ルゼリアの本性
他の騎士は前線に勢ぞろいしているこのタイミングで後ろに下がったら、アリアがここにいることがルゼリアにバレてしまう。
もしも後からバレることがあっても、どうしてもこのタイミングで見つかりたくなかったアリアは、絶対に動くものかとカイゼルを睨みつけた。
カイゼルは、そんなアリアとこれ以上押し問答する時間はないと判断したのか、「分かりました」と呟いた。
そして、手に持っていた小さめの盾をアリアに押し付けてきた。
「貴女の方へは一匹たりとも通さないつもりですが、念のためこちらをお持ちください」
「分かったわ……」
アリアが頷いたやいなや、カイゼルはバッと翻って背後から襲ってきた人狼を一体返り討ちにした。
他の騎士たちも、既に交戦を始めている。
剣が突き刺さる音、牙が鳴る音、土煙と血の匂いと、唸り声。
(勿論、後ろに下がってあの女にバレるくらいなら怪我の一つや二つしても構わないと思っているけれど、これは!流石に……っ!)
アリアは冷たい悪女の顔を張り付けたまま盾を構えていたが、内心では倒された人狼が投げ飛ばされたり、血が飛んでくる度に息をのんでいた。
しかしアリアの傍まで、人狼が襲ってくるということは無かった。
カイゼルが言葉通り、アリアの元に人狼を通さなかったからだ。
アリアが構えた盾から少し覗くと、槍を振るうカイゼルの大きな背中が見えた。安心のような信頼のような、よく分からない変な気持ちが心臓を掠めたが、アリアは慌ててそれを追い出した。
(……こんな我儘で悪女の王女でも守らなくてはいけないから、騎士は大変ね。ご苦労な事だわ)
少し時が経ち、騎士たちが凶暴化した雌や大きめの雄をあらかた討ち取ると、ガリガリの人狼やまだ体の小さい人狼が負けを悟ったのか逃げ出し始めた。
騎士たちは客人もいるということで一旦深追いはせず、逃げ出した人狼たちの姿が見えなくなったところで、後方の伯爵やルゼリアの元に戻ってきた。
そこで一番に前に出て騎士団を労ったのはトリニッチ伯爵だった。
「いやいや、ご苦労でしたな、カイゼル殿。ま、我々は弾があれば一匹残らず人狼どもを全滅させていましたがね」
言いながら肩を竦めた伯爵に、カイゼルが一歩大きく詰め寄った。
カイゼルは表情こそ変えなかったが、怒っているようだった。普段より更に声が低くなったのがその証拠だ。
「伯爵、まだそんなことを仰っているのですか。貴方はいきなり人狼を刺激し、挙句、訓練を受けていない者に武器を持たせて人狼と対峙させました。危険であるとは思わなかったのですか」
「しかし貴殿も見ただろう。戦闘訓練を受けていないただの人間が、短時間で人狼をこうもたくさん殺したのだぞ」
「一歩間違えば犠牲が出ていました。一体何故このような事をしたのですか」
「そんなもの決まっているではないか。我が社の新商品の力をお見せしようと思ってね。この魔導銃があれば、素人でも人狼に立ち向かえるのだよ。これは画期的な商品だと思わないかね」
「思いません。弾が無くなり、貴方の従者たちはあっという間に追い詰められました。はっきり申し上げて危険です」
「なんだね!では貴殿は、この私の商品が欠陥品だと言うのかね?」
「はい」
カイゼルが間髪入れずに頷くと、トリニッチ伯爵はちらりとルゼリアの表情を窺ってから、語気を荒げた。
「私の商品は断じて欠陥品などではない!これは十分な弾を持って来なかった従者どもが悪いのだ!」
「武器に不慣れな者に、そこまで気を回せと言っても無理な話です。それより私は、貴方の指揮能力の低さを指摘しています。指揮をする者は、全てのリスクを最低限に抑える義務があります」
