13.その恋愛は光のもとで
その日のヴィルエはレインブル家へと向かっていた。実家に帰ることについてはアクシオにも伝えている。
表向きは久しぶりの里帰りだが、実際の用件は異なる。これまでに起きた出来事の報告をするため、父に会いにいくだけだ。
そうして朝から馬車に揺られ、レインブル家の屋敷に着いた時には昼食の頃となっていた。
「お久しぶりです。お父様」
屋敷に入り、父の書斎に向かう。ヴィルエがやってくる目的を知っているためか、父は一人で待っていた。ヴィルエはミゼレーも部屋に招く。
「ニーベルジュ家での暮らしはどうだ?」
ヴィルエがソファに腰掛けると、父が言った。ヴィルエは曖昧な顔をしてこれに答える。
「以前のように動くのは少々難しいかもしれません。旦那様にも警戒されていますので」
「うむ。ミゼレーからも、お前が動きにくそうにしているとは聞いていた」
ヴィルエが直接動けないため、ミゼレーに報告を代わってもらっている。手紙のやりとりもアクシオに疑われないように回数を減らしているため、ほとんどはミゼレー頼りだ。
「もう『国王の耳』として動くことを辞めても良いのだぞ」
父はヴィルエを真っ直ぐに見つめて、告げた。
これまで、父からそのような提案をされたことはなかった。
ヴィルエは『国王の耳』として動けるように育ってきた。『夜宴の黒花』として社交界に君臨しているのは、その努力の結果である。有力貴族らの名、関係性、好きなもの、あらゆる情報を覚え、それらを武器として使う。会話や振る舞い、人の心を読み解くための観察力だって鍛え上げてきた。
それがいま、父から辞めてもよいと提案されている。ヴィルエの表情は凍りついていた。
「私では使い物にならないということですか?」
ニーベルジュ家に嫁ぎ、自由に動けなくなった。だから『国王の耳』として動くことはできないと言われているのかと疑った。
その意図に気づいたらしく、父は慌てて首を横に振った。
「そうではない。お前の働きはじゅうぶんに助かっている。ガードレット王だってお前のことを褒めていた。そして心配もされていた」
「ではなぜ、辞めてもよいと仰ったのです?」
これまで培ってきたものが失われてしまう。そんな予感からヴィルエの顔つきは険しくなる。
対する父は、ヴィルエがそのような反応をすると思っていなかったのか、しどろもどろになっていた。
「いや、その……お前の、これからを……いや……」
「お父様」
ヴィルエはすっと立ち上がる。そして父を強く睨み付けた。
「私は『国王の耳』として職務を全うすると誓いました。そのために私なりの立場を作り上げてきたのです。これからも辞める気はありません」
「そ、その……違うんだ。これは……」
「辞めろとも言われても絶対に辞めませんわ――このような話であれば私は退席します。報告は私ではなくミゼレーから聞いてくださいまし」
報告する内容はいくつもあったが、今はそのような気分ではない。何かを言いたげにしているくせに口ごもる父にも腹が立つ。
ヴィルエは苛立ち、ミゼレーに後を託して部屋を出て行った。
(まったく。お父様ったらあんな提案をするなんて)
レインブルの屋敷を歩くヴィルエの表情は曇っていた。書斎で聞いた父の話が頭から消えない。あのような提案をされるなんて思ってもいなかった。
このまま帰ってもよいのだが、ミゼレーはまだ書斎にいる。今頃はヴィルエの代わりに報告しているのだろう。セラティス王子を守るための計画についても話してくれているはずだ。
そうして廊下を歩いていた時である。向こうから見慣れた姿が駆け寄ってきた。
「お姉様!」
風になびく金色の長い髪と水色のドレス。距離があってもわかる。愛しい妹だ。
彼女はこちらにやってくるなり、ヴィルエの腕の中に飛び込んだ。
「会いたかった!」
「オルナ。あなたも来ていたの?」
ヴィルエより小柄なオルナを抱きしめ、優しく問いかける。
「今日、お姉様がいらっしゃると聞いたの。だからお忍びで……こっそり会いにきてしまいました」
現在は王城で暮らしているため、オルナとは婚約発表前から会えていない。再会を嬉しく思う反面、ヴィルエの心には複雑な思いがあった。
オルナはヴィルエが『国王の耳』として動いていることを知らない。そのため無邪気に再会を喜んでいるのだが、ヴィルエは違う。情報を引き出すため、オルナとは仲が良くない風を装っているのだ。
(今回のことだけじゃない。オルナとセラティスを守るために、あえて仲が悪い風に装っている。こうやって会っていることが知られるのは、私にとってあまり良くないわ)
