トリニッチ伯爵の新商品
翌朝。
起きて来たトリニッチ伯爵は、相変わらず眩しい衣装に身を包み、従者たちと共に訓練場にやってきた。
それは、騎士のローブを着たアリアが何食わぬ顔をして騎士たちに混じって朝食を食べており、それを見つけたカイゼルが、見張りの騎士は何をしているんだと溜息を吐いたところだった。
「カイゼル殿。……ああ、そちらにいらっしゃったか」
「おはようございます、トリニッチ伯爵。昨晩はよく眠れましたか」
「丁度その話をしようと思っていたのだがね。全く寝付けはしなかったよ」
カイゼルを発見し、つかつかと歩いてきたトリニッチ伯爵は、かなり不機嫌そうな顔をしていた。
「……なにか、問題がありましたか?」
「問題だらけだよ、まったく。この城の客室は想像より遥かに酷いものでしたぞ。あんなところではいくら疲れていても全く寝付けない。私のような客人に対しては、ベッドは最低でも天蓋付きのダブルで、ワインセラーとバルコニー、それから風呂はジャグジーを用意してもらわねば」
「この砦に訪れるのは騎士や軍属の者ばかりで、高貴な方がいらっしゃる機会はあまりないので、設備は最低限のものだけになっています。申し訳ありません」
「これは王国の格式を貶める愚行ですぞ。我がリーリッシュ王国では、傭兵でさえ部屋の装飾にも、武具の装飾にももっとお金をかけているというのに。それに、古めかしいデコレーションもダサ過ぎやしないかね。リヴァンデル王国が歴史のある国だと言っても、流行にもっと敏感になるべきだ。それに、そもそもこの砦は……」
トリニッチ伯爵が更にカイゼルに詰め寄ったところで、再び食堂の扉が開いた。
数人の従者を連れて食堂に入ってきた者の姿を見て、食事をとっていた騎士たちは立ち上がり、素早く頭を下げた。
食堂に入ってきたのは、第一王女のルゼリアだ。
武術使節扱いのトリニッチ伯爵とは違い、王女であるルゼリアには、騎士たちも当然の礼を示している。
「皆、おはよう。今日も清々しい朝ね」
優雅な微笑と共に、ルゼリアの凛とした声が食堂に響く。大して大きな声でもないのに、食堂がしんと静かになっているせいか、良く通る。
騎士たちは一斉に挨拶を返して、伯爵の方へ歩いてくるルゼリアの為に道を開けた。
伯爵はルゼリアが歩いてくるのを見て、恭しく頭を下げた。
「おはようございます、ルゼリア殿下」
「伯爵、昨日はよく眠れました?」
「ええ、それはもちろん快眠でした」
「そう、よかった。それでは、あちらに朝食を用意しています。昨晩と同じく、王都から連れて来たシェフが腕を振るってくれたわ。庭でフルコースを楽しみましょう」
「おお、流石ルゼリア様は分かっておられますな」
「ふふ。ではこちらに」
ルゼリアは微笑んで、伯爵をエスコートし始めた。
伯爵は両手をもみもみと合わせながら、ルゼリアについて食堂を出ていく。
その際に、2人は歩きながら話しているようだった。アリアが聞き耳を立てると会話は一部聞き取ることができた。
「そういえば伯爵、朝食後に見せていただけるのですよね?」
「ああ、勿論ですとも。ルゼリア殿下に我が売れ筋商品を存分に見ていただくための、今回の遠征ですから」
「ええ。楽しみにしていますね」
(売れ筋商品?もしかして、それが今回トリニッチ伯爵とルゼリアが砦に来た理由……?)
アリアはこっそりと二人の後をつけてもう少し聞き耳を立てるつもりだったが、食堂の扉はバタンと閉められてしまい、断念した。
大人しく席に戻ったアリアは、その場で立っていたカイゼルと目が合った。
「そういえば、貴女は第一王女殿下にご挨拶はしないのですか」
「しないわ。あの女は私の顔も憶えていないようだから、私としても都合がいいの。貴方も、私がここにいる事はあの女には言わないでくれる?」
「それは正しい対応ではないかと」
「貴方があの女に言うと言うのなら、私はこの騎士団のローブを着たままトリニッチ伯爵に言うわよ。『あなたの服装の方がダサいわよ』とね」
「……分かりました」
アリアならやりかねないと思ったのか、カイゼルは渋々了承した。
アリアはカイゼルが頷いたのを見て、少なくとも今日一日くらいは、ルゼリアの耳にアリアの存在を入れることなく過ごせるだろうと予測を立てた。
「ところで、貴方の今日の予定は?」
「私は時間になったらトリニッチ伯爵と部隊の騎士と共に見回りに出ます。その後は訓練と、夜にまた見回りがあります」
「昼の見回りは何時に出るの?」
「二時間後には出ます」
「ふうん、分かったわ」
「……まさか殿下、見回りまで参加しようとはしませんよね」
「するわけないでしょう。人狼がいる危険地帯になんて行かないわよ」
アリアは冷たく言い放ち、もう振りかえりもせずに、食事の終わったトレーを厨房に返して食堂を出た。
しかし、トリニッチ伯爵が何か企てていそうなのに、アリアが言葉通り大人しくしている筈もない。
アリアは部屋にいると見せかけて、カイゼルが引きいる見回り部隊に、こっそりと紛れ込んでいたのだった。
そして、アリアが紛れ込んだ見回りの部隊。
砦から外に出た部隊は、かつてない程緊張していた。
それは勿論、アリアが紛れ込んでいるからではない。あの第一王女ルゼリアが見回りに付いて来ていたからだ。
「第一王女殿下、やはり砦でお過ごしいただけませんか」
「私の安全を心配してくれているのよね。でも私は近衛を連れて来ているし、何より王国が誇る騎士の貴方達がいるのだから大丈夫よ。それに砦は騎士団の管轄とはいえ、王女として同盟国の使節の活躍を見るのも、騎士たちの戦いを見るのも大切な事だと思うわ」
「分かりました」
外交の責任者という立場からのルゼリアの発言に、カイゼルはもう何も言わなかった。
しかし、第一王女を連れて危険地帯を歩いていることには変わりないので、部隊のびりびりとした緊張感は続いている。
大きな魔水晶の鉱脈と、採掘者たちが多く活動しているあたりを見回り、人狼の痕跡がないか調べた。
ルートの半分程は、何事もなく過ぎた。
部隊の騎士たちが警戒を怠ることは無かったが、トリニッチ伯爵が段々と詰まらなさそうな顔を隠さなくなってきた。
「何もいないな。人狼はこうも人を襲わないものなのかね?」
「昼は活動していないことが多いですが、人狼は基本的に非常に食欲が強く恐ろしい生物です」
「よろしい。では人狼どもは一体何処にいるんだね?」
「痕跡はこの辺りにありますが……あの岩場か」
「あの岩場?あの岩場に潜んでいると言ったかね?」
「その可能性が高そうです。危険ですから、刺激はしないよう……」
「そうかね。ならば」
カイゼルが言い終わる前に、カイゼルが示した岩場に向かってトリニッチ伯爵がいきなり片手を振り上げた。
びゅおおおお!!!
