幻想バレンタイン
バレンタイン企画という事で書いたSS。
時間をかければもっとマシな作品になったと思うけど、生憎と時間がなかった。
貴方から初めて貰ったチョコレート。
その黒くて丸いお菓子は、
血の味がして、
ちょっとだけしょっぱくて、
私の心が溶けて無くなってしまうくらいに、
甘かった―――
―――――幻想バレンタイン
長く続いた冬も終わりに近づき、雪を降らせる暗雲に立ち代わり、僅かばかりの陽光と蒼い空が現れようとしていた。
昨日が快晴だった為か、丘の周囲の雪は殆ど解けている。
里では迎春祭が行われようとしており、極東の森の狼と赤頭巾の頭も段々と春らしくなってきていた。
どこぞの春告精が頑張っているのだろうか。
兎も角、里も、森も、国全体が春に向けての準備期間を迎えていた。
それは、丘の上の人狼と魔法使いも例外ではなかった。
二月十四日。
単なる日付であるこの日だが、恋人達にとってはそれなりに重要な日となっている。
『バレンタインデー』
元々は外国の文化だったそれを、菓子屋が取り入れ、歪曲させた事実を誇大に広告したのが始まりだ。
『親密な人や親族に敬意や友情、愛情の証として菓子を渡す日』だというのに、何を勘違いしたのかその菓子屋は
『想い人に愛を伝える為に菓子を渡す日』としてしまった。
元々外国文化に疎い国民はそれをあっさりと信じ、連鎖的にその情報は伝播していった。
そして、今に至る、という訳だ。
「へぇ。それで?」
「お菓子頂戴」
「却下」
「ケチ」
「我が儘」
暖炉の前に座り、延々と歴史について書かれた本を朗読していた少女が言っていたのはこういうこと。
『私達は親友だから菓子をくれ』
要は一方的な友情の要求だ。
その本の朗読を聞かされていた少女は、溜息を一つ吐いた後、
「何で私がわざわざお菓子を作らなきゃいけないのかしら?」
「友情の証じゃないの」
「何が友情よ。ついこの前だって私に大豆投げて遊んでたくせに。本当に死ぬところだったのよ?」
「大丈夫よ。枡一つ分の豆くらいじゃ混血の鬼は死なないわ」
「そういう問題じゃなくて…」
何かを言おうと息を吸い込むサチのその言葉を遮るように、ヨルはポン、と手を叩く。
「あぁ、分かったわ。私の言い方が悪かったのね。…友情じゃなくて、愛情ね」
「……」
軽く苛付いたサチだが、あながち間違いでも無いという事実がその苛立ちを萎えさせる。
そう、彼女――サチは、ヨルの事が好きだった。
いつから始まったかも分からない、淡い想い。
寿命差や種族の違いなどの要因によって暫くは抑えられていたその感情も、
冬のとある吹雪の日の出来事によってゆっくりとあふれ出してきている。
最も、サチがその想いをヨルに伝える事は無いだろう。
今までもその勝手な想いで幾人もの人間を傷つけたのだから。
「…まぁ、冗談は置いておくとして…サチは甘い物好きかしら?」
いきなりの質問に驚くものの、軽い嫌味を交えて答えてやる。
「さぁね。どっちかといえば好きかしら。ヨルが作った物以外なら」
「ふぅん。有難う。バレンタインには私のチョコをプレゼントするわ」
「あぁそう……」
その言葉が本当だとしたらとても嬉しい事。
しかし、あのヨルの言葉だ。
約束事を破るのは当たり前。
前もって入れておいた連絡も数分後にはすっかり忘れている。
そんなヨルの言葉。
信用できるはずもない。
それから十分もしない内に彼女の頭からはバレンタインなどというイベントの事はすっかり消え失せていた。
数日後。
二月十四日。バレンタインデー。
ヨルは、サチに小さな箱を手渡した。
さほど大きくもなく、小さくも無い。
だが、その重さが中に何か入っているという事を伝えていた。
「で、コレは何?」
「何って、チョコレートに決まってるじゃない」
ヨルはにやついた表情で答える。
「それは分かってるわよ。…で、これをどうしろと?」
「チョコを食べる事と料理以外に使う方法はあるかしら?」
「もちろん」
「何よ」
「廃棄」
「…捨てたら本気で怒るから」
「冗談よ冗談」
「だといいけど」
