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仕込みは上々

 小さな都市国家アデルモ。

 海辺の街だが小さな漁港があるだけで貿易船は入れない。だがその海に沿って街道があるので、宿場町ではあるのだった。

 街を統治するのはリヴィニ伯爵。教皇庁から全権を委任されている。


 領主の館のある低い丘の下、裕福な商人の邸や職人の大きな工房が並ぶ地区にニルダは暮らしていた。

 石畳の道。煉瓦の家並み。カラカラと軽い音をたてて馬車が行き交う。


 ニルダは今日、広場に面した教会の前に来ていた。隣に立つ上品な少年を振り向いてニッと笑う。


「ありがとね。フィルが一緒なら何とかなりそう」

「ニルダのお願いだもの。それに司祭様のことを教えたのは僕なんだし」


 控えめな笑顔を返したのはフィルベルト・ディ・リヴィニ。アデルモ伯リヴィニ家の次男坊だ。

 ニルダより一つ上の十三歳。まだ幼さの残る面立ちは優しげで、はっきり言えば気が弱そうに見える。

 事実、子ども同士身分を越えて仲良く過ごしてきた二人だが、いつも主導権を握っているのはニルダだった。


 二人が訪ねたのは聖ニアーノ教会。

 街の守護聖人の名を冠したこの教会に、先だって新しい司祭が着任した。その司祭はどうやら、アントニオ・ジョバーノが大好きらしい。

 新進気鋭の画家、ジョバーノ。

 領主の息子として司祭室にお邪魔したフィルベルトは、壁に飾られた絵画を見て褒めた。それが運の尽き、長々とその絵の作者ジョバーノについて語られることになってしまう。

 その話を聞いたニルダがいろいろと調べ、仕込み――今日の突撃なのだった。




 ニルダの計画を聞いた時、父のドゥランは呆れ返った。


「フィルベルト様を利用するなんて。優しい坊っちゃんだけど、領主様の息子だよ。それに――友だちじゃないのかい?」

「友だちよ。友だちを利用しちゃ駄目な理由は?」


 ニルダは平然と問い返した。ぐ、とドゥランが言葉に詰まる。それを見てエドモンドは吹き出した。


「やらせてみなよ。ニルダは頭が回る」


 ニルダはもう二年も勘定を学んでいる。経営の学校にこそ通っていないが、ドゥランやエドモンドから実務的に商売を教え込まれた。

 普通なら他所の商会に修行に出る頃合いだが、ドゥランはそれを許さなかった。ならば父の元で商人になりたいとニルダにせがまれたが、ドゥランはニルダを働かせない。

 ニルダは女の子だ。商人として才能があろうが、法律上は親方として商会を持つことができないのだ。

 それに娘の能力は認めていてもドゥランは心配だった。だって、こんなに可愛い娘、表に出したらモテてしょうがないじゃないか。


 その親馬鹿はともかく、ならばと父を出し抜く実力行使に出たのが今回の「買い物」だった。

 通常業務に首を突っ込ませてもらえないなら、自分で儲け話を探すまで。

 その協力者であるエドモンドは爽やかな笑顔を浮かべた。


「もう諦めな。小遣いの範囲なら問題ないだろう」

「この絵は、小遣いにしては少々お高くないかい?」

「当たり前でしょ。子どものおつかいじゃないんだから」


 そろそろ父の子ども扱いがうっとうしい。面倒くさそうに言い放ったニルダに、ドゥランは食い下がった。


「いや、お前は子どもだからな?」

「安心しろ、奥方の出資だ」

「ルチェッタ……」


 エドモンドにそう言われても、全然安心できなかった。

 (ニルダ)(ルチェッタ)友人(エドモンド)、皆に(たばか)られていたと知って、ドゥランは崩れ落ちた。




 そして今日、ニルダは教会へ仕掛けに来たのだった。

 胸の内では楽しくて仕方ない。うっかりすると不敵な笑みがこぼれそうになるのをこらえ、ニルダはフィルベルトの後ろを淑女然として歩いた。