「黙れ!そもそも、私が私の従者をどう使おうが貴殿には関係ないではないか。彼らは私に金で雇われているのだからね」
「だからと言って、彼らを危険に晒すのは間違っています」
「間違っているものか。私は彼らに特別報酬も支払っているのだから、どのように使ってもいいではないか。はあ、どうしてこんなことも分からないような男が砦で指揮官を務めているのだろうかね」
トリニッチ伯爵は、「もういい」と言って反論しようとするカイゼルの声をかき消した。
伯爵は、「それより殿下、言い訳をさせてください」と一番後ろで微笑んでいたルゼリアの方へ、その場を繕いに行ったようだった。
カイゼルの方も、第一王女の前まで追いかけてまで、これ以上伯爵と言い争うつもりはないようだった。
騎士の部隊は、見回りを再開した。
それからの見回りは何とか無事に終わり、一行は砦へ帰ってきた。
騎士たちは、各々のスケジュールに沿って別の任務場所へと移動し始めた。
そしてルゼリアはカイゼルと二言三言交わしてから、トリニッチ伯爵を呼んだ。
「伯爵、お話があるの。お茶でもいかが?」
「は、はい、是非とも」
歩き出したルゼリアは伯爵と共に中庭へ向かうようだ。
(高貴連中は優雅に休憩、と言ったところかしら。……いえ)
ルゼリアと伯爵の様子を見ていたアリアは、ルゼリアがいつにもましてニッコリと微笑んでいたのが気になった。
王宮の連中は、みんな自分の企みがうまくいっている時にニッコリと笑う。
非常に不快だが、連中と血を分けたアリアも同じ癖があるので分かってしまうのだ。
何かがあると感じたアリアは、こっそりと二人の後に続いた。
途中、アリアは2人から離れて、城の裏側にある飛竜舎を横切り、手入れがされていない植物が伸び放題の裏庭へと出た。
この場所は実は、煉瓦の塀を隔てて中庭の隣にある。
先日カイゼルが飛竜舎を案内してくれた時に検討を付けておいた場所だ。
アリアは伸びに伸びた植物の中に屈み、誰にも気付かれないようこっそりと塀の隙間から中庭を覗いた。
城の中庭は、厳かな石像や苔むした記念碑があって荘厳な空間だ。そのど真ん中に、第一王女にしては慎ましいテーブルとティーセットが用意されていた。
ルゼリアの従者数人以外、人気はない。
憩いの場である中庭は、広くてよく手入れがされているものの、訓練に見回りにと忙しい騎士たちにはあまり活用されていないが、それにしても通りかかる騎士もいないようだ。
アリアが息をするのも控えて待っていると、ルゼリアと伯爵が中庭にやってきた。
「人払いは出来ているかしら」
ルゼリアが連れて来ていた侍女に小さく声をかけ、侍女が頷いたのが見えた。
(……今、人払いと言ったかしら)
アリアは聞き取りづらい声を補足するように唇を読んだ。
もしアリアが間違いでなければ、これから人払いをしなければいけない話題がこの場で上がると言う事だ。
(青空の下、太陽の真下で人に聞かれてはまずいような話をするなんて、やはり天下の王族様ね)
アリアは更に息をひそめ、耳をそばだてた。
ルゼリアと伯爵は席に着き、お茶を飲み始めた。
しかしお茶を一口飲むか飲まないかの所で、すぐにトリニッチ伯爵が口火を切った。
「殿下。あの男はこの銃が欠陥だなんて言いましたが、決してそんなことは断じてないですぞ。先ほどから何も明確な答えをいただけていませんが、取引は無かったことに、なんて仰るわけないでしょう?」
ルゼリアは含みを持たせて沈黙したあと、にっこりと笑った。
「勿論よ。貴方の商品は欠陥品などではないわ。そればかりか、完璧よ」
「そう、ですか?!よかった、それは良かった」
