カイゼルのお城案内
アリアは連行された訓練場で、騎士たちにかわるがわる見張られながら、カイゼルたちの武術訓練を延々と見学する羽目になっていた。
広い室内訓練場で統率の取れた動きで訓練を続ける騎士たちは、最初は「まあまあすごい」と思ったものの、かれこれ3時間は眺め続けていると飽きてくる。
しかし、カイゼルが武具を持って出てきた時だけは違った。
アリアは武術に詳しくもないし芸術に秀でている訳でもないが、そんな素人でもわかる位、カイゼルの動きは他とは違って明らかに綺麗だった。
そして訓練だからと手加減をしていても、強者と分かる太刀筋だ。
こういうものは、たとえぼんやりと見ていても、視線は自然と一番きれいな動きをする人間に吸い寄せられる。
(なるほど、あの男はやはり英雄と呼ばれるだけはあると言う事ね)
頬杖をつきながら、訓練をしているカイゼルを見ていると、アリアの脇についていた騎士が交代した。
気配に気づいてアリアが顔を上げると、先ほどの女騎士が鎧を付けた姿で立っていた。次にアリアの横に立ってアリアを見張る役はこの騎士らしい。
アリアと目が合うと、女騎士はピシッと姿勢を正した。
「第二王女殿下様だったんですね。さっきは知らずに失礼しました」
「別に構わないわ」
「ありがとうございます。あの、殿下はここに、カイゼル隊長を応援しにいらっしゃったんですか?」
「はい?」
「いえ、あの、隊長は第二王女殿下と婚約されましたので、それで、そうなのかなーと」
「あの一部始終を見て、よく私があの男の応援に来たと勘違い出来たわね」
「す、すみませんっ!世の中には私の推すツンデレという属性もあって、殿下はてっきりそういうタイプなのかと……。ええと、殿下はどのような用でいらっしゃったのですか?」
「貴女に話す必要はないわ」
「そうですよね、失礼しましたっ」
女騎士は大きく頭を下げ、黙ってしまった。
アリアはまた訓練を眺めるだけの作業に戻ったが、やっぱりすぐに飽きてしまった。
この部隊は優秀な指揮官のおかげか、元々の兵の地力が違うのか、東西混合だとしてもかなり練度の高い隊であることはもう分かった。
この部隊が守る砦で一般人が死ぬことがあるとすれば、それは偶然が重なり過ぎた事故か、誰かが仕組んだ事件でしかない事はこれではっきりした。
(やっぱり第一王女が噛んでくるのでしょうね……気が重いわ)
アリアは、これから自分が防ごうとしている事件のことを思い、ハアと大きな溜息を吐いた。
と、いきなり女騎士が鎧をガシャンと鳴らしてアリアの傍に屈みこんだ。
アリアが驚いて顔を上げると、女騎士は焦ったような顔をしていた。
「殿下、大丈夫ですか?もしかして体調が悪いのですか?」
「何?体調なんて悪くないわよ」
考え事をしていた溜息まで不調に間違われるなんて、面倒極まりない。
嫌な顔をして見せてやると、女騎士はアワアワと胸の前で手を振った。
「殿下はその、引き籠られていたので、体調にはよくよく気を付けておくようにと言われているんです」
「私の体調を?そんなこと誰に言われたのよ」
「カイゼル隊長です。勢いで殿下に無理を言って訓練場にまで引っ張ってきてしまったと言って、心配しているようでした」
「はあ。私の体調を心配するのであれば、部屋にいさせてくれればいいと思わない?」
まあ、それが聞き入れられて部屋に案内されていれば、アリアは問答無用で抜け出していただろうから、こうして訓練場で見張られているのが、カイゼルの立場で考えれば一番安全な方法だ。
アリアはそれ以上の文句は言わずに黙り、その代わりに二回目の溜息を吐いた。
こうして訓練は時間いっぱい続き、座っているだけのアリアの足が痺れてきたところで、ようやく終わった。
「殿下、少し準備をさせていただいてから、砦を案内します」
訓練を終えたカイゼルはアリアの元にやって来て、アリアを応接室で待たせた後に、再び姿を現した。
鎧が無くなり、清潔で身軽な服装になっていて髪が少し湿っていることから、急いでシャワーでも浴びて来たらしかった。
「重ね重ね、お待たせしました」
「本当に、お待たせされたわ」
「申し訳ありません」
カイゼルは応接室の扉を開け、アリアを先に通して外に出た。
「まずは城の一階から、砦を案内していこうと思うのですが、問題ないですか?」
「ええ。それでいいわ」
隠し通路なんかも知りたいが、カイゼルには聞いたところで教えてくれないだろう。
後ほど勝手に調べさせてもらうつもりで、アリアは大人しく、案内を始めたカイゼルの後に続いた。
カイゼルが先に立ち、城の中を案内して回る。
