砦へ向かう道
それからしばらく時が経ち、王都・騎士団本部。
この日のアリアは、朝日が昇って飛竜が鳴く前にはもう起きていて、さっと身支度をしたかと思えば、もう北の塔を出ていた。
そして一切迷いのない足取りで進み、王宮と並んで王都の中央にある立派な建物・騎士団本部の扉を開けていた。
玄関から騎士団本部に入るとすぐに天井の高いホールが広がっている。
壁には歴代騎士団長を務めた王族の肖像であったり、過去の大戦で活躍した武器の展示がされていたりする。
ホールの先には窓口もあり、騎士団本部に用事のある者は大抵最初にそこへ行く。
アリアも例に漏れず、真っすぐ窓口に向かった。
早朝ゆえにまだ誰も並んでおらず、暇そうに欠伸をした係員のいる窓口の前に立った。
「御機嫌よう」
「えっと、おはようございます。お嬢さん、何の用で?」
窓口の男は眼鏡を掛け直し、冷やかに挨拶をしたアリアを二度見した。
男が怪訝そうに眉を寄せたのは、荷物を背負った黒のローブ姿のアリアを怪しいと思ったからだろうか。それとも、こんな早朝に来て仕事を増やすな、とでも思ったのだろうか。
まあ、この男が何を思おうがアリアには関係ない。
アリアはすぐに本題に入った。
「今日、騎士団本部から東西混合部隊の、オーホエンの砦へ遠征があるわよね。カイゼル・グランフォードが率いる部隊よ」
「はい、早朝出発の遠征ですね。ありましたけど。それがどうかしたんですか?」
「参加者の名簿を見せなさ……待って。貴方今、ありましたと言ったかしら?」
窓口の男の言葉を聞き返したアリアは、眉をひそめた。
何も悪いことはしていないはずだが、窓口の男は少しビクッと体を震わせて、「何か問題でも?」と聞き返した。
「ありました、というのはどういう事?何故過去形なの?今は朝の5時前よ。飛竜たちもまだ寝ているわ」
「どういう事と言われましても、出発は朝の3時で、もう皆さんとっくに王都を出られましたけど」
「え?」
今度はアリアが窓口の男を二度見をする番だった。
騎士は早起きなんて言われているが、いくら何でも早すぎる。
今日目覚ましを5個ほどかけていた、夜型のアリアはくらりと眩暈がする思いだった。
「もう出発してしまったなんて冗談じゃないわ。朝の3時なんて夜中じゃないの」
「そんなこと言われましても」
「3時出発なら早朝出発とは言わないで深夜出発というべきだわ」
「すみません」
「……もういいわ。他に、オーホエンの砦へ行く部隊はあるかしら」
「カイゼル騎士隊長の部隊と入れ替わりに、西南混合部隊は行く予定がありますが」
「いつ?」
「二か月後ですね」
「それでは遅いわよ。じゃあ、東西混合部隊に今から追いつける馬はある?」
「東西混合部隊は飛竜隊ですから、馬では無理かと……」
「使えないわね」
「ひっ、私にそんなことを言われましても」
アリアは何の罪もない窓口の男を一睨みすると、クルッと踵を返して外に出た。
(幸先が悪いわね)
アリアは大きく溜息を吐いた。
アリアはカイゼルの従者・ヴァルドを生かすため、これから起こることを阻止しなければと準備をしてここまで来たのに、一番最初の一歩から挫かれた。
ヴァルドを生かす為に、アリアは出発前のカイゼルやヴァルドに騎士団本部で合流し、彼らを脅して、オーホエンの砦へ連れて行ってもらおうと考えていた。
カイゼルの方は脅せる材料が見つからなかったが、幸い、ヴァルドの方は軽く調べただけで女性関係で色々脅しのネタが見つかったので、彼の職場で少し披露してやれば、すぐに折れてアリアを連れていってくれる算段だった。しかしこれは、彼らがもう既に出発してしまっていることから、あっけなく失敗に終わった。
勿論、他にもオーホエンの砦へ行くような都合のいい部隊は無かったし、アリアは動物には嫌われるので、気難しい飛竜なんてとてもではないが乗れない。他の手段でオーホエンの砦へ行くしかないが、それは益々一筋縄ではいかなさそうだ。
オーホエンの砦は王国最南端の砦で、オーホエン渓谷という危険地帯に隣接している。
オーホエン渓谷は、多くの人狼族の群れが縄張りを持っているが、上質な魔水晶が採れる地帯でもある。魔水晶は王国の重要な資源だから、オーホエンの砦は主に魔水晶の鉱脈を守る役割と、魔水晶を掘る採掘者を守る役割を持っている。
そして、そんなオーホエンの砦への安全な行き方を心得ているのは砦を守る騎士団か、許可証を持った採掘者くらいのものだ。
アリアは早朝のまだ肌寒い道を足早に歩きながら考えていた。