ひとしきり会話が続くと、クスクスと小さな笑い声がヨルの口から漏れる。
「何かおかしかった?」
「いえ。私達って、会う度にこんな会話してるじゃない?よく飽きないと思ってね」
ヨルのように無理をして笑おうとするが、中々笑う事ができない。
何せ、ヨルからのチョコレート。
嬉しいのだが、緊張が拭えなかった。
そんなサチを心配してか、サチがその顔をのぞきこむ。
結果的には顔が近づいてしまい、余計にサチの緊張を煽るだけなのだが。
「どうかした?」
「い、いえ。何でもないわ」
「…?」
「そうそう。私も作ってみたのよ」
(本当言うと、今日のおやつにするつもりだったんだけど…まぁ、ばれないわよね)
「へぇ、珍しいわね」
「チョコは買えなかったからアップルパイなんだけどね」
「寧ろそっちの方が食べたいわ」
嬉々として切り分けたパイを受け取る彼女の顔は、歳相応の少女のように綻んでいて、
「ふふ。喜んでいいんだかどうなんだか」
自然とサチの顔も綻ぶのだった。
その次の言葉を聞くまでは。
「それにしても、サチが私にこんなの作ってくれてたなんて…毒でも入ってるんじゃないのかしら?」
恐らく、多くの人ならこの言葉を冗談として受け流すだけだろう。
「…今、何て?」
ただ、サチの前でその言葉を放つのは、
「え?」
彼女を深く傷つけると同時に、
「何て言った?」
怒りを覚えさせるだけだった。
「チョコの中に…毒が入ってるんじゃないか…って…」
すとん、と、軽い音。
そして、はらりと何かが落ちる。
見れば先ほどまでサチの手に握られていたナイフが、ヨルの頬を掠めて後ろの壁に刺さっていた。
落ちたものは数本の髪の毛だった。
つーっと、ヨルの白い頬を紅い線が伝う。
ガタン!
椅子から滑る様にしてヨルが落ちた。
その顔には、恐怖と一筋の血だけが浮かんでいた。
「ふざけるな!!!菓子の中に毒だと!?ヨル…!…お前はッ!!!!」
普段のサチからは想像も出来ない様な、低く、恐ろしい声色。
そう、かつて栄えた鬼の様な。
だが、声は怒りに震えているのに、顔は涙で濡れていた。
そんなサチに、ヨルは何も出来ずにただ怯えていた。
サチは、上げた手を振り下ろした。
何にも当たらなかった。
何にも当てなかった。
ただ、その手は虚空を切り裂いただけ。
だというのに、板張りの床がメキメキと嫌な音を立てる。
サチの心のように。
「どこでソレを知った!?里の奴等か!?私の心を視たのか!?」
「そ…そんなこと、してない…!」
「嘘を吐くな!私は誰にも言っていない筈だ!!!!誰にも!誰にも…!!言って…無いのよぉ…」
叫び続け、やがて何かを拒絶するかのように耳を塞いでしゃがみこむ。
その姿はまるで子供のようだった。
先ほどまで放っていた威圧も、怒気も全てが消え失せ、嗚咽とか細い声だけがその場を支配する。
そんな支配を逃れるかのように、こつ、こつ、と遠慮がちに足音がサチに近づく。
「さ、サチ…?その、ごめんなさい…」
「…うるさい…」
「で、でも、私…!」
「黙れ!!!失せろ!!!二度とこの家に近寄るんじゃない!!!」
「ッ!!」
息を呑み、あとずさる音。
そして、駆け出す音。
ドアが開く音。
最後に、ごめんなさい、という声が聞こえた。
「うぅうううううううううううう!!!!!!!!!!」
頭を掻き毟る。
ぶちぶちと髪が数本抜け、切れた頭皮から血が流れる。
「うううう!!―――…うっ…ぐすっ…」
流れた血が顔にまで伝うが、それが意識に入っているかは怪しい。
涙と混ざり、薄まった血が顎から滴る。
サチは、それを拭おうとはしなかった。
ただ、今は泣いていたくて。
―――でも、そのチョコレートは、全部食べられなかった。
私の涙と血で溶けちゃったから。
ねぇ、貴方はあの時言ったよね?
『チョコを食べる事と料理以外に使う方法はあるかしら?』
『もちろん』
『何よ』
『廃棄』
『…捨てたら本気で怒るから』
怒ってよ。
ねぇ。
私に会いに来てよ。
寂しいから。
愛しいから。
怖いから。
ヨル…。
終われ。
続くかどうかは分からん。