9.私も監視します
一夜明けても、ヴィルエとアクシオの関係は変わらなかった。
朝の支度を終えて食堂に行けば、当然のようにアクシオが待っている。朝食も二人分用意されるため逃げ場がない。二人の間に会話は少なく、人数は増えたというのに食堂は静寂に包まれている。
(屋敷では旦那様が自ら監視ということね)
昨晩の会話から察するに、アクシオは外出している間もヴィルエに監視をつけていたのだろう。そしてデールに接近したヴィルエに忠告している。
ヴィルエはテーブルを挟んで向かいにいるアクシオの様子を窺う。彼はこちらに声をかけることもなく、淡々とスープを口に運んでいた。
(デールは暗殺者を雇った。旦那様が『夜梟』として依頼を受けた可能性がある。こちらにも警戒しないといけない。でも……チャンスだわ)
依頼を受けたのならばセラティス暗殺の実行日はいつなのか。実行日がわかればガードレット王にそれを伝え、防備を固めることができる。
幸いにもヴィルエはアクシオのそばにいる。アクシオがヴィルエを監視している間、ヴィルエもアクシオを監視できるのだ。彼が屋敷から姿を消せば、『夜梟』として行動している可能性が高いことになる。
それだけではない。彼の目を盗んで調べれば、実行日に関する情報が得られるかもしれない。
(私は……オルナとセラティスを応援するって決めたんだもの)
伯爵令嬢と王子による王道の恋愛。幼い頃に知り合い、時間をかけて恋心を育て、ようやく結ばれたのだ。だというのにセラティスが殺されてしまえば、二人の美しい恋愛物語が悲劇へと変わってしまう。
心から二人を応援する者として、その恋愛に羨望を抱いた者として、何があっても守り抜きたい。
(旦那様が『夜梟』としてセラティス王子を殺そうとしても、私が止める)
自らの気持ちを再確認しながら、彼の様子を見ていた――つもりであった。顔をあげた彼はこちらの視線に気づくなり、困ったように首を傾げた。
「そんなに睨まれると食べにくい」
気づかぬうちに彼を睨んでいたらしい。そのことにはっとしつつも、ヴィルエはいつも通り不敵に微笑む。
「まさか今日も食事をご一緒するとは思っていなかったもので」
「お前と顔を合わせる機会を増やすと話していただろ」
「このような遊びにも飽きる頃では? 悪妻と共に過ごしても楽しくないでしょう」
昨晩、アクシオが悪妻と言っていたのだ。その恨みを込めてその単語を口にしている。今日の調子ならばアクシオが反論してくるだろうと構えていたものの、彼はスプーンを持つ手をぴたりと止めていた。
「その、昨日の……昨晩のことだが」
気まずそうな物言いに、いやな予感がする。
おそらくアクシオは、ヴィルエを壁に押しつけてしまったことについて詫びようとしているのだろう。
ヴィルエだって部屋に戻ってからも考えていた。だが、あの時の距離の近さや、彼のアイスブルーの瞳を思い出すたび顔が火照ってしまいそうになる。だがその反応は『夜宴の黒花』にあるまじき乙女のものだろう。二度と、あのような醜態を見せてはならない。
そのためヴィルエは昨日の接近について記憶の奥底に封じることにした。そうしてアクシオと向かい合っているというのに掘り起こされるのは困る。
彼がこれ以上言葉を紡がぬよう、ヴィルエは毅然とした態度で遮った。
「お気になさらず。慣れていますので」
「は? それにしては、顔を真っ赤にしていただろ」
「あらあら。アクシオ様ったらお酒を召されていたのかしら。あの程度で私がどうにかなるとでも思わないでくださいね」
我ながら苦しい言い訳だ、とヴィルエは心の中でひとりごちる。しかしわざわざ、顔が真っ赤だったなどと指摘しなくてもよいだろう。アクシオが憎らしい。
ともかく話題を変えなければ。この話を蒸し返されたくない気持ちで、ヴィルエはアクシオに問いかける。
「ところで、アクシオ様は今日もお屋敷にいらっしゃるの?」
「なんだ。お気に入りの貴族にでも会いに行くつもりか?」
「どうでしょう。旦那様には関係のないことよ」
目的はアクシオの外出について――つまり『夜梟』が動くのかを確かめたい。
だがアクシオもこちらに警戒しているのだろう。彼はコーヒーを飲み干した後、ヴィルエの問いに答えた。
「俺の予定についても同じだ。お前には関係のないことだ」
簡単に答えてはくれなさそうだ。そうなると彼の様子を見張るしかない。
(では、私も監視させてもらうわね、旦那様)
アクシオはヴィルエを監視しているつもりだろうが、ヴィルエだってアクシオを監視する。穏やかに微笑みながらも、腹の中ではその計画を立てていた。
***
食事を終えたヴィルエはいくつかの本を手にし、応接室に陣取った。ここは主に来客を出迎える部屋であるが、アクシオの来客は執務室に向かうことがほとんどだ。ここの応接室は執務室に入れたくない来客相手に使っているのだろう。
