侵入者アリア
大きなエンジンの音と、燃料が燃える黒い煙を立てて、一台の採掘車がオーホエンの砦の門をくぐった。
そして他の採掘車が停まっている砂利の駐車場に勢いよく停止する。
「じゃあもう行くわ」
「そうかよ。しかし嬢ちゃんのような若い娘が、こんな砦に来たかった理由は最後まで教えてくれなかったな」
「貴方が知る必要はないわ」
「俺がここまで運んでやったのにか?」
「貴方は敗者よ。黙って勝者に従っていればいいの」
「ガハハ、最後まで口の減らない嬢ちゃんだ」
アリアは砦の中に入ると、すぐに男の採掘車を止めて外に出た。
ここまでアリアを運んでくれた男は、少し名残惜しそうにアリアを引き留めたが、アリアは特に表情を変えることもなく別れを告げた。
「そうだ嬢ちゃん、帰りも足が必要だったら声かけろよ」
「貴方の採掘車、匂いがこもって最悪だったわ。たとえ帰りの足に困ってももう声は掛けないわよ」
「ガハハ、採掘車はみんなこんなもんだ」
砦の中の駐車場から少し移動すると、すぐに石畳の道と、ちょっとした広場が見えてきた。
広場では騎士団の裏方らしき人間が洗濯を干したり、武器の整備をしたりしているようだった。
そんな中を、アリアは黒いフードで顔を隠し、背中に大きな荷物を背負ってひっそり歩いているのだが、日当たりの良い広場で快活に歩く人間ばかりの中では逆に目立ってしまっている。
(悪目立ちはするべきではないわ。どうしましょうか……あら)
ちらっと視線をやった先に、丁度おあつらえ向きのものがあるではないか。
アリアは人目を盗んで、干されていた女性騎士用のローブを拝借してから、足早に広場を突っ切った。
「中々悪くないわね」
広場の先にある城の中に忍び込んで、人が来なさそうな物置部屋を見つけて女性騎士用のローブを身に付ければ、アリアでも普通にこの砦に馴染めそうだ。
少しぶかぶかだが着心地も悪くないし、重くもない。
アリアは物置小屋の隅に自らの荷物を隠し、城の中を見て回ることにした。
これからの為に、今は少しでも状況を把握しておきたい。
この砦にある城の内部がどうなっているのか、客室は何処にあるのか。それから戦力や警備体制、第一王女の痕跡など。
ヴァルドを生かすには、死に戻る前に分かっていなかった情報を出来るだけ補完していくことが重要だ。
アリアは人目を避けつつ、城の中の堅牢そうな廊下を進んだ。
しかしあまり見て回れないうちに、食堂らしき扉から、焦った様子で飛び出して来た女性の騎士に軽くぶつかった。
「あ、ごめんなさい!」
「別にいいわ。じゃ」
「ああ、待って!」
彼女は何やら急いでいるようだったが、目の前に現れたアリアの服装から、アリアも騎士だと認識したらしく、食堂の扉を開けようとしたアリアの手を取った。
「これから 武術訓練があるみたいです。貴女も私と同じで訓練があることを忘れてランチに来たんですね?でも、今から食事をする時間はないですよ!」
アリアを引っ張った女性騎士は、アリアがこれから悠長にランチを食べるつもりだと思ったらしい。
「それにしても、見ない顔です。新人さんですかね。よければ私が防具庫まで案内しますよ」
「必要ないわ。私は訓練などしないから」
アリアがそう言って女性騎士の手を払うと、女性騎士は信じられないと言う顔で固まった。
「訓練しない?訓練しないと強くなれませんよ?」
「別にそんなものどうでも良いわ」
「え、でも、百歩譲って訓練が嫌いでも、訓練への招集命令には従わないと」
「私にはそんな暇はないわ」
「ちょ、でも貴女、騎士ですよね!?規律と上官命令は何より優先されるべきものですよ。訓練への招集命令がある時は絶対出席しないと」
「訓練などしている暇はないと言っているでしょう」
「だ、だめです!訓練には絶対参加しないと!隊長も参加されるんですよっ!」
「では腹痛で欠席するとでも言っておいて」
「え、はあ?貴女、さっきご飯を食べに行こうとしていましたよね?仮病じゃないですか!」
