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スラムでの出会い



辺境伯が処刑されてから、何故か随分と時が過ぎるのが遅く感じた。


別にあの男のことはよく知っている訳でもないし、話したことも数回だ。

書面だけの婚約者に情も何もない。名前だって、しっかりと呼んだことは無い。

だけど、最後の時まで凛と立っていた男が、ずっと昔に死んだ母親の姿と何故か被る。

そして男の、死ぬ寸前まで気高く真っすぐだったその瞳の中の光を思い出す。


アリアはあの処刑の日を境に、人目を避けてよく塔の外に出るようになった。

アリアには従者もメイドも付いていない。王族といえど要らない人間なので、外に抜け出すのは簡単だった。


あれだけ引き籠りだったのになぜ外に出ようと思ったのかは、アリア自身も上手く説明が出来ない。

ただ、逃げるように一人引き籠って何もしないでいる自分が何故かとんでもなく憎らしくなって、じっとしていられなくて外に出た。


街の殆どの人間は第二王女などに興味はないので、アリアは街で自由に行動できた。

最初は、王都の大通りを歩いた。

背の高い建物ばかりが並び、高級な衣装を身に着けた人が笑いながら歩いていく。

隣国から入ってきた流行の店があったり、カラフルな掲示物が張られた掲示板もあった。

第一王子の紋章のついた旗もところどころではためいていたし、第二王女のプロマイド入荷のポスターが張られた店には人だかりができていた。

アリアはすれ違う人を観察し、掲示物に足を止め、流行の店の前を通り過ぎた。


何度かの外出ののち、アリアはスラムや下町の方にまで足を延ばしてみた。

賑やかでおしゃれな王都の中心部とは違い、スラムはやはり薄暗くて、煉瓦の迷路のようだった。

しんとしているが、そこかしこに人の気配がある。

アリアを警戒しているのだろうということがひしひしと伝わってくる。しかしローブを深く被り直し、アリアは探るように歩き続けた。


「あっ」


いきなり、何かが後ろからアリアに突進してきた。押されたアリアはつんのめり、倒れそうになったが、すんでのところで踏み止まる。引き籠っていたくせに、運動神経は良い方なのだ。


