死に戻りのアリア
「……殿下」
「第二王女殿下」
誰かが扉をノックしている。
アリアは悪女と倦厭されているから、「第二王女殿下」と使用人に起こされる朝も珍しい。
と、思ったところでアリアはハッと目を開けた。
「早く!この男を捕らえなさい!」
「はい?」
布団を黒いローブの男のように蹴飛ばして飛び起きると、扉を開けて心底嫌そうな顔をしたメイドと目が合った。
見回せば、いつもの薄暗い塔の部屋。
古くはあるが上等なベッドの天蓋が眼前に映る。
「あら」
「どうなされたのですか」
「私、生きているわね」
「はい、生きていらっしゃいますが」
アリアはベッドに座り直すと、小さく息を吸った。出血もない。身体の痛みもない。
アリアは長い銀髪をかき上げ、首筋に触れた。ナイフをぶっ刺されたところだ。
だが、傷一つない。勿論血も出ていないし、異状もない。
「ねえ貴方、今日の日付は?」
「金冠歴201の花の月5日ですけど」
「まさか!」
アリアはバッと頭を抱えた。
もしかしたら、なんて思ったけれど、そのもしかしてが起こっているらしい。
金冠歴201の花の月5日、なんて言ったら、忘れる筈もない。
あのカイゼル・グランフォードとの婚約が決まって、彼がアリアに挨拶に来た日だ。
それはカイゼルが処刑される前で、アリアが殺される前。全てが起こる前の日付けだ。
「もう一度聞くけど、今日、カイゼル・グランフォードが塔に訪問しに来るのかしら」
「そうですけど。何度もお伝えしていましたよね」
「カイゼル・グランフォードは死んではいない、わよね」
「はい?」
「いえ、何でもないわ」
アリアはふうと息をつき、そして吐いた。
普段氷のように冷たい表情を崩さないアリアだが、これには到底落ち着く事など出来なかった。
(金冠歴201の花の月5日。あの男がまだ生きているなんて、有り得ない!)
「……有り得ないわ」
言葉にも出してみた。カイゼルは目の前で処刑されたし、アリアは喉を掻き切られて死んだのだから、目を覚ますなどありえない。
しかも時間が戻って、またあの日が来るなど有り得ない。
有り得る筈がないのだ。
……普通なら。
(普通なら、ね)
はあ。自然に溜息がこぼれた。
アリアの脳裏には、あの人時の気の迷いで描いた魔法陣と、結った髪がよぎる。
「あの闇魔法、本物だったという事かしら……」
「何か仰いましたか?」
「いいえ、独り言よ」
ぶつくさ言っているアリアを一瞥したメイドは仏頂面のまま、化粧品を取り出して乱暴に化粧台に並べ始めていた。
この日、死に戻る前のアリアはここでメイドを追い出して、カイゼルにも会わなかった。
しかし今回のアリアは以前とは違い、メイドに出ていけとは言わず、されるがままにメイドに化粧をされていた。
(それにしても、私はあの男が生きている時間にまで死に戻ったのね……別に、そんなこと願ってないのに)
アリアは鏡に映る、雑に化粧をされていく自分を見ながらハアと複雑な溜息を吐いた。
色々と思うところはあるものの、アリアは死に戻ったことを、何故かすんなりと受け入れることが出来ていた。
(仕方がないから、今度は最善を……いえ、悪女が悪の限りを尽くして運命を変えようとするのだから最悪を尽くして、かしら。まあどうでも良いけれど)
(とりあえず。あの男の処刑をもう二度と見なくて済むように、今度は上手くやってやるわ)
ーーー
「はじめてお目にかかります。城塞リヴァンデルから参りました、カイゼル・グランフォードと申します」
メイドに乱雑な化粧をされたので後からこっそり手直しをしたアリアが玄関ホールで出迎えたのは、数人の共を連れた正装のカイゼル・グランフォードだった。
青みがかった黒髪に、切れ長の琥珀色の瞳。そして眉の上に付いた大きな傷跡。背が高く、鍛えられた体。静かな表情も相まって、相変わらず彫刻のようにも見える。
アリアはカイゼルが深く頭を下げるのを見ながら、一応聞いてみた。