「なら頭痛でもいいわ。隊長とやらには、貴女が適当に言っておきなさい」
「そんな無茶苦茶な!」と嘆いた女騎士を無視したアリアが食堂の扉を開けようとした時、後ろから声がかかった。
「どうした。何かあったのか?」
低くて落ち着いた、聞いたことのある声だ。
「もうすぐ訓練始るってのに、揉め事かー?」
もう一つの、軽薄そうな声にも聞き覚えがある。
「カイゼル隊長、ヴァルド副隊長!聞いてください。彼女が仮病を使って訓練を休むと言い出したんです!」
嫌な予感がしたのも束の間。
女性騎士が再びアリアを捕まえて、グイッとやってきた男二人の前に押し出した。
(はあ。もう少し自由に動き回りたかったのだけど)
全く訓練などしていないアリアの身体は女性騎士の力に抗えず、あっさりとカイゼルとヴァルドの前に突き出された。
「え?」
「はあ?!」
アリアを見るなり、カイゼルとヴァルドが揃って声を上げた。
見上げれば、カイゼルとヴァルドは案の定、何が起こっているのか分からないと言う顔をしていた。
「後で説明するわ」
アリアはうんざりとした口調でそう言い、様子のおかしい隊長と副隊長を見て怯んだ女性騎士の腕を振り払った。
そしてアリアは、食堂の扉を開け放ってスタスタと中に入っていった。
しかし、最初に我に返ったカイゼルがアリアを追ってきた気配がした。
早足で進んだが、アリアは結局、人気のない食堂の中央付近でカイゼルに追い付かれた。
「お待ちください殿下。何故貴女がここに」
「後で説明すると言ったでしょう」
「……失礼しました。しかし、ここは危険です。何をしにいらっしゃったのかは分かりませんが、すぐに王都まで送らせますのでお帰りください」
「無理な相談ね」
「ですが、貴方は王女です、自身を危険に晒すような行動はお控えください。砦周りには人狼族の根城が多くあり、ここは本当に危険です」
「そんなこと言われなくても知っているわよ」
「知っているなら、安全な王都へどうかお帰りください」
「その王都からはるばる来たのよ。帰れと言われて帰る馬鹿はいないわ」
しばらく押し問答が続いたが、立ち止まったアリアが冷たい顔で「貴方、辺境伯の分際で王女に意見できると思っているの?」と言うと、カイゼルが黙った。
「身の程を弁えていて偉いわね。じゃあついでに砦の警備体制を教えて頂戴」
「いくら貴女でも、それは無理です」
「じゃあ、城の設計図を見せて」
「もっと無理です」
「なら砦を案内しなさい」
「……分かりました。では案内が終わったら、部屋にいてください。徘徊は無しです」
「いいわよ」
頷いたものの、アリアは腹の中では、カイゼルや見張りがいなくなった瞬間に部屋の外に出てやろうと算段していた。
目の前のカイゼルの様子を窺うと、何とも実直に、ようやく話が付いたとホッとしているようだった。
(この男、人を疑うことをしないのかしら)
アリアが呆れた顔で見つめていると、カイゼルと目が合った。
「これから訓練があります。私はそれに出席しなくてはいけないので、砦の案内は夕方になってしまいますが大丈夫ですか」
「構わないわ。思う存分訓練に明け暮れなさい」
「それまで部屋で待っていていただいても?」
「勿論よ」
「先ほどとはうって変わって、快い返事ですね」
「そうかしら。私はいつも快活で明るい王女よ」
「……殿下。もしかして私がいなくなったらすぐ部屋から出る気ではないですか?」
(あら。前言撤回。いくらこのお人よしの男でも、私のような悪女のことは流石に怪しく思うのね)
褒めてあげたい気分になって、アリアは「よく分かったわね」と頷いた。
あまり表情が変わらないカイゼルも、流石に小さく目を細めた。
「殿下。やはり部屋ではなく訓練場で、訓練が終わるまで待っていてください」
「何故、私がそんな場所にいなくてはいけないのよ」
「申し訳ないのですが、私の目の届く場所にいてください」
アリアはそんなの嫌だ無理だと言い張ったが、後からやってきた先ほどの女性騎士に捕まり、力ずくで訓練場まで連行されることとなったのだった。