突然後ろから走ってきてアリアにぶつかったのは子供だった。

子供は謝る事すらせずに猛スピードで駆けていく。その小さな後ろ姿を見て、アリアはピンときた。


「残念だけど貴方、それはスリ対策のダミー財布よ。本物はこっち」


懐から出した財布を片手に手に持ってにこりと笑って声をかけてやると、振り返った男の子はハッと我に返ったような顔をした。

そして懐に隠していた、アリアから抜き取った財布を取り出して、その中身をバッとひっくり返した。


「うげ!ほんとだ!」


男の子はそこに何も入っていないことを知ると、ショックを受けたような顔をした。


「お金が入っていないのならば要らないでしょう。それを返しなさい」

「い、嫌だね!これはもうおいらが持ってるんだから、おいらのもんだ」

「売ってもお金にならないわよ」

「売れらあ。こんな綺麗な財布、おいら見たことないもん。っていうかお前、スラムにいるくせになんでこんな綺麗な財布持ってんだ?新入りか?いや、待てよ……?」


男の子は警戒するのをすっかり忘れてアリアの方へ寄ってきた。

まじまじと不躾な視線を寄越してくる。


「舞踏会でもないのに女性の顔を見つめ続けるなんて、失礼だと習わなかったのかしら」


スラムの子供が知る筈もないマナーを厭味ったらしく言った後、アリアは子供からの視線を正面から受けとめた。

この国での混血は珍しいので、スラムの子供ともなれば、アリアが初めて会った混血の人間だったとしてもおかしくない。

最初、この男の子がアリアの顔をまじまじと見てくるのはそんな理由だろうと考えていた。

しかし、アリアの予想は大きく外れた。


「お前」

「他人を呼ぶ時は敬称を付けるものよ」

「お前さん」

「なにかしら」

「お前さん、なんか見覚えあると思ったら、カイゼルさまが殺された時、吊るされてたよな」


男の子の言葉に、アリアは一瞬固まった。

男の子は「辺境伯」、カイゼル・グランフォードの処刑の日のことを言っているようだった。


泣きそうな目の男の子は、ありったけの憎しみを込めたような目でアリアを睨みつけてくる。

カイゼルがスラムの子供たちで剣技の試し切りをしていた、なんて話が脳裏に蘇って来た。

アリアは自身が少し緊張したのを感じたが、冷静を装って男の子の次の言葉を待った。


「カイゼルさま、なんで殺されなきゃいけなかったんだ?お前さん、知ってんのか?」

「……スラムの子供で剣技の練習をしていたから、じゃないの?」

「はあ?!ばっかでえ、そんなことある訳ねえだろ。お前さん、カイゼルさまの仲間なんだろ?なんでそんなこともしらねえんだ」

「あの男と私は殆ど他人よ」

「ふん、そうなのかよ。だからそんな馬鹿げたことが言えたのか」


アリアの返事を聞いて、男の子は近くにあった小石を思いっきり蹴った。

男の子はぷりぷり怒っているようだったが、アリアは小さくこわばっていた身体が緩むのを感じていた。


「でもさ」

「なに?」

「カイゼルさまは、なんにも悪いことしてないぜ」

「何故そう思うの?」

「おいら、母ちゃんだっていないし、妹は死んじまったし、こんなとこに住んでるけどさ、カイゼルさまはおいらたちに優しくしてくれてさ」

「そんなことが理由?」

「そんなことって、そんなことしてくれるやつなんて普通いねえよ」

「貴方たちに優しくしたのは、辺境伯の偽善だったのではなくて?」


アリアはわざと、強い口調で聞いてみた。

だが男の子は特に動じることもなく、小さく笑った。


「おいら馬鹿だからよく分かんないけどさ、おいら達みたいな奴に勉強教えてくれたり、本貸してくれたり、怒ってくれたりする人なんて普通いねえよ。だっておいらたち汚いしさ、馬鹿だし、貧乏だから優しくしたって得ないじゃん」

「……そうね」

「そりゃ、最初はおいらも、人売りか何かかと思ったよ。けどさ、死んじまったおいらの妹の墓に手を合わせてくれるような人売りはいねえよ」

「そうだったの」


男の子はこくんと頷いた。

その横顔は酷く痩せこけているだけではなくて、力なく項垂れていた。


「おいらさ、仲良くなったから、一回カイゼルさまに聞いてみたんだ。もし頑張って生きて、強くなれたらカイゼルさまの部下になれるかってさ。そしたらカイゼルさまは大人になったらいいよって言ってくれてさ。仲間の身分は気にしないんだってよ。おいら、将来カイゼルさまの部下になりたかったから、盗みもやめた。それからカイゼルさまに貰った本全部読んだんだぜ。バケモノを倒す練習だってしてたんだぜ」

「そう」

「そうなんだよ。だけどさ……もうカイゼルさまはいないから、もう全部意味ねえんだ」


アリアは、涙ぐんだ男の子の瞳の中にちらりと見えた意思の光は、恐れの色で揺れていた。

街の隅に追いやられて死にそうになって生きている人たちはみんな、こんな色の瞳だ。アリアにはどうすることも出来ないが、ただ、カイゼルが生きていた時、この男の子がどんな色の意思を瞳に宿していたのかは少し気になった。


アリアは一瞬迷ったが、参考までに聞いてみた。


「貴方、辺境伯は大勢の人を殺すと思う?」

「カイゼルさまが人を殺す?カイゼルさまは皆を命懸けで守ってんのに、なんで殺すんだよ」

「彼自身の利益の為だったとしても?」

「利益がどれくらい大事なのかは分かんねえけどさ、カイゼルさまは利益より人が助かった方が喜ぶと思うぜ」

「そう」


後は少しどうでも良いような話をして、アリアはスラム街の隣の通りで売られていた串焼きを一つ買って、男の子の手に握らせた。


「どうぞ。悪女の話に付き合ってくれたお礼よ」

「くれんのか。お前さん良い奴だな」

「いいえ。私は悪女よ」

「なんでだよ。飯くれるやつに悪いやつは居ねえよ」

「そうかしら。貴方は串焼きを食べることで今日を生きることはできるかもしれないけれど、明日はまた空腹になるわ。でもその時私は見て見ぬふりをするわよ。本当の善人って言うのは、貴方に勉強を教えて将来を生きる希望を与えるような人なんじゃない」

「あん?ちょっとよく分かんねーけど、両方いい奴っておいらは思うけどな」


男の子は数日何も食べていなかったのか、手に持った串にかぶりついた。

そして後は、アリアなんて目に入っていないかのようにガツガツと肉を食べていた。



アリアはくるりと踵を返すと、「もう行くわね」と呟いた。

男の子は「おう、またな」と片手を上げる。


もう会うことは無いかもしれないけど。そんなことを思いながら、アリアは振り返ることもせずそのままスタスタと立ち去った。



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