エピソード3
六月十日、二年B組の教室ではアイトが自分の席に座っていた。顔に少し傷がついているが、クラスの連中には派手に転んだと言って、やり過ごしていた。クオンがアイトの席までやってくると、さりげなく聞いてきた。
「昨日……どうだった……」
「何もなかった――だろ」
「……うん、そうだね」
時空地区での話は他人がいる前では厳禁。昨日帰る前にアイトとクオンはルフィナに言われ、もしも喋ったら知った人もタダでは済まさないと脅された。これが世界に認められている機関かよ、とアイトは心の中で呟いた。
時空地区はあくまでもP.G.調査などの名目で行動していると、世間では知られている。だけど実際のところ、黒い噂というのはあったりした。能力を持った者が相手だから、勘違いするものだったり強硬的にならざる負えないせいでそういう噂が立ったのではないかと思っていた。
けれども、陰謀論めいた話は半分程度までとは言わないが、事実っぽいのも昨日のことでハッキリとした。時空地区に協力するP.G.がいること。人権を侵害するひどい拷問がおこなわれているということ。一般市民のデータまでもが渡っているということ。
噂の中には時空を移動して、都合のいい未来に変えてるという噂もあるが、半分本当のことだろう……アイトは自分が爆弾のような存在であると昨日言われ、これが都合のいい未来に変えているという噂の真実なのかもしれない、そう考えていた。
朝のホームルームが始まった時だった。先生が急な転校生が入ってきた、と言い、廊下からある名前を呼んだ。それは昨日聞いた名前だった。褐色の肌は見たものの目を奪うぐらいきれいで、黒い髪は光があたるとブラウンがほんのり出て、黒い瞳をした少女。教壇の前に立った少女は自ら名乗った。
「私の名前は、ルフィナ・バルサミナ・ナヴァロ・ミナ。よろしくお願いする」
凛とした声色は昨日と変わらない。ルフィナが入ってきたことに、アイトもクオンも驚いた顔をした。それからの彼女は粛々と授業をこなし、他の生徒相手にも動じることも、敵対することもなく、うまく溶け込んでいた。
アイトやクオンにも何か直接行動することもない。アイトは彼女の目的は何なのか知りたかった。休み時間、「少々、席を外させてもらう」ルフィナは教室からひとり出ていったとき、アイトはすぐに彼女を追った。
「なあ、どういうつもりだ。監視か何かか」
アイトの言葉にルフィナはギロリと睨むと、アイトの手首を掴み引っ張り、一階のひとけのない校舎裏まで来た。掴まれた手首を強く動かし、解いたアイトはもう一度聞いた。
「監視か」
「それ以外に何がある。否が応でも貴様は私たちSI5の管理下。貴様に選択肢などない」
「暇なんだな、SI5ってやつは」
機嫌を悪くさせたか、アイトの言葉にルフィナは反応し、アイトの腹に蹴りを入れ、そのまま壁に押さえつけられた。学校内だから少しは手加減があると思ったが、容赦はないようだ。
「ミズ・ミキコの命令がなければ、貴様を撃ち抜いたっていいんだぞ。私は『凋落の輝き』の生き残りであるトシを捕まえる方が先決だと考えているからな。それに、どうしたら貴様のあんな『能力』で大勢の人間を殺せるのか、私には疑問しかない」
アイトは腹の痛みを我慢しながら言う。
「――間違ってる思うなら、進言のひとつぐらいしたらどうだ。上には逆らえないか」
「黙れッ」
腹にめり込んだ足はより力強くなった。じわじわと体が熱くなる。痛みが熱に変わっていくようだった。ルフィナは足をどけると、背中を向けて立ち去っていった。アイトはひとり静かな校舎裏で、膝をついた。監視をつけられ、三日後に起きる『事』の解決、いったいどうすればいいのか、アイトには先が見えなかった。
学校が終わると、ルフィナはすぐに教室を出ていってしまった。アイトは気になりながらも追うことはせず、クオンと一緒に下校した。学校を出て数分、クオンはバッグに手を入れて、片手を握りアイトにその手を見せた。
「なんだ、鳩でも出てくるのか?」
「そんなわけないってば。ほら、手を出して」
