一難去ってまた一難
アリアの計画が狂ったのは、次の日の朝。宿を出たアリアが「腹ごしらえを」と目についた出店でサンドイッチを買った時だった。
「鳶兎のハムとチーズサンドイッチと、コルクベリーのジュースで10ベリーだよ」
「これでいいわね」
「まいど」
愛想のよい出店の店主にお金を支払い、アリアはそのままサンドイッチとジュースを受け取った。
このまま腹ごしらえをしたアリアは、母親の指輪を使ってサクッと移動手段を確保するはずだった。
しかしその時、アリアの元に、何かがピューッと疾風の如く空から舞い降りて来た。
そしてその何かはバシッとアリアの手元に突撃し、アリアの手から財布を叩き落とした。
「なに?!」
驚いたアリアは声を上げた。
突然の痛みを受けた手を押さえながら、空からぶつかって来たものの正体を見極める。
そこにいたのは、見慣れない大きな黒い鳥だった。キラキラとした石のようなくちばしが特徴的だ。
大きな黒い鳥はアリアと目が合うと、ワホーと一声鳴いた。
変な鳴き声だ、と思ったのも一瞬。
黒い鳥の、石も割ってしまいそうな頑丈なくちばしの中にあるものを見て、アリアはハッと息をのんだ。
「っ!それ、私の指輪じゃない!」
アリアは、目の前の黒い鳥が財布の中に入っていた指輪を咥えていることに気が付いて叫んだ。
丁度、これから移動手段の交渉に使おうと思っていた指輪だ。
それが無くなるなんてことがあれば、また計画が狂う。
焦ったアリアは、なりふり構わず黒い鳥にバッと飛び掛かったが、鳥は紙一重の所で飛び上がっていた。
「ワホーワホー」
上空に上がった黒い鳥はアリアをおちょくるように頭上を二回ほど旋回した後、悠々と空のかなたに消えていった。
「な……なんなのよ」
アリアはもう鳥がいない空を見上げながら呟いていた。
本当に、一瞬の出来事だった。
計画のキーとなっていた指輪が無くなってしまったのは頭では理解できたが、まさか自分がこんな被害に遭うなんて、まだ信じられない思いだ。
アリアが唖然としていると、サンドイッチ屋の店主が何食わぬ顔して話しかけてきた。
「お嬢さん、運、悪かったね」
「あれは……」
「そうそう。ローグクロウって言ってね、光る鉱石が大好物なのさ。だから、上空から獲物を目ざとく見つけて襲い掛かってくるよ」
「何で、私の指輪なんか食べるのよ。ここには魔晶石がたくさんあるでしょう」
「それが最近、町で魔晶石の取引をあまりしなくなったようでね」
「でも採掘者の羽振りは悪くなさそうに見えるわよ」
「噂では、別の流通先が出来たとか……俺もあんまり詳しいことは分からんけどね。とりあえずお嬢さんの指輪が美味しそうに見えたんじゃないかな。彼らは食い意地が張ってるって有名なんだよ」
「鳥の癖に意地汚いなんて生意気ね」
キラキラした鉱石を主食にする、ローグクロウという鳥がいることは知っていた。
保護動物に指定されている希少種で、オーホエンの砦付近には幾らかが生息していることも。
しかし、まさか自分がこの重要なタイミングで被害に遭うとは思わなかった。
「本当に不覚だわ」
アリアはローグクロウが消えた方角を睨んで呟いた。
指輪がなければ、きっと採掘者との交渉は難しいものになる。
そうすれば砦に着くのが遅くなるかもしれないし、最悪砦に辿り着けない可能性もある。
(あのローグクロウを地の果てまで追いかけて、財布を取り戻してやろうかしら。悪女の執念は恐ろしいのよ)
しかし、黒い鳥に対して腹ただしく思う一方で、そんなことをしていたら一か月あっという間に過ぎてしまうと思い直し、アリアは溜息を吐いた。
そして、指輪が消えてしまった財布を拾い上げた。
サンドイッチ屋はそんな様子のアリアを見て、アリアが大層落ち込んでしまったと思ったのか、優しくサンドイッチを差しだして来た。
「お嬢さん、もう一つ鳶兎のハムとチーズのサンドイッチあげるから、元気だしなよ」
「サンドイッチなんて貰っても、気休めにしかならないわ」
「気休めにでもなればいいじゃないか」
「……悪いわね」
「いいってことよ」
アリアは小さくお礼をつぶやいて、そそくさとその場を離れた。
サンドイッチ屋はアリアを哀れに思ったのか別れ際に手を振ってきたので、アリアも仕方なく振り返した。