ソファやテーブルはある。じゅうぶんだ、と判断してヴィルエは本を置く。それから侍女に依頼し、飲み物や菓子も届けてもらった。
なぜヴィルエが応接室を選んだかというと、屋敷を出入りする人を確かめるにはここが最適だからだ。ここは玄関ホールや廊下に面しているので、アクシオ宛の来客を確かめることができた。もちろん、アクシオが外出する時もここの廊下を通らなければならない。
(我ながら良い場所を見つけたわ)
のんびりと紅茶をすする。読書に勤しむふりをし、周囲の物音や人の出入りに気を配れば良いのだ。
標的であるアクシオだが、彼は食事が終わるなり自室に戻ってしまった。グレンを呼びつけていたことから、ニーベルジュ領についての話し合いを行うのだろう。
(午前から夕方までは領主として動いているのでしょうね。あまり外出はしていないけれど、グレンや来客が出入りしているのを見ると自室で仕事をしているみたいね)
屋敷には、ニーベルジュ領にいる者たちがたびたび訪れる。領主であるアクシオへの報告や陳情が主だろう。そういった場に必ずグレンが同席しているため、日中はグレンの姿を見かけることが少ない。
また、二階にある執務室の隣にアクシオの寝室がある。婚姻から一ヶ月経っても彼の姿を見かけなかったのには、彼の移動範囲が極めて狭かったことにもあるだろう。
そうして読書に勤しむふりをしていたが来客は多い。ニーベルジュ領にいる者たちなのか、農民らしき格好の者にはじまり、小綺麗な格好をした男もいる。だが、夜会で見かけた顔ではなかったことから貴族ではないのだろう。
「……お、奥様だ」
「噂の奥様がいらっしゃる」
応接室に扉はなく、石造りのアーチを設けて開かれている。そのため玄関ホールにいる来客らは、応接室にいるヴィルエを見かけるなり、ひそひそと噂をしていた。
「ニーベルジュ領には興味がないそうだから」
「悪妻だったか。アクシオ様もとんでもない奥様を迎えたものだ」
ヴィルエは彼らをちらりと確かめながらも、気づかぬふりをする。婚姻から一ヶ月経っても領地に顔を出さず、屋敷にこもっているか夜会に行くかの日々だ。彼らが悪評を口にするのも当然だ。
普通の令嬢であれば、彼らの話を聞くなり動くのかもしれない。彼らのもとに駆け寄り言葉をかけるのかもしれない。しかしヴィルエは本に落とした視線を剥がさなかった。
(悪妻と言われたって構わないわ。私にはやるべきことがあるもの。むしろ心地よいぐらいよ)
貴族相手でもそうだが、恐れられている方が楽なこともある。
それにアクシオだって、ヴィルエが領民と接することを好ましく思わないだろう。彼ならば、ヴィルエが余計なことをして作り上げたものを壊されるのを嫌いそうだ。
(なんて……私が、旦那様に気を配る必要はないけれど)
そう考えているうちに領民の意識はヴィルエから離れていったらしく、聞こえてくる話題は別のものに変わっていた。
話の内容まではわからないが、一瞬だけ見えた彼らの表情は明るいものだった。互いに笑い合っている。領主の声で笑い声を立てるほど。
(意外ね。旦那様、領民には慕われているのかもしれないわ)
領主であるアクシオの屋敷に入ってきても臆する様子はなく彼らは楽しげで、そしてここを通る者は誰一人として暗い顔をしていなかった。つまりアクシオのことを心から慕っているのだろう。
ヴィルエは知らなかったが、アクシオは良い領主であるのかもしれない。
応接室に陣取り、様子を探る。だがアクシオが二階から降りてくる様子は一切なかった。人々が行き交い、時にはグレンが慌ただしく通り過ぎる。昼食の時間になっても食堂に現れず、アクシオは部屋にこもったままだった。
***
異変に気づいたのは夕食のため食堂に入った時であった。
「……私だけ?」
テーブルに用意されているのはヴィルエ分の食事のみ。朝はアクシオの分が用意されていたが、今回は一人のみである。
結婚してからというもの食事はいつも一人であったが、アクシオが『夜梟』であると知った夜からは一緒に食事を取るようになっていた。昼食など忙しい時は一人のこともあったが、特に出かける用がない限り夕食も一緒である。
これに違和感を抱いたヴィルエは、そばにいた侍女に声をかけた。
「旦那様は? 自室で召し上がるの?」
問いかけられた侍女は驚いたような顔をしていた。ヴィルエがアクシオについて尋ねると思っていなかったのだろう。
「え……その、今日の夕食はいらないと聞いていましたが」
「まだ部屋にいるの?」
「申し訳ございません。グレン様以外は命令がない限り旦那様の私室に近づけないのです。ですので、私は何も……」
なるべく応接室にて見張るようにはしていたが、席を外した時もある。だが二階にいるはずのアクシオが出て行くような様子はなかった。
(まさか――もう屋敷にいないのでは?)