恐ろしい音がして、一瞬で突風が巻き起こる。突風はトリニッチ伯爵が投げ入れたパーティクルを纏い、岩場に向かって一直線に進んでいく。
「トリニッチ伯爵、何を?!」
カイゼルの声と共に、後ろの騎士たちが身構えた。
その瞬間、キラキラと五月蠅いパーティクルに驚いた人狼たちが縄張りから飛び出して来た。
人狼は、大きな狼が二足歩行のバケモノになったような見た目をしていて、頭の半分以上が、牙をびっしり生やした顎で出来ている。巨体の割には俊敏で、食欲旺盛で人の肉を好んで食べる。
そして、特に発情期の雌と成熟した雄は凶暴で、人間は襲われたらひとたまりもない。
「ははは、いい獲物がいるではないか!」
伯爵は飛び出して来た人狼たちを見て、連れて来ていた従者たちを自分の前線に出した。
「さあ見せてやろう。わが社の新商品だ!」
伯爵の従者たちは、一斉に銃のようなものを構えた。そして各々が襲ってくる人狼目がけて連射しだした。
しかし、従者たちの銃の構え方も狙い方も全く素人のそれだった。ただ一心不乱に向かってくる人狼たちに向かって引き金を引いているだけに見える。しかし、そんな素人集団でも、ぱぱぱぱぱ!と弾がはじける音がして、向かってくる人狼が一体ニ体と倒れていく。
「どうかね!素晴らしいだろう!素人でも簡単に人狼を倒せる」
「伯爵、訓練を受けていない者に何故武器を持たせ前に行かせるのですか!」
「我が新商品が、訓練を受けていない者でも持てる武器だからに決まっているだろう」
「危険です。彼らを下がらせてください!」
「いいや、貴殿らこそ下がりたまえ。ここは我々に任せてもらおう。ははは、この商品が出回れば、きっと騎士の仕事は無くなるぞ!」
真っ先に従者たちの練度の低さに気づいたカイゼルを抑え、トリニッチ伯爵は笑った。
しかし伯爵の高笑いが響く中で、前線の従者たちの弾幕が切れ始めていた。
「あ、あれ、弾がもうない……!」
「あんなにあった弾が、もう……!」
従者たちは、腰に付けていた弾入れをひっくり返して焦っているようだった。
最初の勢いをあっという間になくしてしまった前線には、倒れた人狼を仲間とも思わず踏んで進んでくる人狼が迫ってくる。
その中には、ガリガリに痩せた小さな雄の人狼だけでなく、少し太った雌の人狼の姿もあった。
雌の人狼は、まだ辛うじて飛んでくる弾を仲間の死体で避けながら、従者の一人に一直線に突進した。
雌の人狼が口を開けると、まるで柘榴が爆ぜたような見た目になる。その恐ろしさに、狙われた従者は完全に身動きが取れないでいた。
「ひいっ!」
がきん!
従者が死を覚悟して縮こまったのと、カイゼルが人狼と従者の間に滑り込んで攻撃を盾で受け止めたのは同時だった。
「大丈夫ですか」
大きな盾で巨体の人狼を薙ぎ払うと、カイゼルは従者の方に振り向いた。
従者はコクコクと首を振り、慌てて後退した。
「全員下がってください。我々が対処します」
背中に背負っていた槍をすらりと引き抜いたカイゼルの一声で、前に出ていた従者たちは一目散に後ろに下がった。
そしてその代わりに、騎士たちがカイゼルの横に並んだ。
一斉に武器を取り、唸り声をあげている人狼の群れに対峙する。
……と。
騎士は全員カイゼルの横に並び、人狼を迎え撃つ構えでいるが、一人だけ丸腰の騎士がいることにカイゼルは気が付いた。
「……殿下」
「ご、御機嫌よう」
「……私の言いたい事、分かりますね」
「ええ、そうね」
「……せめて、後ろに下がっていてください」
「だめよ。そんなことをしては、そこにいるルゼリアに正体がバレるじゃない」