ヴァルドが死ぬまでに一か月も猶予がない。
(ぼんやり解決策を模索している余裕なんてないわ)
でも、アリアには人脈も権力も武力もない。
運も味方してはくれないし、いざという時に頼れる人もいなければ、助けてくれる人もいない。
(やっぱり私は、手段を選んでいては駄目という事ね)
ヴァルドを脅して連れて行ってもらうのも十分正攻法ではないが、これからアリアがやろうとしているのは更に邪道な方法だ。
アリアは一度自らの住処である北の塔に戻り、地下室に降りた。
母親がまだ国王に愛されていた頃に賜った宝石とアクセサリーが数個だけ、鍵のかかった木箱に入っている。
アリアはその中から古いデザインの指輪を一つ取り出した。本物の宝石ではあるが、王が寵妃に贈るには安物と言わざるをえないものだ。
アリアは表情一つ変えずに、その指輪を財布の中に入れた後、改めて行動を開始した。
アリアが向かう場所は、王都を出た先にある下町の、馬車の乗合所。
先ずはここから乗り継いで、オーホエンの砦に一番近い町に行く。
アリアは朝早すぎたので、暫くボロボロの乗合所で馬車を待ち、無事にやってきた目当ての馬車に乗り込んだ。
オーホエンの砦に一番近い町に着くには、間にある街を3つ経由しなくてはならない。
結構な時間をロスしてしまいそうだが、これは仕方がない。
最初の街、その次の街とアリアは何とか順調に進んでいた。
王都から外の街に行くほど、人々がみすぼらしい服装になっていき、建物も古く貧しい印象になっている。
しかし、王都と比べてしまえば不便なものの、探せば比較的安全そうな立地の宿を選んで泊ることができたし、食事も無難に食べられた。
そして、周囲の目に気を配り、なるべく息を潜めて移動をしているおかげか、誰かに付けられている気配もなかったし、騒動などにも巻き込まれることは無かった。
順調と言って差し支えない要領で進み、アリアは4日目にして、三番目の町に到着した。
ここは、オーホエンの砦に一番近い町だ。
見回せば、辺りはすっかり暗くなっていた。
「ようやくここまで来たわね」
乗り合いの馬車は、低品質で揺れるから、いつもギシギシと体が痛い。アリアは伸びをして、町の中を歩きだした。
オーホエンの砦に一番近い町は、二番目に経由した町よりは活気があるように見える。
商人や町人がチラホラと夜でも街灯の下を行き来し、夜中までやっている薬屋や道具屋もポツポツとあるようだ。
「王都から離れている割には、中々整った町ね。砦が近い所為かしら……あっ」
アリアは道なりに通りを歩いていたが、ふと角を曲がったところで、ピタリと足を止めた。
そしてアリアは思わず、目の前に広がった光景に目を細めた。
アリアの目の前には、昼間かと見まがうくらいに明るい繁華街が広がっていた。
もしかしたら、王都にも引けを取らないくらいの賑わいぶりだ。
ピカピカに光る賭博場に、閉店を知らない酒場や、人でごった返したレストラン。ぼったくりの屋台に、派手な大道芸人。
そして多くの、筋骨隆々でいかつい客たち。
「なるほど、ここは採掘者の為の町だったわね」
アリアは納得したように小さく呟いた。
この煌びやかな地区は、オーホエン渓谷で魔水晶を採った採掘者が集まって金を落とすための地区に違いない。
ひとたび魔水晶の鉱脈でも掘り当てれば毎晩豪遊することも訳ないし、そうでなくとも命懸けの肉体労働の後なのだから、パーっと散財したくなる採掘者も多いことだろう。
「となると、ここへこればオーホエン渓谷に行く採掘者を見つけるのは容易いでしょうね」
そして見つけた騙しやすそうな採掘者の目の前で宝石をちらつかせて、「これは魔水晶よりも高く売れる」なんてでっち上げて交渉すれば、比較的安全に砦へ乗り込めるだろう。
まあ、手段など選ばなければいくらでもある。
アリアはざっと遠目に、それぞれの店の雰囲気を確認してから、再び裏路地に戻った。
あの煌びやかな通りにある宿はべらぼうに高価だ。アリアに無駄遣いを好む習性は無いし、そもそもアリアの塔の寝心地は安宿のそれだ。
だから寝慣れたベッドを探して、こう言った裏路地で安い宿屋を探すのだ。
安宿は、10分も歩かないうちにすぐに見つかった。
程よく薄暗くて、程よく埃っぽい。悪女には似合いの宿だ。
「最初は少し出鼻をくじかれたけど、案外順調ね」
アリアは荷物を背負い直し、宿の扉を開けた。
しかし、順調に進んでいると思われたアリアの計画は、ここで終わりを迎える。
油断をしていた訳ではないが、計画はまた狂うことになるのだった。