「司祭様」

「おや、これはフィルベルト様」


 教会に入った少年少女を、司祭は丁重に迎えた。ニルダが誰なのかは覚えがなくとも、領主の息子が連れているのだ、礼を失するわけにはいかない。


「こちらは、お友だちですかな。愛らしいお嬢様だ」

「はい。僕の友人の、ニルダ・ペンデンテです」

「ほう。ペンデンテ商会の?」


 司祭は意外そうにした。貴族ではなく商人の子とも親しくしているのかと思ったのだろう。ニルダは謙虚に挨拶し、おどおどと言った。


「あの、献金をしたいんです。別の町にいる兄のためにお祈りを捧げたくて」

「それは良い心がけです」


 少女からの献金など大した金額ではないだろう。司祭はあまり興味なさそうだった。


「日曜日の礼拝の時でもいいのに、わざわざご苦労様ですな」

「あ、だって……」


 ニルダはうつむいてみせた。


「街の皆さまに見られるのは、恥ずかしくて……」

「こっそり祈りを捧げたいと、ニルダが。内気な子なので今日も僕が付き添いました」


 そっと言い添えるフィルベルトとニルダを司祭は見比べた。なんとも優しげで、信仰の篤い子どもたちに思える。


「ではお嬢さんのお心は、神のために使わせていただきましょう」


 祭壇に導かれたニルダは、奮発したグロッシ銀貨をそっと置いた。子どもの献金ならデニ小銀貨だろうと思っていた司祭の顔色が動く。

 これは投資。これは投資。

 大物を釣るための見せ金なのだと、ニルダは自分に言い聞かせた。心では泣きながら銀貨を手放す。ああ、可愛い私のグロッシ銀貨。

 (ひざまず)いて祈るニルダに司祭は祝福を与えた。立ち上がるニルダにチラリとされて、フィルベルトは自分の役割を思い出す。


「司祭様、僕、ニルダにあの絵を見せてやりたいなって思ったんです。とても素晴らしかったから。一目のぞかせていただけませんか」


 司祭は目を輝かせた。フィルベルトがあの絵画の価値を理解できるとは。


「もちろんです。ニルダ嬢にも、かの画家の良さがわかるといいのですが」


 ウキウキと司祭室に招き入れられる。

 壁にあるのは本物のアントニオ・ジョバーノの絵画だ。さあここからね、とニルダは心で舌なめずりした。


「まあ……!」


 ニルダは目を見張り、息を呑みながら絵を眺めると、祈るように頭を垂れてみせた。その様子に司祭は満足してうなずく。


「感動的でしょう」

「……はい。なんて美しい『ピエタ』でしょうか」


 顔を上げたニルダはうっとりと絵画を見上げた。

 十字架から下ろされた我が子を抱く聖母。悲しみと愛、神への祈りに満ちた瞬間だ。


「母の部屋の絵に、感じが似ています」


 得意げな司祭が何か言う前にニルダは口を開いた。司祭に喋らせると長くなるそうだから。そんなものに付き合いたくはない。


「……ほお?」


 出鼻をくじかれた司祭は、それでも食いついてきた。

 子どもがひょいとグロッシ銀貨を献金するような商家だ。流行画家の作品ぐらい持っているかもしれない。


「母の絵は『受胎告知』ですが。色や光の雰囲気がよく似ていて。だから、これも好きです」

「彼はもう『受胎告知』を描いていたかな……?」


 考え始められては困る。その時間を与えないようにニルダは言葉をつないだ。


「確か、ジョバー()という画家の絵だそうです」


 司祭の動きが止まった。

 子どもの言うことだ、画家の正確な名前も知らないか言い間違いだと思ったのだろう。ニルダは正確に、意図的にそう言ったというのに。

 嘘はついていない。家にあるあの絵には、署名があるのだ。ジョバー()、と。



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