トリニッチ伯爵
この事件の発端となった人物、リーリッシュ王国の使節がやってくると聞いて、昨晩のアリアはせめて、使節が泊まる客室の周りの設備は把握しておきたいと考えていた。
しかし実際には、アリアの部屋には夜中も見張りの騎士が張り付いていて、抜け出す隙がほとんど無かった。
これと言った収穫もなくもどかしい思いのまま、次の日の朝になった。
(もう使節が到着する時間ね)
アリアはちらりと時計を見る。針は真昼を指していた。
今、アリアの部屋の見張りとしているのは、先日も世話になった女騎士だ。
彼女はその瞳の中を見ても分かる通り、とても単純でお人よしなので、トイレに行くと言ったら簡単に撒けた。
こんな調子では、彼女は出世出来ないだろうと思いつつ、玄関ホールに急いだ。
カイゼルには「部屋の中にいてください」と言われていたが、それも無視だ。
アリアが玄関ホールの吹き抜けが見下ろせる位置まで来ると、カイゼルら何人かの騎士が、使節を出迎える為に準備をしているのが見えた。
長い螺旋階段を降り、アリアは玄関ホールに到着した。
「間に合ったわね」
「……殿下?!」
すぐにアリアを発見したカイゼルは少し眉根を寄せて駆け寄って来た。
「部屋の中にいてくださいとあれほど……」
しかしカイゼルが次の小言を言う前に、ばあん!と音がして、玄関の扉が大きく開かれた。
玄関ホールにいた面々が、一斉に音のした方に注目する。
現れたのは、アクセサリーのような髭を生やした、煌びやかな男性だった。
深緑のマントには、風の国リーリッシュ王国の国章が刻まれている。
腰にさしてあるのは装飾品にしか見えない黄金の剣に、足にはドラゴンの意匠を施した銀のブーツを履いている。
後ろに控える彼の従者や騎士たちも、黄金に輝く衣裳に身を包んでいて、現れた男は、やはり武術使節というには派手過ぎる。
カイゼルたちは客人の登場に、ぴしっと居住まいを正した。
しかし、入ってきた男性は玄関ホールを見るなり、眉をしかめた。
「なんだね、この地味な出迎えは。お国柄なのか、騎士自体が元々面白みのない人間の集まりだからなのか分からないけれど、この私を迎え入れるのに、もっと盛大に出来ないのかね。ほら、このように」
男はそう言ったかと思うと、見せつけるようにパチンと指を鳴らした。
すると突然、ぶあわっ!と風が巻き起こる。
「うわあっ!」
強い風はホールに飾られていた年季の入った額縁や、砦に受け継がれてきた旗手の旗などを吹き飛ばした。
しかもそれだけではなくて、男の従者たちが示し合わせたように、後ろから花とパーティクルを投げるものだから、風がそれを纏ってキラキラビラビラと鬱陶しい。
歴史ある厳かな雰囲気があった城は、あっという間にテーマパークのような有様になってしまった。
「よしよし、少しはましになった」と花びらとパーティクルで埋め尽くされた空間を見て、一人自画自賛した男は満足気に髭を撫でた。
「さあ、オーホエン砦の諸君!私こそがトリニッチ伯爵だ。今日から一週間、盛大に武術使節として活躍させてもらうよ」
この伯爵がさきほど使ったのは、魔法だ。
リーリッシュ王国は風の女神との盟約があるので、使える魔法は風魔法になる。
大陸一の富裕国であるリーリッシュ王国では、財閥の出身者か事業を成功させて国を潤した実力者が、民からの支持を集めやすい傾向がある。というか嘘か誠か、リーリッシュ王国では買収した支持でも、数が十分であれば魔法を使えるようになるとも聞いた。
それはさておきこのトリニッチ伯爵は、最近大きな事業を当てて民の支持を得て魔法が使えるようになったと言うから、今は魔法を見せびらかしたいばかりなのだろう。
我が物顔の伯爵は、ようやく出迎えの騎士たちの方に向き直った。
「ところで、君がこの地味ーな砦を任されているカイゼル・グランフォード殿かね」
「はい。ようこそお越しくださいました、伯」
「ようこそ伯爵。到着早々突風でゴミを散らかしてくださるなんて、常人には思いつかない盛大なパフォーマンス、おみそれしたわ」
カイゼルは嫌味を言われても礼儀正しく頭を下げようとした。
しかし全て言い終わる前に、アリアがずいっとカイゼルと伯爵の間に割って入った。
そして、慌ててアリアを引き戻そうとしたヴァルドよりも早く、アリアは次の言葉を放っていた。
「自分で勝手に盛大に歓迎されていたところ悪いけど、貴方は今すぐ帰りなさい」
カイゼルが「えっ」と驚き、ヴァルドが「はあ?!」と焦ったのが聞こえる。
伯爵は頬をぴくぴくとさせて、仁王立ちのアリアを指さした。
「な、なんだね君は」
「私の名前はさして重要ではないわ。それより、貴方はさっさとここから失せなさい」
「わ、私は客人だぞ!」
「客人だろうと関係ないわ。貴方がいる事でこれから不都合なことが起こるのよ」
「何を言い争いをしているの」
アリアは怒った伯爵がそのまま帰れば儲けものだと追撃しようとしたが、伯爵の後ろからピシャリとした威厳のある声が飛んできて、玄関ホールは一瞬にして静まり返った。
「お客様に対してマナーのなっていない騎士がいるようね。下がらせなさい」
「……第一王女殿下」
扉をくぐり、すらりとした影が中に入ってくる。息をのむような、驚きの声が上がる。
一瞬でその場の空気を変えたのは、金の髪と碧い目を持った女性。
聡明で美しい顔を持ち、目立たないように色を抑えた衣装を着ていても、立ち居振る舞いは威厳に溢れている。
(ルゼリア!ここで出てくるなんて……!)