アリアは取り敢えず町の端まで移動して、人気のない場所に見つけたベンチに座った。
かったサンドイッチの包みを広げ、何も考えず空のお腹にサンドイッチを一つ入れて、ジュースを飲む。
空腹を満たせば段々と落ち着いてきて、頭は冴えてくる。
サンドイッチを食べ終えたところで、アリアは改めて考えた。
今回、アリアがオーホエンの砦に行く目的は一つ。
それは、カイゼルの部下・ヴァルドを死なせないため。
ヴァルドは今回、オーホエンの砦に来たリーリッシュ王国の使節を守り切ることが出来ずに、責任問題に問われることになった司令官のカイゼルの代わりにリーリッシュ王国に引き渡され、そこで裁判の末に処刑されるのだ。
(ただ、今回の件の詳細……重要な事が分かっていない事が問題だわ)
死に戻る前の世界線でアリアは、処刑されたカイゼルにまつわる情報を事細かに集めていた。
カイゼルの挙げた戦功から、率いた騎士たちの名前や、根も葉もない噂まで。
勿論、この砦の情報も集められるだけ集めていた。
しかし、アリアの持つ情報だけでは不明な点がいくつかある。
まず、何の用でリーリッシュ王国の要人が砦にやって来たのか。
王宮の発表によれば、彼は砦の武勇使節とのことだった。だがそれは十中八九、表向きの肩書だ。
なにせ、この要人の男というのが、最近貿易を大成功させて人気を集めているだけの、ただの富豪貴族だったのだ。そんな男が、同盟国の砦や拠点を行き来し、情報交換や訓練を行う武勇使節の訳が無い。
そして、何故このリーリッシュ王国の要人は死んだのか。
死に戻る前に聞いた話では人狼族に襲われたとのことだが、カイゼルが率いる騎士が守る砦で、そうやすやすと一般人が襲われるものだろうか。
それから、この件を調べていた時に度々聞いた、第一王女ルゼリアの名前もひっかかる。
(そういえば……事件中リーリッシュ王国と交渉したのも、同時期に新規貿易経路を開拓したのも、あの女だったわね)
アリアは王国一の才女で他国からの評価も高い姉の顔を思い浮かべ、眉をしかめた。
他の兄妹と同じく豊かな金髪と碧い目のルゼリアは才色兼備と名高いが、アリアの目にははっきりとわかる。彼女の瞳の奥には、いつも金に溺れた汚い色が見える。
その彼女が今回の件に大きく関わっているのかはまだ分からないが。
(なんにせよ、私は早く砦へ行く必要があるわね)
とにかく、移動手段がまたしても絶たれてしまったなんて泣き言を言っている暇はない。
カイゼルが最も信頼するヴァルドが生き残る事でその先の未来がどう変わるのかは分からないが、きっと不利益にはならないだろう。
そう信じて動く。
朝はカランと静かだった町が、起き出した採掘者で賑わい始めた昼頃。アリアは一度宿に帰って少しだけ準備をしてから、採掘者が多く集まる地区へ向かった。
まず、アリアは昨晩のうちに目を付けていた店の前に来た。
そこは、昼間から活気が漂う酒場。
一山当てた採掘者用のぼったくり価格のメニューに、こんな町では珍しい24時間の営業スタイル。
好きな席に座り、カウンターでものを注文すればウェイターが席まで持って来てくれるスタイルはよくある酒場だが、中にいる客はいかにも採掘者らしい、いかつい者ばかりだった。
指輪が無くなったアリアは彼らと交渉して砦へ向かうことはもうできないが、何も躊躇うことは無い。
交渉以外の手段で足を確保すればよいだけだ。
(真っ当な方法を使わなくても良いのなら、やりようなどいくらでもあるのよ)
すっと店内に入ったアリアは店内をざっと見渡し、隅にあった一人掛けのテーブル席に陣取った。
アリアの席からは、店内にいる客の様子が見渡せる。
浮かないようにカウンターで買い求めたオリーブビールのジョッキを傍らに置き、客を一人一人こっそりと観察した。
アリアはしばらく、店に入ったり出たり入れ替わる客たちを眺めていたが、おもむろに席を立った。
(そうね……あの男なんてどうかしら)
アリアが近づいて声をかけたのは、両手に大きなジョッキを二つ抱えている勝ち気な顔の男だった。
「おお。きれーなねーちゃんだな。何してんだこんなとこで」
「貴方のような人を待ってたのよ」
「おお。さては俺に一目ぼれかい?」