「貴方、本当に生きてる?」
「は?」
「ゾンビではないわよね」
「屍人と戦ったことでしたら、何度か……」
「いえ、そうじゃないけど。もういいわ。気にしないで頂戴」
「承知しました」
「早速だけど、サロンへ移動しましょう」
アリアはコホンと咳払いをし、カイゼルと目を合わせないようにスッと踵を返して、さっさと移動を始めた。
塔の使用人の溜息と、王宮からの使者の小言、それから護衛の衣装が擦れる音がして、全員がアリアの後に付いてくることが感じ取れた。
アリアは振り返らずに目的の部屋まで一直線に歩き、スッと扉を開けた。
「掛けていいわ」
「失礼します」
湿った塔にある、唯一のサロンとも言える部屋に案内して、アリアは適当な椅子をカイゼルに勧めた。
カイゼルは静かにお礼を言い、椅子に浅く腰掛けた。
それを見届けたアリアはカイゼルの目の前に座り、その姿を観察した。
やっぱり生きている。
死に戻る前に見た、深く優しく光る意志の色もやはり健在だった。
カイゼルがアリアの知るカイゼルと同一人物で、柄にもなくホッとしていた。
と、カイゼルがちらりと視線を動かした。
アリアの視線を避けるようにどこか別の場所を見たカイゼルを見て、アリアは気が付いた。
どうやら観察しすぎてしまったようだ。
アリアは目つきが鋭いから、よく睨んでいるのだと誤解される。
カイゼルも、悪女と評判のアリアががあまりにまじまじと睨んでくるから、辛抱できなくなってしまったのだろう。
アリアは本日二度目の咳払いをした。
「コホン。今日の顔合わせの主題は挨拶と、結婚式の段取りだったかしら」
「はい」
「ではまず、結婚式は無しでいいわ」
「え?」
「私は除け者で悪女の王女だもの。私との結婚式を盛大にすれば、英雄の人気が落ちるかもしれないわ」
カイゼルの次の言葉を聞かず、アリアはスッと足を組みかえた。
「でも大丈夫よ。貴方の公爵の地位は約束されているから。それから、貴方はもう二度と理不尽な目に合うこともないわ」
「……理不尽な目とは?」
「こっちの話よ。つまり、貴方はなにも心配することは無いわ」
「話が、あまり見えてこないのですが」
「そうね、この面会は結婚について話さなきゃいけないんだったわね。では、私のことは影の存在とでも思っていて構わない、という事だけ言っておくわ」
「影、というのは」
「貴方は私を婚約者として扱わなくてもいいと言う事よ。貴方は私の機嫌を取る必要も無ければ、ドレスやアクセサリーを贈る必要もない。勿論、貴方は他に恋人を作ってもかまわない。但し、エリーネは避けておいて。未練のある相手でしょうけど、それだけはお願いしておくわ」
「は……?」
「貴方には少しの間私の婚約者でいてもらうけど、カタが付けば解放してあげるから」
王家という悪を制してカイゼルを救うため、自身も悪になって暗躍すると決めているアリアは、一方的に話を終わらせてしまった。
カイゼルの安全が確保できるまでは、なにかと便利な婚約者の地位にいた方がよい。
しかし、カイゼルのような善人は、これから邪道を行こうとしている悪女とはなるべく関わるべきではないと思っての提案だった。
アリアは怪訝な顔をしているカイゼルを無視して、「お茶でも飲みましょうか」と提案した。
そして特にカイゼルの返事も聞かず、勝手にお湯をポットに注ぎ始める。
王女がやると言うのもおかしな話だが、メイドがしようとしないのだから仕方がない。
「私が」と立ち上がりかけたカイゼルを制して、アリアがテキパキ茶の準備を終わらせて、その場は無言でお茶を飲むだけとなった。
こうしてきっかり予定された面会の時間に会を終わらせたアリアは、皆を追い立てるようにしてサロンから出て、一行を玄関ホールまで先導した。
アリアは一行を玄関で見送って、ハイさようならと扉を閉めるつもりだった。だが、その前に思いがけない人物の登場で、もうひと悶着あることを、アリアが知る由もなかった。