その疑問が浮かぶなり、ヴィルエは駆けだしていた。
「奥様! 旦那様の部屋に近づくのは――」
後ろでは侍女が叫んでいたが、構わず食堂を飛び出す。そして階段をかけ上がり、二階にあがる。
二階にはヴィルエの自室もあるが、アクシオの私室とは反対に位置している。
(以前も部屋の窓から出入りしているようだった。もしかしたら今回も、私に気づかれないよう窓から出て行ったのかも)
ヴィルエの気づかぬうちに、玄関以外の場所から屋敷を出ていったのかもしれない。
静かな夜であれば物音も聞こえるかもしれないが昼間ではあまり聞こえない距離にある。自室に張り込んでいたとしてもアクシオが出て行くのはわかりにくいい。
今頃、アクシオは屋敷を出て『夜梟』として動いているのではないか。その焦りがヴィルエの足を急がせる。ヴィルエはアクシオの私室前につくと扉に耳をつけた。
(何も聞こえない。中に誰もいない……やっぱり出かけたんだわ)
どうしたものか。これから追いかけたとしても間に合うだろうか――そう考えていると後ろから足音が聞こえた。
まさかアクシオが戻ってきたのか。はっとして振り返るがそこに立っていたのは別の者だった。
「ヴィルエ様?」
現れたのはミゼレーである。
彼女には昨晩から多くの仕事を頼んでいた。レインブル家に向かって報告した後、デール・クラウザー周辺を探ってもらっていたのだ。
ミゼレーが現れたことにヴィルエは安堵した。ヴィルエであれば出かけても目立ってしまうが、ミゼレーならばごまかしやすい。
「よかった! 来てくれたのね」
「その様子からすると、何かあったようですね」
「ええ。急ぎお願いしたいことがあるの」
アクシオが『夜梟』と伝えられれば話は早いのだが、それを口にすることは避けたい。
遠回しにでもミゼレーを動かさなければ。
「……旦那様が出かけたの。追いかけてもらえないかしら」
「旦那様を?」
ミゼレーは理由がわからないといった様子だった。
「セラティス王子の暗殺計画について調べるのでは?」
「そう……だけれども、ちょっと気になることがあるの」
もしもアクシオが『夜梟』としてセラティス暗殺計画を引き受けているのならば、セラティスのもとに向かうはずだ。
(ミゼレーは察しの良い子。アクシオの監視を依頼すれば彼が『夜梟』とわかるかもしれない。そしてセラティス暗殺を依頼されているということも……)
言葉で説明できないのならば、見てもらった方が早い。そう考え、アクシオの監視を依頼した。
そんなヴィルエの様子からただ事ではないと悟ったのだろう。ミゼレーが大きく頷いた。
「……わかりました。急ぎ、旦那様を追いかけます」
「お願いね。でもミゼレー自身が危ない目に遭うようなら身を隠していいわ」
ヴィルエの依頼を受け、早速ミゼレーは屋敷を出て行った。
(あとは願うだけよ)
どうかアクシオがセラティスを殺す前でありますように。どうか間に合いますように。
自室に戻ることも考えたが落ち着いていられない。ミゼレーが戻ってくるのを待ちたい。ヴィルエは再び応接室に戻り、落ち着かぬ時間を過ごした。