「全く違うわ」
筋骨隆々の肩を大げさにガクッととして見せた男は、じゃあ何だとばかりにアリアに椅子を勧めた。
アリアは勧められた男の隣の椅子を無視して、男の対面に座った。
「貴方に声をかけた理由は羽振りがよさそうで、酒と勝負事が好きそうだったからよ」
「おお。ねーちゃんは俺みたいな危険な男が好きってことか?」
「全く違うわ」
アリアはそう言って、男の前に自らのオリーブビールをドンと置いた。
「私と勝負をしない?」
「おお。ねーちゃんと飲み比べか?受けて立つぜ!」
アリアのような細い女に飲み比べで負けるわけないと思ったのか、男はすぐに乗り気になった。
早速追加の酒を注文しようとする男を制し、アリアは勝利の報酬を提示した。
しかしアリアが男に「勝ったら砦まで運んでほしい」と言った瞬間、男は怪訝な顔になった。
「おい、ねーちゃん、許可証あんのか?」
「そんなものはないわ」
「おい、許可証がねえなら無理だぜ。許可証がないやつを砦になんて連れていけねえ。バレたら砦出禁になっちまう。砦が出禁になれば採掘が出来ねえ」
「バレなきゃいいでしょう」
「おいおい、バレたら処罰されるのは俺だぜ?!」
「私は処罰対象ではないのね。好都合じゃない」
「おいおい!」
さっきまで乗り気だった男は態度一転、ガタンと立ち上がった。
「とにかく、俺はそんな勝負できねえよ!」
テーブルにあった数個のジョッキを全部いっぺんに掴んで、アリアから逃げるように席を立ってしまった。
「ふん。羽振りがよくて酒と勝負事が好きそうで、もっと肝が据わった人間に声をかけるべきだったわ」
一人残されたアリアは舌打ちをした。
また先程の席に戻って客を見定めようかと思った矢先、アリアは後方から声をかけられた。
「嬢ちゃん、可愛い顔して血の気が多いんだな」
「私のことかしら」
「そうそう。こっち来て座りな」
そう言ってアリアに呼びかけたのは、一人で座っていた採掘者だった。
近くに寄っていくと、男はガハハと笑ってアリアに椅子を勧めた。
アリアは特にためらいも見せず、そのいかつい採掘者の男の前に座る。
採掘者の男は擦り切れた作業着を着ていて、強そうな酒をジョッキで飲んでいる。
その腕には大きなタトゥーが入っており、手の指にはやたら高そうな金の指輪が嵌っていた。
アリアは男の瞳の中を見て、先ほどの男よりも強い勝負好きの性質を感じ取っていた。
「さっきの見てたぜ、嬢ちゃん」
「そのようね。じゃあ話は早いかしら?」
「そうだな。嬢ちゃんがさっき聞いた通り、俺ぐらいのベテランが上手くやらねえ限り、許可証がねえと砦に行くのは無理だ」
「その言い方だと、私が勝てば、貴方のようなベテランが私の為に上手くやってくれるのね?」
「ああ。でも俺が勝った時、相応のものを用意してもらわねえといけねえ」
「勿論よ」
男はガバガバ酒を飲みながら、椅子の背もたれに背を預けた。
だが、その目はしっかりとアリアを観察している。アリアは悪女の微笑を顔に張り付けて、不躾な男の視線に応戦した。
「貴方が勝った時、何が望みなの?」
「俺の知り合いに帝国の侯爵がいるんだが、そいつに中々壊れない新しいメイドはいないかって言われてんだ。肝の座った嬢ちゃんにはぴったりだと思ってね。嬢ちゃん、メイドの仕事に興味は?」
「全くないわ。メイドには碌な思い出がないの」
「ならやめとくか?」
「まさか」
「でも、嬢ちゃんが負けたらメイドとして伯爵に送るぞ?いいのか?」
「いいも何も、私は負けないから大丈夫よ。貴方は今からでも私を運ぶ準備を整えておきなさい。私、明日の朝には出発したいから」
アリアは、椅子にもたれてリラックスしながらニッコリと微笑んだ。
この余裕の微笑から、アリアは究極の下戸であり、お酒など一滴も飲めない事を、誰が察することができただろうか。
アリアは一口でも飲んだら途端に気分が良くなり何をしでかすか分かったものではないし、一杯も飲めば一週間ほど具合が悪くなって寝込むような始末である。
しかしそれでも酒の飲み比べを選んだのは、相手が採掘者だからだ。
酒と賭け事が好きで刺激を求める刹那的な採掘者のような人種なら、誰かはアリアの策に嵌ってくれるだろうと思った読みは、見事に的中したのであった。