第一王子アルセリオ
「お兄様も、いらっしゃったのね」
アリアは後ずさりしたい気持ちを抑えながら、極力自然な動きでローブのフードを脱いだ。
少し手が震えてしまいそうになるが、奥歯を噛んで堪えた。
「もう遅いわ。折角来てもらって申し訳ないけれど、帰った方がいいでしょう」
「そうだね。いくら兄妹といえどレディの住処に夜長居するのは失礼だ。単刀直入に質問するとしよう」
「お兄様が私に聞くようなことなど何も」
「誰に何を問うかは僕が決めるんだよ」
「……わかりました」
両腕を背に回した姿勢を崩さないまま、アルセリオは柔和に微笑んだ。
自然に、アリアの進行方向を遮るポジションを陣取っている。
逃げられなさそうだとアリアが観念したのを見て、アルセリオはアリアの顔を覗き込んできた。
「アリア、お前は最近塔の外に出てるらしいけど、何を嗅ぎまわってるのかな?」
「……っ」
ゾッとした。
外出時は周りの視線に気を付けているのに、いつ見られていたのか。
しかしアルセリオは、アリアが何かを嗅ぎまわっていたことは知っていても、王家に敵対するかもしれないなんて、まさか思っていないはず。
しかしどうするのが正解か分からず、アリアは黙ったまま、まるで蛇に睨まれた蛙のような気持を味わっていた。
「アリア?答えてごらんよ」
「……」
「黙っていてはわからないだろう。何か思っていることがあるのなら、聞いてあげるから言ってごらん」
「何もないわ。ただ、外に出たのは事実よ」
「なんのために?」
「私も、少し外の空気が吸いたくなっただけよ」
「裏路地の酒屋の、煙草の混じった空気を?」
「……」
「アリアは煙草が好きだったっけ?」
「いいえ。でも好きになるかもしれないでしょう」
「さっきまで他人の煙で咽ていたのに、好きになれるかもしれないと本当に思っているの?」
「……私に見張りを付けていたの?いつから?」
「そうだね、お前があの焼け落ちた村に行って、杖をついた若者と話した時くらいからかな」
アリアはバッとアルセリオの顔を見た。
アルセリオはふわりと笑っていたが、その瞳の中の光は、征服欲を示した暗く深い色をしていた。
変わらない。この男は、アリアが最初に見た時からずっと、力と征服の喜びだけに憑りつかれたように生きている。
「彼を知っているの」
「知っているさ。泣き縋られたからね。皆は何処ですか、助かったはずですよねって」
「……彼は、今どこに」
「さあ、何処かな。彼は少し精神がおかしかったようだからね。適切な処置をしてあげたよ」
「適切な処置、ね……」
あくまで笑顔を崩さないままのアルセリオの声はとことん穏やかなのに、アリアは窒息してしまいそうな思いだった。
「ああ、アリア。お前の目はただでさえ鋭いんだ。そんなに睨まないでくれるかい」
「睨んでなんかいないわ。元々、こういう顔よ」
「いいや。今までのお前は北の塔に閉じ籠って死んだように息を潜めていた。あの時のうつろな瞳は可愛かったよ。でもどうやら、変わってしまったようで僕は悲しいよ」
ぽん、と再びアリアの肩にアルセリオの手が置かれた。
別に強く握られたわけでもない。しかし、恐ろしい程寒気がした。
もう直視は出来ないが、アルセリオが優しく笑った気配がした。
「アリア。お前は僕の可愛い可愛い妹だ。だから、最後に一度だけ言うね。僕の役に立つか、死んだように息を潜めるか、お前の選択肢はどちらかだよ。覚えておくんだ」
アリアは堪らなくなって「疲れたので失礼します」と強引にアルセリオの脇を抜けた。
振りかえらず、そのまま階段を上る。
「おねーさまー、お兄様の言う事、ちゃんと聞いといたほうがいいわょー」
エリーネの鼻にかかった甘ったるい声が後ろから響いてくる。
アリアが返事をせずに階段を上がり切り、バタンと扉を閉めると、それを待っていたかのようなタイミングで、エリーネのきゃはははという甲高い声が玄関ホールで響いた。