食堂に、騎士寮に、リネン室に、サロンに、大浴場。しかし、武器庫や資料室、会議室のような重要と思われる場所はやはり案内してもらえなかった。
それは城の外に出ても一緒だ。
温室や離れの図書館、訓練場や広場などは案内してもらえたが、見張りを行う高台や外部との通信を司っている空郵塔についての言及はなかった。
こんな要領で、一通り無難な場所を案内し終えたカイゼルはこれで最後です、と言ってアリアを砦の東側に案内した。
「こちらが馬の厩舎と、飛竜舎です」
見れば、鮮やかな夕暮れが中々に立派な厩舎と飛竜舎を照らしている。
厩舎と飛竜舎の前には牧草地だけでなく、広めの池や岩場もあった。
馬はもう全て厩舎に入ったようだったが、岩場にはまだ飛竜が数頭寝そべっていた。
「飛竜はこうして岩場で翼を乾かします」
カイゼルは牧草地をサクサクと横切って、飛竜が寝そべる岩場までやってきた。
アリアも、カイゼルが進むので、それにつられて思わず飛竜の近くまで来てしまっていた。
「こんなに近くで飛竜を見たいなんて誰も言ってないと思うのだけど。……っ、なに?お前、私に何か文句でもあるのかしら?」
いきなり一頭の飛竜が頭を上げてアリアの手に鼻を擦り付けてきたので、アリアは驚いて手を引っ込めた。
「文句がある訳ではなく、殿下に興味があるようです」
「どうしてわかるのよ」
「彼は私の相棒の飛竜ですので。名をレガニアと言います」
レガニアと呼ばれた飛竜は、岩場にいる飛竜の中ではひときわ大きい。
角も爪も大きく黒く光っていて、鱗も一つ一つが刃物のように鋭い。そして黄色い大きな目が、アリアをじっと見つめている。
「触ってみますか」
「遠慮しておくわ。私、生き物という生き物に好かれたためしがないの」
「大丈夫ですよ。レガニアは賢いですし、貴方を怖がらせるようなことはしません」
「信用ならないわ」
「くるるるる」
レガニアが鳴いて、くるりとリボンを巻き付けるようにアリアに大きな体を寄せて来た。巨大な身体なのに動きは俊敏で滑らかだ。
それを見てあっと息を飲んでいたアリアの手を、レガニアが長い舌でべろりと舐めた。
「な、舐めないでくれる?レガニア、悪質な嫌がらせはやめなさい」
「嫌がらせではないですよ。レガニアは気に入った人でないと舐めません。撫でてあげてください」
「撫でないわよ。撫でてもっと気にいられでもしたらどうするつもり?これ以上舐められたら手に負えないわ」
「でも、飛竜の唾液には治療効果があります」
「それでも無理よ。ベタベタするし気持ちが悪いわ」
カイゼルは慣れた様子でレガニアの背や翼を撫で、舐められているアリアを助けることは無かった。
そればかりか、アリアが「助けなさいよ」と睨んでも、カイゼルは「それは飛竜の愛情表現ですから」と別の飛竜の面倒を見始めていた。
「結局、頬まで舐められたわ。あの子、容赦というものがないのかしら。貴方の躾がなっていないんじゃないかしら」
結局頭を撫でてやったら、レガニアは喜んでアリアのことを更にベロベロ舐めて来た。
辛うじて顔面全体を舐められることは阻止したが、もう全身がベトベトだ。
雨に打たれたようになったアリアが少し不憫に見えたのか、申し訳なさそうなカイゼルが胸元の内ポケットからハンカチを出して来た。
「レガニアがあんなに懐くとは思いませんでした。あまり役には立たないかもしれませんが、こちらお使いください」
「要らないわ。私は腐っても王女よ、この私がハンカチを持っていない訳ないじゃない。馬鹿にしないでくれる?」
カイゼルの差しだしたハンカチは白くて清潔そうだったが、アリアはそれを突っぱねて、自分のローブのポケットを探った。
アリアはいつも、ローブのポケットにハンカチを入れている。しかし、入れていた筈のハンカチは無かった。
「……着替えた時にハンカチを入れ替えるのを忘れたわ」
「では、どうぞ」
「……」
アリアのハンカチは、騎士用のローブに着替える前に来ていた自前のローブの中に入れっぱなしだった。
無言でカイゼルのハンカチを受け取ったアリアは、仕方なしにそれを使わせてもらった。
しかしハンカチで拭いただけではもちろんスッキリとはしないので、アリアはすぐに風呂に入ると宣言した。
カイゼルはすぐに用意させると約束したが、同時に真剣な顔で「入浴が終わったら声をかけてください」とも言った。
「何故私は、入浴後にも貴方の顔を見なくてはいけないのかしら」
「話をお伺いしたいと思っています」
「貴方にする話などないわよ」
「いいえ、あります。貴女がこの危険な砦に来た理由をお伺いしなければ」