アリアは、彼女の一声で我に返ったヴァルドに捕まえられていなければ、第一王女ルゼリアの前に躍り出て、どうしてここにいるのかと問い詰めていたかもしれなかった。
しかし実際のアリアは、ヴァルドによって素早く玄関ホールの隅まで引きずられたので、ルゼリアの視界にすら入らなかったかもしれない。
一方で、目の前のルゼリアに驚いている騎士たちは、「第一王女殿下がどうしてここに……?」とザワザワを隠しきれていない。
「ああ、事前に便りも出していなかったから驚かせてしまったようね、ごめんなさい。ここには外交責任者として、一日だけトリニッチ伯爵のエスコートをしたくて来たの」
穏やかに微笑んだルゼリアに、その場にいた騎士の態度は一変し、一気に心酔したようにコクコクと頷いた。
「皆、短い間だけれどよろしくお願いするわね」
そして登場した彼女によってその場はあっという間に収められ、客人たちは客室へ案内されることとなった。
伯爵が一番いい客室をルゼリアの為に空けてくれたので、カイゼルは、ルゼリアを最上階の部屋へ通していた。
「ここが私の為に用意してくれた部屋かしら」
「はい」
「少しみすぼらしいわね」
「大変申し訳ありません」
「いえ、良いのよ。忙しい中、突然の来訪にも快く応じてくれて感謝しています」
「勿体ないお言葉です」
「砦の防衛もご苦労様。貴方達の働きで王国は守られているわ。私は貴方達のことを誇りに思います」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
ルゼリアは部屋の窓から見える景色を少し確認したのち、カイゼルに振り返った。
「そう畏まることは無いのよ。貴方はこれから王家に入るのだから」
「しかし、そうは言っても下位の辺境伯である私が、王女殿下に馴れ馴れしい口を利く訳にはいきません」
「真面目なのね。ところで、アリアとはもう会った?私、あの子とは数年会ってないの。あの子は引き籠ってしまっているし、私は外交の為に国内にいないことも多いから」
「第二王女殿下とは、お会いしました」
「あらそうなの?印象はどうだった?愛嬌の無い子でしょう。いくら貴方でも我慢できないんじゃないかしら」
「いえ……」
「あら、謙遜は良いのよ。まあ、何かあったら遠慮しないで私に相談しなさいね。色々融通してあげられると思うわ。いろいろと、ね」
窓際で佇んだまま、ルゼリアは微笑んだ。
カイゼルはそれに対して当たり障りのない返事をし、そのまま部屋を辞した。
カイゼルが客室がある城の東塔を出て、本塔にある執務室に戻ると、他の客の案内を終えたヴァルドがソファに座って寛いでいた。
ヴァルドはカイゼルを見て、目の前のソファに座るように促した。
「なあカイゼル、あの第二王女に加えて第一王女までいきなり来るとは、一体どうなってんだよ」
「わからない」
「しかも姉妹揃って事前連絡なしだぜ。もしかしてそういう血筋か?いや、それはないか。第一王女殿下と第二王女は月とスッポンだもんな。あの第一王女殿下の完璧な淑女っぷりを見たか?お嫁さんに貰うならやっぱりああいう人だよな。……いや、ちょっと恐れ多すぎるか」
べらべらと喋っているヴァルドを横目に、カイゼルはテーブルに広げられた資料に手を伸ばした。
リーリッシュ王国から数週間前に届けられた、武術使節についての書簡だった。
書簡自体は正式なもので、何の変哲もなかった。
ただ、トリニッチ伯爵は武術使節といいつつ、飾品のような役に立たない武器と防具しか身に着けていなかったことが少し気になった。
「……何も、なければいいがな」
カイゼルは思わず小さく呟いていた。