僕の能力は【他人の夢を一口食べる】だけだった
「言わなくても分かってほしい」なんて、誰でも一度は思うよな。でも、もし本当に、何もかもが筒抜けになったら?
僕たちは、言葉という不完全なツールに、ずっともどかしさを感じてきた。
「好き」という一言に、どれだけの想いが込められるだろう。「悲しい」という一言で、胸が張り裂けそうな痛みの、何分の一が伝わるだろう。
そんな人類の長年の悩みを、テクノロジーが解決した。『シンクロ・ギア』の登場だ。
ヘッドセット型のその機械は、装着した二人の脳を直結させ、思考、感情、感覚、そのすべてをリアルタイムで共有させる。誤解は生まれない。嘘はつけない。そこには、完璧な「共感」だけが存在する。
僕は、発売と同時にそれを手に入れた。そして、想いを寄せていたミキを、勇気を出して誘った。
「僕と、シンクロしてくれませんか」
ミキは、少し驚いた顔をしたが、こくりと頷いてくれた。
僕たちは、向かい合って座り、同時にギアのスイッチを入れた。
瞬間、僕の意識は、僕だけのものではなくなった。
ミキの、僕に対する淡い好意と、好奇心と、少しの不安が、流れ込んでくる。同時に、僕の、彼女に対する焦がれるような想いと、緊張が、彼女に伝わっていくのが分かった。
言葉は、いらなかった。
僕たちは、ただ見つめ合うだけで、互いの全てを理解した。それは、生まれて初めての、魂が溶け合うような感覚。僕たちは、その日のうちに恋人になった。
ギアは、僕たちの関係を完璧なものにしてくれた。
デートの行き先で悩むことはない。互いの「行きたい」という気持ちが、瞬時にシンクロするからだ。プレゼント選びで失敗することもない。相手が本当に欲しいものが、手に取るように分かる。
喧嘩をしても、すぐに仲直りできた。怒りの奥にある、悲しみや寂しさが、痛いほど伝わってくるからだ。僕たちは、世界で最も互いを理解し合った、完璧なカップルだった。
……はずだった。
異変は、些細なことから始まった。
ある日、ミキが髪を切ってきた。僕が「似合うね」と思った、その瞬間の思考が彼女に伝わる。
(似合うけど……前の、長い方がもっと好きだったな)
僕が心の奥でほんの少しだけ思った、その感想。普段なら口に出さない、些細な本音。それが、ノイズもなく彼女に伝わってしまった。彼女の表情が、わずかに曇る。彼女の心から、「少し、悲しい」という感情が流れ込んできた。
またある日、僕が彼女に得意料理を振る舞った。
「美味しい!」と彼女は思った。だが、同時にこうも思ったのだ。
(でも、ちょっとだけ、味が濃いかも……)
その思考が僕に流れ込み、胸にチクリと小さな棘が刺さった。
完璧な共感は、逃げ場のない地獄だった。
僕たちは、互いの、フィルターのかかっていない、生の思考を、四六時中浴び続けることになった。
(あくび、したいな……)
(この話、前にも聞いたな……)
(ちょっと、一人になりたいな……)
人間が、社会生活を営む上で、無意識のうちに隠している、小さな利己心や、本音や、退屈。それら全てが、共有されてしまう。
完璧な理解は、完璧な監視と同義だった。僕たちは、互いの心の中で、息をすることもできなくなった。
かつて、あれほど愛おしかったはずの、互いの思考。それが今では、聞きたくもないノイズにしか感じられない。
僕たちは、ギアを装着しなくなり、やがて、会うこともなくなった。
別れ話は、なかった。言葉にするまでもなく、互いの心が、もう離れてしまっていることを、痛いほど「理解」してしまっていたからだ。
先日、街で偶然ミキを見かけた。僕に気づくと、彼女は、気まずそうに目を逸らして、足早に去っていった。その時、僕の心に、彼女の思考が流れ込んできた気がした。きっと、気のせいだ。
机の上に置かれた、二つのシンクロ・ギアが、静かに埃をかぶっている。
僕たちは、互いを理解しすぎて、愛し方を忘れてしまった。人と人との間には、言葉という不完全で、もどかしいくらいの、距離が必要だったのだ。
人と人との間には、適度な距離ってもんが必要なんだよな。