言われたとおりに手を出した。手のひらにクオンは握った手をかざし、何かを置いた。受け取った物を見たら、そこには青い色のお守りが手に載っていた。
「お守り?」
「うん、大事に持ってて。昨日のことでアイトくんどうなっちゃうのかわたし心配だった。もし、離れ離れになってもこれがあれば出会えるから。どんな時でも身につけててね」
「ああ、ありがとな」
クオンは知らない、アイトがP.G.であり、SI5に所属したことを。ルフィナたちから知らされてもいないし、アイトの口からもそれは言っていない。幼馴染のクオンを巻き込みたくなかった。
「それと三日後、覚えてる?」
クオンの問いに『事』の解決を思い浮かべたが、そうじゃないな、とアイトは首を振って、答えた。
「クオンの誕生日だろ。もちろん、覚えてる。ハンカチでいいか?」
「去年も同じこと言ってたー。もっとわたしのこと考えてよね」
「忘れなんてしない。まあ、なんか考えとくよ」
うん、考えといてね、とクオンは言いながらアイトとふたりで歩いた。帰り道は途中まで同じ、アイトのアパートまで残り十分程度辺りでクオンとは別方向、また明日と言い合い帰って行った。
アパートの前にはルフィナが立っていた。暇を潰して待っているみたいな感じはなく、ただ待つようそこにいた。片手には黒いバックパックがあり、膨らみから荷物がそれなりに入ってるのが見て取れた。
「なんだ、もしかして家まで監視対象か」
アイト言葉にルフィナは振り向き、答える。
「そうだ、今日から住まわせてもらう。早く家を開けろ」
あまり納得はいかないが、開けないわけにもいかなかったので、玄関を開けてルフィナを家に入れた。平然とルフィナは靴を脱がずに上がろうとしたので「待って、さすがに靴は脱いでくれ」アイトはまた蹴られるのかと思いながらも注意を促した。
「そうだったな、日本ではそうだったか忘れていた」
靴を脱ぎ、勝手に部屋に進んでいった。アイトの両親は小さい頃に交通事故で亡くなった。家にいた人がいなくなるのはつらい――そのせいか、人を家に上げることに躊躇いがある。だからといってルフィナを止めても、言うことを聞かないだろうから自由にさせた。
「おい、なんだこの部屋は……」
いったいなんだ、とアイトはリビングに向かうとルフィナが数歩入った辺りで固まっている。
「リビング知らないのか?」
「私は部屋の名称を聞いてるのではない。部屋の現状を聞いているのだ」
テーブルには昨日食べたカップラーメンが片付けずに置いてある。それもひとつではなく、一週間以上分が積み重なっていて、コンビニのパックに入った野菜も同じく何個も落ちていた。ペットボトルも荒れたボーリングのピンのように、部屋中に転がっている。積み上げられたマンガ雑誌は歩く度に、ふらふらと揺れるぐらい積まれている。あの冷酷なルフィナも顔をしかめていた。
「まさか、他の部屋もこんな状態なのか……」
「まあ、そんな大きい家じゃないしな」
「大きい小さいの問題じゃないぞ。こんなところで暮らせるか!」
鳥肌をなだめるように両腕を擦っているルフィナを見て、アイトはからかってみたくなった。
「嫌なら帰ってもいいんだぞ。俺は一向にここで住めるからな」
「クッ……!」
少し大人しくなったか、とアイトが思っていたら、バックパックをアイトに投げ付けた。
「ゴミ袋はどこだ。それぐらいあるだろ」
「――おっと。キッチンのとこに置いてあるはず。クオンが前に片付けようにって」
ルフィナはキッチンまで行き小さな悲鳴らしき物を上げたあと、怒りなのか悲しみなのかどちらかわからない表情をしながら戻ってきた。アイトは感情のひとつぐらいはあるんだな、と思っていた。
片手に持っていたゴミ袋をアイトに渡し「貴様も手伝え」とルフィナは言いながら、リビングにあるゴミをゴミ袋に入れていった。バックパックを玄関に置き、アイトも手伝いを始めた。「どうしたらこんなところで生きていけるんだ」「貴様の美観センスは泥にまみれてるのか」「貴様……本に変な物を挟むな!」などと、ルフィナはぶつぶつと、あるいは騒ぎながら片付けをおこない、少しずつだが部屋は当初より明るくなっていった。