「私は貴方を非常に高く評価しているわ。契約は成立よ。こちらにサインを」
「ええ、勿論ですとも!殿下と契約できるのであれば、今後も安泰ですぞ!」
ルゼリアの侍女がテーブルに広げた契約書に飛びついたトリニッチ伯爵は、飢えた野犬のように素早くサインをした。
「貴方の銃は私の見立て通り、私が求めていたものだわ。王国の魔晶石を使い、燃費が悪くて、誰でも簡単に殺せる武器」
「ええ、ええ!殿下の仰る通りこの商品は金のなる木ですぞ!本体を安価に売って普及させ、消耗品の弾で荒稼ぎです!弾は一箱2000ベリルあたりが妥当ですかな」
「2000ベリル?安すぎるわ。3倍の値よ」
「また強気ですな。それでは買えない者も大勢出るでしょう」
「買えない者は死ねばいいわ」
「あ、あっはっは。確かにそうだ、そうですね!貴女の商魂は大変に、素晴らしい!」
大袈裟に喜んで見せる伯爵を見て、ルゼリアは静かにお茶に口を付けた。
「私は、まずこの銃をかの戦争地帯の国々に売ろうと思っているのよ」
「あの3つの国に、ですか?」
「ええ。一つの国がこれを手に入れれば、他の二つの国も求めざるを得ない。あの3国は非力な国だもの」
「売り上げも3倍、という事ですな……」
「それ以上よ。この銃は訓練を受けていない男のみならず、女子供でも容易に扱える武器。これは文字通り、戦争を国家総動員させる武器だわ」
「ということは……」
「ええ。戦争地帯の国々では、貴方の武器の所為で老若男女が見境なく大量に死ぬことになるでしょうね」
「……」
「ふふ。素敵ね。人が死ぬときが一番儲かるんだもの、だから戦争は好きなの。伯爵もそう思わない?……伯爵、どうしたの?」
「あ、いえ。殿下がそのような事を仰る方とは知らず、す、少し驚きましたな」
ルゼリアは持っていたティーカップをソーサーに戻し、身体を乗り出した。
そして、ルゼリアから距離を取るように椅子を後ろに引いた伯爵の顔を覗き込んだ。
「驚いた?恐ろしいの間違いではなくて?」
「い、いえ」
「ふふ、おかしいわね。こんな物を作っておいて、今更尻込みをしているの?私、この武器で人狼を殲滅してみせてとは言ったけど、対人間用に使わないとは言わなかったわよ。数人が死ぬのは仕方がないけど、大勢を殺すのは怖いの?」
「そ、そんなことは……」
「そうよね。貴方はそんなに小物ではないわよね?」
「え、ええ、勿論ですとも。でも、この武器の売り方についてはもう少し相談させていただきたく……」
「私、小物とは組みたくないのよ」
ルゼリアが薄く目を細めて笑ったのが分かった。
と同時に、アリアは何故トリニッチ伯爵が死ぬことになるのか理解した。
あの女は、この世で一番金を愛している。
金が生まれるのであれば人がいくら死のうと、国が幾つ滅ぼうと、あの女は何とも思わない。
そして金の為なら、邪魔な人間は殺す。不要な人間も殺す。さらにあの女の言葉を借りて言うなら、金の為にあの女ほど残酷になれない小物も殺す。
「……それで伯爵が何らかの手段で殺されて、その責任をこの砦の騎士団が取ると言う構図ね」
思わずアリアは舌打ちをしていた。
しかし、ハッと口を押さえた時にはもう遅い。
「誰?」
アリアが漏らした声に反応し、ルゼリアが振り返った。
アリアのいる塀へ鋭く視線を飛ばす。それを合図として、横に控えていた侍女の一人が、物凄い速さで駆けてくる。
慎ましくしていたが、その侍女は確実にただの侍女ではなく、訓練を受けた隠密部隊の一員だろう。塀だって、アリアが逃げる間もなく軽々と越えて来るに違いない。
(っ、しまった……!)




