不器用な彼に苦笑いしながらもヴィルエは彼の後についていく。
『夜梟』は返事をしなかったが嫌だと思っていないことは伝わってくる。
(私を心配していたのかしら? なら、そう言えばいいのに)
彼と共に馬車に乗る。
気になるのは『夜梟』がなぜ迎賓館近くにいたのかだ。馬車が動き出すと同時にヴィルエは彼に問う。
「あなたも社交パーティーに来ていたのね」
「いや。そういうものに興味はない」
彼が来ていないことを知っていて、あえての質問であった。そもそも『夜梟』が現れたとなれば迎賓館に集まるものたちが大騒ぎをしただろう。『夜梟』に怯える貴族は少なくない。
ではなぜ、ヴィルエの前に現れたのか。心配していただけとしても、ヴィルエが迎賓館を出てすぐに声をかけているのだ。見計らったかのようにタイミングがいい。
「じゃあ、あのパーティーのどこかで人が殺されていたの?」
暗殺者である彼がここにいることからそのように考えたのだが、聞こえてきたのは「はっ」と短く笑う『夜梟』の声であった。
「暗殺者だからっていつも人を殺しているわけじゃない。今日は違う」
となれば、迎賓館に潜入していたのだろうか。
ヴィルエの踏み込みを拒絶するような重たい返答から、これ以上を聞いても答えてくれないだろう。そう判断し、ヴィルエは疑問を飲み込む。
互いに言葉を発さぬまましばらく時間が経った。馬車は王都を離れ、別の領地を通っている。窓から見える景色も王都の明るさはなく、夜の闇に包まれて静かだ。
(また『夜梟』と馬車に乗るなんて想像もしていなかったわ)
これで二度目だ。対面に『夜梟』が座るという奇妙な状況にもなぜか慣れてきたような気がする。
前回は気が緩んでしまい、途中で眠ってしまった。今回は大丈夫だと思っているが、気が緩まないよう気を張らなければ。
「なんだ? 気になることでもあったか」
そのように考えていると『夜梟』に声をかけられた。ヴィルエは苦く笑う。
「先日、私は馬車で眠ったでしょう? あなたに迷惑をかけてしまったわ。だから、今日は気をつけようと考えていたの」
「今日はそこまで酒を飲んでいるようには見えなかったが」
まるで迎賓館でのヴィルエの行動を見ていたかのような口ぶりだ。それが引っかかり、ヴィルエはすぐに疑問をぶつける。
「あなた、パーティーには興味ないと言っていたじゃない」
「いや……それは……」
『夜梟』は気まずそうに咳払いをしていた。
その様子からしてパーティーに参加するのではなく、潜入していたのかもしれない。
「……疲れてるなら寝てもいいぞ」
「ふふ。暗殺者さんと一緒の馬車なのに?」
「今はお前を殺す気はない。だから安心しろ」
そう言って『夜梟』は顔をそむけてしまった。パーティーについて追及されたくなかったのかもしれない。
彼に配慮し、ヴィルエは別の話を始める。
「私だって、馬車の中で眠ってしまうなんて初めてだったわ」
「そうなのか? 家族と出かけることとかあっただろ」
「あったけれど、眠ることはしなかったわ。私はいつも妹の隣に座っていたから、気を張ってばかりだった」
家族とともに馬車に乗っても眠ることはなかった。それは隣に座るオルナが酔いやすく、彼女を心配していたためだ。
「あの子は体が弱かったから。馬車でもすぐに具合が悪くなってしまうの」
今はヴィルエではなくセラティスが隣にいるだろう。オルナが体の弱い子であることも彼は知っているはずだ。
二人が隣に並んでいる。ようやく辿り着いた二人の状況を嬉しく思うと同時に、一抹の寂しさもある。オルナはもうレインブル家を出ているのだ。
「……妹のことを可愛がっていたんだな」
『夜梟』が言った。一瞬、頷いてしまいそうになったが、それをぐっと堪える。
オルナが可愛く、大切な妹であることは事実だ。だがそれを表に出しては彼女を守れない。関わりが無く不仲だと見せるためにこれまでやってきたのだ。
実際にデールだってそのように思っているだろう。ヴィルエがオルナを大切にしていると知られれば、セラティス暗殺計画に触れることはできなかった。
(大切だと思っていることを言葉にしてはいけない。大切であればあるほど、胸の中で一人で温めないといけない)
そのことを思い出し、ヴィルエはふっと短く笑う。
「可愛くないわ。面倒をかけられてきただけだもの」
「そのようには見えなかったが」
「ならばあなたの観察力が足りないのでしょう。私にとって妹なんてどうでもいい。私は私のやりたいことをやるだけよ」
ヴィルエの言葉を『夜梟』はどのように受け止めただろう。仮面で隠されているため彼の表情は掴みにくい。
ならば、と反撃するように今度はヴィルエが問う。
「あなたは? 兄弟はいないの?」
事前に調べ、アクシオに兄弟はいないとわかっている。
彼の出自については元は庶民であったと聞いている。彼は卓越した剣技を持ち、一時期は騎士団の指南役になったこともあるそうだ。それらの功績をたたえて伯爵位を授かり、ニーベルジュ領を与えられている。
だから『夜梟』の答えは知っている、はずであった。
「腹違いの弟なら、いる」
予想と異なる返答に、ヴィルエは目を瞠る。
どういうことだ。アクシオに弟がいたなんて聞いたことがない。はじめはグレンを弟のように思っている、という意味かと考えたが、その様子でもない。
(旦那様に弟がいる? 調査結果にもなかった話よ。どういうこと)
まさか『夜梟』とアクシオが別人なのか。そんな疑いを持つほど、この話は信じ難いものだった。
ヴィルエのそんな動揺を知らず、『夜梟』は弟についての語りを続ける。
「だが、いろいろあったからな。相手が俺を兄だと慕ったとしても、俺にはその感情がわからない」
「複雑そうね。その話について詳しく聞いても教えてもらえるのかしら?」
「聞いても楽しくないぞ。嫌な思いをするぐらいなら聞かない方がいい」
だが好奇心は疼いている。調べても存在しなかったはずのアクシオの弟について知りたい。その気持ちがヴィルエを急かす。
「嫌な思いをするかは私次第だもの。あなたのことを知りたいわ」
「……なら、条件がある。俺の頼みを一つ聞いてほしい」
「素敵な交換条件だけれど、私にできないこともあるわ」
「それは大丈夫だろう。お前の得意分野のはずだ」
何を頼まれるのか恐ろしいところもあったが、それよりも彼の話が知りたい。
その熱意に応えるかのように、『夜梟』の唇が動いた。