ヴィルエがレインブル家にいる時に王家の馬車も止まっている。そんな様子を見られ、噂を立てられてしまえば困る。なるべくオルナとは顔を合わせないように調整しているのだが、今回はうまく行かなかったようだ。
ヴィルエは腕を解き、いつものように優しくオルナを宥めた。
「オルナ。いつも言っているでしょう。私と仲良くしていては誤解されてしまうわ」
「もう。お姉様はいつもそう仰ってばかり。私だって考えていますわ。だからお忍びで来ているんですもの」
「でも、あなたはセラティス王子の妻となるのだから一人で動き回ってはだめよ」
「一人ではないわ」
そう言って、オルナは廊下の向こうに声をかける。すると現れたのはセラティス王子だった。ヴィルエは急ぎ、ドレスの裾を掴んで礼をする。
「王子もいらっしゃっていたとは。大変失礼いたしました」
「ヴィルエ……いや、義姉上でしょうか。そのように畏まらないでください」
二人が揃ったことから話が見えてくる。オルナだけでなく、セラティスとオルナの二人でここに来ていたようだ。
となればオルナがわがままを言ったのだろうか。ヴィルエはため息をついた後、オルナに向かって告げる。
「オルナ。王子まで連れてくるなんて、あなたは本当に……」
「会いたいと話していたのはオルナだけではありませんよ。僕だって幼馴染みと久しぶりに会いたかったのですから」
幼馴染み。その言葉によって、ヴィルエの胸中に懐かしさがこみ上げる。
「こうやってレインブル家に来るのも久しぶりです。昔と変わらず、安心する」
「幼馴染みはお姉様だけではないでしょう? 私だってセラティスの幼馴染みよ」
「ああ、もちろん。でも今は毎日会えるだろう?」
二人の微笑ましいやりとりを眺めていると思い出す。
(昔は……セラティス王子がよく遊びにきていたものね)
セラティス王子と初めて会った時を、ヴィルエは今も覚えている。
九歳のヴィルエと六歳のオルナは、父に付き添って王城に行ったことがある。今思えば父が『国王の耳』として動いているが故に王城に行ったのだろう。だが、その時は子どもであったため、ヴィルエは何も知らなかった。
父の用事が終わるまで客室で待つことになっていたのだが、気づいた時にはオルナがいなくなっていた。
(あの時、迷子になったオルナを捜して、中庭に行ったのよね)
父が戻る前にオルナを見つけなければ。そんな思いで王城を捜し回り、ようやく中庭で見つけたのだが――その時の光景を、ヴィルエは忘れられない。
迷子で泣いているオルナに手を差し伸べる、セラティス王子。
太陽の光が降り注ぐ、白薔薇の庭園。見つめ合う幼い二人の姿は何よりも美しく、輝いて見えた。
その時も、今日と同じようにオルナは水色のドレスを着ていた。金髪の長い髪を編み込み、それを留めるリボンが揺れている。それはまるで、絵本に出てくるお姫様のようでもあった。
そしてオルナを見つめるセラティスも。白いシャツに薄水色の髪はよく目立つ。王子と聞いて想像したものが現実に現れたかのような姿であった。
声を、かけてはいけないと思った。
あの二人は眩い光の中にいて、けれどヴィルエのいる場所は屋根に遮られて光の当たらぬ渡り廊下。ヴィルエの黒い髪も、好んで着ている紅のドレスも、あの二人とは違う。
(あの出会いから、二人は恋に落ちて……今日まで続いている)
二人は惹かれあい、時折セラティスがお忍びでレインブル家に来るようになった。
とはいえ『国王の耳』であるレインブル家の令嬢に恋をしたなんて許される話ではない。二人が結ばれるまでには大変な道のりがあり、王が認めるまで時間がかかった。セラティス王子のもとに娘を嫁がせようとする貴族がオルナの命を狙ったことだってある。
そういったものを全て撥ね除けてきたのが、ヴィルエだ。
なぜそこまで出来るのか。『国王の耳』として生きられるのか。
その答えはオルナとセラティスにある。
(二人には……幸せになってほしい。幼馴染みと大切な妹だからこそ、私が守ってみせる)
二人が光のもとで恋愛を育むのなら、ヴィルエは闇に徹しよう。
憧れるほどに美しい、二人のために。
あの日から、その思いがヴィルエを動かしているのだ。
「……二人が変わらなくて、安心したわ」
ふっと微笑み、ヴィルエは告げる。
やるべきことをもう一度思い出したかのようで、気持ちが晴れやかだ。
(だから私は『国王の耳』として生きる。私は、二人を守りたい)




